フェイク

J.D.ピストーネ・集英社文庫

原作を読み終えて先ず思ったのは、 映画版のアル・パチーノは誰を演じるのだろう? という事でした。
ジョニー・デップがドニーなのは疑うべくも無いのですが、 アル・パチーノはレフティか、ソニー・ブラックか?
で、ようやく映画も見てきました。 レフティでしたね。アル・パチーノは。

このコーナーで言い続けている事ですが、 やはり私は原作派です。映画版のフェイクは頂けなかった・・・
何か友情モノとして宣伝してたけど、 違うもの。
友情を前面に出すと、ドニーは500ドル(だっけ?)と メダルのために友人を売ったみたいじゃないですか。
実際映画版の終わり方はそんなんで、 ちょっとヤな感じでしたよ。

原作はどちらかというと手記だからね、 淡々と記述が続いて、叙情的な描写とかも無いから
映画にするには、友情モノにするしかなかったのかも しれないけどさ。

原作では気長に「顔見せ」を続けるシーンとか ワイズガイ(一人前のマフィア)の在り方、生き方みたいな
詳しい記述とかが一つの読ませどころだと思います。 後は登場人物の生き様ね。
原作ではドニーのパートナーは マーティ、ジリー、ミラ、レフティ、ソニーと 転々としましたが、
各々の生死は 結構読んでて衝撃的でしたよ。

そういう衝撃が映画には無かったかな。 逆に台無しだな、と思ったのは以下のシーン。
@盗聴・録音も原作では如何に大変かが 切々と書いてあったのに、あんなに無造作に エージェントに手渡ししちゃうし。
AドニーはFBIの金で工作をしていて、 それはつまるところ税金だから極力無駄な支出は 避けようと苦労していたのに、
映画では30万ドルを着服してレフティに ボートを買おうとしたんでしょ、きっと。 それは友情じゃなく背任だっての。
Bコンタクトの指令について 工作続行を優先するのか、人命尊重を優先するのかと 悩んでいたようなドニーが、
日本料亭の支配人の暴行に 加わったりね。原作では決して一般人には 手を出してません。
なぜならFBIの 特別捜査官として後に裁判で証言をする以上、 潔白でなくてはならないからです。
それなのに、ねぇ。

何より許せないのは、最後に レフティが「お前だから許せる」と言うでしょ。
違うんだよ。
友情じゃないの。あれは、お互いのプロ意識を 認め合ってるんだよな。
あのシーンは恐らくソニーの奥さんであるジュディとの 会話のシーンから取ってるのだと思う。
確かにお互い好きだったとは言うけれど 自分のやるべき事をやり遂げたという所に 2人とも通じるものを感じたんでしょ。
それなのに、まったく・・・

でも、アル・パチーノの演技力は大した物です。
原作との違いを抜きにすれば、 それだけでも見る価値はあったよ。
トラフィカンテと船上パーティをした際に、 ソニーに「鳶に油揚げを攫われ」てしまった
淋しそうなアル・パチーノにはグッときました。
まんまとしてやられてますね。
でも、それだけになおさら許せないんだよな。
あれだって、原作では「友達」カードは 喜んで受け取ってもらってるんだもの。

映画の上映が始まった頃に原作も購入していたけれど
卒論の仕上げにぶつかったうえに、
やはりカタカナが多いのはちょっと敬遠気味になるので
なかなか読まずに居たけれど、
映画が終っちゃう前に読めて良かった。
ぎりぎりで映画にも間に合ったしね。
これは、無理して感動する必要はなく、
偉大なエージェントに敬服するだけで良いのではないでしょうか。

(98/2/6)


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