ダンジョンのエレベータ−ボーイ (2)
エレベーターの損傷はその性質上保険の対象とはなりえないため、企業組合からの特別手当の他はエレベーターボーイの自腹による修理となった。
とはいえ、大したことはない。いつかは起こりえた問題に対する解決法を購入したようなものだ。
天井板は取り替え、今回のことを教訓として対策を施すことにしよう。
エレベーターボーイの頭に冒険者が格子扉越しにモンスターを突き刺していた光景が蘇る。籠の中からの操作で天井板を突き破って飛び出す鋼鉄の杭なんて物がいいだろう。二腕長ほどの大きさの射出装置なら、蒸気の力を借りずとも、バネの力のみで相当の威力を示すはずだ。
あるいは、それでも死なない頑強な奴に対しても、天井板から吹き飛ばして、奈落の底である100階層まで落としてしまえば、どんなモンスターであれ以後エレベーターを煩わすことはできなかろう。
エレベーターボーイのエレベーターはどんな脅威に対しても柔軟に適応していかなければならなかった。
ダンジョン・マスターは髪に白いものが混じり始める年齢の男で、ダンジョンの深さに対抗するかのように、天空目がけて育っていく都市の中でも特に高い企業組合ビルの最上階に構えていた。
その高さはそのまま彼の地位を表しているらしく、マスターはこのダンジョンの他にも六つのダンジョンを法律的に所有し、企業組合ダンジョン管理部を完璧に支配していた。企業組合の中での発言力も相当なものだろう。彼の階は難攻不落の上、大勢の警備兵に守られていることもこの推論を支持している。
所有する建物の階数が地位を表しているのならば、ダンジョンの100階層までを行き来するエレベーターボーイは企業組合に関係する人間の中でも、最も底辺に位置するはずだが、マスターは構わず笑顔でエレベーターボーイの肩を叩いた。
「先ほどの衝撃には驚いたぞ。あまりに恐ろしいモンスターから逃げていたのか? それとも居眠りでもしていて地上についたのに気付かなかったか?」
こいつ、俺のことをその程度の人間と思っておるのか、とエレベーターボーイは疑問に思うが、それはないはずだ。これはマスター風の挨拶というわけだ。
「好きに判断するがよい。それに俺のエレベーターはおぬしの仕事と直接関係しないではないか?」
「そうでもないのだ。私はダンジョン・マスター。ダンジョンで起きることは何であれ、ある程度は把握しておきたい」
マスターはそう言うと、巨大な窓の窓際に立ち、眼下の都市を眺めた。まるで窓税の存在などを無視した大きさの窓の向こうで、都市はぼやけて見える。
マスターはダンジョンの遥か上の椅子でふんぞり返っているだけで、ダンジョンとはどういうものか知りさえしないのではないか、と多くの冒険者は想像する。にもかかわらず、ダンジョン・マスターなどというような大仰な名を名乗っているということは、マスターの常人離れした自信のなせる技だろうか。マスターの後ろ姿を見ながら、エレベーターボーイは考える。
「マスター、おぬし、エレベーターという言葉は異国からの由来と知っているか?」
エレベーターボーイが尋ねると、マスターは窓の外からエレベーターボーイへとゆっくりと目を移し、
「エレベートの第二文型所有依存格だ」
「ほう」
「私の理解はそういったところにも及んでいる。ああ、そうだ。企業組合はダンジョンに対する理解を深めていかねばならない。そしていつかは完全な制御下に置くべきなのだ」
マスターは熱意を込めて言うが、エレベ−ターボーイは顔をしかめて首を振る。
「やめておけ。ダンジョンとは人間が簡単に扱える代物ではない。暗黒の世界だ。冒険者はダンジョンへと潜っていき、俺もそこで働いておるが、その実、分かっていることは実に少ない」
「別に今すぐダンジョンを制御できるとは考えていない。だが、だとしても、企業組合ダンジョン管理部が冒険者を統制するのは、それほどの難事ではなかろう」
「冒険者を統制? なんだそれは? 何をせんとしている?」
エレベーターボーイの疑問にマスターは答えず、低い声で、
「例えば、先日の92階層を制覇したギールとシャルナだが、この二人は企業組合にまるで敬意を払っておらんな。ダンジョン管理部への冒険者登録費でさえ滞納が認められる」
突如、二人の冒険者の名が出て驚いたが、意外ではなかった。
望むままを行う、というのがあの二人の行動目標らしいのだから。
おそらくあの二人の興味はダンジョンにのみ向けられていて、企業組合など眼中にないのだろう。
「ギールとシャルナに敬意を払ってもらうための助言が欲しいのか?」
エレベーターボーイは尋ねたが、マスターは今度も返事をしなかった。
「あの二人は以前、企業組合のやり方に反発した地方の団体に雇われ、企業組合に対する破壊工作に関わった疑いがある。そのときに我々が被った被害は、単一の破壊としては最大規模だったものだ。法に照らし合わせてみても、二人の罪は確実だ」
ありえない話ではなかった。
マスターは大きく息を吸い、肩が膨らんで一回り大きくなる。
「だが、都市の治安警察はどう考えているか分かるか?」
「いいや、俺は法律屋ではないからな」
「あの二人を捕らえようと、治安警官を差し向けた場合、警察側の被害は甚大になろうとのことが予想したのだ。治安警察は採算が採れない限りは、二人が都市に迷惑をかけない以上、二人に手は出さないと抜かしてきたのだ!」
「だが、大抵の冒険者は、そういう風に雇われれば傭兵まがいの真似をするものだろうよ。ギールとシャルナに限った話でもあるまい」
「そうだ! 二人だけではない! 冒険者どもは皆、多かれ少なかれ、戦うための技術を習得している。そして、彼らは企業組合には全く敬意を払わないどころか、ときに敵対的ですらありえる。企業組合は足下のダンジョンに、いつ暴れだすとも知れない無法者どもが溜まっているのを気に入っていない。これは我らを不安にしているのだ!」
「無茶苦茶な話に聞こえるぞ。冒険者なしでダンジョンをどうやって経営するのだ?」
