水晶盤のゲーム
(2)








 樺太の地の底には、建造以来一度も光を浴びていない機械が埋まっているのだろう。
 それは六百年以上の昔に、当時の天才達によって想像され、決戦の時にそなえ極秘に地底へと隠されたのに違いない。
 瑣末を今の時代の人間が知ることはできない。
 忘れ去られた事柄だ。
 アメフも、表面的な歴史学で、その時代に関する単語をいくつか知っているに過ぎなかった。

 そして今、それを使って巨大な脅威を取り除こうとしている。まったく信じがたいことだ。
 彼らに使役される巨大な化け物が、この荒れた世界を縦横無尽に駆けた。
 盤上の日本軍の数は半分に減った。奴等がこれほども損害を出したのは久方ぶりだろう。
 解放派は無傷だ。
 ソウはなぜか秘密基地に貯蔵されていたペルシアの鋭い匂いを放つお茶をすすっているし、二人とも日本軍を狩るのに、指を動かす以上の努力はしていない。
 この水晶盤は樺太の外で機能するのだろうか? もしそうなら、事態は大きくなる。
 解放派は、いつでも好きなときに化け物の軍勢を用意できる。ソウの台詞通り、日本は列強の大国よりも、解放派を恐れる日がやってくるのだ。
 ……まあ、それは日本本土へ水晶盤を運び込んでみないことには分からないことだ。
 昨日までは漁船を奪ってこの島から逃げだす方法ばかり考えていたのに、いまや極東の好戦的国家を倒す算段を頭の中で巡らせている。アメフは皮肉っぽく笑みを浮かべ、あご髭をつねった。
 おかしなことになったものだ。
 だが、これはこれで面白い。
 ソウはアメフの方を見もせず彼の駒を進めていた。




 撃ちまくれ!
 兵士達の口が異口同音にそう発音する。だが、あまりの騒音のため声は通らない。
 一斉に鉄砲が火を吹き、化け物の体に鉛弾が食い込んだ。
 重機関銃はライフルよりも重たい音をがなる。
 化け物の体液が木や岩へと降り注いだ。
 だが、そのルークはひるむそぶりも見せないで突進を続ける。明らかにこの化け物に痛覚は無いようで、その動きは機械のようだ。ルークが長さ一メートルもの爪を六本振り回すと、兵士の首が飛び、瞬く間に死体の山ができた。
 そこへさらなる銃弾の雨が降り注ぐ。だが、ルークは跳躍し、機関銃座の兵士の体を土嚢ごと串刺しにする。
 そのとき、空気の弾ける鋭い音がした。白煙をまとった弾丸が飛来する。歩兵携帯式無反動砲から放たれた炎の使者だった。
 戦車の装甲を破って内部の人間を殺傷すべく考案されたこれはシンプルな作りながら強力な武器だ。
 オレンジ色の炎が膨らんだ。ルークの上半身が黒い炭となり四散する。節のある細長い脚がゆっくりと傾き、地面に倒れた。
 生き残った兵士が塹壕の中から歓声を上げながら出てくる。化け物の死骸を囲んで、それを蹴飛ばした。




 アメフは自分の駒が砕けるのを見ていた。
「残念だったな。それは捨て駒だ」
「いい手だ」
 ソウが評価した。勝ち戦の最終局面へと至る場面で、つまり勝負の流れが完全に自分の側にある時、敵の崩壊の順序が鮮やかに先読みできる時がある。
 今がその時だった。アメフは罠の仕掛けバネをはね上げた。

■  


 森が考えられないような力で真っ二つに裂かれ、異様な姿が躍り出た。
 四本の脚を複雑なパターンで動かすビショップだ。
 ひるむあまり呆然とする兵士達に雷のように襲いかかった。
 殺戮は一瞬だ。




