金閣寺

三島由紀夫・新潮文庫

読んでる途中に思ったのは「これって当時のエヴァンゲリオンや攻殻機動隊だったんじゃないの?」
内面世界の追求。精神の世界と肉体の世界のせめぎあい。認識と行為の間に葛藤する主人公。
亡くした父親から美の象徴として語り聞かされた主人公にとって、金閣寺の美そのものが上位自我となり、
ハンディキャップを持つ主人公が新たな世界へ羽ばたこうとすると、そのイメージが主人公を抑圧する。

戦火で金閣寺も焼けてしまうのではないか、と言う発想が金閣寺の絶対性を失わせ、己も金閣寺も滅び得る
同格の存在であると思った時期もあった。しかし金閣寺は焼けずに終戦を迎え、再び主人公の内面世界を支配する。
しかも金閣寺が燃えないであろう事は、自らが忌み嫌う母親から言い渡されるのも主人公の屈折をより強固にしたか。

有為子、鶴川を亡くし、嵐山デートの娘や生け花の先生とも上手くいかない。
同じハンディキャップを持つ仲間と思った柏木は、彼の一枚上手。
父親代わりに後見人のはずの老師とは、腹に一物含むもの同志の腹の探り合いとなる。
老師の跡取りとして金閣寺を我が物にすると言う、漠然とした希望も適わなくなると見るや、
柏木から金を借り出奔。故郷の海を見ながらいよいよ金閣寺を燃やす決意をする・・・。

美を怨敵と言い放った。美そのものが怨敵だったのではなく、やっぱり上位自我からの解放のメタファーなんだろうな。
歴史的に名刹が焼失してきた事からそれを正当化したり、柏木の説く「認識」ではなくあくまで「行為」こそが
必要であると言いつつもやっぱりなかなか放火に踏み切れない。いざ火を点ける段になっても、最後の最後まで迷っちゃう。
そんな主人公の背中を押すのは臨済録示衆の中の一節なのは皮肉なのか。

上手く喋れないと言う負い目から、なかなか積極的に人間関係を構築できない主人公。
同じ金閣寺の徒弟である鶴川は、彼のそんなハンディキャップを気にしないと言ってくれた。
何かと陰と陽の様に対照的な2人。ある日、米兵に言われるがままに女性に暴力を振るった主人公が窮地に陥ると、
「本当にそんな事をしたのか?」と主人公に確認する鶴川。しかし主人公はそれ自体を裏切りに感じる。
そんな事聞くなよ。もっと明るく笑い飛ばしてくれれば懺悔もしただろうに・・・と。
とは言え、ずっと貴重な友人であったはずの鶴川の死。
しかも実は失恋の末の自殺であった事が死後3年も経って柏木によって知らされる。
柏木の狙いは他人の人生観を打砕く事。主人公が頼っていたであろう鶴川が実は柏木にのみ迷いを打ち明け、その挙句自ら死を選んだ。
でも、これもまた主人公に行為を促した結果になったのでは?鶴川は最期まで己の行為だった訳だから。
柏木は言った、認識以外に生を耐え得る方法があるとすれば狂気か死かと。前者が主人公で、後者は鶴川か。

ハッキリ言って難しすぎる。史実から精神世界をこれだけ掘り下げる三島由紀夫あっぱれ。
日本人なら一冊くらい三島文学に親しんでも良いかなと思って読んだけれど、どこまでその深淵に触れられただろうか。
こんな本読んで読書感想文書かされる人は可愛そうだね。そもそも感想文を書く前提で読んだ本なんて、どれも面白くは読めないよな。
今回は『終戦は解放ではなかった』、このアンチテーゼにも聞こえるフレーズが一番印象的だったかな。

(06/07/30)


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