「重要なのは、冒険者たちが企業組合に敵対してはならない、という話だ。そして、ギールとシャルナは最高の冒険者。冒険者たちの象徴。あの二人が企業組合に敵対しようと考えてはならんのだ!」
「おぬしが何を恐れているのであれ、杞憂だとは思うのだがな」
エレベーターボーイがエレベーターにしか興味がないように、あの二人は基本的にダンジョン以外に興味はあるまい。企業組合がどうこう騒いでも、煩わしがるだけだ。放っておけば、企業組合にとっては安全なはずなのだが。
「まあ、とにかく、企業組合は近いうちにダンジョン管理の改革に乗り出すつもりだ。おまえの力も大いに借りるつもりだぞ、エレベーターボーイ」
「改革か」
エレベーターボーイは不機嫌そうに吐き捨てた。
「冒険者たちはおまえたちがやることを喜ばんかもしれんな」
マスターは唇に薄く笑みを広げると言った。
「例え彼らが喜ばなくても、企業組合がダンジョンから十分に利益を回収することができれば私は満足なのだ」
「私からの手紙は読んでくれたね、エレベーターボーイ?」
ホロンは久々に姿を表したかと思うと、こう尋ねた。
「シーフである私は、いつ死んでもおかしくないほど敵が多いのさ。だから、旅先で思いついたアイディアはすぐさま書き記して、手紙として送る事にしているんだけどーー」
「かろうじて届いておったぞ。街の急成長のせいで郵便のみならず、数多の供給ラインがうまく機能しておらぬのだ」
「知ってるよ。私は国営の郵便なんてあてにしないさ。そいつを届けたのはフリーランスのクーリエ。国営の郵便は遅くて不確実な上に、常に検閲の可能性があるからね。そういえば、西方の都市でテレグラムとかいう何かが開発されたそうだけど、これが事態をいい方向へ向ける物なのかどうかは、まだ分からない」
ホロンは目を閉じて、海の向こうからの輸入品だとかいうおかしな茶を飲んでいる。エレベーターボーイの前にも器はあったが、用心深いこの男は手を付けない。
不用意におかしな物を食ったり飲んだりした後に、ダンジョンの闇の影響で腹の中の物が毒性を帯びたりしてはたまったものじゃない。真のダンジョンのエレベーターボーイはダンジョンの外でも油断をしないものだ。
「あれに書いてあった戯言は何だ?」
すでに原文は残っていない。蝋で書かれた文字は溶かして、紙は売り払ってしまった。街の、企業組合の勢力の及ばない闇市では、世間で出回るエスパルト草製の紙よりも上質なものなら一枚でもそれなりの値で売れるのだ。
しかし、文章はしっかりエレベーターボーイの脳に焼き付いている。
そこにあった単語は、エレベーターボーイギルド。
「エレベーターボーイギルドだ? 一体なんだそれは? 五百年前じゃあるまいし」
「エレベーターボーイという職業の特異性ゆえだよ。これからの時代、都市はさらに上へ下へと成長を続けるだろう。かといって、この中を馬や汽車で動き回るのにも限度がある。つまりは、エレベーターの黄金時代の到来というわけだ」
「本当の狙いは何だ? 何がおぬしの利益になる、こそ泥?」
「単なる善意から来る親切と言いたいところなんだけどね……」
ホロンは笑ったが、エレベータボーイがにこりともしないので、真顔に戻り、
「抑止力だよ」
「なんだそれは?」
「企業組合の力が大きくなりすぎている。今この国で、力を持っているのは王でも、貴族でも、国会でも、僧侶でもない。商人たちさ」
「莫迦を抜かすな」
「いや、エレベーターボーイ、ダンジョンに籠ってばかりいるあんたでももう感づいているはずだ。冒険者が見つけたダンジョンを、商人たちはいち早く商売道具にしてしまった。軍人は商人の利益のために戦ってるし、貴族の地位や爵位までもいまでは売り買いされてビジネスの一部となっている」
エレベーターボーイの見ている前で若いシーフは茶を口に運び、湯気がその顔をつかの間覆い隠した。
「奴らが全てを支配する前に私は奴らの弱点を探って抑止力としなくちゃいけないんだ。その点エレベーターというのは最適だ。エレベーターボーイ操作には高度な専門技術が必要な上、代用できる輸送方法は乏しい。都市の全てのエレベーターが止まれば、都市に巣食う商人はどれほどの損害を受けると思う?」
「なぜおぬしは商人を嫌う?」
この問いに対してホロンは短く一笑した。
「当然じゃないか、エレベーターボーイ? 私はシーフだ。泥棒だぞ。商人とは正反対の生き物なんだ。シーフは気に食わない奴から盗むし、好きな奴には贈り物をする。商人が年中やってる損得勘定なんて糞くらえだね。とにかく、私たちは黙って企業組合に駆逐されはしない」
彼はしかめ面のエレベーターボーイに笑って言って、立ち上がった。
「商人と私たちその敵対勢力が戦を始めた時、どちらにつくかはっきりと決めておくことだ、エレベーターボーイ」
ホロンはエレベーターボーイの部屋の入り口に敷いてある黒い絨毯に気付いてそれに魅入られたようだった。
「この家具、実にいいね。外国からの輸入品にはない闇の匂いがするよ」
「ダンジョン産家具第一号だ」
先日エレベーターで、はさまれてつぶされた64階層のモンスターの死骸だった。その黒い体毛はカラスの羽とも狼の毛とも異なった手触りで、触る者の背に不思議に冷たいものをはしらせた。
絨毯になったモンスターはとうの昔に死んでいるはずなのだが、なぜかその顎が急に閉じて、ホロンの足に噛み付き、彼の靴に穴をあけた。
ホロンの言葉ごときでエレベーターボーイはうろたえはしない。
シーフと商人の戦争だ? そんなものは冒険者とモンスターの争い同様、くだらなく聞こえた。
商人とシーフ、どちらが正しいのかなんて分かりはしない。商人達の、富を所有する事を目的とした経済は、人間性の一部に思えたし、それに縛られるのを嫌うシーフの生き方にもうなずける。
だからといって、戦争に参加する気になるものでもあるまい。
だが、ホロンの残したエレベーターボーイギルドという名前のみ、不思議にエレベーターボーイの心に残った。
都市の主要上水道の一つ。