「あれは発掘屋の仕業か? あるいは傭兵?」
 カマクラ将軍は望遠鏡をおろした。窓の向こうの戦況は悲惨だ。日本軍は激しく抵抗しているが、化け物の進撃のスピードは鈍りもしない。
「どちらでもいいことか……さして変わらん。奴等が操っている化け物の正体が問題だが……」
「ホデラ大佐の部隊はもう駄目ですね。あの豪胆な軍勢は銃弾の代わりに悲鳴をばらまきながら逃げ散りました」
 イズキ中佐が言った。
「わしが陣頭に立つ時がまた来ようとはな。半島戦争以来だ。何が起こるとも分からぬ時代になったものだ」
 いまやカマクラ将軍は樺太の広大な地図は見ずに、木製の素朴な作りのボードゲームを置いて、自軍と化け物の戦場を作り上げていた。
「こっちの方が今の戦場を表すのには適しておる」
「なるほど。ですが、すでに戦線はズタズタです。時期を逸したようですな」
「それならイズキ中佐、皆に武装させろ。ここが最後の砦となろう」
 カマクラ将軍は碁石をとって盤面へと打った。
「敵の動きはわしに何かを思い出させようとしているようだ。あの化け物ども……あの動き……」
 カマクラ将軍の独白は尻すぼみに消えていった。
「努力すれば、きっと思い出されるでしょう」
 イズキ中佐が言った。




 ソウが、駒の頭部を回せば、それはとれるということに気付いた。ネジになっているのだ。
 首をひねりながら、アメフはとってみろと言った。
 ポーンの頭部が無くなり、ぽっかりと黒い穴が空いた。
 そしてそこからは戦場の音が流れてきた。銃撃の音、悲鳴、怒声、爆音。そしてこのポーンの走る、足音。
「本物の戦場の音か?」
「ああ。たぶんな。聞き慣れた音だ」
 アメフが低い声で言った。
 今まで戦争を行っていたことを完全に忘れていた。
 だが、結局はいつもと同じ殺し合いが続いている。アメフの代わりに化け物の代理人が戦場に立って、敵と殺し合っていること以外、客観的には何の変化も無い。
 ソウの言う古代兵器も、産み出す結果は同じだとアメフは悟った。
 冷水をぶっかけられたように興ざめだった。ソウの顔も衝撃に引きつっているように見えた。
「どうしてこんな機能が?」
「通信用だろう。こういうものがあることは予想していた。前線と後方の水晶盤の指し手の間にこういうものが無いといろいろ不便だからな」
 ソウは驚きから回復し、唇をつり上げて笑った。ポーンの頭を戻して、騒音を閉め出した。
「いろいろ使い道がありそうな機能じゃないか。さすがは水晶盤だ」
 ソウはそう言うと、老人のように背中を丸めて駒を進めた。
 アメフの方が多くの日本軍の駒を壊していたが、ソウの方はカマクラ将軍の本陣へ攻め込む準備を整え終えている。
 まだ勝者は分からない。
 アメフは気合を入れ直し、ゲームに専念しなければならなかった。
 この戦いでアメフがソウに勝利することには意味があるように思えた。たとえ、これがゲームに過ぎないとしても、だ。
 後日、再結成するであろう樺太解放派での、アメフの発言力を強めてくれるに違いない。




