日経新聞に載っていた伊坂幸太郎のコラム。
ルービックキューブを6面完全制覇する達成感よりも、
3面完成して、3面は残っているくらいが良い。
そんな作風の変化があったらしい。
恩田陸の“投げっぱなし確信犯”にも通ずるか。
書き手が解釈の余地も無いくらい精緻に100%世界を確立するより、
読み手により様々な受け取り方ができる方が、懐が深いと言う事か。
前置きが長くなったけれど、先輩から借りた米澤穂信と言う初めて読む作家。
帯に「このミス2010」作家別投票1位、『プロが認めたこの実力を見よ!!』とある。
プロの評価って、発想の奇抜さにあったりするから、
それが必ずしもトータルな完成度や満足度に比例しないと思うのだが。
で、読んでみると辻村深月の『名前探しの放課後』みたいなパラレルワールド。
何となく最後まで読めてしまい、悪くは無いと思うのだが
ストンと落ちないから、満足度がもう一つ。
↓ネタバレ注意。
<リョウの世界>では、フミカのねじれた狂気が夢の剣となりノゾミを殺したって事か。
<サキの世界>で彼女のお手柄は、
・3年前の嵯峨野家の岐路となった夜に、逆ギレしたことで事態の収集を図った。
・ノゾミをオプティミストに誘った。
・2年前の自転車の交通事故で、原因となったイチョウの木が切られ
その結果、辰川食堂の爺さんが脳卒中で倒れた時に救急車が遅れずに済み助かった。
・古着屋の存続に貢献。
パラレルに存在する、それぞれの世界はそれで良いとして
結局はそのパラレルに対する解が欲しいところなのだが。
川守と言うチョイ役の少年に意味を持たせるならば、
妬みの怪物<グリーンアイド・モンスター>の囁きで、東尋坊にいたリョウは束の間のパラレルワールドに誘い込まれる。
サキと自分の違いに厭世的な気分になり死を決意すると、東尋坊へ戻ってくる。そこへツユからの電話と、母親からのメール。
これが崖下への後押しとなったのか、生への執着になったのか。
ノゾミが望んで得られなかった金(≒嵯峨野家では両親の放蕩ぶりとして顕在)を拒んでいるから
リョウはノゾミに呪われている? って事は、ノゾミへの贖罪としては両親との冷えた関係を続ける絶望を選ぶ。
シニカルな薄い笑みの後に。そう言う理解で良いのか。
なんだか随分と暗いお話だな。
途中までのサキの快哉とした性格とその台詞回しが、後味をいくらかだけ和らげてくれる。
サキって高校2年生にしては随分大人だな。あはっ。
p44の掃除の粗さを指摘された際の「小舅だ!」が一押し台詞。
p237でリョウに「デリカシーはどこにお忘れだ」と指摘される様も良い。
サキとリョウの二人乗りの微笑ましさは『黄昏の百合の骨』の理瀬と雅雪のそれに匹敵。
とりあえず、他の作品も読んでみたいと思う。