ここも都市の他のあらゆる場所同様に拡張が求められる場所で、地底湖のように広い空間のそこかしこで松明の炎が灯り、石工が上水道の壁面に注意深く新たな石を積み上げている。ここに大量の物資を運んでくるには船、トロッコ、そしてエレベーターが不可欠で、当然エレベーターが動き回るための装備も充実していた。
エレベータボーイは通行量を払ってダンジョンの主シャフトから上水道へと自分の籠を入れた。籠は上水道の天井に敷かれたレールにぶら下がっていて、エレベーターボーイの両腕が、レールに沿って張られた鎖を引っ張って籠を前に進めている。
前方に他の籠が停まっていた。エレベーターボーイのものより小型で、だが、普通のエレベーターの籠にはない物々しさがある。壁面には銃眼までが開けられている、ダンジョンに属するエレベーターの物だ。
エレベーターボーイは自分の籠の速度を上手く調整したので、彼の鋼鉄の籠は羽毛が水面に浮かぶような静かさで、前方の籠に連結した。がらりと格子扉を開ける。
「やっほー、エレベーターボーイ」
前方の籠の主、D号ダンジョンの女エレベーターボーイ、エンチルが片手を上げて挨拶した。金髪を肩口で切りそろえ、ブルーマー姿の彼女は、エレベーターボーイという職業ならではの力強く、器用な四肢の持ち主だ。
彼女と会うのは、先日のギールとシャルナの92階層制覇の際の、騒がしかった祝祭以来だった。
彼女は規模は小さいが油断ならないダンジョンを受け持っていて、ミスの少なさに関しては冒険者からも評判が高い。また、彼女は籠を、シャフトの中で横に回転させるとかいう不思議な特技も持っているらしい。
エレベーターボーイという職業は孤独な職業だが、彼らはプロ同士の敬意をもってして互いに接触を保っていた。
彼女の籠の中には彼女の弟子と思しき二人の若者が背を丸めてボードゲームに熱中していた。
「D号ダンジョン産アブサン、一杯どう?」
そう言って彼女はなにやら黒い液体に満ちたグラスをエレベーターボーイに押し付ける。
「自家製か」
「もちろん。闇の味がきつ過ぎて外界の人間に飲める代物じゃないけどね」
「俺にとっても十分ひど過ぎる味なのだが」
少し口をつけてエレベーターボーイは言った。エンチルは笑う。
「貯蔵熟成したアルコールが安価に、大量に手に入った時代があったのは、今日の都市では想像するだに難しい」
エレベーターボーイはゆっくり戸棚にグラスを置いた。
「都市の異常成長を止めねばならんとは思わんか? さもなくば、いまの混乱が大した物とは思えぬ日が遠からずやってくるぞ」
「それは政治家とか企業組合の仕事じゃないかい?」
「連中は異常成長を止める気がなさそうだ」
「……何をたくらんでるのさ?」
エンチルの顔が鋭くなった。エレベーターボーイは奥の二人へ目をやり、声を低くした。
「エレベータボーイギルドなる組織の設立の案をまとめておる。このギルドという名前は少し問題ありげだが」
「同業者組合?」
「いや、エレベーターボーイの間の結束を目に見える形にしたようなものを考えておる。商人たちは、企業組合を含めて皆、横のつながりを持っておるが、俺たちエレベーターボーイにはそれがない。個々に雇われ、ダンジョンの中では命さえかけているのに、尊敬されることもない」
「確かに私たちの結束が提唱されたことはなかったわね。もしかしたら、面白いことになるかもしれない。でも、どうして、急にエレベーターボーイの職種全体の命運になんか興味を持ったの?」
エンチルが鋭く質問してきたのに対して、エレベーターボーイはかすかに笑みの残骸のようなものを顔に浮かべた。
「エレベーターボーイの職種全体の命運に興味を持っただけではない。俺たちが結託すれば企業組合をとめれうることに気付いただけの話だ」
エンチルの表情がこわばった。
「そして多少なりとも、俺たちは都市の進みすぎた時計を巻き戻すことができよう。商人の勢いを弱めて、労働者を以前のように家に帰して生活できるようにしてやれる。その後に、都市がより多くの人口に備えて正しい形に成長するのを待つのだ。今のままでは、都市はまったく秩序を見いだせぬ場所となろう。ダンジョンと同じだ。ただ、住んでいるのが人間であるということの他はな」
「なんとまあ……」
エンチルは額に手を当てた。
「企業組合に対抗しようと言うのかい」
「奴らの力は強大だが、俺達エレベーターボーイは奴らに真似できぬことをやっている」
「そりゃそうだけどね……ふう。まったく……相手があんたじゃなけりゃ、こんな危険な話題から耳塞いでさっさと自分のシャフトに戻るんだけど。ちょっと考えさせてよ……」
エンチルはエレベーターボーイから目をそらして、口の中で何かぶつぶつつぶやきはじめた。真面目に考える時の癖だろう。
エレベーターボーイはコップをとり、黒い液体に口をつけた。ダンジョンの闇が、ひどい味とともに喉の奥へ下りていくのを感じて、ひやりとした。なるほど、こいつは刺激的だ。
だが、やはりエレベーターボーイは多くは飲まない。
「あまり長々と考えている暇はないかもしれぬぞ、エンチル。俺の勘は近いうちに何かが起こると告げておる」
「分かってるさ。この話、他に誰に言うつもりだい?」
エレベーターボーイは何人かの、信用できそうな名を上げた。
そこに含まれているのはダンジョンを職場とするエレベーターボーイたちだけで、普通のエレベーターボーイの名はなかった。
「普通のエレベーターボーイどもがどれほど味方になってくれるかはいまいち分からぬ。連中は我々ダンジョンのエレベーターボーイに軽蔑と尊敬の念を奇妙に合わせ持っておる。だが、普段から命がけで仕事をしていない奴がどう動くものか」
「そうだね。だとしたら、彼らはあんたと企業組合の、旗色のいい方につくんじゃないかな?」
「かもな」
「でも、ダンジョンのエレベーターボーイたちは違う」
エンチルはエレベーターボーイの目を見て、
「あんたがギルドを旗揚げすりゃ、無条件に参加する奴は少なくないはずだよ。なんたってあんたは最高のエレベーターボーイだ」
彼女は鋭く笑いかけた。
エレベーターボーイは、ショックを感じた。
自分はそれほどの、伝説的な人間となりつつあるというのか?
