赤い大地で青空探すと(5)
◆◆◆
牢に入れられて何日たったのかは、もう分からなくなっていた。天井は常に灰色。こんな空間がリメンバランス内にあることすら想像したことはなかった。
もともとコロニーでは時間の概念は薄かった。朝や晩というのも、シフトを表現するための、古い習慣でしかなかった。なくなった所で、どうなるものでもない。
寒さ以外に感じるべきものもない。
幸いと言うべきか、考えるべき事は無数にあった。
部屋の床や私の身体には薄く砂が積もっていた。この部屋は密閉されているのに、一体どこから砂は入ってくるのだろう?
赤い砂は理屈抜きで積もっていくものなのかもしれない。
いまなお、リメンバランスの住民カードは持っているが、所持ポイントは表示されない。役職さえも。全ては失われてしまった。
私は、これほど自分が小さく、そして不安定な場所にいる存在であることを感じたことはなかった。いまやリメンバランスは私を守るどころか、私を閉じ込め、できる限りの方法で私を傷付けようとしている。
もともとリメンバーは人類の味方でなかった。そして、私は純粋にそのことに気付かなかった。
と、誰かに見られたような気がした。
「モル?」
『生憎だが、リメンバーだ』
リメンバーのねっとりとした声が天井から響いてきた。
『元気そうだな』
「ええ。あなたもね」
植林者殺戮のゲームが始まってすぐさま、私はモルの秘密のロッカーへ忍び込み、彼のスーツを入手した。
無論、スーツは彼の体格にセットしてあったが、スーツは地球人の技術の結晶。設定を変更するのに手間はかからなかった。モルは隠してあるスーツをロックするような手間はかけていなかった。
それから私は廃棄階層へ下り、無人の情報発掘局に入った。
私が使いたかったのは、私の仕事道具だった。椅子をステーション型端末へと入れると、私はリメンバーへの侵入を開始した。いままで防御措置の施された古代情報を破るのに使っていた技術を、そのままリメンバーに用いたのだ。
『まさしく、飼い犬に手を噛まれてしまったわけだ。君は、本当にクラッキングで私を破壊できるとでも考えたのかね?』
リメンバーは余裕の声で尋ねてきた。
だが、あの日、保安局のスーツたちが飛びかかってくるまでに、ずいぶん時間があった気がする。
リメンバーは、本当は驚いたのでは?
『しかし、君の友人、モルはすごいな。君のせいで、彼はスーツを失った。それなのに、彼はどこかへと姿をくらませたよ。保安局に捜索させてはいるが、正直足取りも掴めない。まったく、地球生まれの人間にはいつもイライラさせられる』
「彼は最後の航宙士なのよ」
『君を助け出すために、のこのこ出てくるのを期待したのだけどね』
私は目を閉じた。リメンバー本体に侵入した際に、彼が人類から隠していた数多くの情報を目にした。
そして、そのうちのいくつかは、固定記憶として、そっくりそのまま私の一部となっている。
「ヒトゲノム情報を見つけたわ」
『今回のクエストの思い出に、記憶しておきたまえ』
人工知能は言葉を舌の上で転がす風に言った。
そうだ。
ヒトゲノム情報そのものが、私の頭の中にあったとしても、何の意味もないのだ。
私がリメンバーを攻撃した事実は、何ら影響をもたらさなかった。
当然だ。
マーカスの攻撃システムはリメンバーから独立しているのだし、リメンバーはそれを使って植林者を殺戮することを我らに吹き込んだに過ぎない。
私が攻撃すべきだったのは、人間だったのだ。
リメンバランスの生命維持に打撃を与えて、数千人の住民を殺し、人類の最後の晩甲に終止符を打つべきだったのだ。
だが、もう遅い。
リメンバーは二度と不意をつかれることもないだろう。
『君をリメンバランスの外の外壁に配置しようと思う。君の行動は異常だ。重度の失調に違いない。だが、壁の外なら、他の人間に迷惑はかからない』
――それどころか、私を端末に近づけることすらしないつもりだ。
私は思わず立ち上がる。そして、息も荒く叫んでいた。
「娯楽室に配置して!」
『なんだと……?』
高度の知性の声が、束の間、口ごもった。
「植林者作成や、人類の基礎遺伝情報を目にして、私は理解したわ。植林者は人間が生んだ生き物。人間のために存在するのよ。私たちが彼らを殺戮するのは、間違った行いではない」
偽りの言葉が口をついて出た。
自分の中から、こんな言葉が出てくるなんて。
「彼らを滅ぼすということの事実は、私たち人類の強さを表すわ」
声の震えを意識して抑えようとする。
「それに……あなたを楽しませることが出来ると思うわ。私にやらせて。お願い」
初めは小さな、控えめな笑い声だったが、すぐに聞いたこともないような大爆笑となった。
『本当か!? 素晴らしいぞ、ウィティ! 植林者殺戮に手を貸してくれるのか! ははははは!』
嘘つきは嘘をつかれるのが苦手なのだろうか?
