2号のきまぐれ写真日記「オキシジェン・デストロイヤー」略して「ブル−タル東中野」

1998-7-17


今日、テレビで「紅の豚」を見ました。
かっこいいですね。紅豚。
何か俺、あれ妙に好きなんですよ。
まあ、どうでも良い事ですけど。

何かここ2、3日する事があんま無くてぼーっとしてまして、
何故かとっても穏やかな気持ち。
こんな時って何かどーでも良いけど真面目なこと考えちゃいますよね。

人とコミュニケーションをとるときに必ずっていって良いほど
価値観の違いって奴にぶつかると思うんですよ。
人それぞれ、100人いたら100の思いって奴があって、
お互いにそのギャップに対して共感したり、反発したりするように思うんですよ。
俺のやってる事に対して理解しない人もいれば、そうでない人もいる。
俺はそれで良いと思ってる。
だけど、世の中には自分と共通の感性を持っていない人を「敵」と見なす人がいる。
例えば、野球の贔屓チームだったり、音楽の趣味だったり、その他いろいろ。
「あんなチームを応援してる奴は駄目だ」とか
「あんな音楽が好きな奴は馬鹿だ」とか。
そのうちにその人の人格まで否定しだす。
なんか、とっても寂しい気がしません?それって。
そりゃあ、俺にだって嫌いな奴もいるし、趣味の合わない人もいるけど、
だけど、別に「敵」って思ったりしないし、人格も否定しないし、
無視もしないし、自分から話し掛ける事だってある。
思うんだけど、人はそれぞれどこかしら欠けてるんじゃないかな。生まれつき。
要するにパズルのピースの一部しか持ってないじゃないかな。
それも、完成時の2〜3パーセントしか。
もしかしたらもっと少ないかもしれない。
で、残りのピースは他人が持ってる。
そんで、他人とコミュニケーションをとることによって、
その足りないピースを貰って埋めていく。もちろん人にもあげていく。
「あー、こんな考え方もあるのか。」とか
「おー、こんな見方もできるのか。」とかね。
そうやって年をとって、完成されていくんじゃないかと思う。

さっき俺が「俺はそれで良いと思ってる。」って書いたのは
そうゆう理由からで、
人が何しようと、俺はそれを否定しない。っていうか出来ない。
そいつがどっから見てもおかしい奴でも、そいつの中ではそれが正解だから。
だけど俺にはそいつの「正解」は理解できない。
なぜならその「正解」のピースを持ってないから。
じゃあ、そのピースを俺が貰えば理解できるのかっていうと、そうでもない。
でも、その一部なら理解できるかもしれないし、やっぱり出来ないかもしれない。

まあ、だから何が言いたいかってゆーと、
人はそれぞれ違うモノを持っていて、それを俺は否定できない。
何故なら、俺は絶対的な基準を持ってないから。
だけどそのギャップを人から貰って楽しむ事は出来るって事。
うーん。上手く表現できないっす。
すみません。酔っぱらってます。
じゃ!

二号 with 地ビール(岩手産)


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