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「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」(コリント信徒への手紙 二 第4章16節)
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みなさん、おはようございます。今日、私は、洗礼を受けてから初めて、子供の教会でお話します。洗礼を受ける前、私は聖書をずっと読んでいって、さっき読んでもらった、この、『コリントの信徒への手紙』の言葉に出会いました。そして、この言葉に、自分の事を教えてもらって、洗礼を受けようかなって思いました。だから、今日は、この聖書の言葉から、私が教えてもらったことをお話ししたいと思います。
『虚勢』って言葉があります。
虚、には上辺だけで、内容がないこと。見せかけだけ。そんな意味があります。
勢、は元気とか、勢いだよね。だから、虚勢、っていうのは、
虚勢=自分の弱さを隠すために、上辺だけ勢いがあるように見せかけること。
つまり、自分の心の中、ほんとの自分は、弱虫なのに、元気で強い振りをすること。偽物の元気。見かけだけの元気です。
人の心は、簡単に、この、『虚勢』、でいっぱいになって、本当に自分が心の中で思っている自分と、外から見える自分っていうのが、バラバラになってしまうことが良くあるんです。
わかりにくいかな?
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●自信・プライド「私は、みんなより、賢い」
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●劣等感・コンプレックス「私は、みんなより、綺麗じゃない」
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それじゃあ、この女の子の絵を見て下さい。これは、いつも、テストですっごいいい点ばっかり取っている、賢いお姉ちゃん。聡子さんっていいます。聡子さんはとっても賢いので、
『私は、みんなより、賢い』って、自信、とかプライドを持っています。『人より』賢い、『人より』凄いぞ、だから私は良いんだ、立派なんだ、そういう気持ちですね。
でも、その一方、
『私は、みんなより、きれいじゃない、おしゃれも下手・・・』そういう、劣等感とか、コンプレックスを心の中に持っています。『人より』綺麗じゃないから、『人より』駄目だから、だから、私は駄目なんだ、そう言う気持ちですね。
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●自信・プライド「私は、みんなより、綺麗」
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●劣等感・コンプレックス「私は、みんなより、頭が悪い」
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今度は、こっちの女の子。こっちのお姉ちゃんは、小さいときから、綺麗、綺麗、っていわれています。おしゃれも上手なお姉ちゃん。このお姉ちゃんは、優美ちゃんっていいいます。
『私は、みんなより、綺麗』ってプライドや自信を、やっぱり持っています。
でも、その一方、勉強はものすごく苦手で、テストは悪い点ばっかりな優美ちゃんは、
『私は、みんなより、頭が悪い・・・・』そういう劣等感、コンプレックスをやっぱり持っています。
それぞれ逆の自信・プライドと劣等感・コンプレックスを、聡子さんと優美ちゃんは持っていますね。
聡子さんは、心の中で、優美ちゃんに対して、
(・・・綺麗で羨ましいな、いつもおしゃれで素敵だな。私もそうなりたいな。どうやったらもうちょっと綺麗になれるんだろう・・・。)心の中では、そう思っています。
でも、聡子さんは、自分で自分が綺麗じゃないって思っていて、そういう自分が、綺麗な人を羨ましいな、そう思っているってみんなに知られたくないので、クチでは、言葉では、
『いっくら綺麗でも、頭の悪い人間は駄目よ』『優美ちゃんなんて、大したこと無いじゃない』
『いっつも見かけばっかり構って、中身に自信がないのよ』
思わず、そういうことばかりを言って、優美ちゃんを傷つけてしまいます。
優美ちゃんは優美ちゃんで、心の中では、聡子さんに対して、
(・・・頭良くて良いなあ、なんであんなに色々知ってるんだろ、私もそうなりたいな、どうやったらもうちょっと勉強できるようになれるんだろう・・・。)心の中では、そう思っています。
でも、優美ちゃんは、自分で自分が頭が悪いって思っていて、そういう自分が、賢い人をほんとは羨ましいって思っているのをみんなに知られたくないので、クチでは、言葉では、
『勉強ばっかりしてて、お洒落もしないで、何が楽しいのかしら』
『いっくら頭良くたって、綺麗じゃなかったら、だめよね』
思わず、そういうことばかりを言って聡子さんを傷つけてしまいます。
心の中と、口で言ってることが違っちゃってるでしょ?二人とも、それぞれ、ほんとは羨ましいのに、羨ましいって言えなくて、強がってます。虚勢、っていうのは、こういうことです。
こういう、強がっちゃって、心で思っていることと、口で言っていることが違ってしまう。こういう状態に、人はどうしてなっちゃうんでしょうか?
それは、自分を他人と比べて、自分が『人より』、凄いから良いとか、自分が『人より』も劣っているから駄目だとか、そういう気持ちから出て来るんです。
人と比べて、自分が『人より』も凄いと思って、自信や、プライドっていう気持ちを、人間は持ちます。また、人と比べて、自分が『人より』できないって思って、劣等感、コンプレックスを持ちます。
こういう、人と自分を比べる気持ちで心がいっぱいになっていると、ほんとに心で思っていること、違っていることを口が言っちゃう、そういうことが起こります。それを『虚勢を張る』って言います。
虚勢を張る、ってことを全くやっちゃわなければ、もちろんその方がいいんだけど、こういうことは、人間、ほんとによくやっちゃいます。
じゃあ、もしこういうことをやっちゃった時は、どうしたら良いと思いますか?