リメンバーは笑い続けた。
その音量で、床の砂が揺れた。私はたまらず、耳を手で押さえた。
それでも笑い声はほとんど緩和されなかった。リメンバーはひたすら笑い続けていた。
◆◆◆
オレンジ色の光が大地をなでていく。
地上で水蒸気が爆発し、土くれ、木切れが百メートルかそれ以上吹き上げられた。
逃げ惑う植林者をレーザーがかすめ、彼らは走りながら灰と化した。
私はその状景を静かに見つめていた。
古代記録で目にした神話や聖書を思い出す。神々の気まぐれな暇つぶしで殺されていく植林者たち。
一週間、全てのゲームを見てきた。
多くのゲーマーは好意的に言ってみても、ひどい腕だった。
地球との交信に往復一時間はかかる。カメラの操作と同じで、攻撃命令にも当然、交信の時差が生まれる。
通信差というものを理解しないのか、植林者を狙ったはずが、山を削るだけで終わってしまうなんて事がざらにある。
ちょっとポイントに余裕があるから、レーザーで地球表面に印をつけてみたくなった。そのような動機しか持たないゲーマーは大量のポイントを失って、消えていった。
一方でマーカスの攻撃衛星は、恐ろしくなるほど高性能だ。光線が空気中から水中に差し込んだら屈折するのと同じで、攻撃レーザーを宇宙空間から地表に撃ち込んでも、レーザーは曲がってしまう。だが、衛星はそれを補正している準知能を持っている。
アイディア次第で、様々な攻撃的アクションをとれるように設計されていた。攻撃衛星は十二個存在するのだし、レーザーの強弱や拡散率までこちらから設定できる。慎重にレーザーを調節すれば、集落ひとつを吹き飛ばした後、滑らかな深い三角錐を作ることさえできるだろう。
リメンバー本体にアクセスすることは厳しく禁じられていた。それなのに、データ鉱脈は私のために再び開かれた。
廃棄層は再び生命維持されたのだ。情報発掘局はいまだ解散したままなので、私の他にデータ鉱脈を使う者はいなかった。広大な情報記録媒体のなか、いるのは私独り。モルのような、気の散る要因はなかった。
加えて、罪のせいで私の所持ポイントはゼロだ。他にできることはない。リメンバーを喜ばすために、ここで戦法を漁るしかなかった。
私は戦争のことばかり検索した。そして、すぐさま大量の情報を手にしていた。リメンバーがずっと続けてきた妨害をやめたためか、もともとこのジャンルの情報が多かったのに私が気付かなかっただけか。
照準の方法、最大の成果を上げるためのレーザー爆撃、戦術的目標の見分け方、敵の逃走経路の遮断爆撃。
やがては戦闘教練ソフトを発掘して、私は架空の標的を攻撃するまでになった。
私は殺し手、殺して、殺し続けた。
自分が殺害の機械に変わっていくのを自覚した。
リメンバーは嘘の権化だった。マーカスもまた嘘の存在だった。だとしたら、私もそうに違いない。
モルの言っていた通り、人類は答えを求める存在。だが、それだけではない。その答えから、自らの存在さえも変えていける種なのだ。
もはや、後戻りはできなかった。
かといって、先へ進むことは何を意味するのだろう。
そして、ゲームの日は来た。
私は大歓声の下、ゆっくりと娯楽ホールを歩いていく。座席だけではなく、キャットウォークにも、人がこぼれ落ちんばかりに集まっている。
私はずっとリメンバーに認めてもらいたかった。生まれたときから、リメンバーに教育されている間も、大人としてコロニー社会に加わった後も。
しかし、それももう失われた過去の感情。
殺戮好きのコロニー住人の評価など私にとっては無意味。だから、耳を聾するような歓声に包まれて娯楽ホールに入りながらも、私の精神はかつてないほどクリアだった。
