土の中の子供

中村文則・新潮文庫

「教団X」の著者として興味を持っていた。まだ教団Xは読んで無い。
薄そうな、芥川賞受賞作というカバーに惹かれ購入。
それでもしばらくは積読に回され、実際に読むまで随分かかっている。
出張の続いた今月ようやく新幹線の中で読了。

解説を読むと、著者の作品には虐待された児童が大きくなってからの一人称小説という特徴があるのかな。
芥川賞作にありがちな、内省的な文章が続き気が滅入りかける。
ヤマネさんの配慮を棒に振り、過去に決別して白湯子と生きていく決意で終わって、前向き感で締めくくられる・・・
って、そんな風には読めないからね。暗いわ!
ただ、ヤマネさんのような大人の善意で辛うじて世の中は回ってると思える。
てっきり怒られるとばかり身構えていた主人公に、怒るどころか笑ってくれた。そのエピソードが主人公の転機になった心の拠り所だったことは疑いようも無い。

作中、ところどころ強烈なメッセージを感じる。
ちょいちょい印象的なシーンを摘まんでいくと、

・冒頭の投げやりなシーンは、施設からの父親が生きていると知らされたからか。

・屈折した過去を持つ男の悪癖が、物を落とすこと、と言うのはなかなかの観察眼では。
生き物を落とす背徳感と、命をコントロールしているという普段と逆の感情。
『結果のやり直しのきかない、圧倒的な、暴力』p42
『加害者である私と缶は、不安によって繋がっているように思う』p45
加害者に身を置いても不安なのである。

・p48落下する主人公は、缶のように10階から落ちたように読めるので、何度も読み返すのだが
ダメージこそあれ歩いて帰れる程度の段差を落ちただけ。この辺りは何かの暗喩か。難しい。

・『恐怖はそれを想像し予感することで、許容範囲を越えてどこまでも巨大化する』p52
想像で恐怖が増幅する。勝手に悪いイメージのスパイラルに怯える。
なぜ主人公を引き取り、なぜ主人公を手放すことになったのかは分からない。
分からないから怖い。理由なき、不条理。

・p61蚊を閉じ込めるのも、命のコントロール。
その後、解き放った命を、結局改めて自分の手で終わらせる。エグいことする著者。

・白湯子が怪我を負い、かろうじて頼ることのできるヤマネさんを訪ねカネの無心をする。
幻聴に倒れ、トクが死んだ世の中を受け入れるしかなかった。

・9章p87からは、土の中に埋められるハナシも、そこから抜け出し犬に襲われながら逃げ切るハナシも、
あまりにご都合主義であり憤慨した。
10章p97からのタクシー強盗もとても犯人たちに抗える体力があるように思えず、
命からがら逃げられるリアリティの無さにはついていけないが、ここで生への執着を描きたかったんだよな。

・逃げるタクシー運転で事故って、白湯子と同じ病院へ担ぎ込まれ物語のクローズへと向かう。
家族の繋がりを得られなかった子供が、どうにか成人して、転がり込んできた白湯子という守るべき存在を得て、自らの過去とも完全に決別する。
そんなありきたりなまとめ方では、著者の意図する所には程遠いだろうか。

文庫化にあたって、一緒に収められた短編が「蜘蛛の声」。これまた難解。
道尾秀介の「向日葵の咲かない夏」を思い出した。
現実社会から逃亡したサラリーマンなのか、それとも家出した少年なのか、はたまたそのどちらでもないのか。
分からないし、分かりようもない。
そんなところの解を得られるハナシではない。
あとがきによれば、何ものかとの戦いを回避したがために自己欺瞞に陥った「私」ということだが、それすらもよく分からない。

だんだん「教団X」を読むのも心配になるが…
人の心を深く洞察しようとしてるのだな、という事は感じた。

■少し追記
生後10か月を迎えようと言う我が息子。
ベビーベッドの柵に掴まり立ちして下を見おろしたり
ベビーチェアに括られながらの食事時に何度も何度もガーゼタオルを下に落としたりするのは
或いは同じように何かをコントロールしたいという心持ちの顕れなんでしょうか。

(18/11/29)


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