今度のイースター(4/15 (日))に、aikoは、日本基督教団各務原教会というプロテスタントの教会で、洗礼を受け、クリスチャンになります。
私が受洗を決意した、私の心の経緯そのものは、まだ上手く言葉にすることができません。
ただ言えるのは、ふとしたきっかけで教会に通い聖書を読むようになったことで、私が自分自身と向き合うために綴ってきた、私の中で点在していた小さな言葉たちに一本の線が通った感覚を得ることができたということです。
このホームページに何度か来て下さっている方は、ご存じかと思いますが、私は過去10年間に渡っていじめにあっていた経験を通して感じたことを、エッセイや詩にして書いてきました。それは、99年の12月に、偶然私が通っていた小学校の子供達のいじめの場面に居合わせてしまい、心臓を鷲掴みにされたような想いを綴った、凍る風景、という短い文章を書いたのがきっかけでした。
それまでの私は、内面で強い自己否定感を抱えながらひたすら過去を否定し隠していたのですが、エッセイに自分の経験を書くようになってから、共通の経験を語ってくれたり、私がこういうものを書いていると知って救われたと仰って下さる方もいらっしゃったことで、段々と自分の過去を表に出せるようになっていきました。そして、言葉を探している間は自分と向き合えるようになっていきました。そうして私は、自分の過去の経験を20代になった私が振り返って感じている、私なりの真実を、鼠の眼、世界で一番醜い僕へ、目隠し、名のない猫へ、ちからあることばたち、等のエッセイや詩にして発表するようになったのです。
こういう文章を発表し、幸いにもそれを理解し評価して下さる方が少なからずいて下さったことは、私が自分自身を整理する作業を加速させてくれました。
でも、教会に通うようになる前の文章は、どこか、自分の核心から逃げて今一歩踏み込めていない部分があることを私は自分で感じていました。それは、自分自身が、頭では整理がつきかけていても、殆ど身体感覚として強くあった自己否定感から自由になりきれないでいたと言うことでもありました。
それが、教会に通う様になって、なにかが変わってきました。
正直なところ、最初は、救いを求めてとか、キリスト教のことを真剣に考える、という意識で教会に通ったわけではありませんでした。教会に通い出したきっかけ自体は、去年のクリスマスに、お世話になっていたあるクリスチャンの合格者の方に誘っていただいた時に、忘れ物をして教会に探しに行ったという、いかにもそそっかしい私らしいきっかけでした(笑)。それをきっかけに、各務原教会の牧師である小西先生と、先生が読んで下さった私が過去に書いたエッセイなどを通して、先生や教会の方に自分が感じてきた事を話すようになりました。それはちょうど、自分自身のこれまでをもう一区切りで整理できそうなのになかなか踏み切れないで悩んでいた時期に重なっていました。
先生や教会の方とお話ししたり、貸していただいた三浦綾子や遠藤周作の本を読んだりする中で、私は、もう一歩、自分自身に踏み込めそうな感じをつかみました。そうして書いたのが、つみのいしき、ささくれのエッセイでした。
これまでキリスト教を信仰の対象として考えたことはなかったものの(というより、宗教を自分の支えの選択肢として意識したことがなかった)、大学時代にお世話になった、私が司法試験を受験をするきっかけになった尊敬する先生がクリスチャンであり、先生に連れられて一、二度教会に行ったことはあったことなどもあって、一度、自分の奥に響くものを感じてからは、教会に通うのにあまり抵抗はありませんでした。(まあ、私を知る方はよくご存じな通り、自己否定感が強いなんて言う割にはやたら物怖じしない、自分の感性の赴くままに動いちゃう性格、ってのが一番大きいって話もありますが(笑)。)
そうして聖書も読むようになり、聖書の言葉からインスピレーションが涌いて「時に蒔く種」という童話を書いてみたりするうちに、自分がこれまで感じてきたことを聖書の言葉が繋げてくれる感覚を実感として持てるようになってきました。だから、というだけではないのですが、そういう感覚が生じたことが、私をすっと洗礼を受けようという気持ちにさせたのは確かでした。
もちろん、ここに書いているようなことは、ごくごく主観的な、今現在における私の個人的な感覚です。
ただ、それでも、私の文章をこれまで通して読んできてくれた方から、私が教会に通いだしてからの文章がよりなにかに踏み込んでいて、感じるものがあったと言って貰えた以上、私にそれを書かせたのは、信仰を持つ方との出会い、教会や聖書やとの出会いを通して感じた何かだったということはここで書いておきたいと思ったのです。
ここに紹介させていただいたような私の文章を読んで、何かを感じて下さった方で、もし私の洗礼式を見て下さるという方がいらっしゃいましたら、aikoまでご一報いただけると幸いです。
補足
この告知を書いてから、私は、自分の祈りから書いた、あたしの祈り、という詩をきっかけに、私がクリスチャンになることを決意するに至った、私の心の経緯そのものについても、ちょっと長めの文章にしてみました。「あたしの祈り」について、という文章です。もしよろしければ、そちらもご一読いただけると幸いです。