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9/30 2001

リンドグレーン 小さいきょうだい 岩波書店

少し前に取材で阿佐ヶ谷へ行ったとき、子どもの本専門店があったので、入っ
てみたら、リンドグレーンがいっぱいあって感動してしまいました。
たぶん「作家」として惹かれた初めての人が彼女だと思う。
でも、いつものことながら惹かれたとはいえ、彼女の作品がすべて好きなわけ
ではなく、メジャーな「長靴下のピッピ」は好きじゃなかったりする。

「小さいきょうだい」は身寄りのない兄と妹の物語です。
悲しいです。最後はハッピーエンドに思えるのに悲しいです。
それはつまり、現実の世界には救いがなかったからでしょう。子どもはどんな
に頑張っても、結局は子どもなんだ。つらい現実の世界と戦う術を持たない。
現実を閉ざすことでしか、幸福を得られなかった。
だけど、10歳の頃の私はどこまで理解してこの物語を読んでいたんだろう。

同じようにみなしごだけどピッピは幸せに暮らしてる。大人の世界と真正面か
ら向かい合って、時に戦いもする。
私はどうしてこちらの物語に惹かれなかったのかしら。

 

9/9 2001

高橋和希 遊☆戯☆王 集英社

ここんとこ本も読んでるんだけど、漫画もいいよねってことで、いきなり遊戯
王です。はい。

子どもたちは毎週、欠かさずテレビを見ているんだけど、私はその時間、必死
に晩御飯作っているし、よくしらなかったのよね。
で、この前実家に子どもたちを預ける際に、ビデオを借りといてあげましょう
ってんで、一巻を借りて、ついでに私も見てみたらこれが面白いの!
「デュエルモンスターズ」じゃなくて、もっと古い方ね。
ついつい、私の方がはまってしまい、ビデオは今5巻まで見たかな。
で、今度は原作の方にも目が行き、ついにこの週末1〜10巻までをまとめ買い
してしまったさ。
岡崎京子の「リバーズエッジ」のような教訓はもたらすものではなく、単に
「きゃあ、遊戯くんかっこいい!」ってそれだけなんだけども。
ビデオの方は、声もよいのよね。うっとり。

で、何がそんなにうっとりでかっこいいのかというと、遊戯くんが何かを「守
る」ためにたたかっているところ。
「杏子ちゃん」「友情」「じいちゃん」守りたいものはいろいろあるんだけど
も、とにかく「心」を踏みにじられたと感じるとき、「もう一人」の遊戯が現
れる。よくあるヒーローものの変身と違うのは、姿、形はほとんど変わらない
ことと、強い方の遊戯が自らの意志で飛び出してくるところ。弱い方の遊戯は
「このままじゃだめだ、変身しなきゃ」などと考えたりはしない。
「ふざけんなよ」と怒りにふるえる瞬間に強い遊戯にスイッチする。

これって私の欲求不満を解消してくれるヒーローってことなのかしら。
なんか、マジで子どもっぽい自分にがっかりしたい気分でもある。
でも、何かを「守る」ために戦う、というのが平坦な戦場で僕らが生き延びる
こと、なのかもな。

 

8/22 2001

岡崎京子 リバーズ・エッジ 宝島社

平坦な戦場で僕らが生き延びること

欲望を持ちこむ場所が見つからない、10代後半の大人になりかけた子どもの
焦燥感に、心がひりひりした。だけど、私はもうその焦燥感は思い出せな
い。(別の焦燥感には苛まれてるけど。)

冒頭の引用はウィリアム・ギブソンの言葉を岡崎京子が作中に引用したもの。
引用したものだけれども、この言葉をモチーフに、彼女なりに消化して彼女の
世界を「漫画」という枠の中でとてもうまく表現していた。

生きることは戦い、と感じる時がある。時期と言ってもいい。思春期の最後の
あがきは、生きていることの実感を得るためのあがき。

川岸にあった死体を見て、山田君は
「自分が生きているのか死んでいるのか、いつもわからないでいるけど、この
死体を見ると勇気が出るんだ」
と語る。

モデルの吉川さんは
「ザマアミロって思った。世の中みんな、キレイぶってステキぶって楽しぶっ
てるけど、ざけんじゃねえよって。
ざけんじゃねえよ、いいかげんにしろ。
あたしにも無いけど、あんたらにも逃げ道ないぞ、ザマアミロって」

生き続けるということは、大人の社会に巻き込まれていくということ。
そんな「生きる」という行為への怒りを感じるなあ。

そして一人は、目の前の死体を見ても、死を実感できないでいる自分を
もしかしてもうあたしはすでに死んでて
でもそれを知らずに生きてんのかなぁと思った。」と語る。

・・・

スーパーマーケットに並ぶ
スライスされたパック詰めされた肉達

あれらは本当に生きていて
あのTVで見たことのある牛や豚やニワトリの形をしてたんだろうか?

本当は学校の近くにある
あの煙たなびく工場の中で
つくられたものなんじゃ
ないんだろうか?