「サキカワ大佐の部隊もほぼ総崩れです。大泊の外縁守備隊は原型をとどめていません」
 イズキ中佐は相変わらず、あらゆるものに対する興味を欠落したかのような声で報告をした。
「海軍に、撤退の支援の要請をしますか?」
「ふん。時間の無駄だ」
 カマクラ将軍がうなるように言った。その言葉は強がりとも、絶望からきた無意味な言葉とも受け取れた。イズキ中佐は死にかけた軍を再編するべく出て行く。
「わしの手銃を持て。カマクラ将軍自らが敵の相手をする」
 分厚い木の扉が弾けるように開いて、第二種軍装をまとったカマクラ将軍が指令本部から姿を現した。両側に護衛が続く。なんの前触れもなくカマクラ将軍前方の対空監視塔がメリメリと音をたてて崩れ、粉塵を巻き上げた。
 そこには不気味な外骨格を備えた化け物の姿があった。
 護衛達が後ずさる。
「うろたえるな。立つべき場所に立っておれ」
 カマクラ将軍が深い声で部下を静めた。
 そして巨大な敵へ向かって声を張り上げる。
「化け物よ、なんの目的で日本軍を、わしの軍を襲う?」
 化け物は鈍く光る単眼でしばらくカマクラ将軍を見下ろしていたが、ゆっくりとその鋭利な鎌を下ろした。
 敵はこちらの将を識別できるのか、とカマクラ将軍は不愉快な気持ちになった。
 化け物が音をたててその大顎を開くと、そこからしわがれ、雑音にまみれた日本語が流れてきた。
「目的? 復讐とでも言うべきなのだろうか。おまえ達がやって来て、こっちを大勢殺したから、こっちもそれをやってやっただけだ」
「解放派か」
「御名答。カマクラ将軍、はじめまして。あなたの名前は以前からよく耳にしていた」
 化け物から言葉は発せられたが、化け物は微動だにしない。
 背後で喋っているのは発掘屋なのだろうか。あるいは傭兵か。
「貴様も名乗ってはどうだ?」
「それほど高貴な名は持っていないさ」
「よかろう。では解放派指揮官、休戦しないか? そちらも少なくない兵が傷ついただろう」
「そちらほどじゃないさ」
「だが、これ以上戦うことになんの意味がある? 我々は樺太から去るつもりだ。戦わずとも樺太は自動的に貴様の手に入る」




 ソウは陰鬱な笑い声を首の無いビショップに注いだ。
「将軍、勘違いするなよ。おまえは僕達と戦争をしているわけじゃないんだ。僕達に狩られるための標的なんだ」
 アメフはソウの言葉を黙って聞いている。ソウよりましな外交能力を持っているとは思っていないし、カマクラ将軍にかけるべき言葉も無かった。
 あの悪党には迅速な死こそがふさわしい。
 カマクラ将軍は絶句でもしたのか返答しない。かまわずソウは言葉を続けた。
「将軍、おまえの軍はすでに崩壊した。抵抗をやめて逃げ出したらどうだ?」
「なんだと?」
「僕達はゆっくりとおまえ達を追いかける。運が良ければ、おまえ達の何人かは生きたまま海に飛び込めるだろう。おまえ達も巨大な敵に追いかけられる恐怖を体験しておけばいい」
 おやおや、とアメフは苦笑した。カマクラ将軍を動かし、狩りやすくしてアメフとのゲームを有利に持っていこうという肚か。
 困った奴だ。
 ソウは素知らぬ顔だ。




「このわしがそんなことを受け入れると思ったか?」
 カマクラ将軍の顔が紫色へと変わった。
「さあな。まあ、いいや。どのみちおまえを殺せばおまえの部下は逃げ散るだろうよ。大した変化は無い」
 化け物は会話を切り上げる気配を見せた。
 カマクラ将軍は激怒を装っていたが、思考は敵を冷酷な刃先のように分析していた。
 化け物の背後にいるのがどちらの敵なのか、確信は持てなかったが、発掘屋の方だろうと予測を付けた。軍人にせよ傭兵にせよ、人殺しは手柄首を前にして多弁にはならないものだ。
 だとすれば、敵は人間よりも骨董を相手にするのが得意な者だろう。
「ところで、その新しい掘り出し物の使い心地はどうなのだ、発掘屋ソウよ?」




 ソウの肩がびくっと震えた。目が見開かれる。
「正体を見抜かれた?」
 息が詰まったような声でつぶやいた。
「落ち着けよ」
 アメフが低く言う。
 カマクラ将軍がいかに勇将であろうとも、奴は敗北寸前だ。
 水晶盤がソウに落ち着きをもたらした。



