森 瑤子

彼女が亡くなったのは、私が結婚したほんの数日後のことだ
った。下北沢の部屋で訃報を聞き、書店へ走った。そして
「情事」を買ってきた。今思えば、あの頃森さんはごく近所
に住んでいたんだな。

彼女の小説やエッセーに興味が出てきたのは、結婚したあ
と。彼女が亡くなってからだ。彼女の描くものは、さまよう
女の魂。安住の地と思って始めた結婚生活が、さまよいのも
とになる。

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夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場 森瑤子 講談社

デビューして5年くらいたった頃に出た小説です。セラピーを通し
て自己の内面が明らかになっていく過程を描いています。だけど、
少しくらい明らかになったところでなにも解決しないし、結論も出
ない。
母親という存在に対する嫌悪、とりたてて意識したのことのなかっ
た父親との関係、性に対する罪悪感、自分自身を責め立てるものの
正体。
すべての箱を開いてしまったら、そこには何があるのだろう。そん
な好奇心のもとで読み進めたけれど、森瑤子は明らかにすることよ
りも、共存することを選択する。
揺り籠が安眠を約束するとは限らない。揺り籠の中から見えてくる
現実は手の届かない場所にありながら、彼女を激しく傷つける。
戦場でのわずかな休息から得られる安堵感。浸りすぎると背後から
刺される。
揺り籠と戦場、休息と戦闘、無垢と諦念。相反する世界を舟に揺ら
れながらのインナートリップに終わりはない。

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女ざかりの痛み 森瑤子 集英社文庫

私は同じ本を何度も繰り返し読むタイプではないのだけれど、この
エッセーだけは、何度も何度も手にとって読んだ。

図書館で初めて手にしたとき、私はベビーカーをひいていた。あの
頃、帰りの遅い夫を待っては、その日一日の報告を熱心に繰り返し
た。変わりばえのしない毎日をなんとか面白く、愉快に仕立て上げ
て。

毎日の散歩コースをはずれて図書館に行くときの晴れがましい気
分。どうか子どもが泣きませんようにと自動ドアの前に立つときの
緊張感。この本を手にするたびに、あの頃のまだ「女ざかりの痛
み」に気づいていなかった自分を思い出す。

私は、本は買って読むほうが好きだ。パリっとした紙の手触りが読
書を神聖なものに変えてくれる。だけど、この本だけはずっと買わ
なかった。読みたくなれば図書館へ行った。また来ちゃったよ。そ
んな気分。

好んで読むのは「妻たちの反抗」「女が仕事をするとき」「大人の
女ということ」「離婚のこと」あたり。
「男と女」に関しては、私は森さんほど複雑にできていない。「結
婚記念日だから二人で食事しようか」と言われたら、ぴょんぴょん
とびはねて喜ぶ、屈託のない女だ。森さんの書く男と女のすれ違い
には、今ひとつぴんときていない。それでもその切なさを伝えるに
はあまりある文章である。

本を購入したのは、仕事を始めた頃。「女ざかりの痛み」は、形を
変えてくすぶり続けている。

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叫ぶ私 森瑤子 集英社文庫 

「女ざかりの痛み」「夜ごとの揺り籠、舟、あるいは戦場」を書いて
いた時期に進行していたセラピーの記録。これは小説ではないので、
私のような「小説好き」にとっては少々物足りない。

森瑤子の小説は、どこか突き放した感覚が欠けていて、それが魅力で
あり欠点でもあると感じていたのだけれど、その理由がわかった気が
する。
彼女の書くものが生身の彼女と近すぎるのは、現実の彼女自体が小説
的で、さまよう魂を落ち着かせることにものすごく神経を注いでいた
からなんじゃないかしら。
そのための一つが文章を書くことだった、と言うか。
例えば、村上春樹さんなんかは、現実生活はめちゃくちゃ平凡なんじ
ゃないかという気がする。だから「創作」に専念できる。
自分の中にためこんだ何かをもとに書くというよりは、ためこまずに
どんどん吐き出していたんだなあ。
でも彼女は書くことでラクになれたのかな。
切ない人。

 

美女たちの神話 森瑤子 講談社

森さんの本はたくさん読んだので、たまに読んでいないものを見つけ
るととてもうれしい。
これは小説ではなく、ヨーロッパやアメリカで活躍した女性たちのス
トーリー。マリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、イング
リッド・バーグマン、フランソワーズ・サガン、ジャクリーヌ・ケネ
ディ・オナシス、シャネルにエディット・ピアフなど15人。
特に誰、ってのは読む前も、読んだあともないけれど、印象に残った
のは、みんなたくさん稼いでたくさん遣ってたのねってこと。私なん
て甘いわ。
ただし、やはりお金を必要以上に遣うというのは、どこか不安定な人
に多いのね。
私が、お金を遣うことに対してうまく気持ちのバランスが取れないの
はきっとそこなんだと思う。
私は、自分の不安定さをどこかで客観的に意識しつつ、ふと気付くと
とても主観的にお金を遣う。
ただ、彼女たちを見ていると、自分で稼いで自分で遣って、人生万歳
って感じがするわね。(ただし、ジャッキーは夫の稼ぎを猛然と使っ
た人)あとで落ちぶれようが、どうなろうがしったこっちゃないわよ
ってね。必要以上に幸福な晩年に憧れないことだ。
イングリッド・バーグマンは、あまり買い物癖がなかったようだけれ
ども、彼女は幸福な晩年を送ったようだ。
きっと安定した人だったんだろうな。
夫と子どもを捨てて、イタリアのロッセリーニのもとに行ってしまっ
たとしても、彼女の心にはまっすぐさしかない。
心の安定とは、どうやって保てるものなのだろう。

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