村上春樹

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9/24 2002

海辺のカフカ 村上春樹 新潮社

一言でいうならば、円熟。何かに到達したんだなって思った。そ
れはたぶん始まりでもある。『スプートニクの恋人』も『神の子
たちはみな踊る』も私の感じた限りでは、これまでの彼の路線を、
「変えよう」と試みているように思った。新しい事を受け入れる
のが苦手な私は、どうもしっくりこなかった。

でも今回のは、今の自分の力を出し切ることに集中して取り組ん
だ感じがする。今の自分にきちんと向かい合って、そこからすく
すくと生まれてくるものを正直に書いた。とても素直に、とても
意欲的に。それはとても勇気のいることだと思うし、ずっとずっ
と心を一つにして、わき見をしないで、まっすぐに集中しないと
書けないものだと思う。
私は彼のそういう仕事振りがとても好き。

「村上朝日堂」サイトにしても、「シドニー!」にしても、思う。
すごくきちんとした人なんだ。逃げない。やると決めたことを最
後までやりぬく。シドニーで、ただ毎日、日記を書いただけだっ
て思う人もいるかもしれない。でもね、できる?って思うの。書
ける?って。毎日あれだけの量を飽きもせず書きつづけられる?
って。サイトにしても、来る日も来る日もメールを読みつづけ、
返事を書きつづけるんだよ。明らかに悪意のあるメールも届くだ
うし、明らかに冷やかしのメールも届く。でも全部受け取る。
秘書に下読みをさせて、面白そうなものだけ自分で読むってこと
をたぶん彼はしない。もちろん量的な限界はあったと思うけれど、
やると決めたことはやりぬく。そのまっとうさに、とてもとても
惹かれる。

暴力は、存在する。肉体的なものも、精神的なものも、思想的な
ものも、時間的なものも、産業的なものも、文明のひずみから生
まれるものも、自然が与える暴力も、暴力的な雰囲気も、暴力的
な出来事も、暴力的な言葉も、存在する。すべてのことの中に暴
力は存在する。でも、それに負けない方法はある。

ねじまき鳥は、暴力に暴力で対抗していた。激しく抵抗していた。
平和を勝ち取るために暴力を行使した。主人公は暴力と闘ってい
た。でも、ここにはさまざまな闘い方があった。大島さんはフェ
ミニストを、自らを語ることで退散させた。(私もフェミニズム
の持つ暴力性‘女ならばこの気持ちを共有できるでしょう?‘が
大嫌い。)
佐伯さんは、何の前触れもなく恋人を失うという、暴力的な出来
事に対して降伏もしないかわり、闘うこともしなかった。「闘わ
ない」ことが、彼女のレジスタンスだったんじゃないかしら。ナ
カタさんは無垢だったけれど、ホシノちゃんにとっては暴力的な
存在だった。
常に有無を言わせなかったから。だけど、ホシノちゃんは、それ
をすべて受け入れた。受け入れることで、自分を変えた。

いろんな形の暴力がある。そしていろんな形で対抗できる。
そう思った。

田村カフカくんは、実のところ、もっとも印象の薄い登場人物
だった。もうちょっと、大人になったら会おうね。

 

村上春樹 羊をめぐる冒険 上・下 講談社文庫

「ダンス・ダンス・ダンス」を読み始めたときから「羊をめぐる冒険」についての記
憶がまったくないことを悲しく思っていたので、早速読んだ。
この小説を「ダンス・ダンス・ダンス」に発展させたというのが、すごいな。もちろ
ん、そこまで発展させられる自信があるからこそ書いたのだろうけれど。こう書
くと、この「羊をめぐる冒険」をつまらないといっているようだけど、そんなことは
ありません。

矢野顕子の「ひとつだけ」に
  ほしいものはだたひとつだけ
  あなたの心の白い扉 ひらく鍵
という歌詞があるけれど、村上春樹の小説の主人公は、心の扉をうまく開くこ
とができない男の人が多い。当然、鍵は誰にも手渡さない。
だから一緒に暮らす女の人は、一緒にいてもさびしい、なんて思って出ていっ
てしまう。

「結局のところ、君自身の問題なんだよ」
離婚したいと言い出した妻に向かって男は言う。この冷たさが、私が彼の小説
に惹かれる理由。依存されることもすることもきっぱりと拒絶する。
しかし、この妻のよいところは、自分の痕跡をすべて消して出ていったこと。
そのことを男はすこし淋しく思うようだけど、じゃあ逆に何かおいていっていたら
どうしたんだろう。本当に、スリップを掛けたイスに向かって酒を飲んだかな。

ところで、岡田美里さんは「きれいな洋服やアクセサリーはもう必要ないから、
全部家においてきました。今はGパンとTシャツが一番気持ちいいんです。」と
新しい出発を強調していたけど、そんなもの大量において行かれても困るよ、
と堺さんに同情したくなった。二人の離婚については別にいいんですけどね。

飼っていた猫に名前を付けていなかったこと。
「僕は僕で、君は君で、我々は我々で、彼らは彼らでそれでいいんじゃないか
って気がするんだ」

ここでまた私はカポーティの小説を思い出してしまう。
「ティファニーで朝食を」の主人公ホリーも飼い猫に名前を付けていなかった。
「あたしにはこの子に名前を付ける権利なんかないの。あたしたちは、ある日、
偶然、河のほとりでめぐりあって仲がよくなっただけ。おたがいにどっちのもの
でもないのね。この子も独立しているし、あたしもそうなの。」