たしかにエレベーター操作に関しては他のどんな奴にだって負ける気はないし、自分の受け持つダンジョンが最高のダンジョンだろうことも知っている。
だが、自分がエレベーターを操っているのは自分の幸せのためだし、エレベータ−ボーイと名乗っているのも、他に名乗るべき名がなかっただけの理由からだ。
エンチルはエレベーターボーイの混乱を見るのを楽しんでいるようだったが、急にその顔から感情をかき消し、低い声で言う。
「全てはあんた次第だよ、エレベーターボーイ。全てはあんたが上手く始めるかどうかで決まるんだ」
「分かっておる。事が始める前に俺が消えては話にならぬ」
「そして、忘れない事だ」
エンチルの声はダンジョンの物のように不吉に響く。
「エレベーターにはどうにもならない弱点があるって事を」
エレベーターボーイはうなずく。
忘れるものか。
話をする相手は慎重に選ばねばならなかった。
企業組合が大きな利益を上げるダンジョンの中、利用者の冒険者の足であるエレベーターボーイが企業組合からの独立をたくらむのだ。十分に足下が固まる前に、エレベーターボーイの間の秘密結束エレベーターボーイギルドが企業組合にばれるような事があってはならない。
エンチルの後には、魔王の顎ダンジョンのジードや、7号ダンジョンの黄色いカステラのようなエレベーターの籠に乗るクロウラルに話して、双方から好意的な返答を得た。事が起こった後には、彼らは多いに頼りになる事だろう。
そして、焦りはエレベーター操作のとき同様、禁物だ。
遠方の腕利きエレベーターボーイには、直接会って説得というわけにはいかない。ホロンの真似をして、信用できる急使を探さねばならなかった。
そんなときに、再びダンジョン・マスターがエレベーターボーイを呼び出してくる。
一体、今度は何だというのだ。
エレベーターボーイは忙しい人間であったし、企業組合に対する独立を考えている手前、マスターの前に出たくはなかった。
彼はエレベーターボーイの動作の微妙な差から、不審な空気を読み取ることなどできようか? 常人にはまず無理だ。だが、マスターはただ者ではあるまい。
それでも、だとしても逃げるのは、なおまずいような気がする。何も気取られないように用心するしかない。
エレベーターボーイは紙を手に入れ、ミミズのたくるような字の報告書と不機嫌そのものの顔を作り上げると、ダンジョンの真上の企業組合ビルのエレベーターに乗った。
眠そうな若い男が運転するエレベーターの籠の中、エレベーターは左右にゆっくりと目を走らせた。
質素な作りだ。
思うに、マスターはより高級の自分専用のエレベーターを持っているのだろう。だとしたら、そのシャフトはビルのどこにあるのだろう? エレベーターボーイはビルの間取りを頭に浮かべ、プロの分析力でもって、予測する。
その間に、エレベーターの籠は最上階へとたどり着く。
「見ろ、エレベーターボーイ! ここから街を見下ろしてみろ!」
ダンジョン・マスターは開口一番にそう言うと、いつものようにエレベーターボーイの肩を叩きながら、彼を巨大な窓へと導いた。
猥雑で、でこぼことした都市。人間の複雑さをそのまま表した、最近流行のわけわからぬ芸術作品にさえ思えてくる。深い場所から都市を感じているエレベーターボーイにとって、このような高い場所から都市を見下ろす事は滅多になかったが、この光景は視覚的な醜さとなって、エレベーターボーイの中に飛び込んでくる。
エレベーターボーイは隣にマスターがいることも忘れて、顔をひどくしかめてしまう。
だが、エレベーターボーイは地上では、大抵いつも、不機嫌そうな顔をしている。何も気取られる事はないはずだ。
「どうだ? この都市は醜いだろう?」
マスターはエレベーターボーイの心を読みでもしたかのように言う。
「この醜さ、複雑さにこそ意味があるのだ、エレベーターボーイ」
「なんだと?」
マスターは都市を撫でるかのように手を動かした。
「我々はどのように進化してきた? 神に作られたなどという嘘はもう十分だ。我々は混沌とした苦境の中を生き抜くために弱き種から、強き人類へと歩んできたのだ。ああ、そうだ! 複雑さにこそ意味があるのだ! おまえもそう思うな、エレベーターボーイ!」
「妙な戯言をやめろ、マスター! 用件は何だ?」
エレベーターボーイが強い声で尋ねると、詩人のように語っていたマスターは、エレベーターボーイの顔を覗き込んでくる。
「原因療法さ」
マスターは懐から紙切れを出した。
「これにはダンジョン冒険者として登録されているシーフ、ホロンからエレベーターボーイへあてた手紙で、エレベーターボーイギルドなるものを設立し、企業組合への依存をやめる事を勧めている」
「な……」
ホロンからの手紙? なぜここに?
マスターは申し分程度に薄い唇を歪めて、笑いを作った。
「驚いたかね? まだ世間に公開されていない新技術を使えば、消えた文字すら再生させる事ができるのだよ。陰謀に対する技術の勝利という奴だ」
エレベーターボーイは何もいえなかった。
「複雑さがどうとか言ったが、我々企業組合は所詮は商人の集まりだ。我々の目的はありとあらゆる富を手に入れ、そして、今持っている権益を守る事だ。幸いにして、法は我々の味方だ。企業組合に敵対する動きを見つけるための努力は惜しまないし、今回は闇市に光らせておいた私の目が、興味深いものを見つけたというわけだ。そして、我々は、我々にとっての、不利益となる、エレベーターボーイの、結束などというものを、許すわけにはいかんのだ!」
マスターは一言ずつ、区切るようにして言葉を吐いた。エレベーターボーイの肩に置かれた手の力は強まり、指が肌に食い込んでくる痛みを感じる。
同時に、マスターの部屋の外、数人の剣士が待機していて、マスターが一声命じれば、エレベーターボーイを切り刻みに入ってくるだろう事も分かった。
「状況を理解したな?」
隣のマスターは笑みに残忍さを加え、そして、ゆっくりと扉の方を向いて、口を開いた。
エレベーターボーイは深々と息をつく。
そして、
「俺じゃない……」
「ん?」
「……マスターよ、なぜその手紙が俺と関係あると思った? この街にエレベーターボーイなどいくらでもいるではないか」
しらばっくれるのが時間を稼ぐ役に立つかどうかは分からなかった。
「エレベーターボーイと名乗っているエレベーターボーイはおまえだけだ」
「くだらん。何の証拠にもなっておらぬぞ」
マスターの顔から笑みが引き下がり、その目が刃のように光る。
