独 り 言  戯 言

 

通勤も散歩も一種の旅行?毎日なにか新しい発見があるねぇ。
ってことで観察日記

デジカメも買ったからおもしろいもの発見したら撮って載せます。
は写真つき

 

Contents

Friend's Wedding

24HOURS

臓物もリサイクル?

E M S

男女間の友情

ず る い !

友  達

骨 抜 き

初  産

過 労 死

なにじん?

竜宮城?

ナイスタイミング

す〜だら節

ガーテニング

う そ

非 常 識

お じ さ ん

け ち!

Friend's Wedding

 男友だちの結婚パーティーに出席しました。(歳も歳なので最近結婚ラッシュ。ここ半年で3件)式は親戚だけで神社で挙げ、パーティーはクラブでありました。彼とは10年来のつき合いで17歳の時一緒に呑んでいて警察に尋問されたり、沖縄旅行ではわたしから離れたばっかりに酔っぱらいの黒人4,5人にからまれ、なぐられたりと青春?の想い出いっぱい。そんな彼が結婚するとなると、ただオメデトウ!の一言。
 春先に結婚するとは聞いていたけど電話で「俺土曜日結婚するんよ。パーティーに来て」って・・・あ、あんた、もし旅行にでも行ってたらどうする気やったん?である。
 当日、同じく10年来のつき合いの男友だち3人とパーティーに行った。このパーティーが最高!すんごい楽しかった!ほんと、カジュアルなパーティーというかただの呑み会だけどすんごいあったたかかった。クラブなので暗い。特別なものはお店からプレゼントのシャンパンだけ。でも、料理は新婦の弟が作り、友人達がアフリカのたいこを叩く。(このたいこがよかった!心に響いた!感動!みんなで踊った。)
 わたしはただただなぜか?うれしかった!めちゃくちゃうれしくて新郎・新婦用のシャンパンをほとんど一人で呑んだ(^-^;)ワインも浴びるほど呑んだ(- -;)今までの結婚式の中で一番うれしかった。今までは女友だちの結婚式だけだからか?分かんないけど、友だちが結婚しただけでこんなにうれしいとは・・・不思議だった。(呑みすぎで重い頭を振りながら翌朝起きると・・・バッグの中に見なれない鍵が・・・鍵の持ち主探しに翌日は翻弄された。)
 「こまったことがあったら相談にのって下さいね。」と、初対面の新婦に言われたがこんなかわいい女の子をこまらせたらただじゃおかんぞー!とにかく、オメデトウ!幸せになってね!

最近ジュリア・ロバーツ主演のBest Friend's Weddingを見た。
『わたしがジュリア・ロバーツの立場だったら・・・』といらん心配をしてしまいました(^-^;)

Kちゃん、結婚してください。そして、これ以上の感動をわたしにください。
もう女性でこれ以上の感動をくれるのはあなたしかいません!
T・R・Y・J結婚する時は早めに教えること、めちゃくちゃ派手にお祝いしてあげたいです。