その方がいい
その方がほっとする

あたしは「自然」なんか嫌いだ

・・・

自然ってなに? ありのままの姿? でもそれってどこにあるの? 
大人達は、不自然なものを反乱させる一方で自然のすばらしさを説く。
だけど、自然の中で育たなかった私たちは、どこに価値を見出せばいいの?
そんな静かな叫びを感じる。平坦な戦場。

・・・ 

あたし達は
何かをかくすために
お喋りをしてた

ずっと

何かをいわないで
すますために
えんえんと放課後
お喋りをしていたのだ

・・・

語るべきものを持たない、自分たちの生。何が好き? 何がやりたい?
問いつめたって答えが見つからない。見つかるはずがない。
そのかわりに、新色の口紅や芸能人の結婚、テレビやCDやクラブのトイレで
耳にした噂話を語り合う。

それが青春。

 

8/21 2001

山田宏一 トリュフォー〜ある映画的人生〜 平凡社

とても分厚い本でしたが、とても読み応えのある内容に満足。
「人生もの」がすきみたい。

両親の愛情に恵まれなかったトリュフォーが映画に目覚め、夢中になってい
く。その夢中になり方はクレイジーなんだけど、そのクレイジーさが天才の資
質かな、と思う。凡人は夢中になりきれないもの。悲しいことに。

子どもは何をやっても、大人にしかられ、罰せられる。これほど不当なことは
ない。「大人は判ってくれない」は、わたしなりにそんな苦々しい思いを込め
て、少年時代を描いた映画だ。率直に言って、わたしには子どもの頃がよかっ
たといって懐かしむ人たちの気が知れないのである。

あの映画の良さは子どもの持つ二面性をうまく描いたことだなあと思った。
自由と束縛。甘美さと残酷さ。
前からゴダールの方がおしゃれだけど、私はトリュフォーの方が好きだなあと
思っていた。これにも答えが出てきた。

人間はいつも、誰か話し相手がいなければ、自分の話を聞いてくれる誰かがい
なければ、生きては行けないのだ、とトリュフォーの映画は語りかける。
ゴダールは無人島でも映画を作り続け、かれの「芸術」を追求し続けるだろう
が、トリュフォーはそんな孤独には耐えられなかったにちがいない。

これですね。ゴダールの映画は「作品」として十分に芸術的だけれど、心の稜
線にふりかかってこない。夕焼けと星空の違いかな。夕焼けはトリュフォー。
星空は冷静に鑑賞できる。私には、そこが不満だったのね。
切ないと言えばどちらの映画も切ないけれど、トリュフォーの方が湿っぽい。
夕焼けのようなじわじわとした切なさがある。

両親の愛情に恵まれなかったけれども、彼が幸運だったのは「アンドレ・バザ
ン」と出会ったことだろう。彼の死を悼むトリュフォーの文章。

世の中は正しいのか、正しくないのか、私は知らない。しかし、バザンのよう
な人がたくさんいたら、世の中がもっとよくなることだけは確かだと思う。な
ぜなら、人間は善であり、人間は楽しく美しいものだと信じることによって、
そして実際、あたかもそうであるかのように振る舞うことによって、アンドレ
は近づきになったすべての人々に心から尽くしたからであり(中略)、その人
柄に触れるや、あまりの純粋さに打たれて、自分の最良の部分をバザンに与え
ずにはいられなかっただろうからだ。

 

8/19 2001

武田麻弓 ファイト! 幻冬舎

実家にあったのをさらっと読んだ。「耳が不自由な風俗嬢、豹ちゃん」の話。
すごいな。えらいな。頑張ってるな。

「パワーあるよね」って、私も人から言われたことがありますが、この人はき
っと何度も言われていることでしょう。でも「パワー」って、誰でも持ってい
るものだと思う。
生きる力。
「ずっとあきらめなかったから」とか、あるいは「運がよかった」とか、その
人なりの解釈があると思うのだけど、私は、人が本来誰でも持っている「生き
る力」を持ち続けていたんだなっておもった。

心の強い人だけが持つ、特別な力なんじゃないと思う。
だけどもそれを見失わずにいられるというのが、強さだったりする。
見失わずにいられたのは、障害があったからなのかもしれない。差別や偏見と
耐えず戦うことを余儀なくされていたから。
だけども、人はどうしてそんなに簡単にその力を見失ったりしてしまうのかし
ら。

生ぬるい幸福に浸っている人は、「不幸だから幸福」という生き方に惹かれた
りしますね。確かに幸福には大小がある。不幸にもある。小さな不幸がちりば
められた、ちっぽけな幸福。そんな幸福しか知らない人は、「パワーあるよ
ね」ってため息混じりにつぶやいてしまうのです。

 

8/15 2001

夏目漱石 虞美人草 新潮文庫

レイ・ブラッドベリ 二人がここにいる不思議 新潮文庫 

新幹線乗車前に、買ったのですが、虞美人草は挫折。
なかなか物語に入っていけない。またの機会に読むとします。

レイ・ブラッドベリは、短編集なので、ぼちぼち読んでいこうと思います、

 

8/10 2001

村上春樹全作品 1979−1989 全8巻

のうちの4.世界の終わりとハードボイルドワンダーランド をとばす7巻
を青山ブックセンターで購入。これを買うために横浜から車で行きました
わよ。
なぜ「4」だけ買っていないかというと、単に店頭になかったから。
だけど7冊揃っているだけでもすごいことです。もう10年以上前に発売さ
れたものだからね。青山ブックセンターはえらい! だけど、箱の上に
積もったほこりはきちんとはらってから袋に詰めてほしかったな。それは
心の傷になりそうなほど、ショックな出来事であった。ここの人たちは本
に愛情を持って接している人たちじゃないの!? 私はそう思ってたのに
ーみたいなね。ま、私の勝手な「思い」ですけど。

で、今さらどうして買う気になったかというと、青山ブックセンターに行
くたび、書棚にずらりと並んだその本はとても気になる存在で、いつも見
ているうちになんか情が移ってしまったのです。引き取って毎日その背表
紙が眺められたら幸せかなーと。
青山ブックセンターに行くたびにその背表紙を眺めていた、かつての私み
たいな人が、私以外にいたとしたらごめんなさいね〜!

