朝ご飯がお気に召した。今回はご機嫌さんで行けると思った。 演技してでも明るくしてみることぐらいやってやれないことないこと思い出した。 きっと、疲れる。その疲れが今の低迷を抜ける方法を導いてくれる気がする。 目が覚めたときは、夕べのはしゃぎぶりが嘘のように憂うつだった。 心細くて。モノレールではえらいことになったとつぶやいた。 リゾッチャ、リゾッチャとどこもかしこも楽しそうで、一人でリゾッチャするやつなんて、 見当たらないし。 毎日のお昼ご飯を食べるときの彼女たちのひそひそ話に不機嫌になってしまうことを思い出した。 スッチーが前の方の席の客に話し掛けている声が聞こえなくて。 距離的に、普通の人でも聞こえないだろうけど、いざ、自分のときになったとき、 聞こえないのは嫌だなぁ、と。けど、いつもカンで乗り越えてるじゃないか、大丈夫。 たいがい、こういう時に聞かれるのは 「お飲み物は何になさいますか?」 だ。 こんな、細かいところでこういう緊張をするのはくだらない。 だから、いらいらする。 「コーヒー、紅茶、○○○・・・か?」 「コーヒー下さい。」 大成功。配られた箱を開けるとハム卵クロワッサン、サラダ、マンダリン。 これがお気に召した。 機内のモニタにいかにもリゾートされた沖縄のいろいろな風景が映されている。 心臓の音が大きくなる。 夕べ、友達に「あっちで住むところ、探してくるんだぞ」と言われた。 それもいい話なのかくらいは確かめるつもり。 このパイロットはやたら慎重にか丁寧にかゆっくりおそるおそる着陸させた。 3回バウンドした。 窓から自衛隊の飛行機がたくさん並んでいるのが見えた。 は・は〜ん。沖縄ね。 レンタカーの会社の人が迎えに来ていてくれた。 17,8才くらいの女の子でまるで安室奈美恵だった。 ハワイやグアムの空港のように、ツアー関連のスタッフ達がごった返している。 どの顔も小さ目の輪郭に目がくりっとしていて、魅力的。 借りた車のドアを閉めるとひとりになった。 飛行機の中でもひとりだったのに、団体で行動しているような嫌な感じが。 初めての街の風景はいつも何処かに似ている。 広島に似ていると思った。 想像していたより広い道路。ビルの普通さ。 地図を見ながらここから一番近そうな観光地だと思った首里城へ向う。 地図が簡単すぎてなかなかたどり着かない。 地図ばかりを見て、風景を楽しめない。 目に入る風景は一般的に想像されるリゾート:沖縄のそれではなく、中国だ。 たどり着いた首里城の駐車場は出来たばかりのようであまりにも近代的すぎて、 なかなか沖縄の実感が体の中に入ってこない。 お昼を過ぎていて、お腹が空いていたので、車を停めた後は先に食事の場所を探した。 外は暑かった。 都会で生活していると、ビルの中も移動の車の中も真夏であれば痛いほどに冷たくされている。 こんなに暑いのは何年ぶりだろう。 ハワイやグアムでもこんなに暑くなかった。 そうだ。どうもさっきから開放感に欠けているような気がしていたけど、湿度か? 重たいなぁ、湿気って。 どちらの方向に食事ができるところがあるのか検討も着かないまま、 坂を登るよりは下りようという考えで、 一番始めに出会った喫茶店の表に出ているメニューに納得してそこに決めた。 a:ゴーヤチャンプル b:豚の生姜焼き とあって、a:に納得した。 喫茶店の周りはただの住宅街で、どちらかというと高級住宅街らしかった。 窓際に座って一息ついて、やっと落ち着いてこの島の建物を眺めてみることになれた。 改めて、やはり、中国だ。 木造ではなく石造である所が中国だ。 ゴーヤチャンプルの一口目は「なんだ、旨いじゃん」 味付けなども、なぜか好みだった。 胡椒が食えない私の好みに合うというのはある意味、不思議な事だ。 二口目は「おお、これがゴーヤの苦さって奴か」 お味噌汁は普通だった。ご飯も普通。たくあんも。 もともと味には無頓着な方ならしい。 三口目。「苦いぞ」 そのうち、ゴーヤを選り分けて食べるようになった。 ついにはゴーヤの半分は残すことになった。 喫茶店の空調というのは、往々にして冷たい。 だから、いつもコーヒーは真夏でもホットを頼む。 なのに、この店は寒くない。ホットを飲むと暑い。 暑い所だ、沖縄って。 喫茶店の前にスーパーがあった。 旅先の楽しみはスーパーだ。 それが古ければ古いほどいい。小さければなおいい。 