24HOURS

 3月末福岡で中国人留学生が銀行に強盗に入るという事件がありました。結局わたしの知らない人が起こした事件でホッとしたのですが、ちょうど一年前のわたしはヒトゴトではない事件に関わっていました。その事件は多分一生に一度しか出会えない事件だと思う(これ以上はもう勘弁してほしい(^-^;))し、今となってはわたしの財産でもあると思うので記憶が薄まらないうちに書いておこうと思います。
 事件はまだ暑い秋におこりました。まずアニのことを説明しておきます。アニは中国ウイグル自治区から日本に留学してきて、入国前のアパート探しからのつき合いでした。わたしの弟が仕事で近くにいないこともあり父のかわいがりようは半端でなく、よく家にきては鍋を一緒につついたり酒を呑んだりして楽しんでいました。わたしの両親にとっては息子、わたしにとっては年上の弟、妹にとってはお兄さん、そして弟にとってはライバルのような人でした。(もともとは彼のお姉さんとわたしが友達でお姉さんは弟であるアニとわたしを結婚させたかったらしく、日本への留学を薦めたという経緯がある(^-^;))
 来日時は日本語を一言も解さなかったのに勤勉な上頭がよいので、アッという間にしゃべれるようになり学校とバイトで忙しい毎日を過ごしていました。大学院の入院試験を目前にしバイトもセーブしていた頃・・・夕刊を読んでいた父が「おい、東区で中国人留学生がけんかして包丁で刺したってあるぞ。まさかアニじゃ・・・」『なん言いよん、アニに限ってそんなことあるわけないやん!』その後夜のニュースで生々しい血が放映されました。それまでは名前が出ていなかったのに・・・朝、新聞を読んでいた父が「やっぱりアニやった!」信じられないの一言でした、あんなに穏和な彼がどうして?!職場に向かう電車の中でも彼のことしか、考えられない。どうにかして、留置所に留置されている彼と会わなきゃいけない。日本の法律なんかよく知らないはずだし、喋らなくてもいいこと喋ったらどうしよう。弁護士は?誰か探さなきゃ。頭の中がグルグルまわって、思考回路が爆発しそうでした。職場についても仕事どころじゃなく、友人に電話しては警察にコネがある人はいないか?弁護士を知らないか?等を尋ねまくりました。
 結局面会が許されたのは3日後で事件以降初めての面会はわたしになりました。冷たい部屋でガラス越しに会うアニは今までのアニと全く変わらず、15分間の面会では十分な話ができずませんでしたが、とりあえず彼のアパートに行き当座必要な衣類と眼鏡を取りに行くことになりました。事件はアパートでおこったので事件現場に一人で行くことも許されず、担当の刑事さんと一緒に行きました。アパート内は靴で上がらないと怪我してしまうほどの荒れようで、ガラス戸は倒れガラスはバリバリに割れていました。頼まれた衣類と眼鏡、本と袋に詰め差し入れをし家に戻り家族に報告しました。
 それから3月まで約半年、嘆願書を集めたり、募金活動をしたり、裁判の傍聴へ行ったり、拘置所に差し入れに行ったりと生活のすべてがアニ中心にまわっていました。嘆願書は約60枚、募金は76万円(106名)集まりそれでアパートの修理費を出したりできました。募金をしてくれた人は様々でしたが、アニと全く面識のない人やバイトでかせいだ少ない生活費の中から出してくれた留学生もいました。
 国選だったけど、ものすごくすばらしい弁護士に恵まれたくさんの人から支えられてがんばったのですが、生死をさまようような怪我を同じ国からの留学生にさせた事実はいくら酔っていようが、女友達を助けるためだろうがまげられない事実でした。結果的には執行猶予5年(実刑3年)の判決。無罪なんてあり得るはずないのに、判決を聞くまで無罪を心のどこかで期待してる自分がバカでおかしかった。
 判決の日から彼のビザが切れるまでたった10日間。10日間でやり残したことを全部しなくちゃいけません。彼が我が家に戻って来たのは判決の日の翌日。父はアニを見た瞬間、げんこつで彼の頭をポカスカたたいて「このバカが!・・・おかえり」と言いました。それからはとにかく時間がもったいないと言う彼につき合って、わたしは毎晩3時、4時まで話していました。(仕事も半分ほど休んだような気がします(^-^;))家族で旅行しようと柳川に出かけたり、お土産買いに出かけたり、他の留学生やお世話になった人をよんでパーティーをひらいたり24時間一生懸命生活しました。別れの前日の夜は涙涙。父とアニはしっかり抱き合って号泣してます。父が泣いた姿を見たのは初めてでした。母も妹も大泣き。『今生の別れやないんやけん!』とつっこみはしたもののわたしの崩れそうでした。(その後わたしはパッキングが済んでいないアニに、朝の5時までパッキングにつき合わされた。トホホ)
 わたしは冷たい人間なので、駆け引きなしにこんなに人に尽くせるとは思っていませんでした。涙をどこかに忘れてきた人間なのに、半年間は自分の無力さが悔しくて何度もこっそりお風呂で泣いていました(^-^;)
 今彼はカザフスタンで日本語と北京語の先生を元気にしています。いつか彼がここに戻ってきて彼の夢である日本語-ウイグル語の辞書の作成に取りかかってほしいと、願っています。