収録されているのは、当然、ほとんど読んだことのある作品でこの全集の
ために書き下ろした作品も少ないみたいだけど、短編のいくつかは加筆修
正されているらしいです。
あと「自作を語る」というリーフレットが入っています。これだけは真っ
先に読んだ。

全集を本棚に並べてにこにこ、なんてちょっと年寄りくさい趣味だけど、
いいのさ、それで幸せなんだから。

7冊で¥20,490。

 

August 1 2001

三島由紀夫 音楽 新潮文庫

なぜか、嫌い。たぶんあの風貌が苦手だったんだと思う。
蛇のようななんかねっとりとした妖気のようなものを感じる。
亡くなった人とはいえ、ひどい言いぐさです。ごめんなさい。

これを読もうと思ったきっかけは詠美さんと瀬戸内寂聴さんが好きだと言っ
ていたから。だけどもこの恋愛上手と世間で思われている二人がほめている
この作品を私は、そんなにいいとは思えなかったな。
女性の冷感症(不感症?)というものが前提にあるのだけど、それが今一つ
私にはよくわからなくて。

それと男の人はそんなにも女が感じたかどうか(いわゆるイったかどうか?)
を気にするのかな。私はそのことが最も納得できなかった。
気にすること自体がね「なんで?」って。
そんなの、気にすんなよ〜!と大らかに言ってさしあげたいわ。

 

July 22 2001

最近、漫画を買っている。
岡崎京子 リバーズエッジ 宝島社
岩館真理子 まだ八月の美術館 集英社
吉野朔美 グールドを聴きながら 小学館

漫画って、なんか脳味噌を使い切れない感覚があってあんまり好きではなか
ったんだけど、たまにはおもしろいです。
岩館真理子さんは吉野朔美と並んですきだったりする。が、いかんせん量を
読んでいないので、わかってないんですけど。

銀河鉄道の夜 原作 宮沢賢治 影絵と文 藤城清治
彼の影絵を一年ほど前に見に行った。すごくよくて感動していたら今日、絵
本を発見。うれしい。「泣いた赤鬼」の影絵も絵本になっていないんだろう
か。

完訳グリム童話集1 筑摩書房
日本の昔話1 はなさかじい 福音館書店

子どもなら当然知っていると思われる昔話を最近の子どもは知らない。
うちの息子もそう。2冊ともたっぷりたくさんのお話が収録されている。
子どもなら「ヘンゼルとグレーテル」や「三年寝太郎」くらいは知っといた
ほうがいいよ、それが子どもの教養ってもんじゃろと思い、買ってきた。夏
休みに読んでやるかな。
私も実は読みたかったりするし。

エロイーズ ケイ・トンプソン文 ヒラリー・ナイト絵 井上荒野訳
これも絵本。ニューヨークのプラザホテルに住んでいる女の子のお話。
50年代にアメリカで大ヒットした絵本です。
おてんばでおしゃまで子どもらしい子どものエロイーズ。大人がイメージす
る子どもじゃなくて、大人があまり認めたくないタイプの鋭くてずるがしこ
い子ども。

餃子・飲茶料理 旭出版
これは仕事用の資料。文化的雪かき仕事。
これを買うために書店に出かけたのに、上記の本をたんまりと買ってしま
い、またもや一万円。ふう。

 

July 17 2001

森瑤子 叫ぶ私 集英社文庫 

「女ざかりの痛み」「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」を書いていた時
期に進行していたセラピーの記録。これは小説ではないので、私のようにな
「小説好き」にとっては少々物足りない。

森瑤子の小説は、どこか突き放した感覚が欠けていて、それが魅力であり欠
点でもあると感じていたのだけれど、その理由がわかった気がする。
彼女の書くものが生身の彼女と近すぎるのは、現実の彼女自体が小説的で、
さまよう魂を落ち着かせることにものすごく神経を注いでいたからなんじゃ
ないかしら。そのための一つが文章を書くことだった、と言うか。
例えば、村上春樹さんなんかは、現実生活はめちゃくちゃ平凡なんじゃない
かという気がする。だから「創作」に専念できる。
自分の中にためこんだ何かをもとに書くというよりは、ためこまずにどんど
ん吐き出していたんだなあ。でも彼女は書くことでラクになれたのかな。
切ない人。

 

July 12 2001

またまた青山ブックセンターへ行って来た。ひさびさに足を伸ばしてクレ
ヨンハウスへも。青山ブックセンターは2時間半の滞在。こういうときの
私は恐ろしく集中していてとりつかれたような顔をしていると思う。人に
見られるとちょっとやばいかもしれない。ネットである人の日記を読む
と、その人もこの日青山ブックセンターにいたとか。もちろん会ったこと
のない人なのですけど、不思議な気分。

吉野朔実 瞳子 小学館
10年ぶりくらいに漫画を買う。私はテレビと漫画って小学生の時に見すぎたため
飽きてしまっています。でも、ちょっと読んでみようかと。吉野朔実さんの「少年は
荒野をめざす」が大好き。

JUDY AND MARY WARP TOUR ソニーマガジンズ 
どこにも売っていなくてやっとみつけたので、2600円に一瞬ひるんだけど、カート
にぽいっ。

Barfout! vol.071 
音楽雑誌って結構すき。音楽よりも音楽雑誌が好きなんじゃないか?とすら思
う。表現する人の横顔を見るのがすきなのだ。

トリュフォー〜ある映画的人生〜 山田宏一 平凡社
そう、表現する人が好きなんだ。あの映像の裏側にある彼の人生って? と興味
がわいた。入り口のすぐ脇の企画コーナーにあった本でもある。青山ブックセンタ
ーの企画力に見事に引っかかったと言えなくもない。

村上春樹 スプートニクの恋人 講談社
一回読んで、BOOK OFF に売ってしまった本をまた買う愚かしさ。

文藝 秋号 特集「岡崎京子」
あら、ここまで書いて気づいた。「表現する人」に興味を持っている自分。

↓クレヨンハウス

シシリー・メアリー・バーカー 「花の妖精たち 庭」  ほるぷ出版
画集。この手の、線の細い古めかしいような絵がものすごく好き。
リンドグレーンの「やかまし村」シリーズの挿し絵も好きだし、ピーターラビットも好
きな部類。