エレベータボーイはこのその場しのぎが上手くいった事を直感した。
企業組合は手紙は手に入れたが、エレベーターボーイが手紙を売った事までは確認できなかったのだ。
「嘘を弄するなよ、エレベーターボーイ。ホロンがおまえの知り合いだという事ぐらい分かっているんだ」
マスターはエレベーターボーイの嘘を見つけ出そうとしている。
心の動揺を探り出そうと、マスターの手が自分の中にまで入ってくるような錯覚さえした。
だが、無駄だ。
ちょっとした油断が死を招くエレベーター操作。それが求めるのは強固な精神だ。エレベーターボーイのエレベーターの籠がダンジョンで生き抜くために改造されていったのと同様の作用が、エレベーターボーイ本人にまで及んでいるのだ。
「知り合いでおかしくなかろう。俺は最高のエレベーターボーイだし、ここは最高のダンジョンだ。常連にならんとする冒険者はつきぬのだ」
マスターはなおも睨みつけてきたが、エレベーターボーイは屈しなかった。
俺に参ったと言わせるのは、バケツでダンジョンを水没させようというのと同じく、簡単な事ではないぞ、と腹の内で思いながら、エレベーターボーイは仏頂面を返した。
マスターはエレベーターボーイがなんの動揺も見せない事を知る。
「そうか……そうだな。おまえが我々企業組合を裏切るはずないよな。疑ったりして済まなかった」
マスターは友好的な笑みを作り、猫撫で声で言った。
「かまわぬよ」
「シーフのホロンが捕まれば事態は収まるのだし、そうすれば、不自然な騒動を考えるエレベーターボーイもおとなしくなるに違いない」
「だろうな」
エレベーターボーイはマスターの手を払いのけ、持ってきた書類をマスターの机に放った。
「もう帰ってよいな。まだ俺のエレベーターの籠の調整が済んでおらぬのだ」
「ああ、そうしてくれたまえ。今日も大勢の冒険者がやってくるだろう。そして、92階層を制覇したギールとシャルナの二人組もダンジョンに来るそうだ」
「なんだと?」
マスターは猫撫で声を、つぶやき程度の声音に落とした。
「95階層でも、100階層でもどこでもいいが、二人が行きたい階層に連れて行ってやれ。そして二人を拾いにいくな。言ってる意味が分かるな?」
エレベーターボーイの目ははっきりと血走った。
「俺に人殺しをしろと言うのか?」
「二人は企業組合にとって有害だ。二人はダンジョンに下りていき、二度と上がってこない。それだけだ。何も不自然なことではない。実に冒険者らしいあっさりとした最期だろう? エレベーターボーイ、おまえは企業組合の味方だよな?」
エレベーターボーイは歯を食いしばり、何も返事をしない。ただ、ゆっくりと踵を返して、扉へと向かう。
「ああ、そうだ。エレベーターボーイ、おまえが我々を裏切るはずがないんだ。こんなに今まで我々につくして、ダンジョン産業をもり立ててくれたんだ。そして、裏切れるはずもないんだ。我々なしでおまえのエレベーターは満足に動かないのだからな」
エレベーターボーイは扉を抜けて、マスターの部屋をあとにした。
廊下に人影はなかった。
ダンジョン・マスターは正しい。
企業組合の助けなしでエレベーターは動かない。エレベーターを完璧に操れるのがエレベーターボーイだけにしても、エレベーターを動かすのには大勢の労働者、熱水機関、燃料と実に多くのものが必要だ。それら抜きだと、エレベーターの籠は重力の助けで下に下りることはできても、上へ上がることはできない、一方向的な代物と化してしまう。そんなものはもうエレベーターと呼べなかった。
エレベーターボーイは自室で低くうなった。
俺はエレベーターが完璧に作動しているときが幸せだったのに。日常は自分の技術の届かない面からの干渉で崩れようとしていた。
マスターが自分を生かして帰したのは、自分が最高のエレベーターボーイで、企業組合の利益をもたらすからだ。だが、ホロンが捕まるなり、エレベーターギルドに関するなにかが露呈すれば、それまでだ。
企業組合が自分を殺すのには短刀さえ必要ない。ダンジョンの深みに籠があるときに、熱水機関を止められてしまえば、もうダンジョンの闇の中で朽ち果てる他なくなる。
どんな人間とて垂直の主シャフトを登ってくるだなんて芸当はできないだろう。
そして、ギールとシャルナの殺害の命令。マスターの意図は読めた。
企業組合がエレベーターボーイを殺せば、二人はこのダンジョンへの興味をよそに移して、企業組合の手の届かない所へ去ってしまうかもしれない。その前に確実に二人を葬ってしまおうというのだ。
エレベーターボーイは、エレベーターの籠の床が抜けて、自分が奈落の底へ堕ちていく気分を感じていた。
冒険者とモンスターの戦いに関わらずにいれたように、商人とシーフの戦いにも近づけずに入れると思っていた。だが、問題はあちらから勝手に迫ってきてしまった。
そして、自分のエレベーターの客の命を奪えと命じられている。
全てを捨てて逃げ出すという考えは、現実味を持たなく感じた。このエレベーターを捨てて、どこへ逃げようというのだ? それをすれば、企業組合に殺されるよりも惨めな事になるに違い。
エレベーターボーイの選ぶことのできる選択肢は少なかった。
しばらくすると、ボンダーがダンジョンにやって来た。
エレベーターの籠はダンジョンの7階層に停まり、二人の男が薄明かりの下、七輪を囲んでタマネギを焼いている。
「無愛想なおまえから食事の招待とは、珍しい事だな」
ボンダーはそう言って、タマネギを剥く。
エレベーターボーイの口数は少なかった。
「しかし、このダンジョン産タマネギの味にも飽きてきたぞ。豆は育つのにまだ時間はかかるだろうし。まったく、この街はわしを飢え死にさせるつもりか!? 店屋の棚は十日も前から空のままだぞ! ウオオオ!」
ボンダーは怒る。
だが、エレベーターボーイは暗い声でぼそりと、
「俺が死んだあとは、いかような者がこのダンジョンを任せられるのだろうな?」
「なんだと!?」
大男の怒りは消し飛んだ。
「並のエレベーターボーイに百の階層は無理だ。だとすると、挑戦者の少ない階層は閉鎖されていくのだろうよ……」
「おいおい、何を言ってるんだ! おまえほどのエレベーターボーイが簡単に死んでたまるか! 死ぬ事は許さんぞ! わしがいつか100階層を制覇するときに、そこまで下ろしてくれるのは誰だと思ってるんだ!」
大男は騒ぎ、籠が揺れた。
