ハードカバーは買わない主義の私。
今回はたまたま友人に借りて読みました。
寮の生活は暇なのでね。
読む前から賛否両論あるのは知っていました。それにしても・・・
やっぱり「リング」「らせん」をループ世界の物語にしてしまったのは頂けない。
せっかくオカルトタッチで非現実的な「リング」を
「らせん」でウイルスなどを持ってきて科学的に味付けして唸らせたのに、
結局それはループ世界の出来事で、やっぱり人知の及ばない神の領域だったなんて。
それで整合性がつくならまだしも、リングウイルスや
山村の念写はループ世界では起こり得ないんですよ。
理由はコンピュータウイルスだったのか、その辺もうやむやなままだし。
何か前2作が貶められた様です。
だいたい「ループ」の時代設定が近未来ってのが気に入らない。
スパコンが日米で64万台も出てくるからおかしいとは思っていたけど。
ニューキャップのとこで明らかになったでしょ。SFならそれでも良いさ。
ホラー、ミステリでは御法度ですよ、「実は」ネタは。
ニューキャップもどうして死ななければならないのか分からなかったもの。
物質を通過するならX線でレントゲンとるみたいに、とるだけとって
デジタルデータだけ二次元世界に送れば、と思ったもの。
結局未来ネタは、その痛みが解らないから共感を覚えないんだよね。
タカヤマが馨なのは途中でよめた。つまりタカヤマを追ってたのは馨ではなくエリオットだったと。
初めて馨がループプロジェクトに接触した時の絵のサイン
「C.Eriot」は伏線だとしたら稚拙じゃないかい?
結局ループでは謎は解かれないままで終ってるのもな。
「らせん」ではタカヤマ復活の主導権は山村貞子が握っていたけど、
ループはその辺を全然フォローしてないように感じるんだけど。
前作でもタカヤマが蘇ってますよね、それがエリオットに送り込まれた馨だとすれば
癌化したループ世界は起こり得ず、したがって馨が選ばれる必要もなく・・・
という無限のパラレルワールドが展開されるんでしょうか。
でも、「らせん」のエンディングをタカヤマの視点で書き直したループのエンディングは技巧的だし、
ニューキャップを受け入れる馨がエリオットに産み落とされた人生を悔いてない、と言うのは
私の思う所と一致し共感。人生も恋愛も終りは辛いが、始まらない(存在しない)ことに比べれば
ずっと良いものね。これが私の持論。
テーブルトークってご存知ですか?「D&D」「ソードワールドRPG」とか。
かつてあれやってた時に、自分も"神"に操られるPC(プレイヤーキャラクター)なのかな?って思ったり、
太陽系=原子、銀河系=分子というパラレルワールドは感じた事ありますよ。
読んで後悔は否めない。でも、これだけ語れるってのも名作だからって事でしょうかね。