というわけで
サラ・ミッダ 「おとなになること」 ほるぷ出版 
も買った。彼女の絵も好き。「イギリス人女性の描く絵」が好きなのかな。訳は江
國香織さん

冊数は少ないけれど、値の張る本が多く、当然1万円は超す。
あまりの重みに紙袋を下げていた腕がすりむける。
しかし、幸せだ。

 

July 12 2001

江國香織 ホテル カクタス ビリケン出版

大人のためでもなく子どものためでもない、童話でもなければ小説でもない、江
國さんの純粋に「書きたくて書いた」お話だなと思った。

きゅうりと数字の2と帽子との間に友情が芽生えて、高まって、緩やかに解散し
ていく物語。
江國さんの恋愛小説が好きな人にとっては、物足りないかもしれません。

30分で読めます。

 

July 11 2001

素樹文生 上海の西、デリーの東 新潮文庫

これは、「吉田ルイ子のアメリカ」小田実の「何でも見てやろう」に匹敵すると思
った。
彼の書いた「クミコハウス」を先に読んだのだけど、この人のもっと字の詰まった
文章が読みたいと思い、こちらも買ってきた。

私はアジアを旅したことがない。たぶん今後行く機会もそうないと思うし、彼の
やったような「旅」は、きっと体験することはないんだろう。それだけに読めてよ
かったと思った。もちろん本から得る知識だけで、その国を知った気になるのは
ばかげているけれど、この本は知識じゃなくて体験だから。
それは小説を読むのと同じで、彼の体験という物語を通じて私は想像力を働か
せるわけです。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド。それぞれ
の国のそれぞれの人生が旅人の人生と交錯する、その様子が文字を通じて伝
わってくる。これも一種の旅よね。

一人旅なんて当分できそうにないけれど、文字を巡る旅ってのもよいものです。
これ、負け惜しみね。

素樹文生さんのHPは、http://www.motogi.com です。

 

July 6 2001

村上春樹 羊をめぐる冒険 上・下 講談社文庫

「ダンス・ダンス・ダンス」を読み始めたときから「羊をめぐる冒険」についての記
憶がまったくないことを悲しく思っていたので、早速読んだ。
この小説を「ダンス・ダンス・ダンス」に発展させたというのが、すごいな。もちろ
ん、そこまで発展させられる自信があるからこそ書いたのだろうけれど。こう書
くと、この「羊をめぐる冒険」をつまらないといっているようだけど、そんなことは
ありません。

矢野顕子の「ひとつだけ」に
  ほしいものはだたひとつだけ
  あなたの心の白い扉 ひらく鍵
という歌詞があるけれど、村上春樹の小説の主人公は、心の扉をうまく開くこ
とができない男の人が多い。当然、鍵は誰にも手渡さない。
だから一緒に暮らす女の人は、一緒にいてもさびしい、なんて思って出ていっ
てしまう。

「結局のところ、君自身の問題なんだよ」
離婚したいと言い出した妻に向かって男は言う。この冷たさが、私が彼の小説
に惹かれる理由。依存されることもすることもきっぱりと拒絶する。
しかし、この妻のよいところは、自分の痕跡をすべて消して出ていったこと。
そのことを男はすこし淋しく思うようだけど、じゃあ逆に何かおいていっていたら
どうしたんだろう。本当に、スリップを掛けたイスに向かって酒を飲んだかな。

ところで、岡田美里さんは「きれいな洋服やアクセサリーはもう必要ないから、
全部家においてきました。今はGパンとTシャツが一番気持ちいいんです。」と
新しい出発を強調していたけど、そんなもの大量において行かれても困るよ、
と堺さんに同情したくなった。二人の離婚については別にいいんですけどね。

飼っていた猫に名前を付けていなかったこと。
「僕は僕で、君は君で、我々は我々で、彼らは彼らでそれでいいんじゃないか
って気がするんだ」

ここでまた私はカポーティの小説を思い出してしまう。
「ティファニーで朝食を」の主人公ホリーも飼い猫に名前を付けていなかった。
「あたしにはこの子に名前を付ける権利なんかないの。あたしたちは、ある日、
偶然、河のほとりでめぐりあって仲がよくなっただけ。おたがいにどっちのもの
でもないのね。この子も独立しているし、あたしもそうなの。」

誰とでも寝る女の子、美しい耳の彼女、羊男。
彼らがこの物語の中でどんな役割を果たしたのか、よくわからない。
とくに後の二人は、物語を進めるためにとても貴重な働きをしたけれど、彼らが
いなくても、「僕」はその結末にたどり着けたんだろうな、と思える。
必要以上に存在意義と主張せずに、だけど存在感のある人物たちです。

その点では、物語の進み方もある意味では無駄がなくて、よけいなことを考え
すぎずにすらすら読めたかな。

最後に僕が泣く。物語は終わった。彼にとっての冒険が終わった。この喪失
感。
私が村上春樹の小説が好きなのはこの喪失感と孤独感だ。

この涙は物語の中のものだけでなく、春樹さん自身の涙でもあるのかな、と
思った。もうアルバイト感覚で小説を書くわけには行かないんだな、なんて。
作家としての決意とでも言うか。

 

July 5 2001

吉田ルイ子 吉田ルイ子のアメリカ 講談社文庫

すごく古い本です。文庫になったのが1986年ですが、単行本はサイマル出版
会から1980年に出ています。ということは、ここに出てくる「アメリカ」もそれく
らい古いということです。

私が初めて読んだのは大学生の頃だけど、その時期って、外国に対する興
味がすごくあった気がする。ショッピングだの、ディズニーランドだのに対する
興味じゃなくて、ほんと純粋にどんな暮らしがあって、どんな人たちが、どんな
思いで暮らしているんだろうって。結局私は陸上競技に時間をものすごくとら
れていたので、学生時代に海外旅行へ行くことはなかったんだけど、同じ時
期に小田実の「何でも見てやろう」も読んだかな。

