report(1)



 大戦は終わり、三英雄の一人、イェルンもまったりした日を送っていた。
 だが。
 夕べのことだ。
 イェルンは自宅のソファで、のんびりとNKBワールドシリーズ第三戦を見ていた。第四クオーターも残すところ二分。
 そのとき、電話が鳴り響いた。
 夜の街で魔物が暴れているとのことだ。
 ビールと味噌ナチョスを胃の中に片付け、ジャケットを羽織り、刀を腰にさす。そのときには、もうコプターが玄関先に着ていた。
 何たる忙しさ。これがUX3か。髷(まげ)を結う暇もない。


 翌朝。
 UX3の本拠地、要塞都市アウグスト。
 イェルンは五十一階の司令官の間から、アウグストの町並みを眺めていた。髪より微妙に濃い色の着物の上にジャケットと、昨夜と同じ出で立ち。魔物の返り血が点々と付いている。群青色の軍用袴の腰にも、刀をさしたまま。そして、その顔は浮かない。
 ここだけの話、イェルンはあまりこの街が好きじゃなかった。
 なにが要塞都市なのだ。多すぎる対空砲塔は洗濯竿の代わりにしかなっていない。
 おまけに天気がいつも悪かった。
 雨は降ったり、やんだり、降ったり、やんだりするが、第三のオプションという奴がない。太陽が見えることはないのだ。
 空は灰色。街の方も、一つの鋳型から作られたかのような灰色。
 色のコントラストというものを知らんのか。
「で、どうだったのかね?」
 司令官どのは尋ねてきた。
 イェルンはしゃきっとした顔を作り、この厄介な能無し上司の方を向く。
 一瞬、自分がなぜここにいるのか思い出すのに要した。イェルンは司令官どのを待っていたのだ。
 別に、司令官どのが多忙な人間というわけではない。
 司令官どのは、なにかのハウツー本で読んだことを実践しているのか、必ず部屋に呼んだ者を数分待たす癖があった。
 なんたる糞野郎だ。
 だが、イェルンは立派な大人なので、意趣返しなどはしない。
 司令官どのは和服を着た初老の男で、頭には五十年前の海軍人がかぶっていそうな帽子を乗っけている。顔にはサングラスじみたものをかけ、いまいち表情を読めない。
 昨夜の戦いの間、イェルンは司令官どのに必要な通信といったものをせず、完璧に蚊屋の外に置いていた。にも関わらず、司令官どのの機嫌はいいように見える。
 きっと、部下に無視されるのに、慣れているのだ。
 イェルンは滑るような足取りで司令官どのの机に歩んでいった。
 まったく、でかい机だ。上に布団を二枚は敷ける。ギルルジャガン松で作られていて、表面は光沢を放っていた。
 イェルンはその端に、腰を下ろした。
「くだらん雑魚魔物だった」
 イェルンは言った。相手はUX3の司令官で、上司だ。
 敬語で話そうとした。だが、口からはうまく敬語が出てこなかった。ここ十年ほど、出てきた試しがない。
 出て来ないものは仕方がなかった。
「フュークトの電撃で灰になって、ハウノイ・ソーア・ツェンユーの空へと散っていった」
「君には詩人の才があるようだね」
「もっと早く気付いていれば、今頃、印税で大金持ちだったのだがな」
 イェルンは、国民ホールで燕尾服に身を包み、三万人の聴衆に詩を発表する自分の姿を思い描きながら、腕に装着した腕時計式ネットログを操作した。司令官どののデスク上のコンピューターにデーターを送信する。
 チームメンバーのゼロフが作った、完璧な報告書だ。
 頭蓋骨の中に電脳を収め、機械言語でものを考える人間ならではの、もの凄い報告書。普通の人間だと、読むのに三日かかる。
「ハウノイ・ソーア・ツェンユーの町はどうだった?」
「全ては報告書にあるはずだ」
「ゼロフ君の報告書は、あとで楽しく読ませてもらおう」
 おや。
 ばれていたのか。ゼロフには、高いケーキなど食わせてやっているので、情報は漏れないはずなのに。
