カインは言わなかった

芦沢央・文芸春秋

無理に殺人事件を挟んだミステリ仕立てにする必要はなかったのかも。
芸術の道を究める事と、人として善人である事は必ずしも両立しない。
これは芸術に限らず、スポーツの指導者などもそうだろう。某大学アメフト部のラフプレー問題も記憶に新しい。
宗教なども指導者のマインドコントロールと紙一重。

ミステリとしての謎解きは冒頭の殺害シーンが誰の目線か。フーダニットだね。
あとは失踪した誠はいったいどこにいるのか。
うーん、どちらにも殺人が軽すぎるのかな。遺体遺棄幇助に問われたりしないのかね。誉田も誠も。
道を究めると言う事はある種の狂気である。
常人には理解できない世界の果てに、常人を感動させ得る未踏の何かこう新しいモノがある。
そんな事は感じた。

難しい本だった。感想サイトなども目を通した。
自分よりも愛された異父弟を見殺しにしようとした原罪、これも底流にあっただろう。
ラスト数行で主人公が誠から尾上に取って代わる、このストンは爽快。
ルンルン王子のエピソードは、豪を失う喪失感を引き立てるという役割だったか。
誠と豪の母親の性格を難しいものと描いておきながら、あゆ子が訪ねて行った時の反応は割と普通。
それが最後の葬儀のシーンでやや乱れるのもちょっと不安定か。

澪が衝動に駆られた背景も、自身がモデルを務めて代表作となった豪の絵に秘められたエピソードが難解。
描き手とモデルが台頭にインスピレーションを闘わせた、という理解がされているにも関わらず
現実にはこの絵がきっかけで、ある男性からの凌辱を受け容れる事になった自分の弱さを忌み
その絵を壊そうとして、豪に止めてもらいたかったのに、否定してくれなかった衝動。
つまりは自分と台頭に戦った作品を守ってはくれなかった事を、裏切られたという感覚で殺意へ昇華したのか。

答えは分からない。この物語に主役はいない気がする。
ただし、やはり「型破り」という一流が一流たる所以は、一度「型」を身に着けた上で更にオリジナリティを模索するからなんだろう。
「型」が身に着いていないうちに「型」を離れるのは「型なし」なのだと。

恩田陸の投げっぱなしジャーマンの取っ散らかり方とは違う、読後感のモヤモヤの残り方。
もう少し素直に読める本で2020年を締め括り直すことはできるかな。

(20/12/08)


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