ボンダーが勝手にライバルと決めている、ギールとシャルナがダンジョンから帰ってこなければ、この男はどう反応するだろうか。エレベーターボーイは想像した。ライバルを消えた事を喜ぶよりも、二人が唐突に消えた事に対する怒りで、全体力を使ってしまうのだろう。彼はそういう男だ。
「おまえは疲れているのだ、エレベーターボーイ。少し休暇をいれてみろ。今日の午後には東方の帝国から来ていた交易船団が帰国のために出港するらしい。きっと見物だぞ。行って見てくりゃいい」
「東方の帝国からの交易船団?」
「そうだ。だが、わしには遊んでいる暇などない! 一刻も早くレベルを上げねば! 100階層を最初に制覇するのはギールでもシャルナでも他の誰かでもない! このわしだ! ウオオオ!」
ボンダーは興奮して長斧を振り回した。
エレベーターボーイはそれを無視して、七輪の火を見つめた。一分ほども難しい顔をしていただろうか。
やがて、顔を上げた。
「ボンダー、おぬし向きの階層があるぞ。ダンジョン産農作物と、手強いモンスター双方がそろった階層だ」
港では五十隻もの朱塗りの木造ジャンクが出港準備の最終チェックを終えようとしていた。
船のマストの頂きではためくのは帝国の旗印。威風堂々たる船団を見て、人々が目を丸くするのがよく分かる。ケラルムがにっと笑みを浮かべた。
旗船からシフィエラが桟橋へと下りてくる。
「出港準備完了ですね、ケラルム先輩」
「十全だ、シフィエラ。なんなら、今からケラルム船団長と呼んでくれてもいい」
ケラルムは港の向こう、都市の方へと目をやった。都市は自ら産み出す排煙の幕に包まれてぼやけ、なにかこの世には実在しない物のように見える。
「……興味深い国だった。不思議な事と理不尽な事に満ちてもいたが、それでも、機会あればまたいつか来てみたい国だ。この国がこれからどう変わっていくかにも興味がある」
「私たちがこの国で手に入れた知識の数々や品々に、陛下もお喜びになるでしょうね」
「ああ、間違いない。全てがうまくいったわけではないが、それでも得た収穫は莫大だ」
ケラルムとシフィエラは都市に背を向けると、帰路につくための航海へと歩き出す。ケラルムがジャンクへの渡し板に足をかけた。
「おぬしらのダンジョン探索も完全なものにしておかぬか?」
突然低い声が地の底か、海の底から響いてきて、二人の肝がでんぐり返った。
埠頭の地面の一部がもりもりと盛り上がる。その下から現れたのは二人が乗ったことのあるエレベーターの籠だった。
「ダンジョンのエレベーターボーイ!」
「港のエレベーターボーイどもはずいぶん高い通行量を求めおったわ」
エレベーターボーイは陽光と水面の輝きに顔をしかめながら、樽を一つ、籠から担ぎだした。籠の中には同様の樽がいくつも並んでいる。
二人が駆け寄ってくると、エレベーターボーイは樽の蓋を開けてみせた。
「これは……一体なんだ?」
「おぬしらが64階層に植えたトマトだのキュウリだのに決まっとろう」
樽は珍妙な物体であふれていた。
黒い螺旋形キュウリ、車輪形トマト、無数の触手を生やしたセロリ、あるいはそれより奇抜な外見で、上手く言葉に表す事もできないだろう数々。
「ダンジョンの闇はこれらに歪んだ成長をもたらしたようだ。その形に法則性は見られぬ」
「わざわざ採ってきてくれたのか?」
「俺のダンジョンにやたらと野菜が増えるのも困るのでな」
シフィエラが野菜の一つを取り出し、匂いを嗅いで、おそるおそるかじってみる。直後にひどく咳き込んで、地面に手をついた。
「ダンジョン産タマネギを日常的に食べている男は、それを気に入っておったがな」
エレベーターボーイは言った。ケラルムは樽の中の不気味な野菜類を眺め、
「……シフィエラ、どうする? 持って帰るべきだと思うか?」
シフィエラは目を輝かせて、元気よく身を起こした。
「当然ですね、先輩! これほどユニークな突然変異体! これらをいま私たちが食べている物とかけ合わせることができれば、より多様な品種が手に入ります。品種の多さは冷害や虫害に対する、生存力に直結しますからね」
ケラルムは肩をすくめた。
「分かったよ。これが我が国を度々襲う大飢饉と、それに伴う大量死を止める役に立ってくれればいいのだがな。全部もらっていこう。いくら払えばいい?」
エレベーターボーイは首を振った。
「金貨はいらぬよ。代わりにゆずってほしい物がある」
ダンジョンの主シャフトをエレベーターの籠はゆっくりと下っていく。
だが、それでもエレベーターボーイの目は真剣そのものだった。籠の位置がどこであれ、スピードがどうであれ、籠が動いている限り決して気を抜くことはない。
客は二人。
最高の冒険者、ギールとシャルナだった。
エレベーターボーイは籠を10階層にゆっくりと停める。そして、二人の客の方を向いた。
ダンジョンという世界のどの環境とも異質な戦場をくぐり抜けてきた二人組。だが、彼らとて、エレベーターボーイがエレベーターで拾いに来なければ、ダンジョンの奥底で朽ち果てる羽目になる。
結局、このダンジョンで人間が行きていくのに必要なのは信頼だった。それさえあれば、個々の技能の限界は補え合えよう。
いや、これはダンジョンの中だけに限った話ではないかもしれない。
企業組合はこの点を軽んじるべきではなかったのだ。
「さて、これからやるのは俺とてまだ試したことのない技だ。上手くいくかどうかは、分からぬが、かまわぬな?」
エレベーターはそう言った。
ブレーキをかけ、ケーブルを切断した。これでエレベーターに対する熱水機関の支配もなくなった。
「刺激的なことは大歓迎さ」
シャルナが答えた。ギールも隣でうなずく。
よかろう。
エレベーターボーイは床にひかれたロープを手に取った。
ダンジョンのモンスターのように、激しく、容赦なく、慈悲もなき一撃が必要なのだ。
エレベーターボーイはロープを力一杯引いた。
エレベーターの籠の下に設置されていたのはケラルムから入手した、数個のインフェルノという爆薬だった。それが一斉に起爆する。
64階層でエレベーターの籠をひどく揺さぶったのと同じ衝撃波が生まれたが、今回、その力はエレベーターの床にもろにぶつかり、それを押し上げる。二人の冒険者のみならず、思わずエレベータ−ボーイも息をこらえた。
ケーブルの最大巻き上げの力を軽く凌駕する、爆発の力。
エレベーターボーイは脊髄を圧縮される痛みに貫かれ、さらに体の中の血が足まで押し下げられるのを感じる。
俺のエレベーターがこれほどの力をまとおうとは!