 だが、こういう風にふんぞり返る老人は、ときに、気味の悪いほどの勘の鋭さを発揮するものなのだ。
 用心せねばならない。
「もうすぐクリスマスだ。姪がどこかに連れていけとうるさくてな。君の口から報告せよ」
「ボロいぞ。まあ、見てまわる暇なんか無かったんだが。あと、そうだな……帝圏との国境が、目と鼻の先だ」
 イェルンは大戦の敵国の名を上げた。
「戦線布告の五秒後にはミサイルが飛んできて、蒸発する運命にあるのだろうよ。それとも、五時間後に、戦車に蹂躙されるか」
「最近は情勢は安定している。敵さんだってそう、やたらと攻めては来ないさ。あの人種の軍資金だって、無限ではない」
 司令官どのは黒くて丸いサングラスをはずすと、上質の布で拭き始めた。
 いや、サングラスではない。この街ではそんなもの、必要ない。
 あれは、大量の情報を眼前に表示する、アイ・アップ・ディスプレイなのだろう。大昔の、洗練されたテクノロジーの作品だ。
「そして、ハウノイ・ソーア・ツェンユーはボロくはあるまい。政府は政府なりに、あそこを美しく保つための目標をたてているはずだ」
「政府の目標がなんであれ、荒れていた。ここと比べてな」
 イェルンは窓の外を目で指した。
 耐弾、耐ビーム処理がほどこされた強化ガラスの向こうには都市が広がっていた。
 アウグスト。
 我が国、カルガニルム共栄圏の軍備の要であり、首都のカリアンさえもしのぐ、異常な程の防衛設備が整った要塞都市。敵国ユルメ・イザルド連合帝圏が五百発の核ミサイルを発射しても、ここへは一発として辿り着けまい。
 そして、アウグストはいざとなれば、下のキース大海へと潜行するという説もあった。
 ただでさえ酷い湿気なのに、海中に潜航するだと? 勘弁してくれ! イェルンは叫びたくなる。
 とにかく、ここは鉄壁の本拠地だった。
「ここは特別なんだ」
 司令官どのが憂鬱そうに言う。
「世間では不景気の嵐が猛威を振るっている。失業率上がり続け、十五パーセントを越えた。首都カリアンでさえ、公共設備はストライキで都市機能は瀕死だ。困ったことになっているんだぞ。大戦中の方がマシなような気がしてくるわい」
 イェルンは驚きのあまり、目が飛び出しそうになり、耳から脳味噌が飛び出しそうにもなった。
「司令官どの!」
「分かっておる。冗談だ」
「そうだろうよ。大笑いしてしまった。なんで不景気なんだよ? せっかくの平和じゃないか。景気が悪い理由が分からない」
「なんでだろう。経済ってムズいね」
 司令官どのは、お国訛りを強調して答えた。
 俺は馬鹿にされているのだろうか。イェルンは思う。ま、構わないが。
「人心は荒廃している。前の大戦終結から復興はいっこうに進んでおらん」
 司令官どのは言って、サングラスを磨き続けた。
「片方のレンズは俺が拭いてやろう」
 とても親切なことに、イェルンはさっと手を伸ばした。
「やめろ、イェルン! これはわしの大事な楽しみ――ああ! 余計なことをするからレンズが割れた!」
「悲しい事故だな」
 イェルンは立ち上がった。
「この視覚情報デバイスは、三百年前に作られた芸術品なのに!」
 司令官どのは叫んだ。
 ものはいつか必ず壊れるということだ。司令官どのにとっていい教訓になるだろう。
 と、イェルンは司令官どのの左右の目の色が違うのに気付いた。
 右は黒だが、左は奇妙に赤みがかっている。
 義眼のリーダーか。まるで俗悪なスパイ小説だな。
「で、司令官どの、我々には何ができる?」
「我々に? 我々に何ができるかって? 何もできやしないよ。我々は襲ってくる魔物を片付けよう。テロリストも駆逐してやろう。だが、そこから先は普通の人間が復興していってくれなきゃならない。普通の人間が出来ないことを我々がやって、我々が出来ないことを普通の人間がやる。これは、ある種の共生関係だよ。我々にできることなど無い」