そう、素直に言えば良いんだよね。ごめんね、ほんとはこう思ってた。私はあなたが羨ましかっただけなの。そう言えばいい。心で思ったこと通りの言葉で喋ればいい。そうやって、聡子さんは優美ちゃんにお洒落の仕方を教えてもらえばいいし、優美ちゃんは聡子さんに勉強を教えてもらえば、二人とも、それぞれ良いところをお互いのために活かせるし、お互いの言葉に傷つかないし、自分の心に嘘をつかないから、自分も苦しくない。
でも、残念ながら、人間は、なかなか、素直に、ごめんね、ほんとはあなたが羨ましかったんだ、そう言えません。本当なら、すぐに、虚勢を張るのをやめて、偽物の、見せかけの元気をやめて、心で思った通りのことを口で言えばいい。それだけのことなのに、言えない。
『ごめんね、あなたが羨ましかったの』そう言えないままどんどん時間が経ってしまうんです。
時間が経つとますます素直になれなくなって、自分の本当の心、内側の自分と、クチで喋っている、周りの人に見せている外側の自分が、どんどんどんどん違ってきてしまいます。これって、とっても苦しくって、辛いことです。ほんとの自分を人に分かって貰えてないっていつも思う。
・・・こんな苦しいことは早くやめてしまった方がいいに決まっているのに、素直にごめんねが言えないまま時間が経つと、ますますそれを出来なくさせてしまう、困った気持ちにとりつかれちゃうんです。それを私は、『イマサラくん』って呼んでいます。
(・・・・イマサラ、そんなこというの、かっこわるい・・・。)
(・・・・イマサラ、そんなこと言っても、許して貰えない・・・。)
このイマサラくんは、時間が経つとどんどん大きくなって、人の心を乗っ取ってしまいます。
ほんとの自分の心をぎゅうぎゅうに締め上げて。ほんとに思っていることが言えなくなる。
自分にはない、人の優れたところが認められなくて。自分より優れた人にいろんなコトを教えてもらうって言うことが出来ない人になっていきます。
また、自分が人より優れたところだけにしがみついて生きていくようになります。聡子さんだったら、いつも、自分が人より賢いって確認していないと、落ち着けなくなっちゃうし、優美ちゃんだったら、いつも、自分を人より綺麗にしていないと、落ち着けなくなっちゃう。
だけど、こういう、誰かと比べての、綺麗だとか、賢いとか、そう言うことにはキリがないから。虚勢っていう偽物の元気で心がいっぱいになった上、イマサラくんにとりつかれてしまった聡子さんや優美ちゃんは、いつまでたっても、安心するってことが出来ません。
うっかり、自分たちよりも、綺麗で、なおかつ賢い、そういうどっちもある人にあったりすると、もうそれだけで、自分たちは全部駄目って言われたみたいに、心が苦しくて仕方なくなってしまったりするようになります。
外側の自分が、人と比べてどんなに立派でも、心の中の弱いところを見せられないから、外側の見かけの自分だけにしがみついているから、寂しくて不安で、しょうがなくなってしまうからです。
・・・私は、昔、聡子さんみたいな子でした。人より賢いから自分は良い、って思ってました。でも、綺麗な優美ちゃんが聡子さんに言っちゃったようなことを、私も綺麗な女の子に言われて、それで、綺麗じゃない私は、女の子としてはダメなんだだな、そう思ってました。
で、そう思った私はどうしたかっていうと、高校生くらいから、それじゃあ、賢い上に、女の人としても魅力的になればいいんだって思って・・・、とにかくいろんな面で人より良くなっていけば、上手に生きていけるって思って、生きていくコトは、結局人より良いようになれるかどうか、って思うようになって、勉強の他にもいろんなコトができるようになろうとしました。
・・・でも、そうやって人より良くしよう、良くしようって背伸びして頑張ってるうちに、自分の心の弱くて寂しいところが見せられなくなっていました。
そして、ある時、突然、疲れて頑張れなくなっちゃいました。
それまで頑張っていた分、なーんにも、できなくなっちゃったんです。
頑張れなくなったら、自分に人より凄いところなんて、最初からなんにもなかった様に思えました。でも、それでも、自分は弱くって寂しいって言えなくて、立派な振りをすること、元気な振りをすることをやめられませんでした。
『イマサラ、弱虫なんて、ほんとは格好悪いなんて、言えない』
そういうイマサラくんが心にとりついていたからです。
頑張れなくなった自分の外側は、どんどん人より凄くなんてなくなっていって、それでも、『イマサラ』自分は弱いんです、格好悪いんです、って言えなくて・・・苦しくて苦しくて仕方なくなっていた頃、私は教会に通いだしました。
そうやって私は、教会に通って、聖書を読んで、この、コリントの信徒への手紙の中の、
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」・・・この言葉に出会ったとき、私は、イエス様に、『人の心は、いつでも新しくなれるんだよ。『イマサラ』なんてことは決してないんだよ。』そう教えてもらいました。そして、イエス様は、『私が好きなのは、自分を弱くて寂しいと思っている、あなたそのものですよ』そう私に言ってくれたと思いました。
そうイエス様に言ってもらって、私は、やっと、『イマサラくん』にさようならして、、ほんとに私が思っていたことを言えるようになって、ようやく、安心できるように、ほっとした気持ちになれるようになりました。
みんなも、みんなのこれからの人生で、もし、ほんとは自分が弱虫だな、って思っても、それを人に言えなくて、強い振りをしちゃったり、強い振りをやめることが出来なくて苦しくなっちゃったりしたときには、イエス様だけは必ず、私達の弱さをご存じなこと、そして、、イエス様は、本当の私達の弱いところを、大好きだって仰ってくれることを思い出して欲しいと思います。
みんなが、「いまさら」なんて思わないで、いつも「今」「これから」を大切に生きていけますように・・・。
2001/05/20 子供の教会にて