鎖の歌
(3)
■
クロノトンが制御板に埋め込まれた通信機のつまみを回すが、和歌山県軍の周波数は空電の音がひどすぎて何も聞き取ることができなかった。
「接続が悪いようだね」
クロノトンはジャイロコプターの計器を叩いたり、配線を引っ張ったり、制御機器の上でみかんをしぼってみたりするが、ノイズは消えない。
「変だな。和歌山市はすぐそこなのに」
「ついに経費削減のため県軍は通信網を破棄することに決めたのかもな」
イルヒラムが低い声で言う。
「暴動の危機があるこの時期にそれはないでしょ」
「あるいは、だ。通信網は暴徒の攻撃で細切れにされちまったのかもしれませんよ、うへひひひ……」
ジョビ大佐からもらった通信機を、スピーカーに改造していたウォンニはそう言って、甲高く爆笑した。
「いくらうちの県軍でも、子供たちの暴徒相手ぐらいにーー」
ジャイロコプターが山を飛び越え、幕がはがれるかのように、眼下に突如として和歌山市が広がった。
「ーーああ!?」
ウォンニが笑顔のまま硬直した。
「うああ……」
イルヒラムがうめき声を上げて席から立ち、窓辺へ寄った。それは快楽のうめきではない。驚愕と絶望のそれだ。
和歌山市は混乱と破壊の様子を強めていた。市そのものが、粘着質で不健康な赤やオレンジ色の煙にまとわりつかれ、それにゆっくりと蝕まれている。上空から目で見る光景全てが、市の悲惨な破壊の実情を強調している。
県軍の兵士たちの帰還を迎えるかのように、市の工業区で爆発が相次ぎ、みかん果汁還元塔がゆっくりと倒れていく。
「くそ! 俺たちの守るべき市が! 俺たちの守るべき市民が! 俺たちが留守の間に! 和歌山市防衛任務の県軍兵士どもは何をやっているんだ!」
ウォンニはさらに神の名や、排泄物に関する悪態をわめき、ジャイロコプター内の装備に全力で八つ当たりを始めた。
イルヒラムの腕が震え、防弾ガラスをぶん殴ると、それは申し訳なさそうに吹き飛んだ。
激怒した県軍人たちを乗せたジャイロコプターはひどく騒々しいことになりながら、和歌山市の上を進んでいったが、その中で、操縦席のクロノトンは宗教家が神に祈るときにやるように硬く目をつぶり、そのまま操縦していた。そして、ゆっくりと彼が目を開いたとき、目を閉じる前にあった光が欠落していた。
「イルヒラム」
クロノトンは席から振り返って、彼の上官を呼んだ。
イルヒラムがその剃り上げた頭の下、鈍い目が死につつある市を反射している。
「イルヒラム!」
生まれてからほとんど大声を上げたことがないと言われるクロノトンが怒鳴ると、イルヒラムは殴られたかのように傾いだ。防弾ガラスの割れた塊が窓枠からゆっくりと落下した。
イルヒラムは顔を上げると、そこにはもう表情と呼べるものは残っていなかった。あるのは見るものをぞっとさせる無表情の仮面と、任務遂行への無機質な決意のみだ。彼は人間があげるとは思えないような声でうなり、床に唾を吐いた。
「死すべき子供たちに県軍は粉砕されてしまったのか。まったく、たるんどる」
イルヒラムの手が太腿のホルスターに伸び、軍用手銃を握ると、ウォンニを向けた。
悪罵の限りを口から吐いていた県軍人は、負の感情に歪んだ顔を上官の銃口に向けた。
「ウォンニ、騒がしいぞ。おまえのその行為が任務を失敗に導くことを考えてみろ」
「うるせえ! 任務がなんだってーー」
「ウォンニ、おまえは任務に逆らえない」
イルヒラムが銃口を向けたまま、低い声で言うと、ウォンニは歯をむき出し、顎が独立した生き物のように緊張した。彼の八つ当たりにより、彼の両腕から血が点々と滴り落ち、ジャイロコプターの後部には平らなものが無くなっていた。
彼は勢いよく雄牛のように首を振ると、その口からはいつものように壊れた笑い声が飛び出してきた。
「ひっひっひっひ……」
和歌山市からいくつも上る煙の柱をジャイロコプターは横切り、黒い汚れたものが機内に吹き込んできた。
それを通過する中、ウォンニは腹を抱えてひどく笑っていた。
「最高だ。こいつは最高で。ひひひひ……。そうだ、任務を達成せねば! 俺たちに施された条件付けは俺たち県軍同様、程度の低いもののはずなのに、どうしてか逆らえませんね、ひひひ。俺の条件付けは、いかすんですよ」
「十分に武装した方が良さそうだね。フジーム博士とやらを捕まえる前に暴徒を二、三十人蹴散らさなきゃいけないかもしれない」
クロノトンが言うと、イルヒラムはうなずき、自分の椅子の下から金属製の箱を引っ張りだした。
中に詰まっているのは、武器と聞いて、ぱっと頭に浮かぶ大抵の種類のものが詰まっていた。どれも古いが、よく整備されている。
イルヒラムは機械のように動いて、弾倉を次々と体に装備していく。最後に折り畳み式木製銃床の目立つ、無骨な長銃を取り出して、まるでバナナのように彎曲した弾倉を差し込み、負い紐を肩にかけた。
「機関銃は僕が使うから残しておいてくれよ」
操縦席からクロノトンが言った。
ウォンニはそれを聞くと、めちゃめちゃに大笑いした。
「ふはひひひ……! 市街戦でそんなものが役に立つか! 暴徒相手の接近戦にはこれに限るぜ」
彼が別の金属箱から引っ張りだしたのは銃器よりもさらにがっしりしたデザインの、電動のこぎりだった。それを手にした彼は、急に血色が良くなり、炯々と目は光った。
ウォンニは起動鎖を引き、重たげな機械のうなり声がジャイロコプターのエンジン音を圧した。
「イルヒラム、後ろに木こりがいるよ。のこぎりを持っている」
クロノトンが言う。イルヒラムはうなずき、
「きっと、紀伊山脈の上質な杉を切りにきたんだろうよ」
「イエエエイ!」
のこぎりを持つ男は長い歓声を上げながら、ジャイロコプター内に並ぶ座席をなぎ払い、床に積もった瓦礫を機外に蹴りだした。
イラヒラムは背後の騒音を完全に無視して風防窓から市を猛禽の目で睨む。眼下の惨状のために、現在位置は掴みにくくなっていた。
視界を横切るようにオレンジ色がかった爆炎が上がり、市の中心部周辺に群生していた複合団地が崩れていく。
県軍人の目はようやく県最大の建物、みかんの選果場を捕らえた。アカデミーも近いはずだ。
ジャイロコプターの騒音や、市での爆音に混じり、和歌山市の三十万の市民が一斉に素っ頓狂な疑問の叫びをあげでもしたかのような、不思議な声か、音がした。
いまの音は何だ?