今日なぜふと取り出して読んだかというと、昨日買った「クミコハウス」を読ん
でいて、当時の外国に対する熱い思い?が胸によぎってきたから。(「クミコ
ハウス」というタイトルは、訳わからないかもしれませんが、これは紀行文で
す。)

全体の構成は、対談、写真、エッセーで、対談は、あの頃はとても政治的
に活動的だった女優のジェーン・フォンダなんかともやっています。
筑紫哲也氏との対談の中では、

「じゃあ、ルイ子さんはアメリカは好きで嫌いだというと、アメリカのどこが好
き?」と聞かれて、「ひとりになれること」と答えていました。
「そこからすべてが派生するんです。ただ私にとってアメリカが好きというのは
ニューヨークが好きだっていうことですね。」
「ニューヨークのひとりの空間の厳しい冷たさは、マゾ的ですが、そういう快感
と刺激と一人で生きるエネルギーを与えてくれるのです。そういう青春を送り
ましたから。」
「(ひとりであるつらさは)ひしひしと感じますね。もうなんとなしにただ涙が
出てきてね、淋しくて。枕びっしょりになるほど泣いたこと何度もあるんです
よ。」

ニューヨーク、というと当時、千葉敦子さんのエッセーなんかも一生懸命、読
んだなあ。そういう大人の孤独みたいなものに憧れていたのかもしれない。
今も、実は憧れてるんだけど。

「女が成功するには、好きだからってことだけで寝ちゃだめ、自分の目標に
とって、とくになる、しかるべき力のある人と寝なきゃだめよ」とルイ子さんは
言われたそう。
大手企業の重役に選ばれた別の日本人女性に「企業の中で成功するひけ
つは?」と聞いたところ、答えは「だれが力を持っているのか見きわめること
です」と返ってきたとか。
結局は、女も政治力。
だけど、ルイ子さんは「見かけはやわらかくても、したたかな女でいたい」と、
アメリカ的な資本主義に巻き込まれて出世する生き方を否定していた。

人種差別、民主主義、資本主義。
アメリカも今は変わっただろうけど、あの時代のアメリカをとてもきちんとす
くい上げている本だと思った。

 

July 4 2001

このところ雑誌を買う気がしなかったのだけど、久々に買いました。
今日のお買い物は、

HF(ハイファッション)8月号
昔、たまに買っていたのだけど、最近買うのは久しぶり。
特集「2001年の東京物語」ってのに惹かれた。
私は「街もの」に弱いのです。
表紙の紙質がいい感じ。

流行通信 8月号
先月買っておもしろかったので、また買いました。
今月号の表紙写真は、先月ほど好きじゃないけど、
でも、いい写真がいっぱいある雑誌だわあ。

素樹文生「クミコハウス」求龍堂
ちょっとしたきっかけで「読んでみようかな」と思って。本当は彼の「旅々オート
バイ」を読んでみたかったのだけど、書店にありませんでした。ネットで買える
だろううけど、本は書店で手にとって買うのが好きなのよね。

 

June 28 2001

村上春樹 ねじまき鳥クロニクル 第1部、第2部
第3部 新潮社

全3巻という長さと訳の分からない目次を見て、なんとなく読むのを敬
遠していたのだけれど、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだ勢いに乗
って、一気に読みました。

以下は、あくまで私の感想。
「ねじまき鳥クロニクル」をまだ読んでいない方は読まない方がよいか
もしれません。自由な感受性を阻害してしまうと、いけないので。

・・・・・・・・・・・・・

登場人物がとにかく多彩。
加納マルタとクレタ(姉妹です)、間宮中尉、シナモンとナツメグ、牛
河さん。個性的な人たち。誠実な人、不思議な人、優しい人、淡々と生
きている人、黙々と生きている人。

笠原メイ。現実との接点。
綿谷ノボル。権力、権威。
クミコ。良心のシンボル。
井戸。暗くて深い闇。インナーワールド。
バット。時に凶器。ただし、相手を打ちのめすには明確な意志が必要。

クミコは彼女を支配しようとした兄ノボルから逃れようとして、結局は
捕らわれてしまう。最後に彼女が兄を葬ったのは、支配から逃れようと
した彼女の生きる力だと思う。
「自分で生きる力」を、兄の支配でどんどん吸い取られて、加納クレタ
や彼女の姉のようになりかけたところを、自らの力で復活した。
その「自分で生きる力」は、自分の内面のものすごく深いところにあっ
て、それを取り出す手助けをしたのが「僕」でもあったと思う。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のようなパラレル
ワールドではなくて、物語の中で、登場人物ごとに世界がスウィッチし
ていくのだけど、それぞれの絡み具合がとても微妙。密接に関連するも
のもあれば、ここでこのエピソードが入る理由は何? と思うものも。
だけど、ものすごい勢いで私はこの物語に引き込まれてしまい、一気に
読んで、読んだ後は、ぐったりしてしまいました。

村上春樹ファンとしては、いつもの作品と違うなと言うことを感じた。
妻を取り戻すためにずたずたになりながらも前進する主人公は、ある種
のマッチョさを持っている。春樹さんはずっとこれまでそういうものを
描くのを避けてきていた気がする。確固たる目的を持って戦う主人公。

「さよなら、笠原メイ、僕は君がしっかりと何かに守られることを祈っ
ている。」
これにもはっとした。これまでの春樹さんの小説の主人公は「見守る」
ことはあっても、「しっかりと守る」ことは、意識になかった気がす
る。

あと、小説中に母性というものの存在をすごく感じた。笠原メイ、加納
姉妹、ナツメグ。時に優しく、時に厳しい。守ってくれる一方で、守ら
なくはならない。その点では、綿谷ノボルは「父性」の象徴でもあるか
もしれない。男の人にとっては命がけで踏み倒さなくてはならない存在。

・・・とまあ、とても抽象的な感想ですが、シンプルに言うと、読んで
よかったです!