 司令官どのの金属的な声が天井に反響する。彼は頭の軍帽を磨き始めた。
「おいおいおいおい。せっかくUX3とアウグストを保持しているんだ。何かやる気を起こそうぜ。ここにふんぞり返るために、UX3を育てたわけじゃないんだろ?」
「黙れ! 貴様になにが分かる! 司令官の苦悩を分からない隊員にはうんざりだ! 分からんのか、ここでふんぞり返る大変さが! 座っていても、わしの背中には責任という重圧が押しかかってくる! いまにも押し潰されそうなのだ!」
 司令官どのは金切り声を上げる。髪を振り乱し、机を殴りつけた。とてつもない怒声に壁が震える。
 イェルンはゆっくりと薄ら笑いを浮かべるだけだった。
「耐えられないのなら、辞職しちまえ。俺たちも不信任決議する手間が省ける」
「ほう、本心を出したな、イェルン! だが、渡さんぞ! UX3はわしのものだ! 貴様のではない! 覚えておけ」
 イェルンはくっくと笑って、踵をかえした。三文芝居にも飽きたところだし、ワールドシリーズの結果も気になった。
「じゃあ、俺は休暇に入ることにする。何かあったら電話をくれ」
 言い残して、妙に縦長の部屋を辞そうとする。
 だが、戸口のところで司令官どのが、悪辣したたる笑みを浮かべているのに気付く。
「イェルン、やり残したことがあるぞ。休暇はまだだ」
 老人はそう言って、帽子をかぶり直した。
「夕べの事件の報告書を提出したまえ」
「いま提出した」
「ゼロフのじゃない! 貴様のを出せと言っているのだ! UX3の職務規程を思い出したまえ。書類を書くとかいった仕事は部下に任せず、部隊長たる者が責任持って作れとあるだろう?」
「職務規程にはいろいろ書いてあるからな」
「なんなら、司令官権限でいますぐそれを、最重要規定にしてやってもいいのだぞ! とにかく、ハウノイ・ソーア・ツェンユーの損害から、魔物の動向まで、事件の全てを包括し、思い切り報告書というものを拡大解釈した、報告書の中の報告書というものをつくりたまえ」
「頭が痛くなってきた。俺向きの仕事じゃなさそうだ」
 司令官どのは悲しげな顔を浮かべて、首を振った。
「おお、三英雄である君ならできるはずだよ。君はどんな困難でも切り抜けてきたではないか。わしのために報告書を書いてくれ。たのむ、イェルン、わしの心の息子よ」
「ああ、司令官どの……私の心の父親。だなんて言うと思うか! その命令を拒否すると何が起こるか、教えてくれ」
「三英雄の席が一つ空くだろう」
「おや、リアンかシェルンスの身に何か?」
 イェルンは自分以外の三英雄の名を出してみたが、司令官どのはにこりともしない。
「違う。おまえだ。まあ、三英雄の不信任決議をする――」
 どがんっ。
 イェルンが拳で扉をぶっ叩き、それは大層へこむ。
「ふざけた真似をしやがれ。その細っこい首をねじ折ってやろうか?」
「イェルン部隊長、わしは司令官どのなのだ!」
 老人は声を張り上げ、それは広い指令の間に轟きわたった。
「君の携帯電話には、わしからの最優先ラインを確保したおいた。報告書を書き上げたまえ」



 UX3の食堂は、本部ビルの最上階、五十一階にある。
 すぐ上の屋上が、コプター発着場に使われているため、ときたまズギーン、バタバタ、ドウーンと、コプター発着の音が轟きわたる。
 この音は圧力であり、波だ。
 テーブルの上の箸は躍り上がる。スープは杯からぶちまける。
 イェルンは慣れていて、眉一つ動かさなかった。
 食堂は五十一階全てを利用しているため、とてつもなく広い。
 だが、天井は低い。
 身長二メートルを越える者は、膝をついて歩行する方法を学ばなければならない。腰を屈めて歩きたければ、そうしてもいい。
 そして、雨漏りがひどいことが由来して、床には、これがカーペットですよん、と言わんばかりにコケが生い茂る。壁には六本から八本の足が生えたナメクジじみた生き物が這い回るのが見られる。