「流石だよ、将軍。僕の正体なんかとっくにお見通しか」
「ソウよ、貴様がわしを憎む理由など無いのではないか? むしろ感謝してもらいところだ。解放派は貴様の才覚を認めていなかったそうではないか。わしが連中を葬り、引き起こした混乱のおかげで今の貴様があるのと違うか?」
「それもそうだな。感謝しているよ、将軍」
「貴様は解放派にとってなんの役にも立たなかった。貴様にとって解放派の理念なんてものは価値を持っていまい? 貴様に出番のある世の中があるとすれば、貴様より強い者が皆死んだあとの世の中なのだろうな、小物よ」
「よく舌が回るな将軍? 今までどのくらいの敵をそうやって惑わしてきたのだか知らないが、そろそろゲームを再開させてもらうぞ。僕はすでに大きすぎるほどの力を手にしているんだ」
 カマクラ将軍は体を震わすと、歯の隙間から絞り出すように大声を発した。
「力だと? 貴様が地中から掘り出した骨董ごときが世の中をどうにか変えれると思っているのか! 笑わせるな! 時代が貴様らのような発掘屋を必要としていないのが分からんのか! 貴様の自慢の骨董なんかこの手で砕いてやる! 貴様なんか――」
「僕の水晶盤は無敵だ!」
 化け物の喉から発せられた声はきしるような叫びだった。カマクラ将軍は声に殴られたかのようにぐらりとよろめいた。軍帽をむしり取り、両手で頭を覆っている。その顔は苦悶の仮面だ。
「水晶盤!」
「カマクラ将軍、砕かれるのはおまえの方だ!」
 化け物がその鎌を構えて突進してきた。
 護衛がうおっと叫んで銃を撃つ。カマクラ将軍はまだなにかわめいていたが、猛然たる銃声が全ての音を圧倒する。
 頭だ! 化け物の頭を撃て!
 護衛達の口が動く。
 化け物には他に急所らしい急所は見当たらない。
 銃弾は化け物の目を撃ち抜き、さらなる攻撃が頭を熟した果実のように裂いて割った。
 だが、化け物は止まらない。よろめきながらもカマクラ将軍を押しつぶす決意に燃えているようだった。
 その巨体がわめき続けるカマクラ将軍にせまる。
 唐突に強力な機関砲弾がやってきて化け物の後頭を襲った。
 一瞬、化け物はそれにさえも耐えたが、黒い卵をつぶすようにして化け物の頭部は完全に爆ぜ消えた。
「すいません、将軍。ホデラ大佐の部隊の生き残りを集めるのに時間をくってしまいまして」
 一団の兵と装甲車を率いてイズキ中佐が戻ってきた。
「戦線はすでに修復不可能なほど叩かれていますので……おや将軍? 大丈夫ですか?」
 カマクラ将軍はもう将軍に見えなかった。わけのわからぬたわごとを化け物の赤黒い死骸へとわめきたてる老いた男でしかなかった。その目は灼熱の溶鉱炉の目だ。カマクラ将軍を将軍たらしめていた理性は、寸分も見当たらなかった。
 イズキ中佐は目を見張ったのかもしれない。それでも、外見的にはなんの変化も見せなかった。
 やがて、カマクラ将軍は肩で息をしながら罵り声をあげるのをやめた。
「……よくやったイソダ中佐!」
「イズキです」
「そうだ! わしは思い出した!」
 彼は護衛を突き飛ばし、よろめくように司令部へと急ぎ戻った。
「敵は水晶盤だ! ここで食い止めろ!」
 イズキ中佐はその場を部下に任せてあとを追った。



 カマクラ将軍は急速に老い始めたように見えた。なにかに憑かれた表情で戦略室のテーブルから碁盤やら書類やらをたたき落とす。
 ぎょっとした顔を浮かべる士官達をイズキ中佐は追い払った。
「なぜだ! なぜわしは水晶盤をこうも理解できる!?」
 イズキ中佐は口を開いたが、老人の今の言葉が自分への問いでないことにすぐに気付いた。
 老人は素早く樺太の地図の上に日本軍を表す人形を並べていった。同時にイズキ中将もどこからともなく化け物を表す人形を取り出し、地図の上に並べていった。
 カマクラ将軍は苦しげに息を吐き、そして骸骨のような笑みを作った。
「だが、いまやわしもこのゲームに加わっているようだな」
 地図の上の人形が自力で動き出した。