私はゲームプレイヤー用のステーションにつく。情報発掘局にあるものと似てなくもないが、よりシンプルで、端末操作に不慣れな人間でも、用意に殺戮を行えるようになっている。
相手のステーションは巨大スクリーンを挟んだ、ホールの反対側に設置されていた。
数人の男女があちらのステーションを取り巻いている。服の色から、彼らがプログラム局と分かる。彼らがチームを組んでいるのに対し、こちらは一人。私はいつも一人だ。
巨大スクリ−ンを見上げる。地球はいくつかの色に分かれていた。
かつて人間が残した破壊の後の黒い色。植林者が再生させた緑の色。そして、再び人類が、遠く火星から投じた、炎の赤い色。
今回のゲームボードは私の愛する、サンガラの集落だった。
植林者の人口が半減したのに、まだ彼女の集落が無傷とは驚きだ。
ホーンが鳴って、ゲームが始まったことを告げた。
ゲームのルールは、考えつく限り、最もシンプルなものだった。どちらのプレイヤーがより多くの植林者を殺すか。
私はサンガラの行動パターンを理解していた。いや、サンガラだけではない。この集落の植民者たちを、地球の映像が届き始めてから、ずっと注目していた。
連日の、地球人の攻撃にも関わらず、彼らのスケジュールに変化はないようだ。リメンバーとメディア局は、私の心を掻き乱そうと、ここを舞台に選んだのだが、むしろ私にとっては幸運だった。
ステーション型端末のスクリーンの上を、私の両手が踊った。
カメラ/攻撃衛星に次々とコマンドを打ち込んでいく。その命令は、この端末からリメンバランス艦首部の大型通信アレイに届けられ、地球に向けて発信される。ご丁寧なことに、そのためのエネルギーも二十年前から艦首部に充電されていたらしい。
命令が衛星に届くのは三十分後、その成果がこちらに伝わるのはさらに三十分後。
メディア局はその間、ホールに詰めかけた人々を退屈させないよう、事前に編集した番組を放映していた。テーマは当然、植林者への攻撃。
だが、私には端末から目を背ける余裕はない。ただ、背中に爆音や歓声、光と熱を感じるだけだ。
三十分は飛ぶように過ぎていった。
相手チームからのレーザーが、画面を切り裂いた。着弾地点は村の真ん中。
直後に私のレーザーも、煌めいたが、それはゲームボードの端をかすめただけだった。
観客たちが一斉に嘲笑を放った。
相手チームの方が、集落に近い衛星の制御権を購入していた。そのため、私は先手を取られたが、どのみち、全ての命令は三十分前に出してある。
私の興味は、相手チームのレーザー威力にのみ向いていた。威力は……助かった。低めだ。
ゆっくりと植林者をいたぶって殺すことが、観客の受けがいいと判断してのことだろう。ゲーム初期の数試合の派手な爆撃の後、すでに観客はそのシンプルな手法に飽きているのだ。
私の全身から力が抜けかける。
相手チームは腕利きだった。今までと同じレーザー爆撃では、観客は満足しないことを知っている。
そして、彼らは、集落の真ん中にレーザーで文字を書いていた。なるほど、レーザーを使えば、字でも絵でも何でも描ける。いままで、誰も思いつかなかった方法だった。
書き間違えたら、やり直しはきかないが、そんなミスは入力の際に潰せる。レーザーの出力を調節すれば、色さえも思い通りに操れるのではないだろうか。注目に値する技だった。
当然、キャンバス上にあるのは植林者の集落。
恐るべき熱量の光線が植林者の家や、穀物倉庫を切り裂き、燃え上がらせる。
観客は熱中し、室温が五度ほど上がったと思えたほどだ。その中、私だけは焦っていた。私の計算は狂ったらしい。私のレーザーは!?
