授業が終わって、電話の電源を入れようとしたら入らなかった。 電池が切れていた。 なんとなく、そのまま電話は要らないと感じて、 電池を交換することはあえてしないでいた。 夜はダイビングの仲間達と集まった。 もう、階段の事は思い出さなくなっていた。 日常が安定しだしたのだ。 春は、いろいろ新しい事がたくさん始まったから、とまどっていたのかも。 もうすぐ、夏が来る。 日常が安定したのは、何かがなくなったとか、増えたとかそういうことはなくて、 相変わらず、なぜかすることは多いのだけど、それに馴れて安定した。 あぁ、取り乱してたもんだなぁなんて振り返るほど遠い話ではないのに、 そういうことはすべて、喉元過ぎれば熱さ忘れるようになっている。 天災も忘れた頃にやってくる。 セイドの電話もこんな夜にかかってくるのだった。 せっかく携帯電話の電源を切ってあっても、 部屋に帰ったあとの部屋の電話の電源は落せない。 前回話をした時は忙しいから会う時間はないと言い放ったままだった。 「明日、何時から空きますか?」と聞かれてつい、 「ろくぅじー・・・半くらいかなぁ」とまじめに答えてしまった。 気がついた時にはもう遅い。なにをしてるんだ?と我に返って笑った。 授業が予定よりずいぶん早く終わってしまって、 突然できた時間でウィンドショッピングができた。 セイドと待ち合わせていなければ、それでも寄り道などせずに、 家で仕事なんかをしてしまったのだろう。 このままセイドとあうのがめんどくさくなった。 所詮、外人さんってどんな恋するのかな、くらいしか興味はないのだ。 わるいけど。 だからと言って、すっぽかして後で文句言われるのもそれまためんどくさい。 セイドが案内してくれたレストランはポリネシアン風で少し機嫌がよくなった。 すごくばかっぽい女の子が彼氏を母親と姉に紹介してるらしいグループがいた。 えらいじゃん。紹介するなんて。 やっぱりなにか理由つけて早く帰ってゆっくり眠ることにした。 寂しそうなのはちょっと感じるけれど、プライドの高い彼はしつこく引き止めたりは絶対にしない。 つけこんで私は自分の都合で突き合わせたりすっぽかしたりする。 こちらから電話してみるなんてこともした事があった。 きっとアドリブに弱いのだと思う。 気の聞いた言葉など出てきやしなかった。つまらなかった。 だから、帰りに寄るとかいう気も起きなかった。 もう一ヶ月くらいあの階段をおりていない。 私にはあの深海のような空間は必要だった。 ただ、日常の生活が落ち着いているときは、降りる必要もまたない。 むしろ、セイドに会うのはじゃまな感じがした。 裏切られる心配のない安心が気持ちいいから、このままいたい。 次の次の日に電話がかかってきて、「来い」と言うが、 めんどくさいので、「お金がない」と言って断った。 けど、「じゃ、おごるから」と言われて、それを頑なに断るのがさらにめんどくさくて、 「わかった。」と言って電話を切った。 この時は行くつもりも少しはあったけど、 それが完全になくなるのに10分もかからなかった。 土日に遊びつかれた月曜だったので、さっさと眠ることにした。 眠りに就いてもいつまでも電話のベルは鳴っていた。 うるさいとも感じないほどよく眠った。 次の日はご多分にもれずといったカンジで、携帯の電池が切れていた。 夜になって眠る直前にちゃんとセイドからの電話はあった。 「ごめん」とだけあやまった。いいわけもめんどくさかった。 「反省してる?」と強気で聞きつつも、 寂しさからくるいらつきを隠し切れないでいるようで、 悪いな、とは思うものの、それより、この私の何を見てそのようになるのかと、 逆切れもしてしまう。 「ちょっとだけ来るか?」 と聞かれて、これ以上冷たくしたらいけないラインだ、とは気づきながら、 「ちょっと仕事、長引き・・・」 と返事している途中で 「わかった。