芥川賞作家っぽいな、と言うのが読んでいての感想。初読みの作家さん。
解説が古市憲寿というのも世代か。
文庫本に一緒に収録されていた「荒野のサクセス」を見ても、会社に取り込まれてしまう大人へのアンチテーゼを書きたいのだろうな
という事はひしひしと伝わってくる。いいよね、若さって眩しいよね。
さらっと読むと、タイトルの通りにトイレにまつわる話。我々外回りの営業マンも、使うならこのトイレ!ってのはあるよね。
詐欺まがいな手段で高額な教材を売りつける。その悪行に心を痛め、会社に意に背いて契約更新しない様に導く。
社会の善意に報いるために、会社を裏切る。そのルール違反は咎められない、という視点で考えがち。
もちろんそうなんだけど、無自覚に会社に盲従したアポインターのおばちゃんたちは、電信がつぶれてしまうと
それはそれで困っちゃうんだろうな。彼女らにとっては自分たちの対価を支払ってくれる、それ以上でもそれ以下でも無い存在。
潰れてしまっては困る存在。
自分の幸せが誰かの犠牲の上に成り立っていると分かった時、既得権を素直に手放す事ができるだろうか。
なるほど、意外に深いテーマな訳だ。
盲目的に電信の側の正義にどっぷり染まってしまう、様に見せかけて会社都合で退社できるように
詐欺まがいの証拠集めに奔走し、会社ビルのトイレで一息つくのが主人公の心の平穏を保っていたが
更に主人公の場合は彼女がいる、ってのも救いだろうな。
プライベートが充実してなきゃ、こんな世の中ヒリヒリと疲弊して擦り切れて、良い仕事なんてできないよ。
同級生は一足先に会社都合で退職し、中途採用市場がひと際厳しい事を実感する。
大学四年生の時は、受けようとも思っていない会社から拒否される。
新卒社員という看板がはがれた途端に機会の平等すら与えられない、という事実も自己喪失につながるだろう。
自分の何に価値があるのか、それは「ミザリー」などにも通じるし、
主人公が埼玉の倉庫で暴行に加担するのは、「蠅の王」でラーフまでもがサイモンへの狩りに加わったシーンを思い出す。
あのまま主人公も倉庫で暴行されて売り飛ばされちゃうと、それは新堂冬樹の世界。