 現実に作用する水晶盤の効果で、現実は改変されていく。
 そんななか、この樺太でのゲームはその様相を変化させた。
 日本軍側もゲームのピースの一つと化し、ゲームへと適応していった。


 日本軍の灰色の駒は青の駒、赤の駒と同等の力を発揮した。
「なんだと!?」
 ソウが驚愕の声を上げた。
 日本軍の灰色は、攻め込んだ青を一瞬で囲んで砕いた。
 コブラのように鋭い反撃だった。まるで花火のように青い破片が水晶の上を弾け飛んでいく。
「くそ! 僕の軍勢が!」
 一方、アメフの軍勢はすでに体勢を整えていた。
 赤は殺意の奔流となって樺太を縦断する。
 だが、灰色の軍勢も不自然な滑らかさで迎撃の体勢を作りだす。
 アメフは鈍いショックとともに悟った。敵の動きはゲームの駒の動きだ。もはや戦場には怒りや恐れといった感情は存在しない。あるのは指し手の打算だけだ。
 カマクラ将軍を表す灰色の王将が禍々しい精気に満ちて日本軍本陣大泊に直立していた。
 ソウにはもうビショップやナイトといった主力の駒は残っていなかった。
 だが、アメフにはまだ十分な手勢がある。鋭い武器の穂先を敵に向け、その現世のものとは思えない姿で戦場を突き進む。
 だが。
 それは……それは組織的に迎え撃つ不気味な日本軍の駒と比べて、滑稽なほど弱々しく見えた。



 イズキ中佐は司令部から落ち着いた足取りで出てきた。
 すぐ近くの戦場では血みどろの戦が広がっているが、いまや流れるのは赤い血ばかりではない。ぎらりと軍刀が光って化け物の首が落ちるのが見えた。
 そして、日本軍の兵の動きは化け物のそれだ。一切の感情を浮かべず、機械のように化け物に襲いかかる。
 力で負けても数では遥かに勝っていた。
 化け物の巨大な爪に貫かれ、あるいは切り裂かれた兵士は役目を終えたとばかりにその場に倒れて動くのをやめた。
 軍勢を指揮するのは名将、カマクラ将軍だ。
 勝利は動くまい。
 だが、イズキ中佐は眼前で行われている戦は度の低い行事でしか無く、まったく興味を持てない、といった顔で歩き続けた。
 そして先ほど撃ち殺された化け物の死骸のわきで立ち止まった。
「ほう。まだ機能が生きているとは。流石はオリジナルですね」
 イズキ中佐は黒い血で汚れた表皮を撫でて言った。それから手袋を脱ぐと、化け物の表皮に指で複雑な模様を描きはじめた。
 化け物の頭を失った首の切断面からごぼごぼと体液がほとばしる。
「ソウさん、アメフさん、はじめまして」