「一体、死すべき子供たちはどうやってこんな破壊をふりまいたのかな?」
クロノトンがつぶやくように言った。
「さあな。みかんの皮から爆薬を抽出する方法でも見つけたのかもしれん。クロノトン、着陸ポイントを見つけろ」
ジャイロコプターはヘリコプターと違って、ホバリングというのがどうにも苦手であったし、着陸時の機の方向には十分注意しないと、厄介なことになった。イルヒラムはジャイロコプターの下でたちこめる煙の向こうで、アカデミーのヘリパッドらしきものを認め、さらなる命令を出そうとした。
とてつもない甲高い金属音が響き、ジャイロコプターの防弾ガラスという防弾ガラスが弾けて割れた。
さっきイルヒラムが殴ったせいだろうか。
だが、さらにジャイロコプターの装甲された機体を三十ヶ所で突き破る衝撃が走り、ちぎれた部品が機内を弾丸のようなスピードで跳ね回る。
イルヒラムが出せる限りの大声をあげる番だった。
「対空攻撃だ!」
操縦席のクロノトンの口が動いたが、なんと言っているのか聞き取れない。
「退避しろ!」
イルヒラムは台風に倒される案山子のように床を転がった。床はジャイロコプターの苦悶が伝わったためか、でこぼこしている。
窓のすぐ外をなにかが通過した。
噴式砲弾かも知れないと思うより前に、イルヒラムの長銃が火を吹いた。
窓の外で何か液体がぶちまけられるのを見た。だとすると、今のは人間か。
そのとき、敵の攻撃がエンジンを貫いたということが、体にぶつかってきた熱風から分かった。
ジャイロコプターの翼が燃えている!
それだけの表現では足りないくらいだった。大火は長大な壁のようだ。
いまやジャイロコプターは燃える制御不能の獣と化した。様々な破片をまき散らしながら、しかし、そのエネルギーは失わず、地面目がけて突っ込んでいく。
イルヒラムは風防窓の外、一瞬黒い影を目にした。炎を背に、機内のイルヒラムを嘲笑する、悪意そのものの姿。それは敵にちがいない。
イルヒラムは怒鳴った。
だが、その声は彼自身にも届かない。
爆音。
イルヒラム曹長は県軍の雄叫びを発しながら、ジャイロコプターの装甲板を蹴りとばして外へ出た。土の上を転がって、体の炎を沈める。
イルヒラムは片膝をついて立ち上がり、悪鬼の表情に笑みを加算した。
戦いだ。
半島戦争以来の、久々の本当の戦いだ。頭では忘れても、体は覚えている。
長銃はどこかに失っていたが、代わりに両方の腿のホルスターから手銃を抜いて構える。燃えるジャイロコプターの破片が雨のように降り注ぐ中、ジャイロコプターをたたき落とした敵へと、その照星をめぐらせる。
敵は一人ではなかった。大勢だ。これは予想通りだった。
だが、銃や爆発物で武装した子供たちではない。人間ですらなく、これは予想していなかった。
イルヒラムの前方には悪意を押し固めたような黒い怪物たちが、その燗と光る狂気の目を県軍人に向けて立っていた。
怪物たちの禍々しい姿を見て、それらがどこかの三流軍隊に調教された攻性生物や、瀬戸内海から上陸してきた肉食動物でないことが直ちに分かる。もっとすごい奴らだ。
もしや、朝鮮半島で数える気にならないほど人を殺したはずの自分を、裁くためにこの世の果てから送り込まれてきた、悪鬼か?
想像を超える状況と、敵手たちの存在にイルヒラムは一瞬ひるんだ。
だが、一瞬だけだ。
イルヒラムは、そういう悪鬼のような存在を認めていなかった。
こいつらは敵だ。何をためらうことがある。イルヒラムは異様な敵を前に背筋を伸ばした。
先頭の化け物が、自分たちを恐れない県軍人を睨みつけると、あの、奇妙な叫びをあげた。
同時にイルヒラムもうおおおと叫び、突進しながら引き金を引く。あまりに素早く引いたために、銃声は一つの連続したものに聞こえるほどだ。
ダムダム弾が何発も体の中で破裂し、化け物は地面に押し倒された。
直後に、肉薄したイルヒラムの足がうなりをあげて敵の頭部を叩き潰す。黒い顔がつぶれて、灰色の脳か何かが飛び散った。
イルヒラムは足下の生物が死ぬのを感じながら、顔を上げる。
余勢の化け物が様々な角度から飛びかかって来るところだった。どいつもこいつも奇怪な外見だが、色は総じて黒い。彼らの体のパーツは、イルヒラムの知る限り、地球上に存在するいかなる生き物の特性も受け継いでいないように見えた。
一体こいつらは何なのか。
ロールシャッハのシミから生まれた悪い妄想、とでも言うべき化け物が視界を埋めようとするなか、流れる時間はゆっくりしたものになり、イルヒラムの頭脳は勝手に働いた。
出し抜けに、化け物たちは空中で不思議な踊りを踊るかのように回転し、それだけでは飽き足らず、体液までまき散らしだした。
イルヒラムは振り返り、燃えるジャイロコプターの下にクロノトンを見た。拠点防御/分隊支援用機関銃がその手のなかで吠えていて、錆色の銃炎が、東欧の老婆の邪眼のように辺りをゆっくりと睥睨していた。
竹箒で砂をはらうかのように、化け物たちはなぎはらわれた。
最後に、とびきり大きくて、強力で、非常識な物が飛んできて、マンモスの牙そこのけの貫通力で化け物を地面に串刺しにした。騒々しいウォンニの電動のこぎりだ。
「一人で突っ込むだなんて迂闊だぞ、イルヒラム! うははは」
「平和な県に長く居すぎたようでな」
ウォンニが電動のこぎりを引き抜き、化け物の体を九つに分解した。クロノトンもその貪欲な得物に新たな弾薬を餌付けしている。彼は古代エジプトの王のように金色を自分に巻いているが、それは金細工の装飾品ではなく、弾帯だ。何かの拍子で弾丸が暴発しても自信を傷つけないように、弾帯の弾丸は外側を向いていた。
「なんとも形容しがたい見た目だな。一体この連中は何だ? みかん農場の農薬が突然変異を誘発して、こんな化け物を作り上げたのかな?」
クロノトンが化け物の死骸を蹴って、推測を口にした。
「それよか、こりゃ思ったよりも過酷な状況だぜ」
「ジャイロコプターからもっと物資を回収できるかもしれん」
イルヒラムが言う。
「いや、それは無理なようだ」
クロノトンが銃身でジャイロコプターの墜落現場を指した。見ると、腹立たしいことに、燃えるジャイロコプターは人間が全員降りたことによって、元気を取り戻したようだった。それは赤い空へ向けて猛スピードで飛び立っていくところだった。
「……これだから機械は嫌いなんだ」
イルヒラムは吐き捨てるように言った。
「一応、全員武器は持っているし、通信機もある。任務遂行に障害はないだろ。なあ、イルヒラム、次のジャイロコプターには高性能レコード・プレイヤーを追加するようにジョビ大佐に頼んでおいてくれよ。できればスウェーデン製」
「考えておこう」
「お……まずいよ、イルヒラム。敵襲だ」
クロノトンが言って、伏射体勢に入った。
赤い空の向こうから、雲霞のような濃密な化け物の群れが襲いかかって来る。鐘を叩くような独特な銃声が響いて、クロノトンが次々と撃ち落としはじめた。
だが、敵の数は信じがたいほど多い。
「ウォンニ! アカデミーに入れ!」
