ボロボロになった人へ

リリー・フランキー・幻冬舎文庫

リリー・フランキーにはコクがある。
けだし名言である。
22歳の学生の感想だと言うから驚くじゃない。なんて秀逸な表現。

本屋大賞に選ばれ、ドラマに映画に舞台にとまさにマルチメディア展開した「東京タワー」を
どうしても意識しながら読み始めたのだけれど、まったく世界観の異なる
リリー・フランキーのダークサイドと対峙する。

『死刑』の中で展開される、見世物としての死。観賞用の娯楽としての他人の死。
しかしそれすら日常化する事で刺激を失うので、死刑の手段がエンターテインメント化されエスカレートする。
法相が在任中3度目となる死刑執行にサインをしたと言う事実がニュースになる現代。
現行法制度では、死刑は適法であり、司法により死刑と裁かれた以上は執行するのが必然だと思うのだが。
ただし死刑がもたらすものは何なのか。本当に死刑は順法の精神を培うのだろうか。
あ、きっと本編のテーマはこう言う事ではないのだと思う。脱線。

『おさびし島』のラストで、有名な漱石の一説“智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。”が引用される
シーンがあるのだが、桑田圭祐の「男達の挽歌」でも流用されてたよね。世代を超えて、時と場所を超えて、
受け継がれるフレーズ。それは真実。

真実と正義。重いのはどっちだ。そう問い掛けた『Little baby nothing』の答えが最高。(是非読んで)
修は思う、俺だけは違う。いつの日か大空を羽ばたけるはず。根拠の無い自信。
フィーゴも何かやってやろうと思う。大きな事をしてやろう。皆のために。
私もこの世に生まれた証を残したい、名を残す生き方をしたい、そう思っていた。

ところが冒険を続ける勇者じゃなくても、当たり前の毎日と言う平凡な世界に於いても
さまざまな戦いは待ち構えていて、ボロボロにこそならなくても、傷つき倒れそうな瞬間はある。
それぞれの世界の中でジタバタ足掻いたり、浮かれポンチになったり、ハラハラドキドキしたり、ワクワクドキドキしたり、
言い訳しながら、そんな毎日を一日、また一日と重ねていくのだろう。現代に生きる人として。
そして偶に、こんな一冊に出会ったりするんだろう。

(07/08/27)


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