小説家は、特に春樹さんは、その作品を通して自分自身を詮索されるこ
とがイヤかもしれないけれど、戦争の描写のところで、ふと、春樹さん
が、父親とうまくいっていなかったこと、その父親は戦争を体験してい
ること、をどこかで読んだことを思い出した。その記述自体、正しいの
かどうか、わからないのだけれど。春樹さんはこれを書くために、自ら
の内面にある井戸へ潜った。そこから出てきたものの一つがノモンハン
だ、というのは考え過ぎかな。

 

June 22 2001

村上春樹 ダンス・ダンス・ダンス 上・下
講談社

久しぶりに村上春樹の長編を読んだ。「羊をめぐる冒険」の続編、という
ことだけれど、私の記憶にはもう「羊をめぐる冒険」の余韻はなく、初め
て出会った世界のようだった。

仮想世界をトリップしながら、失ったもの一つ一つの確認作業をし「生」
を明らかにしていく。死ぬこと、生きること、得るもの、失うもの。その
境界の描き方がものすごく絶妙だと思った。

終わり方が、ゴルフのロングパターを決めるような、ころころころころ、
すとんって、そんなところもよかったな。

ユミヨシさんという女性が登場するのだけれど、これはカポーティの
「ティファニーで朝食を」に出てくる日本人カメラマンの「ユニオシさ
ん」から来たのではないかしらん。春樹さんもカポーティは好きらしい
し。あの小説を読んだ日本人の多くは「ユニオシ」という名字を不審に
思うだろう。だって漢字が思い浮かばない。日本人がbeerと頼んでmilk
が出てくるように、日本語を知らないカポーティが、何か簡単な聞きまち
がいをしている気がする。
春樹さんもそういうシンプルな疑問を抱き続け、弓吉という名字を発見し
たのでないかしら、なんて想像するとちょっと楽しかった。

 

June 15 2001

森瑤子 夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場 講談社

デビューして5年くらいたった頃に出た小説です。セラピーを通して自己
の内面が明らかになっていく過程を描いています。だけど、少しくらい明
らかになったところでなにも解決しないし、結論も出ない。
母親という存在に対する嫌悪、とりたてて意識したのことのなかった父
親との関係、性に対する罪悪感、自分自身を責め立てるものの正体。
すべての箱を開いてしまったら、そこには何があるのだろう。そんな好
奇心のもとで読み進めたけれど、森瑤子は明らかにすることよりも、共
存することを選択する。
揺り籠が安眠を約束するとは限らない。揺り籠の中から見えてくる現
実は手の届かない場所にありながら、彼女を激しく傷つける。
戦場でのわずかな休息から得られる安堵感。浸りすぎると背後から刺
される。
揺り籠と戦場、休息と戦闘、無垢と諦念。相反する世界を舟に揺られな
がらのインナートリップに終わりはない。

 

June 11 2001

青山ブックセンターで本を大量に仕入れてきました。

「ホテルカクタス」江國香織 ビリケン出版 
もともと江國さんが好きだし、出版社が何じゃそれ? と思ったことと、
挿画が面白かったんで、欲しくなった。

「流行通信 7月号」 表紙がよかった。ロードムービーの一場面みたい
な、さりげなくクールな空気感がよいです。

「カフェ NO006」 ここの編集長を取材したことがあります。私と同世代
です(でもちょっとお姉さん)。私は、いわゆるハヤリモノのカフェは好き
じゃないんだけど、この雑誌のいう「カフェ」は好き。この雑誌の雰囲気
も好き。

「Bolero 世界でいちばん幸せな屋上 吉田音著 坂本真典写真 クラ
フト・エヴィング商會プレゼンツ 筑摩書房  
いやこの、クラフト・エヴィング商會ってのが、一体なんなんだ、と気にな
って買ってしまいました。怪しげです。他にもいろいろ本、出してます。
とりあえず、写真がよくて、読みやすそうなこれにしました。

「冷静と情熱のあいだ」江國香織・辻仁成 角川書店
読もうかな、と思いつつ二冊買うのが面倒で買っていなかったのだけ
ど、今日、二冊が一冊にまとまった「愛蔵版」を発見。これは買いだ。

「成り上がり」矢沢永吉 角川文庫
永ちゃんの男っぽさが、気に入っている今日この頃。20年も前の本です
が読んでみたくなった・・・。

「カフェ気分で楽々アジアごはん」高田葉子 世界文化社
アジアごはんに凝っているのです。今回の10冊の中で、まず最初に読
んだのがこれ。毎日せっせと作っています。

「SWITCH SPECIAL ISSUE spring 2001 Vol.1 paperback」
特集は「ニューヨークに耽る」。全部丸ごとニューヨークです。私にとって
ニューヨークは思い出すだけで胸の奥がじーんとしてしまう街。

「文芸レアグルーヴ いまぼくたちが読みたい日本文学の100冊」
「ガイド」として買ったのではなくて、どんな本が上がってるんだろう?と
いう興味と、文芸レアグループという、この若者二人はまた「何者?」と
いう興味と、発行しているマーブルトロンって何? という興味から購
入。

「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」森瑶子 講談社文庫
これは、本屋のおばちゃんのおすすめで。森作品の中ではちょっと異色
だと思います。昔、読もうとしたことがあったけど、読めなかった。今なら
読めるかも。

というわけで、本の日記は読んだ本ばっかりじゃ、ないのですじゃ。

 

June 10 2001

江國香織・辻仁成 恋するために生まれた 幻冬舎

初めて書店で見たときは「けっ」と思って買わなかったんだけど、ふと手
出てしまいました。 もともとは「恋愛もの」のエッセーって好きじゃない
のよね。だからどうなんだよ、現実に知りたいのはそういうことじゃない
んだよって気がして。
しかし、江國発言にはあれこれ感動してしまった。