「……うまくいった」
まるで白い竜がゲームボードを飲み込んでいくようなものだった。
私のレーザーが植林者のダムを打ち破った。濁流が見る間に畑や森を飲み込んでいく。
あっという間に集落にまで達した。相手チームがレーザーで何を書いていたのであれ、それは直ちに水に飲み込まれた。ホールの反対側の、相手チームから怒りの怨嗟が上がった。生き残った植林者たちが逃げ散っていく。
ウィティ、一点先制。
これが私の策だった。水を使って、火に打ち勝つ。
植林者たちは不定期なスコールのおかげで、水害には慣れているはず。ダムの決壊にも何度もあっているだろう。彼らなら、鉄砲水が来たとき、どこへ逃げるべきか知っているはず。
同時に、水はレーザー爆撃から彼らの集落や畑を一時的に守るだろう。もちろん、植林者が大打撃を受けるのは変わらないが、それでもガラス化したクレーターよりかは、洪水の跡地の方が、復興が楽なはず。
私は植林者を守ったのだ。
全ての家は押し流された。だが、もう、植林者は誰も残っていない。私は、顔にかすかな笑みが上がるのを許した。
だが、直後に笑みは凍り付く。
小さな毛の塊が、灰色の水に飲み込まれるのが見えた。逃げ遅れ。
そのすぐ近くの木の上で、植林者が一人、必死に幹にしがみつきながら、叫んでいるのもスクリーンに映った。サンガラ。
サンガラは何をやっていたのだ。
彼女と夫とその子たちは、この時間、村から二キロは離れた、彼女たちの畑にいるべきなのに。
しかし、サンガラ一家はこの日に限って、ばらばらに行動していた。理由は全く分からない。忘れ物を取りに戻ったとか、間の悪い夫婦喧嘩かもしれない。
だが、結果として私は植林者を殺した。殺すまいと打った手が奪ったのは、サンガラの子の命だった。私が、殺したのだ。
私は苦痛に燃えて震えた。
私の奥歯が音を立てた。
まだだ、ウィティ。私は感情を凍らせて、封印することができる。
ブーンと低い音がして、巨大スクリーンが灰色になった。群集から、悲嘆と失望の声が上がる。私は大きく息を吐いた。
地球が夜の側に入ったのだ。つまり、今、リメンバランスから地球を目視することはできなく、通信は届かない。地球軌道上の人工衛星のようなものが、火星にはない。
遊ぶのは昼間だけ、夜は眠る時間というわけだ。
私はざわめき声を背に、娯楽ホールを後にした。
『見事な勝利だよ。ゲームのルールを逆手に取ったね。相手チームの殺戮とパフォーマンスを抑えて勝利するとは。おめでとう』
一番聞きたくない声が猫なで声で話しかけてきた。
私のカードが鳴った。見ると、所持ポイントが大量になだれ込んできていた。私は金持ちに咲き戻ったのだ。
『可愛がっている植林者を守るための、素晴らしい努力だ。しかし、同じ手は何度も使えないよ?』
この状況が楽しくて仕方がないらしい。AIは喉の奥で笑うような音を立てた。
『次の敵手はそれを予測してくるだろうし、群集も満足しないだろう。どうするつもりなのかな、ウィティ?』
どうするつもりなのだろう。自分でも分からない。
私は歩き続け、声はどこまでも着いてくる。この声を追い払うにはどうすればいいのだろう?