 初めて聞く声にアメフはばっと身構えた。
 水晶盤の底に波打つ黒い液体からすでに壊れたソウのビショップが浮かんでいて、それが声を伝えているのだ。
「誰だ?」
「PCOのイズキ中佐と申します」
「日本人か!」
「あなた方には礼を言わねばなりませんね。カマクラ将軍を覚醒させてくれたのですから。まさかこの時期に、こんな場所で、こんなことになるとは、夢にも思いませんでした」
「覚醒だと!? おまえ達なにを企んでいる? 日本を牛耳る、PCOとは何だ?」
「PCOとは人々によりよい世界を提供しようとしている者の集まりですよ。水晶盤には我々も昔から興味を持っていました。どうなんです? さぞ素敵な使い心地なのでしょうね?」
 声はそれがなにかの気の利いた冗談でもあるかのように、はははと笑った。
「僕達の水晶盤が欲しいのか?」
「いーやいや。カマクラ将軍も言っていたでしょう? そんな物、過去の遺物です。現代には必要ありません。そんなもの無くても我々PCOに導かれた日本は天下をつかめますよ」
 ソウの目がかつてないほど鋭くなった。
「しかし、あなた達二人のことは高く評価していますよ。あなた達は実に大胆です。どうです、我々PCOに――」
「加われと? 断る」
 アメフは相手の口調に嫌悪感しか感じなかった。
「同感だね」
 ソウも言った。
「まあ、そうでしょうね。PCOの理念は解放派の理念の対局に位置していますからね。解放派は我々PCOやそれに似た組織のアンチテーゼとして産み出されたのではないかとときどき思うことがあります」
「なにをごちゃごちゃと――」
「どうやら、この乱痴気騒ぎも終わりのようです」
 灰色と青はぶつかり合った。
 このゲームで最も激しい衝突であった。破片が水晶盤の外にまで飛んだほどだ。
 両者は入り乱れて斬り合い、二つの色が混じってしまいそうになるほどだった。
 だが、アメフの力はカマクラ将軍に一歩及ばない。
 それは戦に関する圧倒的な経験の差だった。なんと遠い一歩だろうか。
 最後の青いナイトが複数の剣に貫かれて砕け散った。
「万に一つの確率でしょうけど、努力によってはあなた方に生き残るチャンスはあるはずです。努力して下さい……」
 イズキ中佐の気配は消え去った。
 ゲームは終わりだ。
 ソウとアメフにはもう操るべき駒が無かった。

 二人は敗北したのだ。

 盤上の生き延びた灰色の駒が、おのおのの歪んだ武器を空へと掲げて無言の歓声を上げた。
 ソウがよろよろと立ち上がり、勝ち誇る灰色の王将をガツンと蹴飛ばした。だが、それはびくともせず、ソウに痛みを与えただけのようだ。
「畜生、なぜ勝てなかった?」
「敵を過小評価してしまったのさ。誰もがよく犯す失敗だ。俺は本物の戦場ならそんな間違いはやりはしないが、どうもこういうゲームは不慣れでな」
 アメフは言い訳の口を閉ざした。
 ひどくくたびれていた。こんなにくたびれたのは久しぶりだ。煙草が吸いたくなった。
「いや、まだだ」
 ソウは断固とした口調で言うと、再び水晶盤の前にかがんだ。
「水晶盤が一回限りしか使えない物だと決まっているわけじゃないんだ。六百年前の日本は事実、二度の侵攻を受けた。この水晶盤にももう一度、手駒を呼び出す機能があっていいはずだ」
「おいおい、そんな都合良く――」
 アメフは固まった。勝利を喜んでいた灰色の駒が再び武器を構えている。そして、それらは間違いなく赤と青の王将を目指していた。
「来るぞ!」
 アメフは跳ねるように立ち上がった。
 ソウも一瞬遅れて事態を察知した。その目に恐怖が浮かび、彼は灰色の駒から後ずさった。
「このゲームを強制終了する機能がどこかにあるはずだ……」
「寝ぼけんなソウ! 日本軍が俺達を狩りにくるんだ! ゲームのことは忘れろ! 逃げるぞ!」
 アメフは叫んだ。だが、ソウは首を振るだけで立ち上がろうとしない。
 そして、アメフもソウが感じていることを理解した。
 水晶盤の青い王将へと目が吸い寄せられる。
 カマクラ将軍は覚醒だとかのおかげで水晶盤を手に入れたのだろうか。状況から考えれば、おそらくこちらと同等の力を彼はすでに手に入れているようだ。
 だとすれば、二人はどこへ逃げようとも、カマクラ将軍側の水晶盤の上の王将が二人の居場所を示すだろう。
 問題は逃げ切れるかどうか、ではなく死ぬまでどれくらい逃げれるかということになっているのだ。
 アメフは絶望に打ちのめされそうになった。
「いや、手はあるはずだ!」
 アメフはあきらめない。
 秘密基地の裏の武器庫へと急ぐ。水晶盤によって二人の居場所が示されるのならば、カマクラ将軍よりも水晶盤の方を敵と見なした方が良さそうだ。
 ソウは喜ばないだろうが、もうあんな物、持っていても得などない。
 ソウの水晶盤が二人を王将に決めたのだから、それを破壊すればカマクラ将軍の水晶盤も標的の駒を見失うかもしれない。
 武器庫からありったけの爆薬を持ち出して――