全然お金にならない国選の弁護を全力で取りかかってくれた田中弁護士
思いを込めて嘆願書を書いてくれたみなさん
私達を信じて募金してくれたみなさん
精神的にサポートしてくれた友達
アニにかまりすぎてのサボリを許してくれた職場のみなさん
Thanks a lot! いつか恩返しするね たぶん・・・(^-^;)

この一件がわたしにとって今まで一番苦しい出来事でした。
人間するってこれ以上苦しいことがあるのかな・・・?もしあるんだったら・・・

04/16/99


臓物もリサイクル?

 "臓器提供意思表示カード"って知ってますか?自分が死んだ時、使える機能(内蔵)を他の人に提供しますって書いてあるカードです。このカードをいつも携帯しておくと、なんかの拍子にポックリ逝った時、すぐに使える内蔵を必要としている人に移植できるんです。カードの存在は知っていましたが、今まで携帯していませんでした。郵便局にあるってことを知り早速取りに行き、今は携帯しています。
 思い立った理由は友人の死です。友人と言っても26も年上の女性(53歳)ですが、突然死しちゃったんです。前日は我家でお酒を飲んでいたのに翌日倒れて、その場で亡くなったんです。しかも我家のトイレで...脳卒中でした。救急車呼んで、心臓マッサージ30分ぐらいしてもらい病院に行ったのですが蘇生せず。あまりに突然だったので悲しいより、ショックでした。(今でも彼女の死がまだ信じられない気分です。)『あしたのことは分からないなー』って、つくづく思いました。
 提供する臓器は、心臓・肺・肝臓・膵臓・小腸・眼球等です。わたしは"使えるものすべて"提供するように記入してます。死んだら痛みは感じないはず、どこを切ろうが取り出そうが大丈夫です。しかもこのカードはわたしが最もおそれる脳死状態、いわゆる植物人間にならなくて済むように出来てます。ただ死ぬだけでなく、自分が死んだために目が見えるようになったとか、心臓がガンガン動くようになったとかそうゆう人が増えるってすばらしいことじゃないですか?自分の死も無駄ではないってことです。
 人に無理強いはしませんが、どうでしょう?ちまたはリサイクルブームです。臓物もリサイクルしてみませんか?

厚生省・(社)日本臓器移植ネットワーク
ドナー情報用全国共通連絡先:0120-22-0149

11/26/98


E M S

 ブラジル駐在中の森川くんにCDと八女茶を送りました。最初はヤマト運輸のUPSを使う予定(もともとはヤマトに勤める友人のノルマ達成のために海外に何かを送るという話から始まった)だったのですが、なぜかUPSではCDを送れないということで郵政省のEMS(国際エクスプレスメール)を使うことになりました。
 超ローカルな赤間駅前郵便局というところから11/17の15:35に郵送。300g以内だったので1,700円でした。"1週間後には届くかなぁ?"と思っていたのですが...