 先日、ついに一人の隊員が堪忍袋の尾を切り、マシンガンの一連射で壁を穴だらけにしてしまった。
 そのせいで、不安が広がった。
 この階は天井を支えきることができず、いまに天井が落下して、下にいる者全てを潰してしまうのかもしれない。
 潰れた者は、パンケーキか、さもなければハッジボッジ(東部諸島風肉じゃが)のようになってしまうのだ。
 食堂の一席に座したイェルンは、ああだこうだと食堂について考えた。彼がここの管理人であるからではない。いわば現実逃避の一形態であり、報告書という厄介極まるものから顔をそむけ、現実から一歩後退したのである。
 イェルンさんがものを食べるでもなく、喋るでもなく、超然と壁を見ているのはなぜなのだろう。同じテーブルについた隊員たちは、遠巻きに声をひそめながら、突飛な想像を披露し合った。
 食堂にはテーブルの他に、テレビもある。
 だが、大部分はがらんとした空虚な間だ。
 どんな馬鹿でも、もはや、UX3にこの食堂を満たす人間がいないことは分かる。激しい戦いは多くの命を奪っていった。
 とはいえ、代わりに、ちんまりした食堂を作り出す元気などあろうはずもない。
 巨大な食堂の、巨大な空虚は、まさしくUX3隊員たちの心に巣食った空虚、そのものなのだ。

『ニュースをお伝えします。昨夜、魔物がハウノイ州に出現しました』
 ニュースが流れる。
 食堂にあるのは六面体テレビで、どの面から見ても同じ画像が見える、複数視聴者タイプだ。なんなら天井に貼り付いて、テレビを見下ろしてみても、ニュースを楽しむことができる。
 数人の隊員がテレビを囲んでいた。
 画面の中、魔物相手に暴れるのはイェルン。豪快に刃を振り回し、魔物の四肢がごろりと転がる。
 下手なカメラマンだ。まるで臨場感というものを感じさせない。
 テレビを見ている人は、自分を魔物と戦うヒーローに置き換えることができないではないか。
 このことは、報告書に書かねばならない。
『ニュースを終わります』
 ニュースは、魔物退治がさぞ簡単で、誰もが金曜日の午後に済ませてしまえるタイプの度の低い事件のように、あっさりと報じた。
 魔物が出たのに、コメントを残さないニュースキャスターまでいやがる。
 魔物とは、けちなコンビニ強盗とはわけが違うのだぞ。暗黒の生き物だ。
「あの侍、どこかで見たことないかえ?」
 テレビの前の隊員がつぶやく。
「ほら、第一急襲部のイェロンとかいう野郎だよ」
「ああ、そんなのいたのう」
「今時、刀だなんて、頭がおかしいのだろうよ。第一急襲部にはろくなのいないが、ありゃ特にひどい」
 ふむ。まあ、そういう評価もあるだろう。
 ところで、こんなことまで報告書に書かなければならないのだろうか?
「その通り」
 携帯電話はそう言う。

 イェルンの前には報告書がある。そして、同時にそれは白紙でもあるのだ。イェルンはまだ一文字も書いていない。
 司令官どのに命じられてから、四苦八苦してみたが、何ら書くべきことは、頭をよぎっていない。
 よし、タイトルを書くとしよう。
 報告書の報の字を書く。
 ここで急に腹など痛くなってくる。なぜ痛い? 報告書のせいか。
 いや、そんなことはない。今朝スモモを食べ過ぎたせいに決まっている。今朝は実にスモモを食った。百個は食った。
 イェルンは断固としてそう考えると、再びペンをとった。
 どこまで書いた? そうだ、報の字だ。
 報というのは、なんと複雑な漢字か。なぜこんな文字を作り出したというのか。
 かつては、世の中シンプルだった。
 全ては王が支配した時代。
 昔のことを考えると、イェルンの思いは必ず国王陛下の近衛兵の時代へと飛ぶ。
 結局、陛下の宸襟(しんきん)悩ます事件が多く、解散に追い込まれた。
 今の俺は?