激しい苦痛、経験したことのない上昇の中でさえ、エレベーターボーイの腕にいささかの衰えもない。籠はダンジョンの主シャフトから横穴の一つに飛び込み、さらにそこのシャフトも駆け上った。エレベーターボーイが目指したのは、企業組合のビルのエレベーターシャフトだ。
シャフトには門もなければ、門番もいない。必要ないからだ。
垂直のシャフトをよじ上れる者などいないし、許された籠以外は、ケーブルを巻き上げてもらえない。
不法に他人のビルに侵入できる者がいるとすれば……それは自力でシャフトを駆け上れるエレベーターの籠を持つ者だけだった。
エレベーターボーイの籠の上昇のスピードはなおも落ちない。シャフトを塞ぐ形で、企業組合のエレベーターの籠が停まっていた。だが、格が違う。エレベーターボーイの籠がぶつかると、それは簡単に弾き飛ばされ、粉々になってしまう。
エレベーターボーイは目的とする高度を知っていた。ブレーキが叫び、籠が急停止する。
企業組合のビル最上階、ダンジョン・マスターの階だ。
格子扉ががらりと開いた。
驚いた顔を浮かべて警備員が飛んでくる。だが、逆に二つの影が彼らに飛びかかった。
「敵襲だ!」
「馬鹿な! ありえん!」
悲鳴を聞きつけ、さらに多くの警備員が集まってくるが、すでに部屋は修羅場となりつつあった。
このビルにおよそ似合わぬ見た目の鎧姿二人が、大暴れしている。しかも、その動きは信じがたいほど能率的だ。
警備員は文字通り片端から倒され、死体が床を埋め始める。
「ええい、射倒してしまえい!」
警備員が叫び、奥から火筒やクロスボウを構えて飛び出してきた。
だが、引き金を引く暇さえ与えられない。シャルナの投げた曲刀がうなりを上げて襲いかかった。血を吹きながら射手がばたばたと倒れる中、曲刀は意思を持つかのように持ち主の手の中に戻っていく。
ギールの大剣はより恐ろしかった。ぶんぶん振り回されるのではない。残像を残すスピードですらない。まったく目視が不可能な速さだった。
大剣が振られると、空気すら両断された。斬られた警備員は血まみれの肉塊になって壁や天井に叩き付けられる。
これが最高のダンジョンの92階層制覇の腕だった。
警備員たちは潮がひくように後退した。
「んーー手応えないねえ。ダンジョンの真上に住んでいるのだから、もっと楽しませてくれると思ったのに」
シャルナが曲刀を逆手に持ち替えなが言う。
「仕方ないだろう。まともな人間はあんな暗くて怖い場所には下りて行きはしない。……行くのはなかば正気を失った我々のような人種だけさ」
ギールが言いながら、斬り掛かってきた警備員の切っ先を受け流し、擬攻を仕掛けて相手の防備を崩すと、直後に敵の首を切り落とした。
「……代わりにダンジョンは我々を強くしたが」
ギールは返り血を拭いながら言った。
警備員に魔術師が混じっているようで、呪文を高らかに詠唱する声が人垣の向こうから聞こえた。
シャルナはふっと一笑すると、掌から火球を放った。詠唱もなしでの魔法だ。
炎の壁が警備員詰所を吹き飛ばす。
ギールがダンジョン・マスターの部屋の扉を蹴り開けた。マスターが、彼の執務机から立ち上がった。
「企業組合のダンジョン・マスター。おまえに似合いの死を届けにきたぞ」
ギールは小声ながら、遠くまで聞こえる氷のような声を発した。マスターは、激怒の怒鳴り声を上げると、雷のように身をひるがえし、彼の部屋の反対側の扉から姿を消した。
思わずギールも驚く、見事な逃げっぷりだ。
その素早さはモンスターに追われ、ダンジョンから逃げる冒険者に勝るものがある。
ギールとシャルナは新たに沸き出してきた警備員を相手にせねばならなかった。
マスターは怒り狂いながらも、しっかりした作りの自分のエレベーターに飛び込んだ。そのエレベーターのエレベーターボーイはこの騒動にも関わらず、うずくまって籠の骨格を工具で調整していた。
「早く出せ!」
マスタ−の服は乱れ、手には廊下の壁に飾ってあった長剣をひっつかんでいる。その顔にダンジョンの持ち主の落ち着きは見えない。
「企業組合の傭兵集合地へやるんだ! あの二人を、生かしてこのビルから出しはしないぞ」
籠は急降下を始め、マスターは満足した。
いくら一流の冒険者といえども、荒事に慣れた企業組合の傭兵を前にすれば、長くは生きられまい。これまでの、企業組合の敵対者と同じ運命をたどることになるのだ。
「おぬしのエレベーターはこんなものか」
エレベーターを操っていた男がゆっくりと振り向いた。マスターはわっと叫んだ。
ダンジョンのエレベーターボーイだった。その細いが、硬い身体を制御装置にもたせかけている。傷だらけの顔に、敵意の混じった仏頂面を浮かべているが、その顔はエレベーターの暗い籠の中では、底知れぬ力を秘めているように感じる。
「悪くない作りだが、商人のおぬしらしい構造だ。まっこと、エレベーターの形は持ち主を表すものよ」
「そうか、貴様の仕業か、あの二人を私の階に導いたのも。一体どうやった?」
「なに、大したことではない」
エレベーターボーイは小刻みにハンドルを回し、籠は落下のスピードを増していく。
「異質のジャンルが融合して奇抜なアイディアが生まれたに過ぎぬよ。火薬で弾丸を飛ばすより、エレベ−ターの籠を放り上げる方が平和的とも思わぬか?」
「貴様は大した男だ。貴様のような男を失うのが、どれほど企業組合の損失となるのか分かるか?」
「どうだかな」
エレベーターボーイは喉の奥で笑った。
籠は一瞬、落下のベクトルを変え、そして異なる空気の層に飛び込んだ。
「ここは、ダンジョンのシャフトだ。己のダンジョンに初めて入って、どんな気持ちだ、マスター?」
マスターは目を血走らせて、手に持っていた長剣をゆっくりと鞘から抜いた。
「貴様の護身用の武器が見えんな、エレベーターボーイ?」
「なぜ、そんなものが必要なのだ? 刃物というのはエレベーターボーイの仕事の道具ではないぞ」
「だとすれば、貴様はその考えの甘さを改める必要がありそうだな。今すぐエレベーターを止めろ」
急降下の凄まじい風圧にも関わらず、マスターは長剣を構えた。放つ殺気は血に飢えた冒険者の物のように鋭い。
エレベーターボーイは舌を巻く。
商人にしてこれほどの闘気とは。マスターもまったく、大した男だ。
「俺を斬り殺せば、エレベーターは停まらぬぞ」
「どうかな? 私はダンジョン・マスター。ダンジョンのことに関しては、全てのことを多少なりとも知っている。エレベーターの操作でさえ、例外ではないぞ」
「ダンジョンに入りもせず、上でふんぞり返っていただけなのに、ようほざく」
エレベーターボーイは計器をちらりと見た。
「最後に言っておくと、俺が乗客を殺すのは、後にも先にもこれ一回きり。殺すのもおぬし一人だ。さらばだ、マスター」