もう届いた。
正味3日か?
何かの間違い?
めちゃくちゃ速いやん!
おそるべしEMS。
どうもありがとうございました。

 というメールが森川くんからFri, Nov 20, 1998 21:45付けで届きました。
 びっくり!わたしも"何かの間違いでは?"と疑ってしまいました(^-^;)日本の裏側ブラジルまでたった3日間!世界ってほんと狭くなったんですね。
 UPSもいいけど、EMS(郵政省)も捨てたもんじゃないですねー。金額もUPSの1/2から1/3だしね。

11/20/98


男女間の友情

 永遠のテーマの様な気もしますが、はて「男女間の友情は成り立つのか?」結論から言うと「当たり前やん、成り立つくさ」です。これは声を大にして自信を持って言えます。だって実践してますから。
 わたしは中高と6年間もこちらではお嬢様学校として名高いプロテスタント系の学校に通いました。厳しそうな感じがしますが、実はおおらかで自由な校風なので結構楽しい学生生活がおくれました。(小学校5,6年時に受験勉強をしたのですが、すごい楽しかったんですよ、それが。どうしてかは分かりませんが5,6年時の担任の先生が大馬鹿だったから学校より塾の方が楽しかったのは確かです)そんなこんなで学校では女ばかりの世界に囲まれてたのですが、一歩外に出ると男の子ばっかと遊んでました。その頃はバンドのライブに行くのが楽しくて楽しくてごはん抜いてでもチケットを買ってたぐらいで、比率的にも男性と知り合う確立が高かったのです。17歳の夏(なんかいいねーこの響き)に数名の男の子と知り合って、こっちも仲良しの女の子数人とで公園でくっちゃべったり、バンド組んだりして男女総勢10人ぐらいで飽きもせず毎日のように遊んでいました。中でも一番親が寛大だったわたしが夜遅くまで付き合えて、最終電車ギリギリまで遊んでは「またね〜!」とお別れしてました。
 高校を卒業し、それぞれの進路につきもうすっかり社会人も板について来た今でもまだつきあってます。(ただ高校時代に恋愛感情が沸いて、好きだのなんだの騒ぎになった子達はいつのまにか脱落し、女の子チームからは唯一誰も好きにならなかったわたしが生き残ってしまいました。なんかちょっと悲しい)彼らはわたしのことをBest friendと紹介するし、わたしも「どーゆー関係?」ときかれれば多分『一番仲いい友達』と言うでしょう。彼らはわたしの家にも何度も遊びにきてるので父と母とも仲良くて、沖縄に3泊4日の旅行に出かける時も"彼ら+わたし"と知れば「行ってらっしゃーい」(オイオイ、嫁入り前の娘だよ。ちょっとは心配してくれ)って感じで、多分私達の関係を一番理解してくれているのはわたしの両親だと思います。わたしも一人暮らしの彼らの家に平気で泊まるし、泊まってもドンチャン騒いで警察が来るぐらいです。(騒ぎすぎじゃ)
 もう、感覚的に男とか女とかそんなボーダーがなくなってきてます。(彼ら曰く「お前男じゃないけど...女でもないもんなぁ...」どっちやねん!だからわたしも彼らの前で正々堂々と服着替えたりします)だから"ふつーそんなこときけない"ネタを真剣に話してあーだこーだ言うこともあって「うそ!女ってそうなん?」とか「それって普通?」とかめちゃくちゃ深いとこまで刺されます(^-^;)なんせ女はわたし一人なので大変です。"誰が一番先に死ぬか?"ネタになるともう大変。みんな残されるとさみしいのが分かっているので、絶対長生きしないと言い張り出します。(そんなこと言ったって寿命なのにね)
 自分にこんな最高の友達がいるもんだから、それが普通と思っていました(ほんの最近まで)が、違うみたいですね。危篤な関係の様です。でも親友が異性って素敵だと思いませんか?作ろうと思って作れるものではないと思うけど、オススメします。

先日「俺ら付き合い出して10年たつぞ...」と言う友達の一言がなんか重かった。
10年って小学校と中学校を足しても足りない。すごい長い時間。

09/27/98


ず る い !