 UX3なる対有事秘密特殊組織の、一部隊長。
 UX3は最強を自称しているが、イェルンに言わせれば、冗談のような烏合の衆だ。
 たしかに、ゼロフやフュークトのような、個々では高い能力を持つ者はいる……。
 
 そして、国の方はどうなった? 百もの州から国はなる。それを統べているのは、軍なのか、議会なのか、司法省なのか、誰にもよく分からない。
 国を構成する人種もやけに増えた。
 イェルンの判断では、半分ほどの人種も文名人とは呼びがたい。
 誇国拡領の旗のもと、実に多くの人種が、カルガニルム共栄圏に組み入れられたのだ。
 報の一文字をとっても、人種に合わせて字体は改造され、その種類は十五種類もある。一体、どれを使えば、報告書はうまく書けるのか。
 複雑すぎる。
 そして、社会を濃密に結び合うのは、ウェブのネットワークだ。
 ウェブが本格的に生活に浸透してから、それほど時がたっているわけではない。それなのに、あれはなんと存在感を持つものか。
 ウェブ。蜘蛛の巣。
 目をつぶると、足の下に、巨大な蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らせられているのを感じるようだ。
 把握することなど、まず不可能。
「……掃除が必要なのだろうか」
 イェルンはつぶやいた。
「いいから、早く報告書をこしらえよ!」
 携帯電話が司令官どのの声で怒鳴る。

 イェルンは七転八倒してみるが、報告書は出来上がらない。
 報の字のところで止まっている。
 イェルンはペンをとってみる。
 すると、急に息苦しさが襲ってくる。なぜだ? 報告書のせいではあるまい。
 そうだ、今朝煙草を吸ったせいに決まっている。今朝は実に煙草を吸った――
 遠巻きにしたUX3隊員たちの、ひそひそとした声が神経にさわった。
 UX3か。
 そして、この湿気。
 アウグストは、こういう街だ。
 三英雄のうちの一人、シェルンスを思い出す。
 シェルンスはもういない。
 彼女はここの全てが嫌になり、山の中へ去っていった。去り際に、UX3の高価なテクノロジーをいくつかかすめ取った。
 俺も山へ行くべきかもしれない。
 イェルンは、最近、嫌なことが起こるたびにそう思う。
 同じく三英雄と呼ばれることから、シェルンスと共通したものが、イェルンの中にもあるのだろう。
 ああ、だが、イェルンは山が嫌いだった。
 山というのは、ふもとに立ってみると、ヘイ、イェルン、おまえを押しつぶしてやるぜ、と言わんばかりに押しかかってくる。
 だが、登ってみると、大層あっけない。いつの間にか足の下で小さくなっている。得られるものは標高の違いばかりだ。
 ああそうだ。山は好かん。
 魔物の方がまだマシだ。
 
 三英雄のもう一人、リアンと言えば――

 食堂の扉が砕けんかと思うほど、唐突に開いた。どやどやと、騒がしい奴らがやってくる。
 リアンのチームに決まっている。
 仕事を終えて帰投してきたのだ。
 リアンの右腕、アーリクがイェルンを見るなり、駆け寄ってきた。
 あっはー、イェルンさん、どうしんたんですか、元気ないじゃないですか、といった類いのことをやけに早口で言う。イェルンの肩をずばんずばん叩き、がくがく揺さぶる。
 イェルンの精神は最前まで、身体から漂い出ようとせんばかりだった。
 いま、激しく揺さぶられて、精神が身体に戻れなくなりやしないか、とかすかに心配になる。
「はい、晩御飯作りましたよ」
 厨房から、UX3隊員の一人、ノシュナが鍋を持ってやってきた。ローブを羽織る彼女は、魔女だ。
「おおお!」
 アーリクは歓声を上げると、イェルンのことを忘れ、チームの隊員たちを席につかす。
「「いっただっきまーす」」
 帰投して十秒も経っていないのに、彼らは晩餐会を始めた。わいわいがやがやだ。もう、テレビの音など聞こえない。
 なぜ、こいつらはこんなに、エネルギッシュなのだ!?
 魔物やテロリストを相手取る、血まみれの仕事を終え、このじめじめした要塞都市に帰ってくる人間は、もっと、こう、どんよりとした面付きをうかべるべきなのでは?