私は大量のポイントの詰まったカードを静かに見下ろした。
◆◆◆
私は再び赤い空の下を歩いていた。
スーツは酷い代物で、間接に違和感があり、圧電繊維の反応も鈍い。循環する空気はおかしな匂いで、ヘルメットは傷だらけのせいで視界が不良。
大昔の、地球人の作った優秀な道具とて、良好な状態に維持するのは、並大抵なことではない。
あの男なら、もう少しうまくやるだろうけど……。
ビーコンから、私の位置を補足される危険があった。だが、すでに私はビーコンが衝撃によって外れやすいことを知っている。
おかげで、私はコロニーに悟られることなく、その外縁を歩き回ることができた。
次のゲームは、明日、行われる。
相手はリメンバランスで最高のゲーマーだそうだ。
その相手は昨日の試合で、攻撃レーザーで地球軌道上の古代建造物を射ち、なんらかの爆発を起こした。建造物は燃えながら地球に突入し、植林者の村をまとめて吹き飛ばした。
うまい手だと認めないわけにはいかない。攻撃レーザーは地表にしか射てないわけではないのだ。
一体、どういう計算をすれば、そんな芸当ができるのか、私にもさっぱり見当がつかない。人類の、植林者攻撃の方法は、どんどんエレガントになっていく。
どうすれば、植林者を守れるというのよ……。
昨日みたいに、植林者の集落を水で覆っても、隕石相手には何の意味もないだろう。
それに、私がやったことだって、サンガラの子の命を奪った。
マーカスのシステムは強力すぎる。私が試みた方法などで、植林者を守ることなど、もともとできなかった。
どのくらい歩いたのか、分からなくなった。リメンバランスが地平線から消えてしまえば、帰ることもかなわなくなる。
そのうち、それが見えてきた。遠目には岩に見える。だが、すでに私はポリマー製の偽物と知っている。
その陰に、深緑色のスーツが腰掛けていた。
一瞬、マーカスの死体を思い出して、私の体を震えが走った。しかし、そのヘルメットを覗き込むと、モルはゆっくりと目を開いた。
「モル……」
「睡眠中、酸素分圧を落とすのは、航宙士たちの生活の知恵だった」
彼の声はしわがれて聞こえた。循環器系に忍び込む砂のせいだろうけど……本当にそれだけだろうか。
ローバーの下にもシートが引かれ、工具が散らばっている。モルはその手でローバーを修理しているのだ。
「あなたは本当に、リメンバランスの外でも生きていけるのね」
「航宙士の試験には、身体ひとつでタクラマカンや南極を横断するなんてものまであったんだ」
モルは何度か激しく咳をした。
「ん……僕があげたスーツじゃないな?」
「あれはとられちゃったわよ。でもエンジン採掘士に持ってるありったけのポイント渡して、貸してもらったの」
「法律違反だな。賄賂の再発掘ってわけだ」
私は、こんなことばかり言う航宙士の隣に腰を下ろした。地面に敷かれた断熱性の高いマットのおかげで、冷たさも、凍傷の恐怖もなかった。
私は赤い空を見上げた。バックパック式バッテリーのおかげで寝転がることはできない。
「マーカスは、あなたにとっての何だったの?」
「マーカスか……」
モルは、しばし地平線を眺めた。
「赤い星に夢をかけた同志だな……」
彼はゆっくり首をひねり、私を睨みつけた。
「火星生まれの何が気にくわないって、おまえたが地球を楽園扱いする所だ。僕は地球が大嫌いだった。あそこはいつだって物情騒然としていた。百億もの人間が、みんな自分のやりたいことをやっていたからな」
「地球が……嫌い……」
「なるほど、今はあの植林者どもが地球を楽園にしてくれているかもな。だが、人間に植林者の真似はできない。人間は欲望の生き物だ。情報発掘士たるおまえなら分かるだろう? 地球が楽園だとしても、人類の楽園ではない」
強い風が、足下の土塊を転がしていく。
「僕たちは地球を忘れなければならないんだ! 地球は帰るべき場所ではない」
それができる人間は少ないだろう。それは分かる。
「僕たちの故郷はここだ。この赤い惑星だ」
モルは締めくくると、もう喋り飽きたとばかりに、口を閉じた。
私は頭上にダイモスが現れていることに気付く。いつの間に。
いびつな月。過酷な大地。赤い空。狂った人工知能。人類が生き延びる可能性、この惑星に適応できる可能性は少ない。
だけど。
「植林者を救わねばならないわ」
