家族狩り

天童荒太・新潮文庫

結果として何を言わんとしたのか。家族の大切さ?

そうやってまとめてしまうと大掛かりな舞台装置があまりにも安っぽいか。
執拗に「家」に関する記述をちりばめ、正に形ある「家」に家庭像を投影していることは間違いないと思うのだが。
例えば馬見原家では曽祖父の代からに渡って6度に渡って建替えられてきた歴史がある。
椎村家でも親から残された家を必死で守る英作の姿がある。
その一方で巣藤の見つけた旧家で、ケートクらと築き上げる「家」もある。

もちろん、家庭についても複雑さを織り込む事を忘れない。
第一巻では強気で敵無しなキャラの様に描かれていた氷崎游子も、半身不随の父親を抱え母との対立があり、
更には大好きだった祖父にも愛人(?)の存在が明らかになる。
巣藤も、自分を厳しくしつけた結果、逃げ出さざるを得なかった両親との再会で幻滅する。
馬見原に至っては、母は痴呆、息子は死亡、妻は精神を病み、娘は非行にはしった挙句に全てを責められる。
代替家族の冬島家に油井を近づけんと必死になるが、その油井自身もゆがんだ境遇の落し児だった。

みんな頑張ってる。自分のためには。

テーマとしては、みんな少しずつ相手の事を思いやろうよ。と言う巣藤の目覚めたテーマなのかもしれない。
佐和子の感じた、親切のリレーのような話しも然り。
そう言う意味で巣藤は物語を通して、一番成長した人物だろう。
氷崎との急接近はどうかとも思うが、それに見合う苦労もしたね。一番散々な目にあってきたものね。

ミステリーとして読んだ時、第三巻で氷崎がセミナーで山賀に論破されてしまうシーンの「愛」でピンとは来た。
ただし、これはミスリードではないか?いや、実は当りだが、更なるフェイクで山賀が殺されるのでは?などと考えた。
馬見原が大野を疑う辺りから、状況証拠は揃ってくる。
結局最終巻で、車を停めるところを探すシーンと、駒田の死体処理についての描写で犯人が分かるのだが。

ペット事件を伏線と捉えるとどう理解すべきか?
犯人からのメッセージは持ち家への非難であり、嫉妬であった。
「家」を持つ事=幸せ と言う等式を否定する為だけの舞台装置だったのだろうか。
椎村が父親と向き合う為、馬見原を超える為に必要だった出来事だったのだろうか。
引っ張った割りに、オチが無かった気もするが、テーマは二つ要らないと言う割り切りか。

大久保で馬見原がピアフのママに民主主義を諭されるシーンがある。ここが存外気に入ったのだが、或いはこれがテーマか?
亜衣も悩むのだが、テレビの中では他人事の様に「遠い何処かの国」での事件として、毎日、多くの命が果てる。
同様に、現在の社会には崩壊が直ぐ近くに存在しているが、みな見て見ぬフリをする。
いや、実際に見ていないのかもしれない。そう言う意味で白蟻が崩壊のメタファーなのかもしれない。
内部から見えない内に、しかし着実に蝕まれている。気付いた時には手遅れ・・・にならぬ様、大野の仕事がある。
更には大野の救世主としての害虫駆除作業と言うメタファーも隠れていたのかもしれない。

『永遠の仔』で知られた著者の大作。
読めば読むほどに引きこまれ、独り暮しの部屋で、夜寝るのに少々怯えた事もあったが、
全五巻。約3,000円の支出は、アリだったね。

(04/07/04) _

■オリジナル版を読んで
順番が逆だけど、オリジナル版を読んでみた。既に5分冊の文庫版の詳細は覚えていないが
あれだけ分厚く2段組なのに、オリジナル版には出てこないエピソードも沢山あった。
椎村が書き足されている。リフォームを悩むところや、馬見原との対決など。
馬見原も、曽祖父の代から継承された家だったり痴呆の母親などはオリジナル版には出てこない。
ケートク、氷崎の祖父も、巣藤の両親も文庫版のみ登場。
また、オリジナル版ではペット事件は解決を見てない。真犯人は亜衣でも佐和子でも無いのだろうから。
エンターテインメントとしては、どちらも大変結構でした。

(10/08/15)


茶色い本棚(国内作家)へ戻る

私の本棚へ戻る

タイトルへ戻る