 みんなの手の中のお箸は、メーカーの宣伝文句を発光ダイオードの薄明かりとして放ち、料理をぼんやりと照らし出す。アーリクがハッジボッジの盛られた、木製のボウルを回してきた。イェルンは小皿に取ったりせず、そのまま食べる。
「報告書のせいで、俺の胃はぼろぼろに違いない。大した食欲がないことが、これを立証している」
「イェルンさん! 独り占めしないで、みんなに回してください!」
「あの、黒い外套着た子は、どしたん?」
 魔女のノシュナがきいてきた。イェルンのチームで、一緒に魔物を退治した、フュークトのことか。
「ああ、雷出して魔物を吹っ飛ばした。その後、ぶっ倒れた」
「ほう、雷? どういったトリックよん?」
「あれって、ある種の生体電流を増幅して撃ってるそうだぜ。どこで手術受けたのか知らないけど、無茶やるよ」
 リアンの副官アーリクが顔をしかめて言った。
 最近、この街で、黒いつるつるしたゴム製帽子とレインコートを着ている者が多い。それは単なる流行ではなく、新人フュークトの雷を恐れての絶縁ファッションだった。あの少年はとてつもない能力を持つくせに、それを制御する能に欠けるのだ。
「おい、塩取ってくれ」
「あれほど強大な能力は、フュークト本人にも悪い影響を与えるに違いない。早く安全策をとらないと、フュークトの寿命は雷を出す度に――」
「イェルンさん、塩は青いキャップ。そりゃ赤い」
「ぐえぇ! これは七味だ! 辛い! 俺の口の中にユルメ・イゼルド連合帝圏の奴らは核爆弾を仕掛けたに違いない!」
 イェルンは苦痛に叫びながら、怒鳴る。
「ああ、うっさい!」
「ほい、水」
 すぐにイェルンは持ち前の摂食能力を取り戻し、餓鬼のごとくボウルの中身をがっついた。
 料理は薄味だが、おかげでジョマヅの漬け物と相性が良い。
 話題は、新人の出す雷、雷を伴う低気圧の行方、行方不明の大統領、大統領の失政、失政の有無に関わらずに不景気、と移り変わり、みんなは失業率についてやたらと発言した。
「ハウノイ州の失業率はついに15%か」
「レデンプション市の14%、クルムの13%を越えるとは」
「ラット州の11%も酷いし、さらに上がるやろね」
「なんの、クリストフ経済特区なんて15.5%の大台を突破したぞ」
 ……なぜ、こんなに失業率のことばかり言うのだろうか。不思議に思えた。
 だが、イェルンは真意に気付いて、ぞっとした。
 あまりに景気が悪くて、メディアで失業率が強調されたためだ。もはや、都市の特徴を述べるときに、その人口や、特産品、観光スポットを上げるよりも、失業率の数字の方が分かりやすいのだ。
 ここまで景気が悪いとは。
 一方、こんな世の中の現状を、活発に議論できるリアンのチームの、なんとタフなことか。一体、このエネルギーは何に由来するのか。
 決まっている。
 こいつらのリーダーのせいだ。

「そう、あわてずとも食べ物は逃げやしないぞ」
 鍋の中身をそのまま胃に流し込みながら思案していたイェルンに、背後から声がかけられた。
 大柄な男。
 三英雄のひとり、リアン。
 つばの広い帽子をかぶり、厚い胸をはだけながら、上着を羽織っている。帽子やベルトにはじゃらじゃらと金属の飾りがついていた。
 フュークトの雷も恐れない出で立ち。
 リアンは剛胆な男だ。そして、几帳面にもなれる。つまり、弾力があるのだ。自分の力で自分の性格をコントロールできる男。
 さらさらした髪を腰までなびかせ、口の周りには大ざっぱな髭を生やしている。
「これも戦争だ。俺が食べ物を食うか、食われるか、そのどちらかだ」
 イェルンのうまい台詞に、二人のUX3部隊長はさっと笑った。
「魔物が出たそうだな」
「雑魚だ」
「ああ。だが、魔物の数は増え続けている」
「くだらない、けだものだ」
 リアンはずんっ、と武器を地面に突き刺した。鉄の塊のような大剣だ。
 彼は、他の隊員に聞かれないように声を低くした。
「だったら、そのしけた面をどうにかしろ。おまえは私と同じく、部隊長なのだし、おまえの表情を見ていると、なんだ? いまにもユルメル人と魔物とムスファドの反乱軍が融合した敵がアウグストを取り囲み……とにかく、部下はぐだぐだぐだぐだそう考える。こいつらの士気を立て直すのに、私がどれほどのパフォーマンスをする必要があるのか、分かるか。うーん?」
「俺の表情ごときで傾ぐほど、かわいげのある連中じゃないだろう?」
「おまえは三英雄の名を過小評価している。三英雄は、さながら放射性物質だ。世界は三英雄色に染まっていく」
 リアンはオペラ歌手のように、声を張り上げた。
「世界は本当に三英雄を必要としているのか? 大戦は終わったんだ」
「UX3は若い組織だ。これを育てるのは、大戦を生き抜いた人生の教師である私たちだ。私はUX3に影響を与え、これを育てていく。水をやる。家庭菜園のように。餌もやる。コネコネこねる。技工作業のように……とにかく、時間のかかる仕事だし、司令官どののような愚物の邪魔もある。だが、忍耐は力だ」
 なるほど、家庭菜園か。
 リアンは自分の影響力を使ってUX3を育て、彼の芸術品にしようとしているのだ。
 そして、リアンがいるのと、いないのでは、UX3の未来も全く違うものになるはずだ。
 リアンにはオーラというか、言葉にできない迫力が備わっているのだ。
 俺も真似ることができるだろうか?
