貘の耳たぶ

芦沢央・幻冬舎文庫

ストンは無かった。軟投派かと思ったら、こんな豪速球も持ってたんだね。
ミステリ仕立てではないが、ゾワゾワくるお話。
取り替え子という事で、福山雅治とリリー・フランキーの「そして父になる」を思いながら読む。ただし今回は完全に二人の母親目線。
序盤は、実は郁絵も取り替えを行なっており、結果どちらも実子で良かったね、みたいな展開も考えたけど結末は辛かった。
結局は母性の話なのだと思う。歪んだ形かもしれないが、それも母親の愛。全ての人はその母親から生まれ落ちた。

繭子の母親は、自分の娘が受けた被害がクリニック側の清算方法では割に合わないと裁判を求め出す。
金目当てとかクレーマーとかとも違う、我が娘に対する理不尽さへの怒りの発露は、彼女なりの母性だったのだろう。
まさに、ずるいと、そう思ったのだ。それこそが繭子をして真実を語らしめたのは皮肉であり、航太引き渡しの場には姿も現すことがなく物語からは去る。
所作の美しさの描写がかえって際立つ。
この物語の続きの世界では、再び繭子とあの家で暮らしているのだろうか。

繭子は、自分自身が我が子をきちんと育て上げることができるのか不安に駆られてしまった。
小さな不幸の集大成がネームタグの取り違えという重大事を引き起こし、誰に明かすこともできず、
でも寧ろ誰かに見つけて欲しく、四年間を常に苦しんで来たのだろう。そして真実を語り始めた時も、
実母が裁判を主張したからには引かずに挙行してしまい航太と璃空の未来を心から案じたからこそ、胸の中の縛を解いたのだろう。

旭の母親は、帝王切開で航太を生んだ繭子に対し、責めることもなく子供のリスクも全て母体が抱えてきたと、繭子を肯定してみせた。
それだけに繭子の告白は堪えたであろう。孫が増えたようなもの、という感想を残したが結果としては真逆。
ただ減ってしまい航太引き渡しにも姿は無かった。

郁絵の母親は、郁絵から電話で相談を受けた時は、覚悟の決まらない郁絵よりも先に交換を見据えていた強さ。
もしもこの先、事があった時に実子ではないからと思う事は無いか?それは、寧ろこのフィナーレだからこそより重い響きを持つ。
郁絵は璃空に事があった時に隣にいる航太と比較してしまわないか。いつの日か天秤が航太に傾く時、そこに璃空の絶望が始まる。
繭子の所業を犯罪と言いおおせ、訴えると言う直截の強さはを繭子の母親の鏡写し。

郁絵は、保育士として自分の子と預かっている子のどちらに心をくだいてきたかを自問する。教育者なら誰もが一度は思うことなのだろう。
例えば「家族狩り」も、そういう話だった。
交換は有り得ない。子を持つ親の立場になり、この本を読んでいた私も、DNAよりも育てた時間こそが親子の情だろうと感じたのだ。
しかし哲平の諭す通りそれが親のエゴでないのか、本当の親を隠し通して奪う権利があるのかと突き詰められた時に何と言えるか。
お泊り教室の代わりに航太と璃空が互いの家に泊まった翌朝、健気を装った璃空の洩らした涙を、カメラ越しに受け止めた事を悔いる母性は沁みる。

哲平の母親は、交換後にはもう璃空には会えないのかと切実に問うた。

おまけ。郁絵の父が言うサンタの逸話も良い。
サンタはお爺さんで、お父さんにプレゼントを遺して死んでしまう。お父さんは「娘にプレゼントを贈り喜んで貰える」というプレゼントを貰ったんだよ。
なるほど、これ使えるな。

この物語の続きの世界で、どうか璃空が親に捨てられたと言う絶望の闇に沈まないで欲しい。璃空に与えられた人生は、このフィナーレの後も続いていくのだから。

(20/11/23)


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