2号のきまぐれ写真日記「オキシジェン・デストロイヤー」略して「ブル−タル東中野」

1999-12-31

今年最後のブルタル。
何を書こうか考えたが、イマイチ良いモノが浮かばない。
そこで、以前某フリーペーパーに寄せた原稿を転載しようと思います。
多分、コレが1900年代最後のブルタルに一番あっているのでは無いでしょうか?

皆様、良いお年を・・・。

2号


*****以下oil*freeより転載*****


変化を望むモノ、望まぬモノ。
変化してしまったモノ、しないものモノ。
そのらが同居するトコロ。
それらが同居できるトコロ。

物理学上、時間というベクトルが働く以上必ず崩壊の時がくる。一種のカルマだ。



インディアンの中に時間の概念が我々(少なくとも俺)と違った部族がいる。
世界は既に決まってしまっていて時間は単にソレを追っていっているにすぎない。
と言うことらしい。飛ばし読みの出来ない本みたいなもんだ。
何が書かれているかは既に決まっているのに、俺は読んだトコロまでしかわからない。
ビリヤードは玉を突いた瞬間にどのように散らばるか決定してしまっている。
自分らは時間の流れと共にソレを見ているだけだ。
彼らに言わせると世界とはそう言うモノらしい。
じゃあ、全ては必然の元に行われているのだろうか?
今日雨が降ることも、サッカーの決果も、俺が一昨日買った本に影響されて
こんなパクリに近い文章を書くことも全て既に決まっていて、
ソレをなぞっているというだけなのか?
まあ、そんな事は俺にはわからないが、時間が流れる以上必ず変化がある。
本を読み続ける限り物語は進む。
変化しないと言うことは時間が止まっているのと同じと言う事だ。
これだけは確実な事だ。
他人に何かを伝えようとすれば必ず時間軸に沿って情報伝達が行われる。
メディアは時間の流れが無ければ成立しない。
じゃあ、死者には時間は与えられていないのだろうか。
確かに死んだ奴は成長しない。
逝った時のままの姿で俺等の中で止まってる。
生者とコミュニケーションも出来ない。
でもさっきの話だと同じ世界に居ることになる。
この世界という一冊の本が有る限り。
そう、何処にも行っていない。
ただ俺等とコミュニケーションできないだけだ。
逆に考えると俺等とコミュニケーション出来ない奴は死んでいるのか?
変化の無いモノは死んでいるのか?
極端に言うとそうゆうことになる。
この世界を構成する要素全てが生きている。
よって変化し続けている。
もし俺が変わるのを止めたらその時点で俺は死んだことになってしまう。
だから俺が俺であるために常に変化し続けなければいけない。
ただ悲しいことに自分の意志で変化を止めることは出来ない。
時間を止める事が出来ないようなモンだ。
だから無理して変わろうと思わなくてもいい。
勝手に、自分の気づかない内に変わってるモンだ。
話は戻るが俺はこの本を飛ばして読みたくはない。
俺が登場していない本だったら読んでみたいと思うけど、
とにかく犯人のわかってる推理小説みたいでつまらない。
ただ、玉を突いた奴に聞いてみたい。
「俺は今どの辺を転がってるんだい?」

by どの

*****転載終わり*****


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