「あ、安部礼司」でおなじみの小林高鹿氏のブログで紹介されていたのが目を引き、
本屋へ行けばカズオ・イシグロ特集が組まれているし、ちょうど映画化されると言う。
流行りモノに弱い私としては読むしかないでしょ。
いきなりネタバレで恐縮だが、臓器移植を目的とした『提供者』と言う架空の設定を軸に
『提供者』養成施設で育った3人の男女の思春期と、その後の人生を描く作品。
主人公キャシーと、女友達ルースのやり取りの描写の細かさが、英国文学賞に値する一つの魅力なのかもね。
共学の高校に行ったら、こんな感じの女子高生同士のやり取りを目の当たりにしたんだろうか。
ちょっと面倒で、独特の儀礼が優先される世界。いやー、疲れそう。
あとがき解説の中で、物語のエンディングで再会した養成施設の先生へ“提供”するシチュエーションが
訪れたらどうしただろうかを論じていた。なるほど。識者の愉しみ方は奥深い。
よく考えると、これって「ガンダムSEED」のナチュラルvsコーディネイターの抗争に通じるものがあるのではなかろうか。
実際に元ネタはコレだったりしてね。
「ジュラシック・パーク」を読んだ時も、行き過ぎた科学への警鐘と言うテーマに、ある種の昂奮を覚えたのだけど
今回も少なからず考えさせられる作品ではあった。
後味スッキリって訳にはいかないけどね。
■映画を見に行って
やっぱり尺の問題で描き切れなかった部分は多い。
映画だけ見たんだと、分かりにくいかもね。
小説のカバーイラストにもなった、ミュージックテープを巡っても
枕を抱いてるところを目撃されたのがマダムではなくルースになってたり
紛失してしまうテープを、ルースの「親」を探しに行く旅でトミーが買い戻す大事なシーンがカットだったり。
でも“提供”のシーンなんかは映像の方がリアル。
ラストでキャシーにも明確に“提供”の運命が訪れると言うのは映画版の締めとしてはアリかも。
主演3人の表現力が素晴らしかったと思う。入場料に見合う価値はあった。
■舞台も見た
さいたま藝術劇場だったかな。多部未華子と木村文乃のキャスティングに惹かれてね。
舞台を日本に持ってきても、ヘイルシャムが全国にあって然るべしというのも一理。
良かったです。