「うおお!」
マスターは怒号を発し、斬り掛かってきた。
エレベーターボーイは、素早くレバーの一つを倒した。マスターがこの籠に乗ってくるまでに、籠の骨格の結合部を絶妙な具合に弱めておいた。それが、この衝撃で震え、弾け飛ぶのだ。
床が無くなった。
斬り掛かってきたマスターはそのままの姿勢で落ちていく。奈落の底目がけ、怒声を引きずりながら、たちまち見えなくなった。
エレベーターボーイは制御機器にぶら下がっていたが、数秒後にマスターと同じ道をたどった。骨格が砕けた籠はもう単一の乗り物として存在できず、数多の金属片となって、ばらばらとシャフトを落下しはじめた。
エレベーターボーイの隣を、籠の天井板や、梁、無数の歯車やバネ、ワイヤーが追い抜いていく。エレベータボーイにとって自由落下はなじみ深い物だったが、自分を包む籠がないことが、彼をなによりも不安にさせた。
エレベーターは彼なしでは動かない。
それゆえにエレベーターはエレベーターボーイは見捨てないはずだった。
恐ろしい落下の風圧に、エレベーターボーイの目蓋や唇はめくれあがり、服が体を締め付けた。
いよいよ暗さはその深みを増し、彼の体は大地の奥底でうめきを発する地獄へと到達するかと思われる。
その寸前、エレベーターボーイは耳に親しんだ、金属の悲鳴を聞いた。エレベーターボーイは努力して、どうにか笑顔らしき物を顔に浮かべる。
手を上へと伸ばすと、自分を追うように急降下してくる金属の塊に触れた。
彼のエレベーターの籠だった。
エレベーターボーイは息を詰め、腕の力だけで籠の壁面まで這っていき、格子扉を開けて、自分の籠に自分の身を収めた。ブレーキの音がダンジョンの空気をつんざいた。
籠は停止したが、それからしばらくエレベーターボーイは肩で息をしていた。高度計に目をやると、まさに望んだ通りの位置だった。
マスターの階にギールとシャルナが斬り込んだ後、エレベーターボーイは自分の籠に複雑な操作を行った。それにより、彼の籠は最初はゆっくりと、だが、ダンジョンのシャフトに入った後は徐々に落下のスピードを上げるように命じられ、無人でマスターの階を離れていった。
エレベーターボーイはそれからマスターのエレベーターを探した。あのマスターに勝つには彼を自分の土俵に連れ込むしかなかった。ギールとシャルナの大暴れのおかげで、エレベーターボーイは誰にも見とがめられずにマスターのエレベータを見つけ、工作を行うことができた。
すべては絶妙なタイミングが可能とした成功だった。
だが、まだ終わりではない。エレベーターボーイは籠の中に積まれたクーラーボックスから、急いで新たなインフェルノの壷をいくつかとった。これを籠に装備して、再びマスターの階に上がり、ギールとシャルナを拾ってこなければならない。
エレベーターが遅れたために冒険者が死ぬようなことがあってはならない。断じて、あってはならないのだ。
事件の真相が明るみに出ることはないだろう。
ダンジョン・マスターは難攻不落であるはずの自分の階から忽然と消え、彼の階の警備員は全滅していた。これほど奇怪な事件は現代であっても希なはずだ。
街では、ついにダンジョンのモンスターがシャフトをよじ上る方法を見つけ、人の世界を制圧する手始めとしてマスターを消滅させたか、誘拐したのだろう、などといった仮説が飛び回り、大衆紙も好き勝手なことを書いた。
そして、企業組合の追及の手は伸びてこなかった。
マスターが消えたすぐ後に、商人の敵は戦いを始めた。混乱は増し、死人も増えていった。シーフやその味方は自分たちを『解放者』と名付け、その実体は明らかになっていなかった。噂によると、解放者の掠奪船が企業組合の商船団を壊滅させたとのことだが、なんにせよ、企業組合はその対処に追われ、ダンジョンにかまってなどいられなくなった。
マスターの地位を引き継いだ者は、ダンジョンを今まで通り運営することを目的とし、冒険者やエレベーターボーイの前に姿を現しさえしなかった。
解放者たちの中のホロンが、企業組合の疑いの目をエレベーターボーイからそらすために活動を行ったのなら、それは功を奏したことになるし、おそらくはしたのだろう。ホロンの不手際に対する償いか、それとも、それさえもホロンのプランの一部で、マスターという企業組合の一角を崩すための道具としてエレベーターボーイを使ったのか。
これも明らかにはならないだろうことだった。
エレベーターギルド設立が近づくにつれ、多忙になることは分かっている。だが、それでもエレベーターボーイは可能な限り、彼のエレベーターに冒険者を乗せてシャフトを駆け下りていくことだろう。
ダンジョンの底を目指して。
空気という空気が陰をうちに込め、ざらつく床の敷石には千年にも渡る、捨てられたあらゆるものが積もって山をなし、恨めしげにすすり泣いているようにさえ見えた。所々で燃える火も見えようが、それも悪意の燃えるような黒い炎。
この広い会堂の奥底からの正体の知れぬ轟音が途切れることはまずなく、瘡蓋のような石に覆われた壁も常に細かく震えていた。
だが、轟音が世界を振るわすには、この場所は世界からあまりに遠く離れていた。
やがて、暗闇の中に積もった汚らわしい山が崩れた。そこからよろめきつつ歩み出たのは幽鬼に見える人間。そう見えても、なんらおかしくないほど、その男は今にも死なんとしている外見だった。
朽ちた襤褸のような体を引きずり、しかし、それも三歩となし得ず、男は立ちこめる闇の中、ひざまずくかのように崩れた。男の、骸骨のようになった手が伸ばされた先には、耐え難いほど威圧的な、100という数字が描かれていた。
男はその強大な存在から逃れようと、傍らに立つ石碑へと這い寄り、後ろに隠れようとする。
その石碑の上にあるのは、エレベーター呼び出しボタン。
それを見ると、男はその身から判別するには、信じがたい力を呼び覚まし、自力で立ち上がると、どうにかして腰から剣の残骸を引き抜いた。
石碑へと剣の狙いを定める。
男が喉から大音声を発した。
それが怒りの一声だったのか、嫋々とした悲痛の声だったのか、世が知ることはかなわない。
ダンジョンの無限の、複雑な胸楼を登る間に、声はねじ曲げられ、そして消えていった。
そして、100階層のモンスターたちはゆっくりと目蓋を開いた。
2007 Neither low
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■あとがき!■
お読みいただきありがとうございます。
冒険者がダンジョンに攻め入る物語にも飽きたので、彼らをダンジョンへと運ぶ仕事の人を書いてみました。
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