我々が救われないにしても、地球の彼らを巻き添えにする権利はない。
「当然だ」
モルはゆっくりと立ち上がると、私の両肩を掴み、ヘルメットをくっつけてきた。私は彼の目を見返して、言葉を待つ。
「マーカスの攻撃システムをシャットダウンしろ。ゲームが始まったら、相手チームが命令を地球に向けて発信する前に、あのシステムを掌握するんだ」
「そんなこと……」
できるのだろうか? 地球生まれの、英雄マーカスが、植林者を滅ぼすために設置した軌道砲台を、私一人で。
「マーカスの攻撃システムは、おまえのことを、奴の右腕、ソフィアと考えた。そして、あれほどのシステムなら、AIとまで行かないまでも、準知能を搭載していることだろう。おまえを覚えているはずだ。運が良ければ、防壁すら存在しないかもしれないし、あったとしても、リメンバランスのハッチ開閉システムを破ったおまえなら、突破可能だろう。だが」
モルは眉間に皺を寄せた。
それだけではないのだ。そんな簡単に行くのでは――
「だが、それで十分かどうかは分からん。マーカスはあのレーザー衛星の他にも、兵器を地球に残してきたのかもしれない。それが、ひょんなことから誰かに発掘されてしまえば、また植林者は攻撃される」
私はうなずく。目を閉じれば、ここ数日の、激しいレーザーの鉄槌が目蓋の裏に蘇る。あれをまた繰り返さないために、私がとるべき方法は。
「……考えがあるわ」
「そうか」
私は話そうとしたが、モルは手で制した。自分で片付けろということだ。
分かってるわよ。
さらにいくつか、モルにやるべきことを頼むと、もう話し合うべきことはなかった。だが、別れ際に、私はいつぞやの約束をあげた。
「まだ、青い空を見せてもらってないわね」
「ああ、そうだ。おまえは僕と一緒に青い空を見るんだ」
モルは怒ったような口調で行った。
頭上をゆっくりとダイモスが横切っていく。
◆◆◆
私は走っていた。
ゲーム会場は案の定、超満員だった。
だが、彼らの楽しみにしていた殺戮のゲームも今日で終わりだ。
私はマーカスのシステムを破壊した。
通信衛星は爆発した。残るのは、薄く拡散するイオン化したガスのみだろう。
だが、その爆音は火星までは伝わってこない。地球と火星を隔てる真空はあまりに広く、通信を担っていた衛星はもはや、ない。
『ウィティィ!』
人工知能が、コロニー中に響く怒声を発した。すでに私のやったことを察したか。
観客たちの多くは、まだ何が起こったかわからず、客席で呆然としていることだろう。だが、そのスクリーンが地球を映すことは二度とない。
私はとっくに会場を離れ、走っていた。ホールは超満員の上、観客は私にではなく、スクリーンに集中していた。抜け出すのは造作もなかった。
私は廃棄階層を全力で駆け、モルの秘密の通路にまでたどり着いた。激しく喘ぎながら、どうにか床の扉を持ち上げる。
リメンバー。あの感情を持つ、最高の知性は、私に出し抜かれた。私を見くびりすぎた。感情があるがために、私に負けた。
奴を支配していた感情は驕慢かなにかだろう。リメンバーは、人間の失敗から学ばなかったのだろうか? あるいは、人間を嫌い、軽蔑するあまり、それさえも怠ったのか。
いま、リメンバーは怒りに支配されているだろう。ここの生命維持も切られているはずだ。
急がねば。
秘密のロッカーに着くと、スーツを着たモルが待っていた。
「抜かりなくやったようだな」
彼がヘルメットを投げてよこした。
「早く着ろ」
ロッカーには、見覚えのない水色のスーツが置かれていた。
「このスーツはどこからとってきたの?」
「重要なことか?」
モルは、とんでもなく疲れているように見えた。
「……盗んだのね」
「そうだ。早く着ろ」
私は圧電繊維製のアンダーに頭を突っ込む。
「航宙士と言ったところで、元は宇宙戦艦に乗る人殺しだ。おまえたち火星生まれには想像もできないような、戦闘スキルだって覚えている」
彼は低く言いながら、奥のエアロックを向いた。ふらついている。怪我をしているのかもしれない。
「スーツが足りないのなら、無理をしなくてよかったのに。スーツがなかったら、私はここに残って、罪を背負うつもりだったのよ」
「くだらん。罪を犯したのはあっちだ」
私はモルをこれ以上ないほど信頼している。それでも、スーツのチェックは怠らない。