じゃね。」 と、電話が切れた。 彼女が居るセイドにやさしくなんかする必要はない。 私が必要だと感じる時だけご利用させていただく。 そう思うと階段も降りる気が起きて、 なんのことはない、恐かったのだ。この階段が。 この階段ですら、私を裏切るかもしれないモノのひとつだったなんて。 だから、そいつの存在を認めるな。 あんまりセイドが寂しそうだったし、このところゆっくりもしてなかったので、 そろそろ降りるか、となった。 彼女が居た。男連れで居た。 なぜ、それが彼女だとわかったのかは、女の勘だからわかった。 なんちゅう偶然、現実ってそうできているのだろうか。 セイドは彼女の行動が気が気でない様子で、 彼女はセイドになにか意地悪であてつけしてるようだった。 暇をつぶすものがなにもなかった。 たばこ、ノートパソコン、教科書・・・ だから、できることは考え事か、妄想で、 私はどちらとも就かぬような事をしていた。 この深海で中性浮力をとりつづける想像。 海底に着地してしまうことのないように。 彼女たちが帰ろうとしていた。 セイドはあわてて追いかけていった。 彼女がもどってきて 「うるさくしてごめんなさい」 と言った。 たばこを4本置いていった。 置いていったたばこをながめながら、なんで私だと解ったんだろう、と思った。 私が彼女だと解ったからなんだとしか思い付かなかった。 嫉妬心とかそういうものを覚えるでもないので、 私はもう、ここで遊んだりしていちゃぁいけないんだろうな、と思った。 なにごともなかったかのように甘えようとするセイドがうざったかった。 日曜に遊ぼうと言われて、一度はわかったと言った。 それも断るのがめんどくさくてそう答えていた。 ふとした拍子に 「もっと暇な子でも見つければ?」 と言ってしまい、セイドを怒らせてしまった。 真剣ならその喧嘩にも付き合うのだけど、 とてもそんな気にはなれなくて、 ついでなので、 「ごめん、私、機嫌悪いんだね。日曜はやめよう」 と言い出した。 なんだか、私がここに来たのはなぜだかわからなくなった。 それを悟ったセイドは 「ごめん、機嫌なおして」 と謝らなくてもいい事を謝った。 「今、赤羽やねん」 という言葉の語尾は下がっていて、それは私が赤羽にいるのかと確認されているように聞こえた。 「なんでわかったの?!」 と答えながら、SFみたいな、こんな出来事が楽しいのでけらけら笑った。 「ちゃうやん、俺が赤羽におんねや」 あ、そーいうときも語尾は下げるんだ。 というより、普通はそう聞こえるのが先なのかもしれない。 この会合のあとはセイドのところに寄ると言ってあったので、 けど、「ひとりで」とは言ってないから電話の相手に先に行っておくように言った。 この電話の一部始終をそれとなく聞かされてしまったメンバーたちは、 ここをお開きにせざるを得ない雰囲気になってしまった。 とはいえ、ひとりひとりはそろそろ帰りたかったみたいだし、ちょうどよかった。 最近、セイドがうっとおしく思えていたので、ひとりで来るよりよかった、とか、 こういうアクシデントでも起こらなかったらすっぽかしただろうな、とか考えながら階段を降りると、 視界に入ったセイドの視線がうしろめたくて真っ直ぐ見られなかった。 店内を見渡しても相手は見つからなかった。 うしろめたい気持ちでしょうがないし、 「ちょっとまって」と言って店を出た。 その辺をうろうろしてやしないだろうか、と探したけどいない。 携帯も繋がらない。 また階段を降りた。 さっきもこの人はいたけど、その人が振り向くと探している相手なのだとやっとわかった。 セイドとふたりして「何してんだ?」という目で私を見た。 決まり悪い。酔っ払ってるフリをしなければならなかった。 