小さな子供の頃のこと
小雨しとしと梅雨時の頃 古いお寺の境内の下 小さな猫がおりました
濡れた毛並みは縞模様 鼠と黒の縞模様
小さな箱に入れられて 骸みたいに痩せこけて 雨に打たれておりました
小さな私は恐る恐る 小さな猫を覗き込み 微かに動くの見て取って
ふかふかタオルを取ってきて そうっとくるんでやりました
友達がいない小さな私 小さな猫が愛しくなって 学校帰りに楽しみに
家の隣のお寺に通い 境内の下こっそりと 小さな猫の世話をしました
猫は日に日に元気になって どんより瞳もまん丸に
痩せた躯もふっくらと 元気になってくれました
一面苔蒸すお寺の庭で 小さな猫と小さな私 楽しく過ごしておりました
西のお空が茜くなるまで 小さな猫と小さな私 楽しく過ごしておりました
そんなある日のことでした いつものようにお寺の庭で 小さな猫と遊ぶ私を
見ている童がおりました お寺のそばの砂利道を 社の前の砂利道を
でこぼこ黄色いヘルメット 自転車の上ヘルメット 三つか四つのヘルメット
私の方を向きました 一面苔蒸すお寺の庭で 小さな猫と過ごす私を
ヘルメット達は言いました 猫を殺して遊んでる じわじわいたぶり遊んでる
ヘルメット達に囲まれて 子猫を抱いた小さな私 ただ俯いて泣きました
ヘルメット達は無邪気です 本当なんていらなくて ただただ明日の学校で
噂の市場に出す品を 買い付けに来ただけだから
噂の市場の商人達 商人同志はお互いを 売り物にしない不文律
市場に品が途切れぬように 小さな私はそこにいる 本当なんていらなくて
市場の品の小さな私 小さな猫に逢いにゆけずに 家に篭っている内に
いつしか私の小さな猫は 元気になった小さな猫は ふらりといなくなりました
小さな猫がいなくなり 市場の品の値は上がる
とうとう私は殺したと 小さな猫を殺したと
ヘルメット達が買い付けた 品は市場で受け入れられて 二年あまり売れました
・・・随分昔のことですが 今でも心に絵が浮かぶ
一面苔蒸すお寺の庭の 小さな猫と小さな私
毛並みの色も夕陽の色も 手触りさえも鮮やかなのに
だけれどいつもただ一つ 小さな私が小さな猫を
どんな名前で呼んでいたのか どんな名前を付けてあげたか
思い出すことができなくて 私は猫を呼べません
本当の言葉は売れなくて 本当の言葉を言えないで
市場の品になった私は 猫への言葉を消してしまった
私の中で小さな猫は ただただ絵として在るのです・・・
もし今私が猫に逢えたら 私は言葉を止めません
自由気ままで寂しい猫の 名前を忘れてしまわぬように
呼びかけられなくならないように 私は言葉を止めません
猫と私の間だけでも 本当の言葉を交わせるように・・・
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