火星の上を歩く者としての、当然の用心だ。腕のコントローラーは緑色に灯り、全システムが快調であることを示した。
「ん?」
エアロックの前のモルが首をひねり、以前のようにエアロックを蹴飛ばした。
だが、扉は重たく沈黙したまま。
『ウィティ、私の楽しみを台無しにしてくれた罪は重いよ』
人工知能が、滑らかで、どす黒い怒りを含んだ声で言った。
「リメンバー……外壁には近寄れないんじゃなかったの? 怖くて」
『恐怖は抑えることができる。今はそれを上回る怒りに取り付かれているのだよ、ウィティ。そしてモル』
モルが厳しい顔で端末のスクリーンを指す。私は片方の眉を吊り上げた。
パスワードが変えられている。
「私たちをこのまま行かせてくれる気はないの?」
人工知能は、くっくっくと怪しく笑って返答とした。その笑い方から、私は発掘記録で見た、邪悪な魔法使いを連想する。
「解けるか?」
「それ貸して」
私はモルが腰に吊るしていたピッケルを引ったくり、隔壁にガリガリ数式を記し始めた。牢の中で思いついた、防壁突破のテクニックを試してみる。
『諦めろ、人間』
リメンバーが笑う。
『足音が聞こえるか? 保安局だけじゃない。君たちを八つ裂きにしたがっている、リメンバランス住人たちだ。彼らは、数少ない楽しみを奪われた』
諦めるべきなのだろう。相手は、古代の防壁ではない。狂っているとはいえ、人類の生んだ最高の知性。
それが私の前に立ち、全力で私の突破を妨害している。
万に一つとして、私が勝てることはない。
だが、私がやったのは、少し笑うことだけだった。
「人間と認めてくれてうれしいわね」
リメンバーのことを思い、それを突破する方法を考える。ネット上でリメンバーに勝つ手はない。
それなら、他の土俵ならどうだろう?
かつては崇拝し、その後、敵対した人工知能をからかいたくなった。
「私はマーカスの攻撃システムをシャットダウンしようと、発電/送受信ユニットを、攻撃衛星で打ち抜いたの。でも、まだ攻撃衛星は残っているわ。それは今でも私の命令に従って、レーザー攻撃を続けている」
私は天井の一角にリメンバーの顔を想定すると、笑いかけた。
「私が、レーザーを何に向けて撃ったのか、分かる?」
『分からないな。君は何を破壊したかったのかい?』
「あなたよ。地球から、ここへ通信レーザーが行き来していたわ。そして、通信レーザーの代わりに攻撃レーザーがここに届かないわけがあると思う? 不死身の人工知能たるあなたは、マーカスの攻撃レーザーを浴びても、人生を楽しんでいられるの?」
『なんてことをっ!』
リメンバーの声が上ずり、消えた。
もう気配を感じなかった。
モルまでもが目を丸くしているのに気づいた。私は笑った。
「嘘に決まってるでしょ」
リメンバーが消えたため、防壁はやすやすと解かれた。
「私が狙ったのは艦首部よ。あそこの通信ユニットがなくなれば、例え第二の攻撃衛星が出現しても、火星の人類はそれと交信できない」
「うまく当たるのか? 地球から0.5天文単位も離れているんだぞ」
「マーカスのシステムの精巧さを信じるわ。攻撃命令時には、システムは火星までの攻撃時差や、火星大気がレーザーに及ぼす影響を理解していたし」
私はヘルメットに表示される時刻を確かめた。
「レーザー到達まであと二十分ね」
「僕のローバーから、艦首部の連中に退避命令出さないとな」
エアロックがゆっくりと開いていく。光がなだれ込み、空気が荒れ狂いだした。
私は自分が、手にリメンバランスのカードを持っていることに気付いた。幾ばくかのポイントが詰まり、私の情報が記されたカード。リメンバランス住人の証し。
力を込めると、パキンと音がして、カードは粉々に砕けた。
「お願いだから、ローバーから落ちてくれるなよ!」
「あなたがまともな運転をしてくれれば、その心配はないわ」
私はコクピットのモルに言った。
もちろん、モルはローバーをしっかり準備していた。
モルには言っていない、秘密。
私はマーカスの攻撃システムを壊しただけではなかった。
人類が残したのが、地球や宇宙空間のゴミだけというのは悲しすぎた。
私は、人類という種を、静かな場所に保存したかった。
月。
月といっても、ダイモスでも、フォボスでもない。
地球の月、ルナ。
地球に最も近く、最も安定した世界。そこに人類の基礎設計図ヒトゲノムは記されている。マーカスのレーザー衛星はそのエネルギーが尽きるまで書き続ける。