フリとは言っても、実際酔ってるので難しくはなかった。 カシスがでてくると、 「おお、デフォルトででてくんねゃ」 と言うので、ちゃんと言葉でたのんだとむきになって否定した。 ホントに言葉で頼んだのに、セイドはそう誤解されるのがうれしいので助けてはくれなかった。 少し、癪に障った。 なんで、こんな酷いことをしたくなるのか、と頭ではまだ冷静なのに、 暗に「この人と居ると楽しいの」という風を見せ付けてしまい、 セイドが悲しそうな顔になるのを楽しんだりしてしまった。 この人はこの人で早くどこかへしなだれたくて変に酔ったフリをしていた。 私のカシスがなくなると、セイドは「作りますか?」と聞いてくれて、 すかさず、この人は「いや、もう飲まれへん」と言って断った。 やたら高い伝票が出てきて驚いた。 たまには自分の部屋でひとりでレタスを食べながらテレビを見るとか雑誌をよむとかしたいと思った。 土曜の朝、洗濯やら掃除やら、とにかくを無視して海へ出かけた。 海までの長い距離を運転しながら、借りる部屋の使い方を具体的に想像した。 どうしてもこのままでは使う時間が捻出できないと、仕事を減らす事を考えたり、 学校をもう少しいい加減にする事を考えたりした。 学校に行く前に使う、という事を思いついた。 例えば、木曜の仕事が終わった後に海の部屋に行き、9時や10時に眠る。 朝、明るくなる4時に起きて2時間ほど波に乗る。7時にでも出れば学校には間に合う。 学校でそれが可能なら、仕事でも同じ事が言える。 平日、何回でもそれはできると思った。 夏の間はそれで充分すぎるほど使えるはずだ。 冬が来て寒くなった頃には仕事を減らして日中にも使えるようにしよう。 だんだん、機嫌がよくなってきた。 対人拒否モードに入っているはずなのに、 「お部屋を借りました。どーぞお使い下さい」 とメールを配ることまで考えた。 たまにはセイドも呼んでやろうかとかも。 そのうち、私の部屋は多夫多妻制が成り立ってくるかもしれない。 結局、その日の内に物件が決定することは出来なかったけど、 見通しは明るそうだったので、波乗りにかかる事にした。 海岸でストレッチをしているとこちらに向って手をあげる奴がいた。 しまった、と思った。 対人拒否なのだよ、わかってほしい。 さっきまで想像していた部屋を使ってもらう人のリストの一番上にいる人なのに、 まだそんなことを考えた。 適当にあしらって、沖に出ると、だんだん、さっき取った態度を後悔してきた。 夕飯を一緒に食べさせてもらったらよかったのに。とか。 波は私にとても合っていて、楽しかった。 流れがきつくてずっと泳ぎつづけなければならなかったので、 その楽しさの割には早く上がりそうだった。 まだ、待っててくれてたりしたら、夕飯誘ってみようか、とか考えていた。 ホントに、体力はすぐに尽きてしまって、すぐに上がる事になった。 部屋を契約したら、いやと言うほど遊べるので、そこはがしがし行く気も起きないが、 待っているかも、という期待も有ったと思う。 車に載せてある簡易シャワーをあびていると、さっきの奴が来た。 さんざん後悔していたので、すぐに夕飯を提案した。 そいつもすぐにのってきた。 一頃、私たちはとても仲がよくて、ほとんどの週末は同じ場所で過ごしていた。 この春になる直前まで。 ある日、突然その状態がなくなって3ヶ月ぶりだったもので、必要以上にぎこちなかった気がする。 これをきっかけにまた仲良くなれそうな気はした。 それぞれの車で前後になって都会の方向を目指した。 そいつのテールランプを追いかけている内にうとうとしだしていると、 電話が鳴った。 そろそろ別れ道だという奴の電話かと思ったらセイドだった。 明日の約束は破棄してあったのに、夕べの仕打ちであきらめたかもしれなかったのに、 朝からという提案に夕方にしよう、と答えながらうんざりしていた。 