イルヒラムは叫び、自身はアカデミー玄関の横手の石柱を目指した。
そこにたどり着くやいなや、クロノトンに援護する、との手信号を送る。クロノトンも直ちに了解して、機関銃と弾帯を抱えて走ってきた。
すぐさま、その背中へと殺到して来る翼を生やした化け物たちだが、そんな芸のない直線的な動きは、イルヒラムにとって楽な的だった。両腕が伸び、発砲の反動に備えた柱と化す。引き金を引くと、何匹かの化け物は花火のように空中で弾けとんだ。
長銃と比べ、手銃には弾数に不安があるが、イルヒラムの手銃の弾倉は弾が二列に込められたダブルアカラム。そのための銃把の握りにくさも、イルヒラムの握力で補われていた。
背後から追われるという状況が、クロノトンに普段以上の走力を与え、彼はアカデミーに入った。イルヒラムも殿を務めながら、遅れて入る。
「クリアだ!」
ウォンニがすでにアカデミーエントランスの敵を葬っていた。
イルヒラムは門の横の制御盤を殴りつけると、分厚い石の扉がぴしゃりと門を塞いだ。
瞬時にイルヒラムは状況を学習する。太い柱が規則的に並ぶ玄関はめちゃめちゃに荒れていた。床に転がるのは損壊の度合いが様々な人間の死体と、人間の抵抗で殺されたのだろう少数の化け物の死体だ。おぼろげながらも、どこかで全く同じような場面に度々出くわしたことがあるのを思い出す。
半島戦争だろう。他にあるはずがない。
そうだ、間違いない。半島戦争とそっくりだった。気軽にレコードを再生したように、あの状景がここに戻ってきたのだ。
「くそっ、生存者は誰もいないのか!?」
イルヒラムは吠えた。
天井付近の窓がぶち割れ、化け物どもが飛び込んで来る。
「防御円陣だ!」
三人の県軍人は部屋の真ん中に集まった。クロノトンが柱の間を飛び交う敵を狙うために火を吹く銃口をめぐらした。本来は三人一組で使用する機関銃だが、和歌山県軍にその余裕はなかった。にもかかわらず、クロノトンの銃撃は精緻を極める。この男はこの黒くて長い重さ7.8キロの拠点防御/分隊支援火器を母の胎内から持ってきたかのように操ることができる才があった。柱や壁の破片が弾け飛び、広大な部屋の視界が急速に悪くなっていく。
イルヒラムにも、粉塵を切り裂いて化け物たちが躍りかかってきた。イルヒラムは容赦なく鉛玉を撃ち込んでいく。
唐突にスライドが後退して戻らなくなった。残弾数を数えてはいなかったが、手銃の弾がつきたのだ。
直後に化け物がわめきながら迫って来る。不気味な冷たい音をたてて振られるかぎ爪を、体をのけぞらせてかわす。両方の手の親指は手銃の銃把の上にあるマガジンキャッチを押して、手銃は空になった弾倉を排泄した。
続く化け物のかぎ爪の斬撃をかわせないと判断するや、イルヒラムは化け物の腕を自分の腕で防いだ。県軍人は骨がきしむほどの衝撃に、一方の手銃を取り落とす。だが、化け物のかぎ爪はイルヒラムの顔の上数センチで止まっている。
県軍人の口から裂帛の怒声がほとばしり、それに押されるかのように化け物がのけぞる。さらに、イルヒラムはしびれた腕には一切構わず、膝蹴りを化け物にめり込まして、敵を一歩後退させた。
空いた手で、手首に巻いたベルトから新たな弾倉を抜き取り、銃把に差し込む。初弾が装填され、スライドが前進して、手銃があるべき状態に戻った。
体勢を立て直した敵がすでに眼前に迫ってきていた。
イルヒラムは銃口を敵の顔に押し付け、自身は後方へ倒れ込みながら、何度も引き金を引く。
くぐもった銃声と腕への反動の後、イルヒラムの上で敵の頭が黒く爆発した。
「クリアだ」
ウォンニがそう言い、イルヒラムはすでに部屋の中の全ての敵が片付けられているのに気付いた。
うなりながら自分の体の上の、化け物の死骸を蹴り飛ばす。
「連中、なかなか、やるね」
「ああ。歯ごたえがある」
部屋に転がって死んでいる化け物たちの見た目は多種多様で、同じ姿は二匹と見えなかった。だが、その大きさは、人間より小さなものはいない。
三人の県軍人は用心を怠らず、足早に進んでいった。
新たな部屋に入るときの先頭は、うなるのこぎり構えたウォンニで、必ずクロノトンが援護していた。
だが、敵の姿はない。来る部屋来る部屋が、どれも満員の電車に破片手榴弾を投げ込んだような惨状なのに、化け物の新手が見えない。
どこにいやがる?
三人は広い階段を上り、半壊した石像の並ぶ回廊を進む。行く手の壁の、巨大な大理石のレリーフに刻まれた人々が陰気な目つきでこちらを見下ろしてきた。
だしぬけに、巨大な太鼓を連打する音が轟わたる。
レリーフが爆砕して、何万という大理石の破片が床と壁を乱打した。
「来たぞ」
もうもうたる白煙の向こう、悪党のゴリラのようにたくましい黒い化け物がやってくる。
そのとき、距離感を正しくつかんで、イルヒラムはぎょっとした。
「冗談だろ?」
イルヒラムはつぶやく。化け物の身長は六メートルほどもある。歩くと地面が震えるほどの巨体だ。
化け物がどすどすと近づいてくるにつれ、三人は敵を見上げるためにのけぞらなければならなくなる。
直後、我に返り、クロノトンが機関銃を一連射した。
ばばっと、化け物の表皮が飛び散るが、それだけだ。銃弾はそこで止められ、化け物に十分なダメージを与えていない。
化け物どもは総じて人間より頑丈だろうと踏んで、イルヒラムは多めに銃弾をぶち込むことにしていたが、この敵の頑丈さは常識はずれだ。
「まるで戦車だな。何食ってそこまででかくなったんだ?」
「手榴弾を持ってこなかったのが悔やまれるね」
「いいや、必要なのは対戦車砲だろう!」
銃弾をものともしない敵が肉薄してくる。後ずさるイルヒラムとクロノトンに対して、奇声を発しながら敵にぶつかっていったのはウォンニだ。
黒い血が辺り構わず飛び散り、片足を失った巨大な化け物がバランスを崩して倒していく。
「ここは俺に任せろ」
ウォンニが生き生きとした様子でそう言って、にやりと笑うと、通信機をイルヒラムに投げてよこした。
「敵地で分散行動か。素晴らしい」
「あんたらの銃に出番はないんだ。ここいら一帯は掃討しておくぜ。今日の主役は俺だ。ひひひ」
「分かった。クロノトン、来い」
イルヒラムとクロノトンが踵をかえした。
ウォンニは怪力を発揮して、電動のこぎりを放り上げる。それは高い天井すれすれのところで上昇をやめると、今度は回転しながら落下していった。
うなりながら化け物が上体を起こす。そこへ電動のこぎりが落ちてきて化け物の頭に突き刺さり、暴れ回る。
ウォンニは飛んでくる肉片から顔をかばいながら進んで、得物を引き抜いた。
駆逐戦車や、この化け物のような薄のろ相手に有効な手だ。
レリーフにあいた穴からは、さらに似たような敵がぞろぞろと湧き出てくるところだ。ウォンニは笑いの発作を抑えきれずに、武器を構える。
面白くなってきた。
■
むしろ、ラミタイが受けた衝撃は、化け物を見たときよりも大きかったかもしれない。
ファレリアの姿はひどく小さく見えた。
彼女がこんなに弱々しく見えるわけがあるのだろうか?
