文庫になったのを見つけて、勢いで半日あまりで読み上げました。
割かし読みやすい文体ですね。
冤罪がテーマなのは知っていたので『半落ち』と似てるのかなぁ、と思ったけど・・・
結果として通じるものはあるのかな。現象としての結果ね。
解説の藤田香織さんも良いこと書いてますね。
先ずはそっちの観想から。
この作者が女性を描くのが上手いと言うのは納得。
私も途中から冬見の視点なのには気付いたんですよ、やたらセリフ以外の文中にも義父・義母って出てくるから。
曜子が死ぬまでは義母が2人存在しちゃうから(尋恵から見た曜子と、冬見から見た尋恵)、
先のレトリックは使えないんだけどね。
でもね、今回一番描ききったのは“まどか”だと思うよ。
3歳児のリアリティ。大人から見ると、ややもすると理解し難い、制御不能な部分を出せてましたよね。
参考文献にプチタンファンを挙げてるだけはありますね。
主題は何だったのだろう。当世にありがちなコミュニケーションのすれ違い?
2重人格と言うほどではないにせよ、一方的な好意が伝わらないと分かった途端に逆ギレ。
可愛さ余って憎さ100倍・・・ですか。
でも、それを言うなら正に池本だってやっぱり危なかったんだよね。
「あれほど伝えてるのに何故分からない?」とね。
武内に簡単に論破されたり、不法侵入を犯していたり、と池本も怪しかったよね。
ヤクルトは私もピンと来ましたよ。妙に不自然だったから。
この作品ってイトーヨーカドーとか西友とかいろんなところに固有名詞を使ってるけど、
ここでヤクルトを使いたかったからじゃないか、って言うくらい丁度良い大きさの小ネタだよね。
缶ジュースじゃやっぱりダメだった訳だし。
蛍光灯の取替えの描写にあんなに拘ったのにはどう言う意味があったんだろう。