また流されだしている。 前の車は直進して、私の車は左にそれて高速道路にあがる。 また電話がなって、今夜の遊びの誘いだった。 一度断って、一時間くらい走って、やはり行くと電話した。 家へ寄ると遅くなるので車に海の道具をつんだまま、潮の香りが体にからみついたまま、 夜遊ぶ街に出た。 海と家とここがもう少しずつ近くであったらなぁと発言すると笑われた。 朝まで飲んで踊って遊んだ。 朝が来て、それぞれの家へ帰るのに、私は誰かを送るのがめんどくさくて、 一時間ほど眠ってから出発する、と言った。 みんなが出たのを見届けてからすぐに車を出した。 横断歩道を渡ろうとしているのは去年の春にふった男だった。 もう忘れたし、それからもずっと冷たくしすぎていたから、送ってやるという気が起きてしまった。 移動する個室の中で、やっぱり、ふっただけの男ではあった、と感じた。 家についてもなかなか眠りたくならなかった。 かといって、掃除や、洗濯をするほどでもなかったので、 布団に入ってみると、すぐに眠ってしまった。 目が覚めると12:30でセイドの約束にはその気になれば充分に間に合う時間だった。 セイドより洗濯、掃除だった。 最後の仕上げに自分を、とシャワーを浴びて時計を見ると2時だった。 セイドはもう東口に来てしまっている。 それでも悠長に服などを選んでいると電話が鳴った。 妹がそばに居るのに、見え透いたいいわけを答えながら 「すぐいくからぁ」と言った。 めんどくささは頂点、だといいのに。 電車に乗るまでに2度電話は鳴った。 遅刻のいいわけすらも考えてあげてない。 もう、辞めましょう。いいかげんな気持ちで振り回すのは。 機嫌が悪い私を 「わかりますよ。はっきりしないんですよ。自分の気持ちがね」 とセイドに同情されちゃぁ、複雑な気持ちだった。 父親が来てるので今日は早く帰る、と先に複線を張っておいた。 「え〜っ」っとおどけるセイドの表情に母性本能など感じやしない。 外人を連れていると知らない人からの視線に疲れる。 セイドの国ではお酒が飲めない、とか、偉い人の悪口を言うと殺される、 とか、お父さんは軍人・・・ 「じゃぁ、帰れないね」 と言うと、帰ったら寂しくないか?と聞かれて「別に」と答えた。 私の耳は壊れているという話をすると、 今までされた冷たい仕打ちはそれでかぁ、と納得して喜んでいた。 お酒を飲んでるうちに、セイドの事はいらいらしなくなった。 それでも計画どおり早い時間に帰った。 いやな女だなぁ とりあえず、8割方、初対面の人は嫌いだ。 話し掛けられるだけで不機嫌になってしまう。 そのリゾートホテルの支配人も例外にはならなかった。 3回目にそのホテルを訪れた時、どうしてだったか、いつのまにか会話を交わしていた。 バック転をしてみせる彼を見ながら、 ここにくればこの人はいつもここにいるのだなぁ、と思った。 その日、私がまた都会に帰っていく時、送り出した後、7時間のドライブに出ると言っていた。 日が暮れそうな時間だったので、私も早く出発してあげて、 彼も早く出発できるようにと急いだ。 2週間したら、またここにこれるから、軽く手を上げてアクセルを開けた。 仕事と学校ともろもろの生活をいつものようにこなして、2週間過ごして、 次にこのホテルに来た時に、彼の姿が見当たらなかった。 彼は二度とこのホテルに戻らないと言う。 その7時間のドライブの先には彼の求める世界があるのらしい。 悔しかった。 居なくなったら哀しいでしょう。 仲良くしないままでいたらこんな風に泣いたりしなかったのに、 居なくなるの、決めてたのなら、仲良くしないでいたらよかったでしょう。 悔しくて泣いていると、それは私がわがままを辞めたら止まる、と教わった。 だから、セイド、居なくなっても哀しくないんだ。