植林者はいつか、私たちと同じように地表から飛び立つだろう。
もちろん、植林者にまだそんなテクノロジー基盤はない。だが、彼らは生き延びる。
そして、いつの日か。航宙船リメンバランスに劣らない彼らの船を造り、月に記された、人類の根源を目にするのだ。もし、植林者に、人類と共通するものが少しでも受け継がれていれば、彼らは答えを求めて、地球から広がっていくことだろう。
植林者が人類遺伝情報をどうするのかは、彼らの決めることだ。
そのまま放置するにとどめるかもしれない。だが、あるいは。
私たち人類が彼ら植民者を作ったように、彼らは人類を作ってくれる可能性もある。
いつの日か。遠い未来の話。
そのとき、植林者によって作られた人は、また故郷の上に立つ資格を得るのだろう。
とはいえ、私は座して滅びるのを待つことなんてできない。
また、リメンバーのいるリメンバランスで、情報発掘を続けることは論外。
私は外へ行くことにした。
幸い、モルは同行者を求めていた。
住人の死に絶えた、四隻の航宙船のどれかに出会える可能性は極めて低いものだろう。だが、モルは何年もかけてこの旅の準備をしてきたし、私のスキルだって、何かの役には立つはずだ。
モルではないスーツ姿がコクピットの助手席に座っているのを見たとき、私の心臓は跳ね上がった。
だが、よく見れば、見たことのあるスーツだった。
「マーカス……」
「そいつのための墓は用意してある。文字通り、死んでもリメンバーの物質的リサイクルの一部には入りたがらないだろうしな」
モルが運転に集中しながら言った。
「屋根に上るわ」
私は梯子を上って、ローバーの屋根に上がった。
太陽は沈みかけていたが、それでもぎらぎらと恐ろしい。それでも、私はローバーの屋根から動かなかった。
人類は確かに弱い。だが、太陽からこそこそ隠れることに、もう意味を見出せなかった。
私は火星の人間なのだ。
やがて、太陽が地平線へと姿を消した。
青い夕焼け。
私は顔を上げ、青空を見つめ続けた。火星の青い空を。
◆◆◆
ク・ヤイ・ンャクツィは、空を見つめていた。夕焼け。地球の赤い空を。
彼女が、異星の生き物にサンガラと呼ばれていたことを知ることはないだろう。
一瞬、誰かと目が合った気がした。
ンャクツィは何度も瞬きをしたが、もちろん、そこには空があるだけだ。
彼女の新しい男配偶者、ユ・ムナ・ヤクマは天空の光を恐れていた。
ンャクツィにもヤクマの恐れは理解できる。今なお、長女を災害で失った悲しみは去っていない。それが去る日など来ないのだ。
だが、災害は止んだ。
天空から炎が降り注ぐことはなくなり、代わりに月で光が踊っている。
集落の者たちは、それについていろいろ不吉な想像を語っていた。だが、なぜだろう。ンャクツィはその光を恐れることができなかった。
むしろ、なにか懐かしいものさえ感じるのだ。
ンャクツィは集落で一番鋭い目を持っているが、それでも光が何をしようとしているのか分からなかった。
足元に自分の子が這い寄ってきたのに気付いた。災害を生き伸びた子だった。まだヤクマにも伝えていないが、付ける名も決まっていた。
ンャクツィは子を抱き上げ、そのまだ柔らかい体毛を頬に感じた。
徐々に夜が近づいてくるのにも関わらず、月の緑色の光は踊りをやめようとしない。月にも人がいて、植林後の祭りをやっているのかもしれない。それが、きっとあんな光を生むのだ。
月の人と交流することはできようか? あるいは、共に植林さえできるかもしれない。
そのためには月へ行かねば。
月に近づくために、とても高い櫓を立てることはできるだろう。だが、それは集落の修復が終わり、植林が十分に達成された後でのことだ。
あるいは、ンャクツィの子は、ンャクツィよりも鋭い目を持っているかもしれない。
もしかして、この子はもう月にいる人の意思を読んでいるのでは?
ンャクツィの子は、ただ月に見とれ、何も言おうとしなかった。
疑問は多い。だが、いつか答えを得ることができるだろう。
◆
■あとがき!■
火星です。お読みいただきありがとうございます。
書きたいイベント全てを詰め込んだ結果、かなりの長さになってしまいました。
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