「私は恋する相手には、束縛されたいし、したいと思う。」

私はとにかくこれまでの人生で「束縛」ほど怖いものはなかった。親か
らの束縛、教師からの束縛、仲間からの束縛、ボーイフレンドからの束
縛。全部拒否してきた。
うちの夫は私のこと、まったく束縛しない。私も夫のこと束縛しない。
私にとってはもちろん今でもそれがベストだと思っているんだけど、「束
縛されること」と「自立していること」が、両立できるんだってことに、び
っくりしたの。自ら「束縛されたい」と願うなら、束縛されることと依存す
ることとは別次元なのねってことが、発見だった。

「私の言う恋に、片思いは含まれない。なぜかというと、私が定義する
恋というのは、二人の間にあるものだから。」

私は、夫がほかに好きな女性ができたら、すぐに別れると思う。それっ
て淡白なのかな? と思ったり、たぶん人に対する執着が薄いんだろう
と思ったりしていたんだけど、そう! つまりは互いのことを好きでいる
二人の間に発生する空気が好きで、それは相手も自分のことを思って
くれていないと、成り立たない空気なのだ。すっごく自分勝手な恋愛観
なのかなーと思ったんだけど、これ読んでほっ。

ちなみに、辻さんのほうは、「束縛したくないし、されたくない」「片思い
はある」という考えなのですが。
もちろん、その意見はその意見でしんみりと聞いたんだけど。

でも、辻さんの文章はSPA!の連載みたいに、ぐだぐだ男っぽく書いて
いる方がすきだな。

これに感動のあまり、江國さんの「いくつもの週末」という夫婦について
のエッセーを買ってしまった。「たんなるおのろけ」という噂を聞いていた
のでこれまで手を出さずにいたのだけれど。
ま、たしかにそうでした。

 

June 6 2001

矢沢永吉 アー・ユー・ハッピー? 日経BP社

矢沢永吉って、歌は聴いたことがないんだけど、なんかいい人っぽ
いな普通の人なんだなって気がすごくしていた。確かそう思ったの
は「HEY!HEY!HEY!」と「うたばん」に出演しているの
を見て。ダウンタウンとのやりとりの最後に「決めた、あのね、
俺、コントやりたくなったらダウンタウンとやる」って、きっぱり
言ったの。うたばんでは、石橋貴明相手にそんなこと、言わなかっ
たのに。私が、とんねるずよりダウンタウンが好き、というのと
は、別の次元でね、二つの番組を見ていて「あ、この人、ばかじゃ
ないな」って思った。というのは、矢沢永吉との接し方がまっとう
だったのは、ダウンタウンだったから。
というわけで、以来、矢沢永吉という男性にとても興味を持ってい
たのです。音楽的にはわからないんだけど。(←なんか、私、音楽
的には理解できなくても、音楽関係の人って好きなのよね。浅井健
一くんもそうだし、古くは坂本龍一もそう。)

それで読んでみたら、本当にとてもまっとうな人だった。彼は一度
離婚して再婚しているんだけど、前の奥さんに対する気持ちなん
て、率直で暖かくて、感動もの。「ダディ」の郷ひろみとは全然違
う。郷ひろみは「芸能人」としての自分を、一人の人間としての自
分よりも大切にしている気がするけど(もちろんそれはそれで、い
いと思う)、この人は、まず一人の人間としての自分を大切にして
るんだってすごく思ったし、そういう部分にすごく共感したな。

「自分が臆病というのはわかっている。
世の中で大成した人ほど、臆病だと思う。
臆病じゃなくて、とことんいける人は、ただの無神経な人だ。無神経な人
は抑揚がなくて、つまんない。」

「臆病を認めた上で、やっぱり負けるのはイヤだ。負けたくないから、怖い
部分をどうしたらいいんだろうと思うんだろう。
勇気ってのも、臆病な人間だけのものかもしれないよ。」

「成り上がり」も読んでみようかな。

 

May26 2001

奥田英朗 邪魔 講談社

私はふだんほとんどミステリーを読まない。ここ数年で読んだもの
といえば、宮部みゆきの「火車」「理由」、桐野夏生の「柔らかな
頬」、東野圭吾の「白夜行」くらいなもの。怖がりなので、分厚か
ろうがなんだろうが、一晩で読んでしまわないと気がすまない。物
語が完結しないと気になって眠れないのです。
ってことで、これも一晩で読んだ。

帯に「夫などかえってこなければいい。いっそ事故で死んでくれて
もいい。そう考える自分を、少しも悪いとは思わない。ー及川恭子
・34歳・主婦」とあって、おおおっ! すごいこと言う人だわ、と
思って手にとってしまった。
しかし、こういう小説に出てくる主婦って、悩みがあるとキッチン
に立ってガスレンジを一心不乱に磨いたりするのはなぜ? 本当に
主婦ってそういうことするものなのかしら。不安を抱えたまま、カ
レーを作っていつもどおりの味だったことにほっとしてみたり。
私は悩みに浸りきるタイプなので、悩むとカレーの味は落ちます。
っていうか作れない。そんなもの。悩みを打ち消すために家を大掃
除するのも無理。
主婦が「日常」を維持するために必死になる部分が物語のひとつの
軸になっていて、それはほとんど矛盾がない状態で描かれていたの
で「そういう人もいるんだなあ」と思ったくらいだけど、実際のと
ころ、どうなんだろう。主婦ってこんなもんなんだろうか。

とはいえ、小説としてはとてもよくできていて、ぐいぐい引き込ま
れていきました。刑事と亡くなった妻の母親との交流はほのぼの。
34歳の主婦より、この刑事によっぽど共感した。

タイトルの「邪魔」は、なんか深いなあ。

 