ラミタイは惚けたような表情で、ファレリアの前まで歩いていった。
そして、体の中から響いてくる共振が、彼女の正体を醜い化け物だと告げてくる。その声から耳を塞ぐ方法はなかった。
「ファレリア……」
自分は彼女に何を期待していた?
遺伝子強化の影響さえ、腕の一振りでぬぐい去る超人か?
壁に寄りかかったファレリアは、目の焦点を合わせるのに苦労しているようだったが、やがて口を開いた。
「……ラミ、私の言葉を聞いていたの?」
彼女の顔は血の気がなくて、人間のものとは思えない。
「あなたはここに来るべきじゃなかった。私に殺される前に早く逃げることよ……」
「今となってはそんな事になんの意味がある? おれに心の平安とか、そういったものを自力で見つけ出す力はないんだ」
ファレリアはラミタイの視線から逃れるように、その場にしゃがみこんだ。
「……大丈夫なのか? 変異まであとどれぐらいだ?」
「すぐよ。運動系から食われたわ。もう少しもつと思ってたんだけど……私は弱いわ」
「おまえが弱いのなら、おれは一体なんなんだ」
ラミタイは両手でファレリアの肩に触れたが、それだけで彼女は堪えがたい痛みに襲われたようだった。
ラミタイはあわてて手を離すと、彼女から後退した。
「やるべきことは何かあるのか? おれにできることを言ってくれ」
「それ」
ファレリアが机の上に積まれた、堕落したもやしのように絡み合うすごい数の磁気テープと、書類の山を指差した。
「全て燃やして。そこに書かれているのは、遺伝子強化人間の作り方だから」
「そんなものが……」
「フジーム教授は自分の研究を捨てることが、ついにできなかったの。……これは……彼ら人類を救う唯一の手かもしれないって……あのしょうもない種族を……」
ラミタイは一束の磁気テープを握った。
自分たち、遺伝子強化人間の作り方が目の前にあった。
この黒くて柔らかいものに、もう一度この和歌山県で起こったことを起こす力があるのだ。
ラミタイの手に力が籠り、手の中の磁気テープはあっさりぐしゃぐしゃと潰れた。これを葬る。遺伝子強化人間をこれ以上生み出さないために。
まったく、この県ではこんなことまでも、自分でやらなければならないのか?
「今の県を見る限り、フジーム教授の考えは正しくなさそうだな」
ラミタイはささやくように言った。
自分たちは死ぬだろうが、このようなことはもう起きてはならなかった。
「使い方次第なのかも……全ての道具や知識と同じように、遺伝子強化技術さえも」
ファレリアが言うのが聞こえた。
「でも、まだ彼らがこれを手にするには早すぎたのよ」
「政府軍がここを爆撃するんだ。どのみちみんな燃えるぞ」
「急いで、ラミ。もし政府軍が、私の恐れているほど素早いのなら……」
ファレリアは苦しそうに言葉を切った。
ラミタイは火をつける道具を探し、数々の戸棚を物色する。
「これを燃やした後はどうするんだ、ファレリア? 自分を消すっていうのは、どうやるつもりなんだ?」
「私はもう歩けないみたい」
「おれが連れてってやるよ。どこでも望むところへ」
「ラミ……あなた馬鹿よ。最後の時間を自分のために使えばいいのに……」
「そうかもな」
机の上には教授のノート。いや、手紙だ。
死の直前に書かれていた物だろう、血しぶきの散った紙面のインクは乾いていない。
出し抜けに、ぞおっと鳥肌が立った。
顔を上げると、奥から黒い姿がぬうっと現れるところだった。
黒い眼窩の中で、炎の双眸がくすぶっている。
化け物がかっと口を開いた。直径五十センチの口と、赤い血にまみれた無数の牙が近づいてくる。
妙に時間がゆっくりで、辺りは静かだった。化け物がずるずると足を引きずる音だけが、着実に近づいてくる。
こいつだ。
こいつが、フジーム教授殺害者だろう、と妙な確信をもって断言できる。
直後、凄まじい爆音が、あろうことか耳のすぐ隣で弾けた。
ラミタイの耳がしびれ、頭は殴られたかのような痛みが駆け抜け、そして変異した死すべき子供は床を転がった。黒い血で床に奇怪な模様が描かれる。
自分の中で得体の知れないものがざわめくのを感じた。
煙を上げる銃口が顔の隣にあった。
「生存者だ」
禿頭の巨漢がそう言って、歯をむき出して悪鬼のように笑った。
■
ネクサスは闘争の中で、その力、全てを発揮する段階へと至った。
収納されていた全ての火器を出して、巨大な空飛ぶハリネズミのような外見になると、ネクサスは和歌山県という檻を突き破って外に飛び出ようとする化け物たちに斉射を始めた。
強力な砲炎にあぶれられ、引き裂かれ、空飛ぶ化け物どもは次々と地上へ落ちていく。
和歌山県県境のダムのように高く分厚い壁の上にも政府軍のコマンドがずらりと並んでいた。周囲の県の県軍も、政府と和歌山県の要請に応えて出兵はしていたものの、彼らは太鼓持ちに過ぎなかった。兵力、練度、装備で政府軍には遠く及ばない。
頭上の戦闘でネクサスに粉砕された化け物の死骸が降り注ぐ音のみが聞こえる、不気味な沈黙の中、政府軍兵士は微動だにしない。
黒い津波がこちらへと押し寄せてくる。大地を埋め尽くす化け物の大軍が迫ってきた。
二本足、四本足、あるいは節のある百本もの脚をもつ黒い生き物の侵攻だ。その数は千を軽くこえた。
さすがに政府軍の兵士たちが凍り付いたような表情を浮かべる。
そんな中、政府軍のジャイロコプターが壁の上をかすめるように飛び、そして腰まである白髪をなびかせた一人の男が壁の上に降り立った。
複雑な装飾を施されたサーベル片手のハチノヘだ。すらりと鞘から刃を抜き、鏡のような刀身が迫り来る黒い波を写しだした。
「権限レッド、完全発効だ! 政府軍の指揮は我々PCOがとらせてもらうとしよう」
ハチノヘが言うと、数千人の政府軍兵士は落ち着きを取り戻して、一斉にうなずいた。まるで全員が一人の人間のように見える動きだ。この軍団は政府の作った完璧な作品だった。
完全に調和した動きで、壁の上で無数の印象的な銃器が、構えられる。
「一匹たりとも通すな! 通せば、奴らは我らが築いてきたもの全てを破壊し、我らの愛する者全てを殺すぞ!」
ハチノヘは怒鳴り、短い命令だったが、政府軍兵士にはそれで十分通じた。
黒い波が射程に入ると、銃弾は嵐となって化け物を襲った。穴だらけになって、黒い体液を沸騰させた化け物がばたばたと崩れ落ちる。だが、倒れなかった化け物は壁をよじ登ってくる。そして、その電柱のような太い腕でそこにいた一団の政府軍兵士を掴んで振り回し、引きちぎった。すぐに四方からの近接射撃で、その化け物は破裂しながら落ちていく。そこら中で、それが繰り返された。