誰とでも寝る女の子、美しい耳の彼女、羊男。
彼らがこの物語の中でどんな役割を果たしたのか、よくわからない。
とくに後の二人は、物語を進めるためにとても貴重な働きをしたけれど、彼らが
いなくても、「僕」はその結末にたどり着けたんだろうな、と思える。
必要以上に存在意義と主張せずに、だけど存在感のある人物たちです。

その点では、物語の進み方もある意味では無駄がなくて、よけいなことを考え
すぎずにすらすら読めたかな。

最後に僕が泣く。物語は終わった。彼にとっての冒険が終わった。この喪失
感。
私が村上春樹の小説が好きなのはこの喪失感と孤独感だ。

この涙は物語の中のものだけでなく、春樹さん自身の涙でもあるのかな、と
思った。もうアルバイト感覚で小説を書くわけには行かないんだな、なんて。
作家としての決意とでも言うか。

 

村上春樹 ダンス・ダンス・ダンス 上・下 講談社文庫

久しぶりに村上春樹の長編を読んだ。「羊をめぐる冒険」の続編、という
ことだけれど、私の記憶にはもう「羊をめぐる冒険」の余韻はなく、初め
て出会った世界のようだった。

仮想世界をトリップしながら、失ったもの一つ一つの確認作業をし、「生」
を明らかにしていく。死ぬこと、生きること、得るもの、失うもの。その境界
の描き方がものすごく絶妙だと思った。

終わり方が、ゴルフのロングパターを決めるような、ころころころころ、すと
んって、そんなところもよかったな。

ユミヨシさんという女性が登場するのだけれど、これはカポーティの「ティ
ファニーで朝食を」に出てくる日本人カメラマンの「ユニオシさん」から来た
のではないかしらん。春樹さんもカポーティは好きらしいし。
あの小説を読んだ日本人の多くは「ユニオシ」という名字を不審に思うだ
ろう。だって、漢字が思い浮かばない。日本人がbeerと頼んでmilkが出
てくるように、日本語を知らないカポーティが、何か簡単な聞き間違いを
している気がする。
春樹さんもそういうシンプルな疑問を抱き続け、ユミヨシという名字を発見
したのでないかしら、なんて想像するとちょっと楽しかった。

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村上春樹 ねじまき鳥クロニクル 第1部 第2部 第3部
新潮社

全3巻という長さと訳の分からない目次を見て、なんとなく読むのを敬
遠していたのだけれど、「ダンス・ダンス・ダンス」を読んだ勢いに乗
って、一気に読みました。

登場人物がとにかく多彩。
加納マルタとクレタ(姉妹です)、間宮中尉、シナモンとナツメグ、牛
河さん。個性的な人たち。誠実な人、不思議な人、優しい人、淡々と生
きている人、黙々と生きている人。

笠原メイ。現実との接点。
綿谷ノボル。権力、権威。
クミコ。良心のシンボル。
井戸。暗くて深い闇。インナーワールド。
バット。時に凶器。ただし、相手を打ちのめすには明確な意志が必要。

クミコは彼女を支配しようとした兄ノボルから逃れようとして、結局は
捕らわれてしまう。最後に彼女が兄を葬ったのは、支配から逃れようと
した彼女の生きる力だと思う。
「自分で生きる力」を、兄の支配でどんどん吸い取られて、加納クレタ
や彼女の姉のようになりかけたところを、自らの力で復活した。
その「自分で生きる力」は、自分の内面のものすごく深いところにあっ
て、それを取り出す手助けをしたのが「僕」でもあったと思う。

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」のようなパラレル
ワールドではなくて、物語の中で、登場人物ごとに世界がスウィッチし
ていくのだけど、それぞれの絡み具合がとても微妙。密接に関連するも
のもあれば、ここでこのエピソードが入る理由は何? と思うものも。
だけど、ものすごい勢いで私はこの物語に引き込まれてしまい、一気に
読んで、読んだ後は、ぐったりしてしまいました。

村上春樹ファンとしては、いつもの作品と違うなと言うことを感じた。
妻を取り戻すためにずたずたになりながらも前進する主人公は、ある種
のマッチョさを持っている。春樹さんはずっとこれまでそういうものを
描くのを避けてきていた気がする。確固たる目的を持って戦う主人公。

「さよなら、笠原メイ、僕は君がしっかりと何かに守られることを祈っ
ている。」
これにもはっとした。これまでの春樹さんの小説の主人公は「見守る」
ことはあっても、「しっかりと守る」ことは、意識になかった気がす
る。

あと、小説中に母性というものの存在をすごく感じた。笠原メイ、加納
姉妹、ナツメグ。時に優しく、時に厳しい。守ってくれる一方で、守ら
なくはならない。その点では、綿谷ノボルは「父性」の象徴でもあるか
もしれない。男の人にとっては命がけで踏み倒さなくてはならない存在。

・・・とまあ、とても抽象的な感想ですが、シンプルに言うと、読んで
よかったです!

小説家は、特に春樹さんは、その作品を通して自分自身を詮索されるこ
とがイヤかもしれないけれど、戦争の描写のところで、ふと、春樹さん
が、父親とうまくいっていなかったこと、その父親は戦争を体験してい
ること、をどこかで読んだことを思い出した。その記述自体、正しいの
かどうか、わからないのだけれど。春樹さんはこれを書くために、自ら
の内面にある井戸へ潜った。そこから出てきたものの一つがノモンハン
だ、というのは考え過ぎかな。

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