May18 2001

村上龍 69 集英社文庫

これは、とあるBBSで、私が「村上龍の小説で最後まで読み切れたも
のがない」と発言したところ、「読んでみたら」と勧められて読み始
めたもの。
確かに、読みやすかった。山田詠美の「ぼくは勉強ができない」を男
性作家が書いたらこうなった、みたいなかんじ。
一気に読めたし、読後感もすっきり。
でも、他のはやっぱりドロドロしているんだろうなあ、と思ってしま
い、彼の別の作品に手が伸びる、という心境には至らなかったかな。

 

May15 2001

石原慎太郎 弟 幻冬舎

文藝春秋の石原慎太郎の連載を読んでいて、そうだうちの子どもも二
人兄弟だな、と思って読み始めたんだけど、「二人兄弟」のパターン
を学習するにはやはり特異すぎるよな。これはあくまでこの二人のこ
とで、普遍的なものではない。

父親を早くに亡くしたというのも一因かな。二人の結びつきはあまり
に強固。うちの夫も兄がいるけど、こんなじゃないもんなあ(私の
見ている限り)。

「まだ世に出る前」という記述がすごく多くて、この人たちの人生
の中で「世に出た」というのはすごく大きな事なんだなあ、と思っ
た。あ、あたりまえか。

 

Apr.10 2001

しいのき学園父母の会編「しいのき」

これは、川崎にある障害児施設「しいのき学園」の創立10周年
の時に父母の会が編纂した記念誌。ハードカバーの立派な作りの
本で、題字はなんと・・・あら? 忘れちゃった。誰か立派な作
家の方です。ずいぶん前に発行され、しかも非売品。入手困難な
ものをここに書いてもとは思ったんだけど、この感動はきちんと
記録しておきたいなあと思って。

私はこの中のお母さんたちの手記にとても心打たれた。これは定
期的に発行されていた学園便りのようなものに掲載された文章を、
再掲したものだと思う。どなたも子どもが寝静まったあとなんか
に、台所のテーブルに向かって一生懸命書いたんだろうなあ。
きれいごとではない、とても素直な親の気持ちが出ていて、なん
だかとても愛おしくなってしまう内容。日々の小さな幸せ、子ど
もが泣かずにバスに乗れたこととか、何かの動作が以前より少し
だけスムーズにできるようになったこととか、本当に小さな、普
通だったら見過ごしてしまいそうなことを、見つけだしては喜び
にひたり、感謝している。その姿はあまりに神々しくて、泣ける。
子どもも親も懸命なんだ。

この頃は、今よりずっと性別分業にどっぷりはまっていて、ここ
に出てくるお母さん方もたった一人で育児に奮闘していたんだと
思う。「専業主婦は家畜」なんて言う人もいるけど、稼げばえら
いってもんじゃない。かといって、このお母さんたちのこと、稼
ぐよりずっと尊い仕事をしたと言うわけでもない。比べるものじ
ゃないと思うの。
みんなそれぞれの人生を生きているんだもん。

私は、心から拍手を送りたいな。お子さんたちは、もしかすると
お母さんに、感謝の気持ちを表すこともできないかもしれない。
でもきっとその魂はお母さん方に寄り添っていると思う。
特別な学識があるわけでも、人格者なわけでもない、一人一人の
普通のお母さんが、一生懸命生きてきた足跡に出会えたことに感
謝。

 

Jan.6 2001

イングリッド・バーグマン マイ・ストーリー

年末に友だちと「20世紀最後に、21世紀最初に何を読む?」と
メールのやりとりをしたのだけれど、私はこの本が世紀をまたいだ
読書となりました。

イングリッド・バーグマンは、日本では「カサブランカ」で
ハンフリー・ボガートと共演したことがよく知られていると思う。
でも、この本の中では「カサブランカ」についてはあまり触れられ
ていない。彼女にとってこの映画はそれほど関心は高くなかったみ
たい。

「ハリウッド」「大女優」「三度の結婚」「アカデミー賞」。いか
にも華々しそうな彼女の人生だけれど、その人生の主人公、彼女自
身は質実剛健な人柄。「有名になること」「美貌を誇示すること」
よりもとにかく演じることが大好きだった。

「私は生涯の終わりにあっても、いつでも演技をする用意だけはで
きている。」

演技に対するまっすぐな気持ちを新人の頃からずっとさ保ち続けた
のはすごい。そのことこそ、つまり才能よりも美貌よりも意志を保
ち続けることこそ、誰にでもできることではなかったんだろうなと
思う。

スウェーデン出身の彼女の外国での活躍は、スウェーデンでは暖か
く受け入れてもらえなかった。スウェーデンが成功した人に対して
冷たいお国柄だというのは、なかなか面白い発見だった。
地球の北端にある寒い国ということと関係があるのかな。
島国日本にもそんなところはあるし、日本国内でも交通が不便な、
人の出入り地域の方が、閉鎖的な感じがするし。

彼女がロベルト・ロッセリーニとの間に生まれた子ども3人を
ロベルト側に引き渡したことは、とてもいい判断だったと思う。
3度結婚し、離婚したイングリッドは、お芝居と結婚していた
んだろう。そんな彼女が、ただ「母親」だというだけで子ども
たちを縛り付けても、子どもたちはかえってさびしい思いをしたか
もしれない。それよりは、普段は大家族の中で過ごし休暇ごとに、
じっくり母子の時間を過ごせる方が、子どもたちも安定する。

仕事を続けるにしろなんにしろ、大切なのは「毅然とした態度」
なのだなあ、と思う。子どもに罪悪感を感じながら仕事するより、
ましてや仕事を辞めてしまうより、できることとできないことを
はっきりさせて、できる範囲で懸命に付き合う方いいのかも。

と、近頃何を読んでも「子育て」に結びつけてしまうあたりが悲
しい。
しかし、この本、3度の結婚、離婚、恋愛、の諸々については、
ほとんど書かれていない。参考にしたい人も多かろうに。

 

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