化け物は巣穴から湧き出る蟻のようにも見え、全てが、ただ壁を越えたくて仕方がないというように迫ってくる。
政府軍はどうにか食い止めようと奮闘している。
門が開き、政府軍Uー2Rゾーレ重戦車の群れがディーゼルの爆音をまとって化け物の群れへと突進する。自分たちを鼓舞するかのようにやたらと砲をぶっ放し、噴式弾をランチャーから発射した。そもそも狙いを付ける必要がないほど化け物は多い。重戦車はとんでもない騒音を発しながら走り回り、ありとあらゆる騒ぎを引き起こしながら戦う。だが、それでも、すぐに化け物たちの黒い波に飲み込まれ、見えなくなってしまう。
脳をひっくり返されそうな、すごい砲声が響いた。
ネクサスの主砲が頭上で吠えたのだ。大地に途轍もない火柱が生まれて、県境は火口のようになる。相当数の化け物が消し炭になり、そして政府軍兵士も百人単位で、爆風にあおられ壁の上から吹き飛ばされてどこかへ消えた。
ハチノヘも地面に叩き付けられ、再びどうにか起き上がるのにしばらくの時間を要した。
周囲はとんでもない混乱に包まれはじめていた。
予想以上の敵だ。
半島戦争で、世界中に恐怖を振りまいた日本軍の、最も練度の高い政府軍の猛烈な迎撃に、奴らはまるでひるまない。
ハチノヘは舌打ちした。
ネクサスに戻ることにしよう。
ここはあまりに混沌とした戦場だった。こうなってしまうと、ハチノヘのサーベルの腕をもってしても改善しようがない。それよりも早く4フレーズを投入してけりをつけてしまうしかない。
だが、上を見上げてネクサスもただならぬ危機に直面しようとしていることに気付いた。
空飛ぶ化け物は戦意高く、急降下爆撃ジャイロコプターもかくやという速度でネクサスの弾幕をかわし、ネクサスに飛びついていくのだ。
砲と砲座の兵士が引き裂かれて地上に落ちてくるのが見えた。さらに化け物はネクサス表面のガイドセンサーやアンテナをひっこぬいているようだ。大昔に技術の粋を集めて建造され、幾多の戦を生き抜いたネクサスの装甲が、黒くて醜い生き物に侵されていく。その様は皮膚の壊疽を思わせた。
ネクサスの分厚い装甲に穴があけられ、その下からぶばあっと循環液が噴き出し、地上に雨を降らせた。
「信じがたい……」
ハチノヘはつぶやいた。
大戦でも半島戦争でも傷つくことを知らなかったネクサスが、今では瀕死の病人に見えた。
背後から硝煙をかき破るようにして大柄な化け物が出現した。空の状況に目を見張る白髪の剣士に背後から襲いかかる。その牙とかぎ爪が体に突き込まれる刹那になって、ようやくハチノヘは気を取り直し、サーベルを顔の前に持ち上げると、その金の鍔に下唇を当てた。
化け物はハチノヘに気付かなかったようにそのまま走っていく。二十メートルも走ったころであろうか、首がごろりと落ちて、化け物の体は驚きを表現した。ようやく斬られたことに気付いたらしい。
ハチノヘはその様子を見もしないで、転がる敵味方双方の死骸を踏み越え、壁のすぐ下に設けられた政府軍のジャイロコプター駐機場へと歩いていく。ハチノヘはサーベルを一回転させて腰に戻した。
「なんて奴らだ。政府軍の精兵が押されている。突破されるのは時間の問題だ」
ネクサスに上がったハチノヘがうなりながらクジの部屋に入る。ネクサスの艦内はヒステリックな赤い照明で照らされていた。
ハチノヘが指揮室に入っていっても、クジは顔を上げる余裕が無いかのように画面に専念し、手はキーボードを叩き続けている。
「4フレーズを投入せねばならんぞ」
崩して着ていたPCOの制服がずたずたになったハチノヘは、4フレーズという名を、すがるべきもののように発音し、倒れるように座り込んだ。
クジは何も答えなかった。
「PCOの命令でいろいろ胸くそ悪いものを見てきたが、こいつは特にひどい。死がこの県を覆ったのだ。もうどうにもならん」
クジはディスプレイを、宿敵であるかのように睨んでいた。
「だが、おまえはこんな事態にも備えていた。そうだな、クジ?」
「私はそういう生き物なのよ、ハチノヘ」
「炎で滅菌するほか、もう手はない。4フレーズを持ってきたおまえの先見に感謝だ」
ハチノヘの言葉に対して、クジは傷ついたような表情を浮かべた。
「大阪には、総統権限で全市民をシェルターに避難させるように命令しておいたけどーー」
「そんなのは、何の足しにもならん。あの化け物どもは焼き滅ぼすしかないのだ。たとえ、和歌山県民全てを巻き添えにしても、な」
「分かってる。でも、なによりも、ネクサスの損失は防がねばならないわ。ネクサスを失えば、化け物は関東や北海道にまで広がってあらゆる破壊をふりまいて……いや、たぶんもっとひどいことになるわね。4フレーズの影響で」
クジが暗い声で言った。
「いやあ、恐ろしい戦ですね」
ジョビ大佐が不自然に緊張感の欠けた声を発しながら、指揮室に入ってきた。
ハチノヘが彼を見て、なぜこの男がここにいるのだ、という顔をクジに向ける。それに対して、クジは悲しげに肩をすくめただけだった。
「政府軍は爆撃をおやりになるそうですね」
「早耳だな」
「国営ニュースの発表を聞いたのですよ。それで、それは生物化学兵器のようなものなのですか? いや、そんな物を投入すれば近畿地方全てが汚染されてしまう。それはありえない。そうでしょう?」
「ええーー」
クジがかすれた声を出した。
「話してしまってよいのか? 面倒なことになりうるぞ」
ハチノヘがサーベルの柄頭を撫でながらゆっくり言った。
「彼は和歌山県軍のリーダー……当事者よ。作戦のことを聞く権利はあると思うわ」
クジはジョビ大佐の方を見ずに言った。
そして、もしかしたら生き残る唯一の和歌山県人なのかもしれないのだから。クジは心の中で付け加える。
■
1945年、唯物主義論決定連合とアジア高等精神議会、二つの哲学体系の衝突、第二次世界大戦は、前者の勝利で幕を閉じた。
連合を構成していた国家により、アジアの諸国は制圧された。
日本を占領する仕事は、アメリカという国から派生した新国家リビルダーに任された。だが、やがて、その仕事はアメリカ人が予測していたほど楽な物ではなさそうだということに、リビルダー人は気付いた。
