何でもかんでも言いたい放題!


私は背が低い。自称153cmだから女性としては、まあ人並みなのかもしれない。しかし周りの人は皆 背が高い。(ひょっとして普通なのかもしれないが、私にとっては大きい)両親はその世代の人にしては大きい。 父は178cm位で、母は158cm位である。兄にいたっては大きいというより「でかい」という表現が適切だと 思う。身長が184cmで体重は100kg位らしい。今はアメリカに居るので中肉中背だと本人は納得しているらしい が、日本に帰ってきたらさぞ目立つだろう。ちなみに、父の靴は27cmで兄は28cmだ。玄関に靴があると 邪魔くさいし、思わず靴の中に靴を脱いでやろうかと思ってしまう。私の友人(女)達も何故か皆大きい。 160cm以上の人ばかりである。私と会う時、彼女達はハイヒールをはかないし、電車やバスに乗ると、私専用の吊革に なってくれたり網棚に物をのせてくれる。
ところが、家族の中で一番偉そうにしているのは私であるし、友達関係でもしきっているのは私である(らしい・・・) 「体の大きさ」と「態度のでかさ」は、決して比例しているとはいえないと思う。
動物は敵を威嚇する時、毛を逆立てたり牙をむいたりして、少しでも自分の事を大きく見せようとするし、猫は高い所に いて、相手を見下ろした方が偉いのである。人間も学校の授業や講演会では、先生や偉い人が高い所に立って、生徒や聞き手 が座って見上げるている。日本人の外人コンプレックスの根本的な原因は、体の大きさにあるとも言える。
しばらく前、「大きいとはいいことだ!」というコピーが流行ったり、「大は小を兼ねる」ということわざもあるが、 人間社会はもっと複雑で、大きい人は大きい人なりに、小さい人は小さい人なりにがんばっているんだ!と考える事にした。

  • 動物の名前の話
  • 私は動物の名前を勝手に決めている。
    真っ黒な猫は「ヤマト」、茶色のアライグマは「ラスカル」 薄茶色のうさぎは「ピーター」、ハスキー犬はとりあえず「チョビ」、まあ、このあたりは出所が漫画からという 単純なものである。アヒルは「ガーコ」で小鳥は「ピーちゃん」、これは鳴き声からきたものである。
    父も母も(私も)バカでかい猫はなぜか「ドス」である。もう亡くなってしまったが、明治生まれの祖母は、 日本猫は「たま」か「ミー」で、洋猫(そのころシャムネコがいた)は「メリーさん」か「ジョン」だった。 これらの根拠は不明である。
    あまり大きな声では言えないが、私はゴリラを見ると「パパ」と言い、大きなトドやアザラシの寝ている姿を見ると、 「ママ」と言ってしまう。根拠は・・・条件反射である。
    うちの父によると、「犬や猫は2文字までしか理解できない」そうだ?だから、代々わたしの家にいた犬や猫 で2文字以上で呼ばれたものはいない。本当は素晴らしい名前があったが、みな省略されてしまった。 いい例が、現在いる「とろ」である。他に「デカ」「ムー」「シャム」「ライダー」 「ぶっち」「うに」などいたが、我が家のペットはみなかわいそうだ。次からはもっとハイカラな名前にしよう 。「ドロンパ」という名前がいいと思うがきっと「ドロ」になってしまうんだろな・・・

  • コンタクトレンズの話
  • この苦労はコンタクトをしている人にしか解らない。
    お風呂でまず苦労をする。入り慣れている自分の家の風呂 ならいいが、はじめてのお風呂は要注意である。まず、水とお湯を蛇口を舐めるまで近寄って確認しなければいけない。 石鹸やシャンプーの確認も顔にくっつけておこなう。あと、知り合いと一緒になって話し掛けられても、相手を認識するまで にたいへん時間がかかるので、会話もうわの空。自分が見えないので、覗かれているという事は信じられない。等、弊害は数え切れない。 又、友達とかと温泉にいってもチェックできない(何を?)そんな事ならコンタクトをしたまま入浴すれば良いだけの事だが、 それはそれで、緊張してしまう。
    プールに行っても同様の事はおこる。先日、プールで知り合いに会った(らしい)。こちらは、まるで無視してしまったらしく、 後で、イヤミを言われてしまった。目のいい人にとっては想像もつかないだろう。度付きのゴーグルを買おう!決して無視する わけでも、愛想がないわけでもない。この為、一度やってみたいウォーターエアロも躊躇している。
    もし付けたまま、お風呂も洗顔もプールもダイビングも、おまけにカヌーも大丈夫というコンタクトレンズが発明されたら、 私は間違いなくノーベル賞を与えたい。

    お願い

    この先まだ工事中(執筆中なーんてね)につきしばらくお待ち下さい!

    戻る