 アメフをとてつもない衝撃が襲った。
 秘密基地の入り口でのことだった。彼は扉に叩き付けられ、転がった。体から血が吹き出るのが分かった。
 撃たれた?
 顔を上げる。
 たくみな迷彩を施した兵士が視界をよぎった。
 うなりをあげて銃弾は飛んできた。
 アメフは息を吐いた。だが、それでも彼は生きて秘密基地の中へと転がり込んだ。
 日本兵? もう来たのか? 早過ぎる。
 敵は哨戒していた一部隊だろう。アメフがゲーム中にとるに足らない存在だと放っておいたものの一部に違いない。
 それがいまやカマクラ将軍の命で、そのアメフを処刑しようとしている。
 アメフは壁に立てかけてあった短機関銃を引っ掴むと、秘密基地の入り口へ向けて連射した。突入してきた兵が一人、蜂の巣のように穴だらけになった。
 アメフはきびすを返したが、もうまっすぐ立つことができなかった。
 彼の動いたあとには血が川のような跡を残した。これではいよいよ日本軍から逃げ切るのは難しい、とアメフはいまいましげに思った。
 水晶盤の横ではソウが凍り付いていた。
 こんな状況ではなんの役にも立たない発掘屋。
 だが、こいつが生き延びれば、こいつはいつの日か解放派にとって価値のある物を掘り出すかもしれない。かすかな望みだ。
「ソウ、早く逃げろ!」
「でも――」
 アメフはソウをつかむと、明かり取りの窓を覆う防弾ガラスを短機関銃の一連射で撃ち抜いた。そこへソウを押し込む。
 小柄なこいつなら通れるはずだ。ソウが視界から消えると、アメフは苦労して振り向きさらに発砲した。
 敵が一人、あわてて物陰に隠れるのが見えた。
 アメフは崩れるようにして水晶盤にもたれかかった。のろのろと弾倉を交換しながら、猛烈な寒さに気付いた。
 樺太の寒さだった。
 隙間風の入るノボシビルスクの自宅でさえ、今の寒さと比べれば太陽から吹き寄せる風のような暑さだろう。
 どうやら産まれてからずっと血管を流れていたヤークト人の血がほとんど流れ出てしまったようだ。
 水晶盤の上では相変わらず灰色の駒が忙しく移動していた。はるか頭上から彼らを見下ろす巨大な人間の存在など気付いてもいないように見えた。だが、もうそんなことはどうでもいいことだった。
 どんなゲームにだって終わりはやってくる。
「ゲームオーバーだ」
 アメフはつぶやくと一つだけ残っていた手榴弾のピンを抜き、水晶盤の黒い波面へとねじ込んだ。


 ソウは地上へ這い出ることに成功した。水晶のように輝く、鋭利なガラスに傷つけられて手は血にまみれた。つまずきながら立ち上がる。逃げなければならなかった。
 森へ。
 森の中へ。
 ソウは荒野を駆け出した。地面は恐ろしくでこぼこしていた。背後で鋭い声が上がって、銃弾がソウをかすめる。
 灼熱の鉛弾に追われ、ソウはかつてないほど速く走る。
 そのとき、背後でくぐもった爆音が聞こえた。悲鳴や怒声がそれに続く。
 だが、ソウには振り向く暇なんかなかった。ただひたすら走り続ける。眼前に広がる森へ向かって。