 仲良しのおばさんの夫(1936生)が亡くなった。突然死だった。この夫婦は結婚してふたりで1台のダンプカーを購入し寝るのも惜しんで働き、今はダンプカー数十台を所有する商事会社を経営している。あまりに突然すぎる死に驚いていると、自殺だったことが判明。家のガレージで首を吊っていたそうです。おじさんは数年前に脳卒中で倒れそれ以来、体に麻痺が残り歩くのもの〜んびりゆ〜っくりだった。たった10cmそこそこの段を越えそこない転んだり、転ぶと自力では起き上がれないので家族が戻ってくるまで転んだままだったことも多々ありました。そんなおじさんがどうやって首をかける縄を用意し、首が吊れる高さのところまで持って行ったのか?不思議でしかたない。ものすごい時間をかけて一生懸命用意したと思う。その間どんなことを考えていたのか?途中で思いとどまろうとしなかったのか?考えれば考えるほど、つらくてくやしい。
 そろそろ会社を後継者にゆずって、これからやっと夫婦でゆっくりできるという時なのに。孫と遊んだり、温泉旅行したり...楽しいことを考えるとキリがないような気がする。自殺の原因はいくつか思いあたる(思いあたるなんて、他人のわたしが言うのもおこがましいですが)そのいくつかが混ざり合っての事と思う。前日は夫婦ふたりで湯布院に出かけ温泉でゆっくりしたそうで、おばさんも当日たった3時間離れていた間の出来事でその3時間のうちの2時間はわたしの母と過ごしていた。おばさんと別れて2時間もたたないうちに半狂乱のおばさんからの電話をうけたそうです。半狂乱になるのも無理はないと思う、ガレージで首吊りをしている夫を発見したのだから...
 わたしは幼い頃から父に「なにをしてもいい。ただ、殺人と自殺だけはするな。」と言われて育ってきた。物心つかないような子供にそんなことを言う父も父だが、分別がつきだすとになると"なるほど。たしかに父が言い続けていることは正しい。"と思うようになってきた。この2つが人間として生まれてきて絶対やってはいけない事で許されないことと思うから。言い換えればこれ以外のことはやってもいいし、どこかで許される余地があると思う。
 殺人においてはほんの1年前まで"絶対許さない!例えはずみであっても!"と思っていましたが、1年前にわたしの思想を揺さぶる事件があり今は自分の中でも許すか、許さないかわからないまま。(この話も結論が出しだい書きたいと思っています。ただのわたしの体験談ですが万が一同じ状況に陥ったとききっと訳に立つと思うので)
 ただ自殺は未だに許す気になりません。この事件が起こって尚更許せなくなりました。死んでいった本人の悔しさや、悲しみはもちろんですが残された家族は...おばさんの家族や親戚が「後追いかねない」と心配するで母がしばらくおばさんの家に泊りに行くことになっているほどおばさんは精神的に不安定。おじさんが倒れて以来、絵に描いたようなおしどり夫婦だったので無理もないと思います。「おいちゃん自分勝手に自殺してずるい!」と言いたいです。
 わたしもおじさんぐらいの歳になると少しはおじさんの気持ちが分かるのかな?と寝付けない夜を過ごしている今週です。

 カリブ旅行から戻ってまだ1ヶ月もたたないのに2度も「御霊前」と慣れない筆で書きました。
 先先週は小学校の時の先生。卒業してからも縁があり年に3,4回は会っていました。まだ53歳。癌でしたが早すぎる死でした。こんなに間をあけずに不幸が続くとバランスをとろうとがんばる自分を感じてしまいます。