日本軍は能率の良い戦力配置というものを知らず、太平洋各地や、バングラデッシュで連合軍に各個撃破されたと思われていた。だが、終戦の後にどういったわけか無傷の部隊が続々と帰国してきたのだ。その軍勢は盟主のアジア高等精神議会指揮機関でさえ把握していない、日本が独自に配置した兵力だった。日本軍最高指導者はアジア高等精神議会に対して謀反でもたくらんでいたのかもしれない、と思わせるほどの不自然な大軍だった。その軍勢の指揮官たちに問いただしてみても、誰の司令でそのような場所に配置されたのか、詳しくは知らない、と困惑顔をしてみせるばかりなのだ。
この妙な展開に、リビルダーの戦後執行官たちは顔をしかめた。そして、帰国してくる兵員輸送船に加えて、困惑顔のクルーを満載した無傷のネクサスまでがぞくぞくと赤道地帯から帰ってくるのを見て、彼らは青ざめはじめた。
日本軍は十分すぎるほどの戦力を残しながら、降伏していた。日本本土は焦土になったのに、それを守るべき軍はなぜかほとんど傷を負っていなかった。
不可解極めた。
リビルダーが彼らを下手に扱った場合、彼らは連合にいま一度反旗をひるがえすことができるのだ。そうなれば、それは連合の勝利に水をさすだけにとどまらず、連合が戦勝で得た利益を台無しにしかねない。
リビルダーはどうやったらこの国を上手く占領したままにしておけるのか、頭をひねらなければならなかった。それでも、上手い方法は見当たらず、リビルダーは日本の歴史からその方法を拝借することにした。幸い、日本の歴史は実例に事欠かなかった。
リビルダーは日本の各地に基地を築くと、そこに致命的な毒を秘めた、伝播力の高い改造されたマイコトキシンのタンクを大量に備蓄した。日本が連合、あるいはリビルダーの気に食わないことをしようとすれば、直ちにこれらの毒は解き放たれ、死の天蓋が列島を覆うのだ。これは安土桃山時代に日本の統治者によってよく使われた手法だった。
なにかあればリビルダーは列島で暮らす一億近い人間を一日で殺すことができるし、そのあと他の属領の民を日本に強制移民させて、今まで通りの生産を続けさせることすら可能だ。
1963年のいまなお、リビルダー基地は全て稼働している。
■
「4フレーズ・スーパー・ウエポンは純粋にこのリビルダーの基地を破壊する為だけに、我々PCOがサルベージした兵器です。その熱は一瞬であらゆる物を蒸発させ、なんら有害な汚れを残さない。リビルダーは反応する暇もないでしょう。生物化学兵器より遥かに洗練された手であると、我々PCOは誇りを持って確信しています」
ジョビ大佐はそれを聞いて、おおっと感嘆のうなりを上げ、上半身をのけぞらせた。
「夢のような爆弾ですね!」
「いま、政府軍の特務爆撃機が搭載して高空で待機しています。ネクサスの布陣が完了すればすぐにでも投下するつもり。……我々のこの努力が日本のいまの、他国に占領されているという現状を改善し、そして程度の低い二流の国という地位から引き上げてくれることを信じています」
「だとしてもーー」
ジョビ大佐はニコニコしながら言う。
「所詮は爆弾。人間味のない一瞬の閃光で和歌山県は焦土と化してしまうのでしょうね」
「残念ながらな。他に手はあるまい。この県のみかん産業も終わりだ」
クジのかわりにハチノヘが言った。
「そうですね。実に残念なことです」
ジョビ大佐は笑って言う。その笑みは実に自然な物に見えた。
自分の生国が焼き払われようというのに、どうしてこの男はなぜ笑っていられるのか。クジは分析しようとする。PCOの技術の過小評価? それとも和歌山県の利益よりも日本全体の利益を優先しようという、崇高な精神?
すると、ジョビ大佐は、クジの心の中の疑問に自ら答えようとでもいうのか、
「ま、私はみかんよりリンゴが好きですし」
彼はそう言い、なにか赤くて丸い物を懐から出して、自分の口に詰め込んだ。
■
一体いつ部屋に入ってきたのだろう、二人の男が研究室の中にいた。大きな男たちだった。
遺伝子強化の化け物を撃ち殺した男が、手に持ったピストルの握りの部分から、弾を収めておく入れ物を排出した。それが床のタイルにぶつかり、ごつっと重たい音をたてた。
「生存者だ」
ピストルを持った禿頭の巨漢が言った。やたらとごつごつした体の持ち主で、服装はずたずたぼろぼろ。黒い返り血に染まっていた。
「ああ、生存者だ。救われたね」
ひげ面の男は静かな口調だった。彼は兵士ではないだろうとラミタイは思った。技術者か研究者風の雰囲気をまとっている。いや、でも持っているのはマシンガンか。
ラミタイは気付いた。彼らは和歌山県軍人だ。
いまさら和歌山市の救援に駆けつけたのだろうか。だとしたら少し遅すぎたようだ。殺戮の機械たちは、すでに迅速な仕事を終えた後だ。
ファレリアが息を飲んだ表情のまま固まっているのに気付いた。
「私は和歌山県軍曹長イルヒラムだ」
「僕は同軍伍長クロノトン。生き残りがいて本当にうれしいよ」
ラミタイとファレリアの名をきいたあと、二人はそう名乗った。イルヒラムの方が、なにか電話帳ほどの大きさの金属の機械を置く。受話器が付いている。軍用無線通信機だ。
「なんともひどいことになっているからな。和歌山市を奇襲してこんな風に陵辱する奴らがいるとは、信じがたい。平和な県だというのに」
「そうだね。軍事的に価値もないのに」
「一体どこの国に作られたのであれ、あれを送ってきた奴らには報いを受けさせてやるぞ」
二人の軍人が言うのを聞いて、ラミタイははっとした。
「そいつらに脛骨を突き刺し、壷に放り込んでやる!」
「あ……本当に軍人ってそれ使うんだ」
ラミタイが思わずつぶやくと、なぜか軍人イルヒラムはばつの悪そうな顔をした。
「いや、この言い回しは、その、つまり、伝統的な、あ〜」
「現状況が分からないのは困ったね」
県軍人クロノトンの方が通信機のつまみを回したが、ざらざらと雑音が流れるばかりだ。
ラミタイは察した。
この二人、遺伝子強化人間が災厄を招いたことに気付いていない。化け物が、無関係の場所からやってきたものと信じている。
「あの……国営ニュースとか見ませんでした?」
尋ねてみた。
「任務中にそう言ったものを見る許可は出ていない」
と、イルヒラムが答える。
なんて連中だ、という印象を隠せずに、
「政府軍は和歌山を爆撃するらしいんです。遺伝……いや、あの化け物を滅ぼすために、住人を巻き込んで。そして、そのことを他の日本国民や異国から隠しています」
「爆撃だ? 馬鹿な!」
イルヒラムが吠えた。
「そんなことをすれば、内戦になる!」
「それよりひどいことに、もうなってるよ、イルヒラム。でも、戦時中ならともかく、今の政府がそんな強引なことをするだなんて……」
クロノトンは眉間にしわを寄せる。イルヒラムはぐぬぬぬ、とうなり、
