早逝した著者のデビュー作。一度読んでみたいと思っていたが、なかなか図書館でお目にかかれず。
この度ようやく借りてこられた。
近未来軍事モノというカテゴリーで、村上龍「5分後の世界」を思い出す。
早川書房つながりで、恩田陸「ロミオとロミオは永遠に」も思い出したけど、世界観の濃厚さはまったく別格。
ただし、途中でジョンの視点に替わってるのでは? などと思ってしまう私は、すっかり恩田ワールドの住人。
読破してみると、実にいろんなテーマが語られている事に気付く。
湾岸戦争のころから、戦争はテレビの向こう側で消費される対象になってしまった。
非対称で、一方的なタコ殴りの構図。戦争は確かにそうかもしれない。
9.11以降の世界では、さらに戦争とは異なるテロという形の災厄が具現化する。
この物語では、外向きの戦争とは姿の異なる災厄として各地で誘発される“内戦”にスポットライトが当たる。
かつて為政者は内政に行き詰ると、共通の敵を持つことで求心力を得ようと外征を行った。
オチは真逆の発想だった。
その死神の囁きのリアリティはさておき、我々市井の民に対して警鐘が鳴らされている。
見たいものだけを見て、都合の悪いものから目を逸らしてばかりだと結局地獄を見るのは自分なのだ。
耳心地よいハナシにばかり現実を見てはならない。
母親の死を通して、人の死とは何なのか問いかけられているのは、「完全なる首長竜の日」とも通じた。
「となり町戦争」や「戦争広告代理人」のような経済としての戦争にも焦点が当たっていたと思う。
言語学についてのやり取りの辺りでは、これは現代のバベルの塔なのかとも考えたが、それはちと違ったかな。
難しくもあったが、面白かった。
続いて「ハーモニー」を読んでみよう。
■劇場版を見て
そうか、そうか。こういう話だったか。
ジョンポールはサラエボのテロで家族を失ったことで
開発国から先進国への憎しみの向きを、開発国内に抑え込み
先進国の平穏を維持する目的を果たすために虐殺の文法を用いた。
クラヴィスらが戦闘のため感情を抑制することと、
ジョンの用いた虐殺の文法=食料獲得のため良心を抑制することは近似である。
人類が計画的な食料調達ができなかったころ、全滅を防ぐ手段として虐殺は種の保存のために備わった知恵だった。
虐殺の文法を英語で流布することなく、特定の言語圏で発動させれば、先進国の安寧は守られる。
人は見たいようにしか世界を見ない。真実から目を背ける人々に支えられた世界に生きる我々を守るための術。
それを知った時、義憤にかられる人もまた、己の食料調達に窮した時に、いつまで正論を貫けるだろうか。