となり町戦争

三崎亜記・集英社文庫

ずっと読みたかった1冊。期待は裏切らなかった。

戦争と名がつくのに、驚くほど登場人物が少ない。
固有名詞が出てくるのは僅か9名。
(北原修路、矢加部岩恒、本田さん、香西さん、室園室長、室長補佐に昇進した前田係長、コンサルティング会社の筒井さん、佐々木さんの奥さん、ミツヤマ・トランスポートの山田氏)
その他は主任、推進室の増員した事務吏員、香西さんの弟、その連れのおかっぱの男、「区長さん」・・・と名が現れない。
名はあるものの主人公は一度として名を呼ばれることは無いし、室長や室長補佐も役職で呼ばれることで、この物語を
読者に感情移入させやすくしているんだろうか。

リアルな戦記モノで無いことは知っていたけれど、ただ戦争の本質のリアルさを問うているのだね。
第5章の中で主人公が渋滞に遭遇し、その原因を推測するシーンに象徴される様に。
運転中に目に入るビニルハウスに反射する光が眩しくて速度を落とす。
その連鎖で知らぬ間に渋滞が引き起こされたのではないか。
真因がある様な無い様な、戦争の存在にも『日常』の可能性を投げかける。

たまたま、並行して読んでいた『マクロ経営学から見た太平洋戦争』の影響もあってか、
戦争行政なるコンセプトにはすんなり入り込めた。
その行政を完遂すべく役場の職員として、一切の私情を廃し戦争に加担していると思われた香西さんも
戦場で弟を失い、戦後は敵の首領の息子と結婚が決まっているなどと、誰よりも戦争に翻弄される当事者だった。

登場人物が少ないが故に、各々がどっぷりと戦争に浸かっている訳だが、
その名さえ明かされなかった主任さんは、となり町に加担したのだろうか。
査察から逃走する車の中で迎えうった「闇」は彼の存在だったのだろうか。
そして香西さんの弟にも、死を与え、処理したのだろうか。
開戦前夜の殺人事件は彼なりの宣戦布告だったのだろうか。
恐らく全てそうなのだ。そして国内で戦争に加担した彼は、戦場を求めて異国の地へ赴いたのだろう。

佐々木さんの奥さんの死は、いかにも戦争らしかった。
敵地においてスパイ行為が発覚し、銃殺される。
主人公が唯一戦争を感じたと言うのは、読者を含め普通な感情だろう。
「スパイ」「銃殺」「処刑」これらの言葉が、いわゆる『リアルな戦争』っぽいから。
ただし、なぜ佐々木さんが敵地潜入員を拝命したのか、そして甘んじて任務を遂行したのかは、誰も明かしてくれない。

作者は女性なのかと思ってました。恩田陸じゃないけれど、書き手の性別を意識するようになっちゃった。
女性作者と思い込んだまま読み進めていたら、感想も変わったかな・・・?


・・・と、ここまでは敢えて「別章」を読む前にまとめてみました。
そしていよいよ「別章」を読んだのですが・・・


なるほどね。いきなり固有名詞がズドンときたね。ここまでの真逆のアプローチ。
固有名詞を極力排して、どこか俯瞰的に戦争を炙り出した本編とは異なり、
鳴海さんと、香西さんの弟である智希を通して、具体的なエピソードとしての戦争が描かれる。
でもそれは日常の延長に存在してしまっていた。鳴海さんの発注業務も戦争の一部分だった。

知らぬが仏?
我々の日常ですら、同じことなのかもしれない。
固定化する南北格差、先進国による大量のCO2廃棄、これらのしわ寄せをくって
存在する貧困と圧政に対する銃火の責任が無いと言い切れる人間がどれだけいるだろう。
決して戦争は遠くない。となり町と言わないまでも、そこに今も存在している。そう言いたいのだろうね。
戦争を知らない世代が読むべき1冊なのかも。映画も見てみるかな。

(07/01/21)

DVDを借りて見てみました。随分テイストが違ってるんだな。映画単品だと酷評されるのは否めない。
もっと主人公はのんびりと、香西さんは冷静で、シナリオはダウナーな感じなんだけど。

(07/10/06)


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