「いいや、あり得ないことではないな。クロノトン、大戦前夜に似たような話がなかったか?」
「フェアニヒトウングかい? でも今とは違う政府の仕業だよ」
「今の日本の政府は、当時の連中からものを学んだのかもしれないのだぞ」
「ふうむ……。それなら僕たちも急いだ方がよさそうだね」
クロノトンの穏やかな眼がラミタイを見据えた。
「フジーム博士はどこだい?」
ラミタイは眼を伏せ、首を振った。
「遺体はあそこに」
二人はひょいっとそれを覗き、口をへの字に曲げた。
「くそっ、作戦失敗だ。ジョビ大佐に連絡を試みなければ」
イルヒラムは受話器を取り、複雑な認識コードらしきものを打ち込む。
「もしもしもしもし! ジョビ大佐ジョビ大佐ジョビ大佐! イルヒラムです! 作戦失敗です! 応答してください!」
とたんに靄のような雑音がクリアになり、低くて平らな男の声が返ってきた。
『騒がしいね。聞こえてるよ』
「和歌山市内はひどい状況です! 死体の海! 崩壊する建物! 化け物ーー」
通信機の声がイルヒラムの大音声をさえぎり、
『フジーム博士は研究室で死んでいるのだね?』
「そうです」
『なにかメモとか、磁気テープとか残ってないかね?』
「ありますあります。山ほど」
『その通信機で送ってくれ。全て』
がんっと、ラミタイは頭を殴られた気がした。
『それが遺伝子強化プロジェクトの実行者たちを裁く際に、証拠として重宝することになりそうだからね。なにせ我々の県はそれにひどい被害を被ったんだ。さあ、イルヒラム曹長、全てをこっちに送ってくれたまえ』
「了解です。それと私たちはジャイロコプターを失いました。迎えをーー」
途端に、激しい雑音が戻ってきた。
『おおお、政府軍ネクサスは主砲斉射をおやりに……通信が不鮮明……に……のようだ。またあとで連絡してくれ』
「ジョビ大佐? ちっ、切れちまいやがった」
イルヒラムは、がちゃんと受話器を置いた。
「よし、仕事にかかろう」
二人の県軍人ががさがさとテープあさり始めた。
「だめだ……」
嫌悪感におののいていたラミタイが、かすれた声を絞り出した。
「だめだ! やめてください!」
「何だって?」
「遺伝子強化人間の技術はここで葬らないと……外に出してはだめなんです! また悪用されます」
二人の県軍人は視線を交わした後、クロノトンが口を開いた。
「それはないと思うな、ラミタイ。知っての通り、死すべき子供の一件は和歌山県に計り知れない悲しみをもたらしたんだ。その悲しみの大きさは、悪用という事象に到達し得ないほどのものさ。でも、こんなことを二度と起こさないためにも、しっかり責任は追求しなきゃいけないしーー」
だめだ、この二人は遺伝子強化人間の真の実力に気付いていない。
だが、銃を持った二人の軍人を思いとどまらせる方法なんてあるのか。銃を持っているのがラミタイの側だとしても、できそうにない話だった。
いっそのこと、化け物の正体を教えてやろうか。
だが、それをすれば、一つ確実なことは、目の前の二人は自分たちを喜んで殺す気になることだ。
「クロノトン」
イルヒラムが無造作に言葉をふるった。
「化け物の正体は、こいつらだ」
ラミタイの心臓がはねた。
思考を読まれたのだろうか。
だが、県軍人が見ているのは自分ではなかった。
「ファレリア……」
ファレリアが目から黒い涙を流していた。集まる視線に気付いてか、彼女はうつむいたまま、手で顔を拭った。彼女の手の甲で拭われたものはゆっくりと波打っていた。
「君たちが……どうしてだ?」
クロノトンが言った。
「どうしてこんなことを? この県を?」
ラミタイは唇を噛んで、床を睨んだ。
「……おれたちは体の中に、異生物を埋め込まれている。レトロウイルスのようなものが。それが遺伝子面からの影響力でおれたちを変異させるんだ」
「その結果は、死すべき子供が早死にするだけじゃなかったのか?」
「県はそう言ってたけど……嘘だ。あるいは知らなかったのか。それだけじゃない。変異した後は、体が崩壊するまで遺伝子内の異生物が体を掌握して、暴走するようだ。一体なぜ、こんな風に暴れるのかは分からない……」
「信じられない……この県のすべてを滅ぼすつもりか、悪魔どもめ」
クロノトンが静かに声を荒げた。
震えが消えた。ラミタイはそらしていた視線を二人の県軍人に向ける。
「おれたちはあなたたちが作ったんだぞ。あなたたちが作った政府が」
一歩前に踏み出した。
「おれたちはあなたたちが、自分の利益を守る戦争のために作られたんだぞ。そして、おれたちを作ったときも、政府からそのことを知らされたときも、あなたたちは政府に逆らわず、それを受け入れたんだ!」
視界を黒い靄のようなものが覆った。
クロノトンが機関銃の横についたレバーに手を置く。県軍だなんていう人々が、威圧してくるのは何だか滑稽だった。
「遺伝子強化人間は、あなたちの罪を背負っているんだ! その存在を否定するつもりなのか?」
視界が黒く、鋭くなっていく。
と、強い力で手を引っ張られた。ファレリアが両手でラミタイの腕をつかんでいた。なぜ彼女は邪魔をーー
「だめ、それ以上は進まないで、ラミ」
蚊の鳴くような声だったが、そこににじむ悲壮な声音がなによりもラミタイをぞっとさせた。ファレリアほどの人が出すものには思えなかった。
ファレリアの手を振りほどくこともできなかった。唐突に、立っているのが難しいほどの震えが駆け、ラミタイは床に膝をついた。
もう県軍人の顔に視線を戻す勇気は残っていなかった。
「おまえたち、大戦前後の混乱を想像することはできるか? 飢餓と、困苦と、破壊を? 数千万の死を? 終わりなき闘争を? ……ここは列強に挟まれた小さな島国なのだ。負債は、だれもが、何らかの形で支払った」
イルヒラムが低い声で言うのが聞こえた。
「半島戦争で同じことを繰り返すわけにはいかなかった。おまえたちは……希望として作られたのだろうよ」
県軍人は紙と磁気テープの山の方を向いた。
「私は下っ端の軍人に過ぎん。命令には逆らえんのだ。こいつは上官のもと送らせてもらう。すまんな」
モーターの軽い音をたてて、磁気テープは吸い込まれていった。それは電子の列に変換され、ジャミングされた混乱の海の中、確保された通路を通っていく。全てを食らい尽くす意図を見せつつ、通信機は遺伝子強化人間の起源の情報をむさぼる。止める手だてなんてなかった。
全ての行為は無意味だった。
何をするにしても、ラミタイは疲れ果てていた。
どかん!
