犯人は登場人物の中にいる! と言う推理小説の大前提に立つと怪しい人物は端から絞り込める。
ページ数が少なくなるにつれて、ドキドキ感が増していく感覚は良かったのだけれど
中間部が若干間延びしてしまった印象あり。
作家が作家について書く、と言うのは興味深いテーマであり
自ずと恩田陸の「出雲夜想曲」や「木曜組曲」や、新堂冬樹「鬼子」あたりを想起して比べてしまう。
作品のリアリティのために犯罪に手を染めていると言うハナシなのかなと思っていたけど。
創作活動の源泉は、やはり作家の命。
天才は天才を知る。
待居はオノミツが自らの境地に達した事を感じ取り、その狂気が昇華した作品が気になってしょうがなかったか。
その結果が破滅だと知っても、その破滅すらを昇華させる術を知れば怖いもの無し。
救いようの無い作家の性を自嘲したのかな。
オノミツが実は女性でした、って流れなら辻村深月ワールドだったなんだけど。さすがに違ったね。
「火の粉」の時も気になったけど、雫井脩介は妙なところで細かな描写がある。
今回は今泉知里が何度目かに多摩沢公園を訪れる時のクレープね。あれには何か意図があるんだろうか。