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大いなる眠り レイモンド・チャンドラー 創元推理文庫

ある人とお蕎麦を食べていて、彼が英語学科の出身だと知ったので、
「卒論は何を書いたんですか?」と聞いてみた。
「チャンドラー」って。
へえっておもった。ああこの人も昔は青年だったんだーって。
で、なんとなく読んでみた。

なんかね、読書家(たくさん読んでいるというほどの意味はない)と
してての私は、とにかく「女」としての立場をものすごく大事にして
いるのよね。だからどうしても女性の書くものが好きだし、男性作家
でも女性が書けていないとぜんぜんダメ。宮本輝さんがどうも好きに
なれないのはそのあたりが原因。
林真理子さんや山本文緒さんが苦手なのは、私の「女」の部分と相容
れない「女」がそこに存在しているから。

で、チャンドラー。
男の人ってこういうのを「美学」と思っているんだなって思った。
映画の「カサブランカ」もそうだけど、「男は黙ってサッポロビー
ル」というのかしら。
女の美貌や色気には振り回されないよ。
俺はたったひとつの大切な信念を胸に秘めてるんだよ。
でもそれをむやみに振りかざしたりしない。
ただ深く沈黙して胸に秘めておくんだ。

それはそれでけっこうなことだとおもいます。
だけどなんか、くすくす笑ってしまいますよ。

でも小説としては面白く読んだ。
スターンウッド氏の「大いなる眠り」を約束することが、フィリップ
・マーロウの男として果たすべきこと、だったのかな。
その遂行の仕方は確かに、一分の隙もなくハードボイルドでかっこよ
かった。
こんなふうに端から端まできちんと自分の言葉で完璧な世界を構築で
きることを私はものすごく尊敬する。

 

 

停電の夜に ジュンパ・ラヒリ 小川高義訳 
新潮クレストブックス

今日、6冊も本を買うきっかけになったのはこの本を読み終えた
から。なかなかいい本に出会えたな、と思ったら、新しい出会い
に期待する気持ちが高まって、書店に足が向いてしまった。

これを買ったのはいつだろ? すごく昔だと思う。
クレストブックスが出始めた頃、新潮社が「来たるべき作家たち」
翌年に「海外作家の文章読本」というムックを出した。
で、当時私は、翻訳ものと言うと古典(厳密な意味ではなくて)
的なのしか読んだことがなかったから、へーっととても興味を持
った。で、あれこれ買って読んでいた。んだけども、なんとなく
ぴんとくるものはこれまでなかった。

でもよかった、これは。好き。
アメリカでは短編小説って、評価が高いように思う。
アメリカ事情に詳しくないくせに、なんだけど。
でもこの本は、なんかそういう土壌を感じたなあ。

作者は女性なんだけど、視点がものすごく冷めていて、例えば、
江國さんの、ばななちゃんの、詠美さんの、森瑤子さんの小説を
読むと彼女たちの体温を感じるんだけど、これはその体温のなさ
が男性的だなあ、と思った。というよりはアメリカ的なのかしら。
その点ではカーヴァーの感じと似ている気がした。

好きだったのは、夫婦もの。
停電の夜に
神の恵みの家
3度目の最後の大陸

先の二つは、愛情にあふれていない夫婦の倦怠感がすごくよく出
ていた。お互いに対する関心と無関心。愛情と嫌悪。

あと、「セン婦人の家」もすき。
「病気の通訳」もいい。
私は短編って、無理して起承転結を作ってないものが好き。
そういう意味では「セン婦人の家」が面白かったかな。

セン婦人の寄る辺なさ。
それは、私もN.Y.で感じたものではある。
夫を通じて社会とつながっているしかない状況。
アメリカ人は親切だし、開放的ではあるけれど、人種や宗教を超
えてみんなが仲良くしているかといえば、決してそんなことはな
い。差別はなくとも区別はある。その境界を超えての付き合いは、
いつまでたっても「他人行儀」的な親切さ。
その一線は超えられそうでなかなか超えられないのよね。
その点では、白人のお母さんの態度の描き方がとても絶妙だった。

 

ジェイン・オースティン 自負と偏見 新潮文庫

 200年も前に書かれた小説なのに、まったく古く感じない。
「恋愛」を女性の立場で、戸惑い、いらだち、喜びを
丹念に描いているからなのかな。
人を好きになっていき、そしてやがてその恋が実る。
その間に起こる気持ちの揺れ動きは、とても普遍的なのでしょう。
しかし、下手すると読みあきられるような題材を
直球勝負で書ききっている。

ハッピーエンドだと陳腐と感じる人もいるかもしれないけれど、
私はいいと思う。安心してすらすら読める。
だけど、こういう小説にはなかなか出会えない。
一気に読んでしまうのは惜しいような気もして、
大事に大事に、2週間かけて読んだ。

気が強くて、批判精神旺盛なエリザベスが、
大金持ちの男性と結婚するのは、
作者の願望も混じっているだろうけれど、
それでも、さまざまな出来事の中で
作品の方向性を失わないあたりはすごく力があるんだと思う。
登場人物のそれぞれのキャラクターも
しっかり描かれていて、矛盾がない。

「嵐が丘」にしろ、この時代のイギリス人女性*が書いた小説は
骨太で、他にすることもなく、ただ黙々と書いたような
行き詰まった雰囲気がある。
しかしそれが魅力なのだ。

(*正確に言うと、嵐が丘のE.ブロンテは1818年生まれ、
オースティンは1775年生まれ。)

 

ポール・オースター 鍵のかかった部屋

どういう小説だと言えばいいんだろう。探偵小説の枠組みを巧みに利用し
て・・・と解説にはあったのだけど、私としては、そういう枠組みだったのか
と、そこで知った。恋愛でも人生でも推理でも自伝的小説でもない。
でも、面白い。
話はとりたててダイナミックに進展するわけではなく、登場人物はかなり
限られている。「僕」の幼なじみのファンショーの失踪にともなう、さまざま
な出来事の中で、僕はファンショーの陰に踊らされている。そんな僕を淡
々と描いている。僕の内面は壊れかけるけれど、壊れきらない。その微
妙な感じが、楽しい。
「僕」の語りは、ファンショーについては饒舌で、ソフィーとのやりとりに
ついては、淡々としている。その辺りのアンバランスも面白い。

 

イギリス人の患者  M.オンダーチェ 新潮文庫

女性が書く小説をたくさん読んでいるからか、どうも文章が硬い
感じがして、最初なじめなかった。でも、必死でこらえて読んで
いくと、半分を過ぎたあたりで、俄然、文章やそれが表している
情景にすんなり入り込めるようになってきた。すると「ああなん
て美しい文章なんでしょ」と、読んでいて楽しくなってくるので
す。ここまで、耐えきれるかどうかが勝負!

主人公たちは現在イタリアで生活しているのだけど、イギリス人
の患者がかつて過ごした砂漠の描写もたくさんあります。砂漠っ
て、神秘的で、人を寄せ付けないような孤独感とすべての人を受
け入れるような慈悲深さをあわせもっていてそこが魅力。
私も砂漠へ行きたい。

これは、小説よりも映画で有名です。
映画の方はダイアナ妃も好きだったそう。私は映画は見ていない
けれど、小説とはやはりかなり異なっているらしい。

ちょっと手強いけれど、独特の深みがあって味わい深い小説です。

 

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