突如、通信機は己の存在を一瞬誇示するかのように吹き飛び、部屋中に煙を上げる金属片をまき散らした。
「……?」
イルヒラムはしばし目をぱちくりさせていた。それから、砲丸のような拳で机を思い切り叩いた。
「くそ、ウォンニめ! 一体、こいつをどう改造した!?」
通信機のあった場所には黒いくぼみが残るだけで、もじゃもじゃとしたすごい数の磁気テープも吹き飛んで、部屋中に紙吹雪のようになって舞散りはじめた。
遺伝子強化人間の情報は県の外へと流れ出たが、それは冒頭の部分だけで、大半はいま、謎の幸運によってラミタイの目の前で二度と再生できないほど破壊された。いや、考えてみれば当然な気もした。通信機は遺伝子強化人間なんて邪悪な情報を食べていたのだ。壊れないわけがない。
「なんという謎の不運だ! 通信機は破損した上、予備は二つと存在しない! 高性能とはいえ、所詮は機械だったということか」
県軍人イルヒラムは禿頭から湯気を上げて怒り狂ったが、ラミタイの目にはそれが妙に芝居がかって見えた。
「作戦は失敗だ、クロノトン」
「まあ、このひどい状況下にしては、僕たちは頑張ったよ」
県軍人たちは慰め合うように言う。
遺伝子強化技術は失われた。フジーム教授ももういない。
あとは……自分たちだけだ。
■
ネクサスの中は騒がしかった。クルーの叫びに、大阪を迂回して届く他ネクサスからのくぐもった報告。廊下の先には飛行甲板へと続くハッチがあって、その向こうはもう外だ。機関銃がうなるたびに、閃光が薄暗いネクサスの中にまで差し込んだ。
ジョビ大佐がイルヒラム曹長に託した通信機はその優秀さを現すかのように、一瞬で転送を終えた。
ネクサスがそれを受信して、ジョビ大佐の眼前でデコードされて、解凍されていく。
ジョビ大佐がいじっているのは通信機の母機だ。
おそらくはネクサスからサルベージされた技術をもとに作られたのだろうそれから、ケーブルが伸びて大画面ディスプレイにデータを表示している。
作戦を把握して、他ネクサスをせかすのに忙殺されていたクジは、ジョビ大佐が受け取ったものに気付いた。
画面が解凍を終えたことを告げ、フジームが産んだ遺伝子強化人間情報の最初のページにあたるコンテンツを表示した。
「素晴らしい……」
ジョビ大佐がつぶやいた。
ネクサスのディスプレイが表す光の乱舞のことを言っているのか、それとも、まさかその内容のことを言っているのか。
「なんて大胆で恐れ知らずなプロジェクトなのでしょうね、これは。見てくださいよ。遺伝子強化プロジェクト主任のフジームという人の発想力は本当にすごい。人間という種族の上限を増すために、こんなことをしようと考えつき、しかも、実行するだなんて素晴らしい。遺伝子強化人間はシェルやソヴィエテを相手取るために設計されたんだ……ただ早死にする子供のわけがありませんでした」
後者らしい。
まるで革新的な芸術品をほめるような、熱っぽい口調。
どこかジョビ大佐の雰囲気が違うように思えた。どこか、遺伝子強化技術を作ったあの科学者たちを想像させる動き。
この呪われた技術は、触れるもの全てに感染していく力でもあるというのか。
「PCOのお二方も、そう思いませんか? これに国家単位のプロジェクトとして取り組み、そしてあなたたちの自慢の新型爆弾があれば、鬼に金棒です。そうじゃありません?」
もう、クジは顔に友好的な表情を作るのがうまくいかなくなっていた。ハチノヘはもともとそんな努力はしていない。
二人とも殺気立っていた。不眠症患者がやっと眠れた途端、隣室でバグパイプの演奏会が始まったときでさえ、こんなことにはならないだろう。
せっかく葬れようとしていた情報を、和歌山県軍なんて連中がこっちへ送って来ようとしている。
「例え、政府がこれに興味を示さなくても、和歌山県は違いますよ。この遺伝子強化の技術は和歌山県を蘇らせる。そうは思いませんか?」
ジョビ大佐は挑戦的にさえも聞こえる口調で言った。
この男はネクサスの装甲の向こうで何が起こっているのか理解していないのか?
「私たちが努力すれば、より洗練された遺伝子強化技術さえも手に入るかも入れません」
そう言って、ジョビ大佐は歯を見せて笑った。
気がつけば、ハチノヘが立ち上がってサーベルの鞘で床を規則正しく打っていた。
「だろうよ」
「今回私たちがこの事件から学ぶべきことはーー」
クジが言いながら、ハチノヘに小さくうなずいてみせた。彼に仕事を始めろと命じるサインだ。
「ーー私たちは自分の分を越えたものを作ろうとはしないこと、ね」
ハチノヘは抜く手を見せずサーベルを抜き放ち、銀光が正面から凍り付くジョビ大佐を襲った。
■
ネクサスたちは激しく戦いながらもその巨体を進め、予定通りの空域に到達した。
強力な妨害電波下にも関わらず、二十四隻全てが正しい位置に布陣できたのは、PCOの事前の正確な指示と、政府軍クルーの練度の高さゆえだった。
爆弾の投下地点は和歌山市東方三十キロと決まっていた。はるか高空からこの光景を見ているものがいれば、その者は二十四隻のネクサスが投下地点を囲むように浮かんでいるのに気付くことだろう。
それこそが4フレーズ・スーパー・ウエポンの予想爆破範囲だった。
■
耳をつんざくような太い音がして、男は壁に叩き付けられた。
立っているのはジョビ大佐。倒れたのはハチノヘだった。サーベルがからからと音をたてて床を滑る。
直後に異変に気付いたクジは、彼女の腰の短銃の銃把を握った。
「おやめになっておくことです」
ジョビ大佐は床のハチノヘから目をそらさず、しかし、左手をぴたりと彼女の方へ向けた。
右手はもうもうと煙を吐き出している。その五本の指は第二関節までが消えてなくなっている。切断面からは指屈筋や腱のみならず、人工的な強化神経がのぞいている。この男は手から弾丸を撃ったのだ。
「あなたが銃を抜くより、この隠密火器インプラントは早く火を吹きますよ」
ジョビ大佐は最前と同じように落ち着いた声で話した。
聞いたことの無い武器。体内収納式だなんて、感染の危険性はどうなっているのだろう。シェルか、アフリカのテクノロジーだとクジは予測を付ける。
クジはゆっくりと銃把から手を離した。
「いきなり斬り掛かって来るとは、驚きですね」
「和歌山県を……故郷を裏切るつもり?」
「この県は確かにのどかで素敵でした。ですが、私の魂はまた別の地に属しています」
「あなたは日本人じゃないの?」
「PCOの情報部はもう少ししっかりと仕事をするべきなのでしょうよ」
ジョビ大佐はそう言った。クジは辛辣な顔で同意する。
ジョビ大佐は短くなった右手の指で通信機から記録磁気テープを抜いてポケットに入れた。
「その忌むべき遺伝子強化人間技術を持っていくのは愚かよ」
クジの言葉を聞いて、ジョビ大佐の顔に貼り付いていた笑みが明滅するように消えた。
「……私の国は惨めなことになっているのですよ……。大国の圧政の下に敷かれ、民は誇りを失っています。私はどれほど穢れた技術だって使うことをためらうつもりはありません」
「それなら、せめて日本の二の徹を踏まないことね」
「用心しますよ」
ジョビ大佐は身をひるがえすと、開け放たれたハッチから身を投じた。
クジは窓辺へ走り寄ったが、ネクサスの外、化け物と砲弾飛び交う世界に裏切り者の大佐の姿は無かった。
ハチノヘが毒づいたりうめいたりして立ち上がる。制服はずたずたに避け、その下に着ていた防弾衣は火花を散らしている。
「PCO本部はいまのを喜ばないだろうな」
「たぶんね。県軍のリーダーが異国の密偵だなんて予測しなかったわよ」
ハチノヘが血の混じった唾を吐いて、サーベルを拾った。刀身は折れ、束の部分の立派な金の飾りは銃弾で破壊されていた。
「どうする、ハチノヘ? PCO情報部に報告する?」
「やめておけ。あてにならん。それより4フレーズだ」
PCOの男は帽子も拾って、目深にかぶった。
「裏切り者の始末はわしがつけておく。近いうちにな」
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