 ゲームは終わってしまう。
 テーブルの上の人形達はばたばたと倒れていった。そしてカマクラ将軍は力なく床へと崩れて、テーブルにもたれた。
「お見事です、将軍」
「……なぜだ?」
 カマクラ将軍のしわがれた声は恐怖と怒りが半々だった。
「なぜわしは水晶盤を知っていた? なぜわしは気付けば水晶盤の作ったゲームに参加していた?」
 カマクラ将軍は立ち上がって、イズキ中佐を睨みつけた。だが、すぐに落ち着かなげに彼から目を離し、周囲を見回した。
 そうやって、自分がいるのは操作されるための盤上ではなく、現実の世界であることを確認しようとした。
「答えろ、イズキ中佐! おまえ達PCOはわしになにをした!」
「聞いて下さい、将軍」
 イズキ中佐は言った。
「今世紀に入り歴史は加速を始めました。世界は探り終わられ、地図に空所はなくなり、世界規模のネットワークが産まれたことによって人類は自分たちの姿を確認することができました。
 しかし、同時にそのために、自分たちと異なる理念の人種の世界がどれほど多く存在するかに気付いてしまったのです。
 いつ敵に回るとも分からない国々に囲まれているという恐怖から、列強を含めあらゆる集団の闘争が激化しています。今の世界は混沌としていて、我々PCOの力をもってしても未来を予測することができないほどです。
 闘争により資源は浪費され、統一を目論んで起こされた第二次世界大戦も半島戦争も事態を複雑にしただけでした。
 我々が思うに、これは人類が新たなる種へと分岐していくための通過儀礼なのではないのでしょうか。
 この果てしない試練が終わったとき、生き残った人種が統べる世界はこれまでの世界とはまったく違うものになるに違いありません」
 イズキ中佐はよどみなく言葉を続ける。
「さて、我々PCOは人々によりよい世界を提供するために大昔に組織されました。我々は一人一人の人間に記された運命を読み取り、個々の人々に合った居場所を提供することができるのです。
 今はまだ日本と台湾とベトナムしか我々は管理していませんが、我々は全世界をその管理下におく権利と義務を持っていると信じています。
 我々が世界を統一すれば、それは他のいかなる集団が統一した世界よりも安定し、幸福な物であることは間違いありません。
 このことは十分に理解して下さい」
 カマクラ将軍はなにか言葉にならないうめき声を上げたが、イズキ中佐はかまわず続けた。
「水晶盤に関して言えば、六百年前に水晶盤を作った技術者達は敵対勢力に水晶盤を奪われた時のことを考え、恐怖に襲われました。そのために産み出されたのが水晶盤を撃破しうる運命を持った人種です。PCOは水晶盤が残っていることを知ったあと、この人種を蘇らせるためにあらゆる努力をせねばなりませんでした」
「撃破しうる……運命だと」
「水晶盤だけではありません。世界には大昔に埋められた技術が時限爆弾のように眠っています。それらが掘り起こされる度に新たなる混沌が産まれるだろうことは間違いありません。PCOはなんとしてでもそれを押さえ込み続けねばならないのです。そのためには将軍を含め、多くの方のお力を借りせねば――」
「見せろ」
 カマクラ将軍は苦しげな息の下から言った。
「全てを見せろ! わしが持たされた運命とはなんだ!? 水晶盤の他に、わしはなにを持たされている!?」
「自分に課せられた運命を見るのは危険です。知るべきではないことです。それでも見たいのですか?」
「見せろ、中佐! わしは将軍だぞ!」
 イズキ中佐はため息をついた。
「分かりました」


 やがて悲痛な悲鳴が司令部をふるわせた。
 樺太での仕事を終えたイズキ中佐は戦略室から出て、ゆっくりと扉を閉めると去っていった。


■ ■


2007 Game board

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■あとがき!■

お読みいただきありがとうございます。
1984年、解放派の滅亡直前の時代のお話です。
ちなみに『600年前の大陸勢力による、日本侵攻』というのは元寇のこと。
将棋と軍人将棋についてあれこれ考えているうちにこの物語を思いつきました。

感想、助言などをいただけるととても嬉しいです。

Web拍手!
投票!
お絵描き掲示板!