異邦人

カミュ・新潮文庫

不条理文学の傑作。そう評価される名作を読もうと思ったのは、昨年末の深夜番組で紹介されていたから。
確かに読後にスッキリ爽快感を得られる物語ではないけれど、ある意味村上春樹なんかよりも
ずっと写実的と言うか、現実的な気がします。

これは訳の問題なのか、妙に短いセンテンスで形作られる文体。
一人称を通して長々と語られる描写。
決して読み良い文章とは思えないのだけれど、1文で半日を語ってしまったりと
テンポ感は良いのかな。全体でも130ページくらいしかないし、サックリ読めました。

主人公が発砲してしまった、その1点のみ理由が見つからないんだけど、
それは「太陽のせい」な訳ですよね。
そのちょっと前にレイモンと2回も奴等に出くわした時は、凄く冷静だったのに、
どうして撃ってしまったのか。ただ、その時も冷静に1発目を撃ちこんでややあって、4発撃ちこんでたり。

死刑宣告を受けて、いろいろ考えた挙句にその事を受け入れ始める主人公は、
事件は誰にでも起こり得る、特別な事ではないと目覚める。
死を目の前にして、様々な思考の末に恐怖を通り越して、むしろ解放感を得て、
そして母の臨終についても、同様であっただろうとの結論に至る。
何か世界の真理のようなものを見つけたような気分でいながらも、その世界と別離しないように、
死刑の瞬間は見物人から憎悪の叫びを受ける事でつながっていたいと望む。

やっぱりこれがテーマなのかな。
裁判を通じても、自分を素通りして事が進められている事を感じた主人公。 「私はここにいる」と言うメッセージ。
そしてそれを受け入れてくれる世界の必要性。
その辺りを描ききりたかったのかね。

1940年頃の社会が、どう言うものだったのかが分からないと
ミルクコーヒーや、煙草が霊前で不敬なのかどうか理解できないのだけれど、
いわゆる世俗の常識に折り合わない事、それ即ち「不条理」として処断されてしまう。
また、それをインテリが確信犯として行った事を、重く裁かれる。
そう言った社会に対するアンチテーゼとしての一冊だったんですかねぇ。

解説を読んで識者の視点に唸ったのだけれど、この物語の視点が主人公を通して描かれているが、
死刑を目の前にして彼が語るのは不可能として、裁判を膨張していた新聞記者の記事ではなかったか
と位置付けているんですが、正に慧眼。と言うかそんな視点で本を読んだことは無かったな。

最後にカミュ自身について。
大学時代はサッカーチームの正ゴールキーパーを務めたり、
卒業後は劇団を作って様々な名作も上演したり、
やっぱり物凄くエネルギーのある人だったんでしょうね。
晩年は文豪らしく精神を病んでいたようだけど、死因となった交通事故も
故意によるものだったのか・・・
天才の最期とは、往々にして不幸なものですよね。そこに不条理を感じて逝ったのか、受け入れて逝ったのか。
それは誰にも分かりません。

(05/1/9)


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