ある冬の朝のことだった。私はいつものようにバイト先に向かうため、最寄り駅のホームで電車を待っていた。
ホームに入ってすぐの場所に、白い息を吐きながら私はいた。その日はかなり寒かったが、買ったばかりのアンゴラのコートは軽くてあたたかかった。細身のデザインでラインの綺麗な、一目惚れして買ったコート。駅掲示板のガラスに映る自分の姿を確認して、ひそかに小さな自己満足を覚えた。そんなご機嫌な私の前を、大きな人影が通り過ぎた。
その人はまっすぐ歩いていき、私の方を見なかったので、通りすがったのは一瞬だった。
だが、その人の容貌は私の目に焼き付いた。
類人猿を想像させる顔立ち、でっぷりと肥った体。
シャツをジャージの中に入れているから、お腹のあたりでゴムの線が食い込んでいる。
ボタンをしめられるのか疑問になるくらい、きつそうに着ているコート。
見間違えようがなかった。Kくんだった。煙草を吸い、少年でなくそれなりに大人の男の顔になっていたが、見間違えようがない風貌だった。
Kくんは、私より一つか二つ下の学年の、私が通っていた小学校の特殊学級の生徒だった。
彼はその中でもかなり発達が遅れているようだった。彼はその風貌とたどたどしい話し方から、普通の学級の生徒から心ない言葉を浴びせられることがままあったようだった。庭先からチャイムの音が聞こえる距離に住んでいた私の短い登下校の間にも、そんな光景は何度か目撃されたた。当時の自分も、よく男の子達に囲まれて泣かされて帰っていたから、彼のことに気づいたのだろう。
私はかつて、Kくんの姿に共感と同情を覚えて、話しかけた事があった。学年が違う上、普通の学級の生徒ではなく教室の場所も少し違ったため、その回数はおそらくそう多くはなかったと思う。だが私は確かに何度か彼に話しかけ、Kくんが何も悪いことをしていないのに、あなたが彼らになにをしたって訳じゃないのに、いじめることができる方がおかしい、そんな趣旨のことを言った記憶がある。それは当時の私が日々思っていたことだった。
Kくんは嬉しそうだった。彼は言葉をもがくように探しているように見えた。
そして、「自分は好きでこういう風なんじゃない」という意味のことを訴えるように、もつれるように言った。その時の私は、確かに彼と哀しんだ。
それがきっかけで、時折話すようになった。彼は難しいことはなにも言えなかったから、話す、というほどのことを話していなかった。私は、年にしては生意気な話し方をする子供で、同級生の話し方も幼稚だと感じていた位だったから、彼の話しぶりには正直ちょっと戸惑っていたと思う。実際、当時の彼の話しぶりや表情は今でもよく覚えているが、彼が話した内容はほとんど覚えていない。
それでも、なんの意識もなく無邪気に、集団で私や彼を攻撃できる人たちよりも、彼は私にとってずっと好ましかった。見目形の美醜で言えば、はっきり言って彼は子供心にも醜貌だった。だけれど、物心が付いてすぐから醜いものとされていた当時の私には、彼の醜貌は気にならなかった。「おねえちゃん」と話しかけてくる彼の目はきれいだとさえ思った。
ただ、自分が当時大人から賢いと言われる子供であり、私をいじめる人たちも頭が悪いとか馬鹿だとかの類のことは、言わなかった・・・そのことは、私の無意識に気が咎めるような思いの種を蒔いていたのだった。
あれは祖母にとって何がきっかけだったのだろう。おそらく庭仕事をしている時にでも私とKくんが話をしているのを見たのだと思う。居間に入ってランドセルを降ろした私に彼女は言った。
「ああいう子とお話しするのは・・・ねえ・・・」
祖母は、年齢よりは若く見える顔に粘つくような嫌な笑いを浮かべていた。彼女の言いたいことは子供の私にもよく伝わった。一番最初の内孫であった私は祖母には可愛がられていたが、それは条件付きのものであるとかなり子供の頃から感じていたと思う。私と祖母の住む、地方の古い、小さくない家。私が生まれる前に亡くなった祖父を婿養子を取っていた祖母は、私の住む町から出たことがない。子供の脚でも歩きつくせるだけの小さな町。その小さな町の中での世間体を絶対の基準にした、祖母の価値観とプライド・・・それらの条件を満たして初めて、愛されるのだろうなと明確に自覚しだしたのはいつの頃からだったろうか。
とにかく私はこの頃には既に、祖母は自分と同じ言葉を持たない人だと感じていた。祖母は私を可愛がっているとはいっても、いじめられてはいても、よく本を読み大人びた話し方をしテストの成績も良い・・・そんな自分の孫として望ましい属性を可愛がっているだけで、それは結局は彼女の自己愛だと私は思っていた。でも彼女は主観的にはとても善意だ。祖母にとって祖母の価値観はとても正しい。だから孫の私を正しい方向に導こうとしている・・・それだけだ。
祖母は私の内面なぞ知らずに、曖昧な笑いを浮かべていた。私は内心とても憤っていた。Kくんが祖母に何をしたというのだろう。Kくんは確かに、知恵遅れの上、見た目に拘ることを拒んでいた当時の私から見ても、醜貌で服装もだらしなかった。だけど、Kくんは、漠然とした「感じ」だけで人を傷つけ、そしてそのことに気づかない人よりも知っているものがあると思った。
そんな風に、内心で祖母に対してとても憤りつつ、私はそれを結局表に出さなかった。一言二言は何か言ったかもしれないが、少なくともはっきり反論することはなかった。短い時間の間に、私の心にいろいろなものがぐるぐるした。Kくんのための憤りよりも、何とも言い難いざらざらしたものが、私の心に多く残った。
成績で量られるような種類の賢さ。それは私にとって自分を守るものだった。自分自身ではさほどの価値を見いだしていなかったし、努力もしていなかったが、依存は強かった。
ざらざら。ざらざら。口の中に砂を含まされたような気分がした。
それ以来、私は、自分からはKくんに話しかけなかったように思う。
話しかけられて無視することはなかったと思う。が、多分私はよそよそしくなっていた。
そうして、私達はすっかり疎遠になった。
Kくんは小学校卒業後は養護学校に行ったらしく、姿を見ることもなくなった。
私が言葉にできない躊躇を覚えたのは、何に対してだったのだろうか。
・・・私の心に砂をまいた、祖母の善意の忠告を聞きたくなかったのは確かだ。
だが、それだけではなかったのだと思う。砂はもともと、私の心にあった。
そしてそのことに、私は動揺したのだと思う。
祖母の忠告はきっかけに過ぎないことを私は知っていた。あの人はただ、曖昧な笑いと曖昧な言葉で、それとなく私を諫めただけだ。ざらざらした砂は、私にあるものだった。
Kくんが後ろの車両に乗っているはずの電車の中で、私は過去の映像をまざまざと思い出しながら、ざらざらした砂のことを思っていた。彼がすっと私の前を通り過ぎていかなかったら、私は彼に話しかけただろうかとふと思い、昔は確かに気にならなかった彼の外見の醜貌を自分が気にとめたことに気がついた。
ざらざら。ざらざら。砂が心を埋める音に私は俯いた。
ラベンダー色をした、自分の爪が目に入った。
たまたま手入れをしたばかりだったので、10本の爪と指はどれもつるりと整っていた。
だけれど。
私は、自分の手がささくれだらけになったかのような気分でいた。
砂に埋まって、私の手は乾く。
ピンセットでは取ってしまえない、無数のささくれ・・・。