重力ピエロ

伊坂幸太郎・新潮文庫

「オーデュボンの祈り」「ラッシュライフ」でミステリファンの心をつかみ、
第5回本屋大賞受賞作である「重力ピエロ」でミステリファン以外からの指示も得た。
そんな事が表紙折返しの著者紹介に書いてあった。
ミステリでは無いということか、など考えつつページを捲るとまず目次にビックリ。
何じゃこりゃ。

考えてみたら「オーデュボンの祈り」「ラッシュライフ」も、石田衣良のIWGPシリーズにも似て
短いシーンの連続で場面を切替えつつ進行していくテンポ感の良さが売りの一つなんだろう。
でもこれだけタイトルを捻出するのは大変だったろうな。その労だけで賞賛に値するかも。

作中には伊坂ワールドの連環もちりばめられている。
私がよく行く本屋に『伊坂ワールド関係図』なるPOPがあったのを思い出し、読後にチェックしに行った。
なるほど、泥棒、未来のレシピ、GOD、蕎麦屋…

狂気のノートもトリプレットなんだって事は途中で気付いた。
終止コドンとまでは分からなかったけど。
生物は高校時代に好きな科目だったので、ちょっと懐かしい。

途中でこんな一文が出てくる。
毎日毎日、夜はきっちりやってくる。平等と言えば平等だが、強引と言えば強引だ。
このフレーズ気に入った。

「オーデュボンの祈り」に比べれば破綻のないお話で、ストンと落ちた。
ただ、人一人殺して三ヶ月間も捕まらないってエンディングもどうかと思うが。

さて、これをどう映像化したのか。
確かに『映像化不可能』、そんなチープな表現が頭を過ぎる。
TSUTAYAで「ラッシュライフ」と一緒に借りてみた。
父親は小日向文世か。國村隼なんかも良いと思ったけどな。
やっぱり二時間の尺に収める為に、いろいろ端折られてシンプルと言うか淡白な出来になっちゃったかな。

■気が付いた原作との相違点

父親の読書家の一面が出てこない。それに伴って「山椒魚」などの引用はばっさりカット。
したがって浄化の火のルーツも浅薄。
両親の出会いも遭難まがいのシーンに格上げ。ローランド・カークはここで登場。
父親は市役所勤めを辞めて、引越して養蜂業に転職。春は今もそこで暮らしてるみたい。
泉水と春と二人で帰っても例の台詞は言わない。
癌と闘病はするが、手術後は退院して生活する。
祭りのシーンでさりげなく嘘をつく時の指摘をされるのは、映像のメリットを最大限活用したね。
母親に連れられた競馬のエピソードはカットで、母の事故死のシーンは映画オリジナル。

泉水は大学院の学生で、仁リッチはいない。高木や英雄もいない。
DNA鑑定も自分でやってたし、葛城への接触もやや強引に頑張った。
オリエンテーリングのエピソードはカット。

春の落書きの順番が違うので、コドン表を用いた「arson」は出てこない。
ストップコドンも何故だかウラシルを使って、知らない人には分かり辛かろう。
借りてくるレンタルビデオも、トンネルの下の「エンジン」も、「穂高の鶏冠」もカット。
赤の他人が父親面するな、もリフレインでは無い。
コンクール金賞の嫉みは審査員ではなく、同級生の親から。
狂気のノートは部屋の壁のポスターに。テロメアの仕掛けは出てこず。
最後の落書きと旧奥野家の位置関係はどうみても遠すぎるし、周囲への影響大きすぎるだろ。
それに二重螺旋にならないぞ。

クロマニヨン人の虐殺もなし。
郷田順子は影が薄い。本名さえ出てこない。
ビジネスホテルのおっかない管理人も出てこない。このせいでラストに締まりを欠くなぁ。
探偵は出てくるけど「黒澤」も出てこない。だから青葉橋も現れない。でもこれは安易に登場させるよりも、割愛で正解かもね。

私も男二人兄弟の長男だし、父親を癌で亡くしたのだけど、もちろんこんなにドラマチックな展開は無かった。
でも、現実世界に生きてる当人にとっては日常生活がそれぞれのドラマを演じる主人公なのだ。
しがらみの重力とらわれた愛すべき道化師たちだよ。

(10/02/28)


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