ダイエーであろうと、売っているものはそれとなく土地柄を表す。 このスーパーの品物は期待に充分応えていた。 ぜんぜん、近代的でないこの店構えにスパムの缶詰があった。 よしよし。こうでなくちゃ。 しかし、想像通りであるとうれしいなんて、本来の旅とはこんなものか? 私は水戸黄門で、 それぞれの地方達は想像通りなのか見回っているわけではないだろうに。 いや、そうかもしれない。 私の知識は正しいのか確かめるのが旅の目的なのかもしれない。 そうしながら、自分の居心地の定規を当ててみてはいまいち足りない、長すぎる、と。 結局、東京に帰る。 東京でも売っている銘柄の水を買って、表に出た。 坂を下ってきてしまっていたので、登らなくてはいけない。 わさわさとした長い髪が背中にはりつく。暑い。 首里城の入り口では記念撮影を、と民族衣装のおねえさんが寄ってくる。 どうして、普通に一人で歩いているのに旅人だとわかるのか不思議だった。 あまりのしつこさに閉口させられた。 明るくしてみようと朝ご飯に誓ったあれは、半日もしない内にどこか闇の彼方に葬られた。 お城に向う前に、一度車に戻り、着替えをした。 ジーンズのオーバーオールでは気を失いそうに暑かった。 東京のオフィスじゃ絶対着ない、腰だけにかろうじて巻き付く短いスカートに替えた。 高い塀ばかりのお城へ続く登り坂。 少しがんばって登って、足を止めて、 見下ろした街のつまらなさにそれ以上、登るのは止めてしまった。 普通すぎた。 お土産屋に入っても、痛いほどの冷気にはあたれなかった。 わらをもつかむと言った状況の先に車のエアコンだった。 地図を見て、次の行き先を考える。 鍾乳洞が目に止まった。 駐車場の代金は東京の相場の1/3ほどだった。 広くて見通しのいい道をアクセルを踏むか踏まないかくらいの速度で交通が流れている。 那覇市内は取り締まりがあるらしい。 おかげで町並みや風景の見物がしやすかった。 洞窟とハブの公園と郷土紹介の村を集めた観光地の代表のようなところの割に、 やけに人の数が少なかった。 暑かったのでシークワーサのジュースを買った。 それを手に持ちながら鍾乳洞に入った。 少しだけ温度が下がってうれしかった。 誰もいない鍾乳洞が恐かった。 足元はきれいに舗装されている。頭上のでっぱりはきれいにカットされている。 ライトアップされている。ボリュームの大きすぎる説明アナウンス。 これだけお膳立てされていて、誰もいない。 「1mm伸びるのに3ヶ年かかります。折らないで下さい」 私の頭上のカットは観光客がやったのか・・・ ずいぶんと長い洞窟だった。 カーブを曲がるたびにそろそろ終りだろう、と思うのがどんどん外れた。 同じ穴の中でも数メートル毎に表情が違っていた。 龍がいっせいに転を仰いでいるところや、観音様が立っているところ。 かぼちゃ岩の滝・・・ アナウンスが突然なくなる静かなところは敢えて不気味さを出している。 これ、すごいね、って言い合う人のいない。 出口では警備のおじさんが暑そうに扇子をゆらしていた。 何時間かぶりに通る観光客の私に笑顔で会釈する。 順路では次に果樹園。 「実が成っています」 と数本の木が自慢げに看板を下げていた。 カカオというのはこんなにでっかかったのか。 郷土紹介の村に差し掛かるとようやく、人の気配がした。 それぞれの復元された家々には紙を漉く人、機を織る人、染める人。 芝居ではなくて、昔、ここに住んで(働いて?)居たらしい人が里帰りよろしく、 一件一件、手土産を配りながら歩いていた。 三線の音や女の人が握るカスタネットのような打楽器の音が、蒸し暑い空気とからみあって、 確かに、これが沖縄の風景なのだけど、今もこんな風なわけはないのだな。 ましてや、日常茶飯事、このメロディーが村中に流れているなんてことは、 その昔でもなかったわけだ。 最後の仕上げには必ず、お土産屋。 おかーさんが笑いかけてる柄のボンカレーが売っていて、 私もご多分にもれず、懐かしさに手を伸ばしてしまう。 上陸したばかりで、お土産という気にはまだなれないので、何も買わずに車に戻った。 米軍基地に沿った国道にはヤシの並木が植えてあって、いいお天気、 なのに、私は地図を見なければならなかった。 ホテルはオーシャンビューのつもりでいた。 これは、オーシャンではなく、波止場だ。出張の夜じゃあるまいし。 それに、私は確かにひとりだけども、シングルの部屋など最初から用意するな。 