橋を渡る

吉田修一・文芸春秋

まぁ、心温まる話ではない。何が哀しいって、書かれた2014年当時に悲観していた以上に現在の世の中が不幸だと言う事。
そして、それが2014年の時点で想像し得たのではないか。何も変えようとしなかったからではないか。そういう諦観をダメ押ししてくるような感覚がある。
国会で事実と異なる答弁を100回以上も繰り返していても、事実を知らされていなかったという事で起訴すらされない。
それがこの国の正義なのだろうか。

実在する固有名詞を交えて、ヤジ問題や週刊誌へのクレームというエピソードを橋渡しに
春、夏、秋の3つの章は緩やかな地続きの世界として連環する。
ただそれだけなのかと思ったら、最後の冬の章はいきなり70年後の世界へと飛躍し、すべての伏線が回収される。
あれよあれよと登場人物たちの系譜が紐解かれ、タイムトラベラーを介して更に物語が収斂していく。
私は面白いと思った。読みやすいとは思えなかったが、恩田先生で耐性が付いているためか、この程度の跳躍は違和感ないさ。

これは正義についての物語なのかな。春でも秋でも主人公は不倫と関わるし、夏も小川コーチが不倫の末に失踪する。
冬も不倫でこそはないが、二人は駆け落ちまがいの逃避行に出る。
レビューサイトにもあったが、冬はカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を想起させる世界観だ。
秋で薫子のセリフとして語られる通り、サインの存在は明るい未来というよりも残酷な世界のように思える。
手塚治虫「火の鳥」のシリーズの中にも、こういうサイン狩りみたいな話があったのを思い出した。

夏の篤子が、その後自責の念で自殺してしまうと言うのは哀しい。
広貴も不遇のうちに交通事故死。大志も自堕落な生活の末で若死に。大志の妻も美容整形の果てに精神病院で死を迎える。
遺された薫風が、屈折した気持でサインである凛を妻に迎えて、理想の女性に似せて体中を整形させたと言うのも考えれば切ない。
春で出来ちゃった婚してしまう孝太郎が、冬でのキーマンに成長しているのは少し嬉しい。娘の咲来が幸せだったのかどうかは分からない。
結果的に孝太郎の叔母である歩美は、エピローグで孝太郎が励ましたにも関わらず大勢に流されて朝比奈擁護に回り、崇拝すらする様になってしまった。
咲来が就職の世話になる事を孝太郎はどう思っていたのだろう。だからこそ、響と凛の逃亡に手を貸したのだろうか。
秋で薫子の不義を許せず、正義から殺めてしまいトラベラーとなり70年後の世界と行き来した謙一郎もやっぱり、手塚治虫「火の鳥」のキャラクターのようだ。
エピローグで自身の業からは逃れられなかった点も含めてね。
彼の取材ビデオに収まっていた、未来の対馬の映像。あれを撮ってしまった事が彼の悲劇のトリガーだったのか。
佐山教授も好きなキャラだな。研究者って誰もが自分の研究が未来に活かされると信じて、その道を究めるのだろうけどその未来は分からない。

2020年最後に考えさせられる一冊だった。2021年が良い年でありますように。

(20/12/23)


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