 ああ、しかし、イェルンは家庭菜園も嫌いだった。
 次いで言えば、イェルンに忍耐はない。だが、力はあった。
 リアンは椅子に座り、アーリクがその首にうやうやしく白布を巻き付ける。ノシュナが銀の蓋のついた皿を、彼の前に置いた。
「俺を悩ませているのは、UX3の未来じゃないんだぞ、リアン」
 イェルンが報告書のことを話してやろうとすると、リアンはちょっと待て、と手で制した。いつの間にか、辺りは静かになっている。
 リアンの手にグラスが渡され、濃い紫色の液体が注がれる。怖味の粕汁か、ニクスのワインだろう。
「それでは、前作戦の成功について、リアン部隊長に乾杯の音頭をとっていただきとうございます」
 アーリクがそう言って、リアンチームの全員が起立した。
 イェルンはリアンチームの儀式を、観客の目で見る。

 報告書のことを言うと、案の定、騒がしいことになった。
「信じがたい」
「ありえる? こんなこと」
「うんにゃ、考えられねえ」
「まったくです」
「ゼロフちゃんに頼り過ぎるからこんな風になるんです」
 イェルンは歯をむき出し、
「おい、リアン。おまえたちはどうやって書いているんだ」
「リアンチームはそのチーム目標にのっとり、報告書は寄せ書きスタイルなん」
 魔女ノシュナが説明してくれる。そう言えば、リアンの部下どもは、UX3の規定に並行して、彼ら独自のルールと作法を持っているのだった。
「ちゃんと期日までに提出してやれよ」
「そうですよ。キラちゃん、泣いちゃいますよ」
 アーリクが事務の女の名を上げた。イェルンは顔をしかめて、
「彼女が俺を泣かすのは造作もあるまい」
 UX3の事務なのだ。ただ者にこなせる仕事ではなかった。
「大戦を生き抜いたおまえなのだ、イェルン。おまえなら、片付けることができるだろう」
「簡単に言ってくれるぜ」
 イェルンは報告書を書くのに向いた才能を持っていない。
 報告書を書くのは、なんというか、先の見えない薄暗い道を、永遠に歩き続けることを要求されているのに似ていた。
「ゼロフはどこにいる?」
「ハウノイ州のどこかだ。どのみち、俺らの親愛なる司令官どのは、ゼロフの完璧な報告書がお気に召さない」
「あれは、見下げ果てた老人だな。ったく、おまえの手が必要な仕事は百もあるというのに」
 リアンは床に唾を吐いた。それからアーリクを向いて、
「おい、アーリク、失業率が一番低いのはどこと言った?」
「ハウノイ州ですよ。もちろん」
「州都ソーア・ツェンユーか?」
「いんにゃ、その南百キロほどのところに、ハウノイ・アマトというひどい街があります」
「……だそうだ、イェルン」
 リアンが、失業して暇になったもの凄い数の人間と、それを使って集める大量の情報のことをほのめかした。
「現場近くに住む人間の生の声ほど、報告書に臨場感を添えてくれるものがあるか?」
「いんにゃ、ありませんね」
 だそうだ。
 イェルンは溜め息をついた。くそったれの報告書のためにそんな所へ行けと? いいだろう。
 コンタクトレンズにハウノイ・アマトのマップがダウンロードされる。
「分かった。俺の報告書、少し有効利用してやるよ」