東芝の悲劇

大鹿靖明・幻冬舎文庫

割と東芝を巡る一連の書物はハードカバーでも買っていたと思うのだけど
本書は文庫化されて初めて気付いたので文庫版を購入。
主に西室時代から振り替えられる東芝史。つまり私の知る東芝と重なるので興味深かった。

これまで東芝卒、重電経験者を社長に戴いていた歴史を覆し、海外パソコン販売の実績を評価されて社長に就いた。
ここまでは悪い事ではなかったかもしれない。ただし自身の苦労した反省を取り戻すかのように、会社にしがみ付いて
肩書コレクターとなってしまった老害を諫めるものがいなかった自浄能力の欠如は、やはり“お公家集団”なんだろう。

男の嫉妬ほど醜いものは無い。よくそう言われるが、西室さんの場合も後継の岡村さん、西田さん、佐々木さんよりも
自分自身にしか興味はなかったのだろう。
西田さんが経団連会長に推される可能性があった時、自分自身が渇望して就けなかったポストに後輩をすんなり推せただろうか。
岡村さんが日商会頭であった事を理由にして体よく封殺したのではないか。
その岡村さんは黙して語らなかったが故に、棚板からぼた餅で身を汚すことなくラグビー協会まで勤め上げて一抜け。

西田さんは併読していた「テヘランからきた男 西田厚聰と東芝壊滅」にもいろいろなエピソードが書かれたいた通り
ベースは学者肌でただならぬ勉強家なんだろう。ここが佐々木さんとの決定的な違い。
西田さんの最大の誤りは後継を見る目が無かった事。これは佐々木さんの後の社長選定でも、結局自分に都合の良い人間を選んでしまった。
もはや死人に口なしで、咎人として東芝史の裏面をすべて背負っていかれるのだろう。

佐々木さんは一言で器が小さかったのだ。
それが東日本大震災で時の菅政権から原子力についての知見を期待され、
それはそのまま政権交代しても安倍政権から経済財政諮問会議の民間議員に選ばれた事で
自分は“西田超え”を果たしたという自負感が増し、さらには西田マジックのからくりであったバイセル取引をも打ち出の小槌と勘違いして暴走した。
長老として西室裁定でもあれば、軌道修正を行う事はできたのだろうか。

田中さんは更に小粒な印象は社内でもあった。
経営トップとしての責任感に乏しく、過去の二人に比べれば胆力も無く、剛腕で難局を乗り切るというタイプではなく堤は決壊した。
でも変に策を弄せずに、ここでようやく白日の下に晒されることになって、良かったのではないか。
緊急的に社長登板のお鉢が回ってきたのは、社長経験なく会長に祭り上げられていた室町さん。
そう、この室町さんも社内ではあまり存在感なかった。
室町さんも、真崎さんらと一緒に退陣するというハナシだったのを慰留したのが西室さん。
少なくとも本人がメディアにそうリークした。そう考えると西室さんは西田さんに異を唱える事ができなくなっていたんだな。
西田、佐々木の二人が去った後、もう一度自分の威光をかざそうとしゃしゃり出たんだろう。

室町さんの迷走は、そのまんま第三者委員会の忖度ぶりにつながる。
この頃は社員は報道で自社の事を知る方が早かった。
売られたメディカルの領袖だった綱川さんが社長に就いたのは、まるで田中角栄の後でクリーン三木が登板したかの様。
綱川さんも記者会見で、何だか場違いに笑っているような表情で頼りなく感じたこともあったけど
途中で投げ出すことなく東芝メモリの売却まで見届けた。リーダーシップという点では満足しない点も多いが。
それより志賀会長と、ダニーの2人の方がWHを巡る責任逃れという大罪を償っていない点で大いに不満。

誰の意向なのか、そして車谷さんがやってきた。
いずれは秋葉さんがグループトップに就くであろうことも既定路線だと言う。
今を生きる我々一人一人が自分の問題として、事業を、そして顧客を守らなければならない。
入社した時に、よもや自分の勤める会社の社名が変わる事になろうとは露にも思わなかった。
それだけに事業の護送船団方式をとっていた大企業もポートフォリオの見直しにより骨と皮ばかりになってしまった。
家族が路頭に迷う事が無いように、その程度の付加価値は世の中に提供していきたいものだ。

(18/09/02)


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