09/03/98


友  達

 わたしは"自分にやさしく、人に厳しい"人間で父から「お前は人に厳しいだけあって友達が粒ぞろい」とお褒めの言葉?をいただくほど。特に意識し選別している訳ではありませんが、確かに友達はホントに粒ぞろいです。誰に紹介してもはずかしくない人間ばっかです。
 昨日Robert Capaの写真展に行きました。この写真展は『全作品展』と銘打ってあるだけあって、1012点もの作品を3会期に分けて公開するものです。昨日はその第1回[大戦への兆し]に行ってきました。
 こればっかは個人個人で観て感じないことにはいけないものなので、何にも役に立たない批評はしません。ただわたしがそこで痛感したことは"友達って世界を近くする"でした。
 [大戦の兆し」ですから1930年代の写真が多く1枚1枚時間が許す限りゆっくり観てまわりました。写真はスペインのフランコ政権時の写真やフランス開放時の写真等が多く展示されていて、そこで思い出したのはBarcelonaに住むマリオナやFranceに住むサンドリンでした。
 Barcelonaのマリオナの家に遊びに行った時に、お母さんから聞いたフランコ政権時迫害されたお父さんの話を思い出し"マリオナのおじいちゃんもこんな風に戦ったのかなぁ?"とまるで自分のじいちゃんがそこにいたかの様な感じがし、USA滞在中にサンドリンから聞かされたフランス開放の話を思い出しながら写真を見ると歓喜するフランス国民の心が伝わってきます。わたしがマリオナもサンドリンも知らなかったら"ふ〜ん"で終わってしまったことでしょう。Jamaica旅行でかなり身にしみた友達の大切さをまたここで再確認したのでした。


骨 抜 き

 好きで好きでたまらないピアニストに今年も会うことができました。キューバ人ピアニストGonzaro Rubalcaba!数年前からずっと好きで"会いたい人ナンバーワン!"でした。思い続けると願いは叶うもなんですね。去年、BlueNote FUKUOKAにやってきた時には感動のあまり涙まで流し、楽屋に挨拶に行った時は右手と右足が一緒に出るほど緊張してました。
 彼が今年もBlueNoteにやってきました。Cuba,Jamaica旅行から戻ってまだ1週間、カリブボケしているわたしに彼のピアノは効きました。気持よかった〜。金・土の2日続けて行ってしまいました。
 ステージが終わって楽屋に挨拶に行ったら"I remember you."ってギャー!もうヘロヘロ、骨抜きです(;_;)
 彼のピアノはオススメです。「Jazzはちょっと...」と思う人でもちょっとサルサ入りで楽しめます。一度生でお聴き下さい。損はさせません!

W/ Gonzaro Rubalcaba
おいおい、顔が溶けてるよ

W/Antonio Hurt
顔が元に戻ってます(^-^;)
Antonio HurtのSaxもすばらしかった!
話すと...幻滅。「あんまり喋んない方がいいよ、アントニオ」
とアドバイスしたくなる程よく喋るおちゃめな人でした。

08/23/98


初  産

 わたしはバカがつくほどの犬好きです。たいがいどんな犬でもさわれます。よく犬に噛まれると犬嫌いになるといいますが、ドーベルマンの成犬に噛まれた後でさえその犬と仲良くできるほどのバカです。そんなわたしに朗報!近所のメリー(ゴールデンレトリバー)が出産!早速デジカメを持ってお祝いに行きました。
 メリーでかした!初産なのに10匹も生んだ!(ただし、2匹はすでに天国へ...)やっと目があいた子供達8匹とご対面。かわいい!みんなこのくそ暑いによりそって眠ってる。メリーに断って抱いてみる、抱いてもまだ寝てる、ふぅあぁ〜とあくびをする、寝てるくせにアン!と吠えるやつまでいる。
 メリーはと言うとアホなのか「わたしと遊んで〜!」とでっかい顔をひざにくっつけてくる。(普通犬は自分の子を触られるとおこったりするんだけど...)
 性別を見てみると男の子4匹と女の子4匹!すばらしい産み分け技術!ただし1匹はなぜか?黒いブチがついてて、1匹はしっぽが折れてる。でもいい、別にコンテストに出すわけじゃないんだから。
 さて帰ろうか...おじゃましました〜。するとおばちゃんが一言
「あら、連れて帰らんと?」
 (;_;)(;_;)(;_;)お願いだからそんなこと言わんで〜。飼いたくなるやん。

07/09/98