リゾートホテルなのなら。 お腹が空いているので、国際通りに出て遊ぶ事にした。 歩いていくか、バスに乗って行くか微妙な距離だった。 バスの乗り方を考えるのがめんどうだったので、歩き出した。 まだ暑い。 国道を渡るのに歩道橋を登らなくては行けなくて、 なんだか、こういう暑い日は歩道橋の上にいる事が多いな、 などと、根拠があるんだかよくわかんないことを考えた。 そこを過ぎて一区画歩くとやっと国際通りの入り口らしくなった。 肌を真っ赤に火照らせているのが観光客。 目がくりっとしていて小麦色が完成しているのが地元の人。 観光客、観光客、地元、観光、観光、観光、観光、地元・・・ お土産屋がならんでいる、何件か毎にそれとなく入って体を冷やしながら歩いた。 沖縄そばが食べたかったのに、なぜかどさん子が多い。 ついでに、金物屋も多い。 地図で確かめると国際通りも終りの方まで歩いてしまって、 もう、この辺で入らざるを得ないところに、ちょうどいい蕎麦屋があった。 ここはもう、冷麺でないとどうかなるぞ、けど、店だし、エアコンでその内体も冷める、 と予定通りソーキそばを注文した。 ソーキは柔らかくて甘くておいしかった。 麺はきつねどん兵衛のようで、これもおいしかった。 スープは関西風よりでおいしかった。 けど、エアコンは効いてなくて、汗までかき出した。 元来た道を戻り、職場の女の子に頼まれていたちんすこうを買い、 チャクラというライブハウスの前で足を止めた。 キャバレーの呼び込みのような男の人に 「まぁ、とにかく入って。」 といわれるがまま、らせん階段を登った。 入り口で 「よろしかったらご芳名を」 と言われ、結婚式の受付のようなところで名前を書いた。 なにか、特別な夜らしい。 壁いちめんに、見た事のあるイラストが貼ってあった。 ほぼ、満席に近く人が座っていて、一人である私は、 それぞれ一人で来ているらしい男の人が二人座っている席を案内された。 liveはすぐに始まった。始まりがなんだか、いつのまにか始まった。 一人のおじさまが、部屋着のようなかっこうでポケットに手を突っ込んで、 「僕は子供の頃に・・・」と世間話を始めていたのだ。 お話の中身はしきりに「僕は描かされている」と。 聞き様によてはいいわけに聞こえるようなことを偉そうに言ってしまっていた。 私も、こんなものを書かされてしまうので気持ちはわかる、が。 それを言っちゃ、言い訳になってしまうのに。 その内、もうひとり、うさんくさいおじさまがステージにあがって、 この人はしゃべりが苦手らしく、初めのおじさまが絵を描きながらしゃべりながら、 後のおじさまがでへへ、と照れる、を1時間くらいやっていた。 いよいよ、楽器のセッティングが始まって、そのおじさま方も立ち上がった。 私も前に座っている観光客のおばさまがジャマなので立ち上がった。 始まった音楽は不思議だった。おんなじフレーズがなんどもリピートするだけなのに、 リピートされる度にどんどん楽しくなってくる。 多分、合計で3曲、後のおじさまが歌っている間に、 始めのおじさまは1枚の大きな絵と100枚近い画用紙に鳩の絵を描いた。 そのステージが終わると目の前の男の子は 「よかったら一緒に飲んでいきませんか?」 と誘ってきた。liveでご機嫌になってたので、 「ありがとうございます。」と笑った。 ウェィトレスのお姉さんが、 「あちらに黒田さんがおられますので・・」 と初めのおじさまのことを言った。 そう言われちゃ、サインでもねだらないわけにはいかない。 絵を3枚、描いてもらった。 鳩が咥えているのがト音記号で、とても気に入ってしまった。 男の子は地元の子で23歳だと言った。 おつまみにとゴーヤチャンプルを自然に頼んで、 (おお!地元の人はホントにこれを食うのだ!) と旅人らしい感動をさせてくれた。 福岡の訛りが強く感じたので、聞くと大学がそうだったらしい。 離島と本島と内地のことを話すので、そうやって、自分らだけが差別してるんだな、と思った。 差別とは、するのではなくて、されるものなのだ。 大阪に住んだ時にそれは思った。 次のステージが始まった。後のおじさまのバンドのステージだった。 私もよく知ってる唄も歌った。 旅の途中にふらりと入ったにしてはすごいものだった。 何曲目かにエイサーを踊りながら二人の男性が入ってきて、 その踊りがこれまたかなりご機嫌。 旅はこうでないと。