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近現代日本を専門とする歴史家になったのは、かなり回り道をした後である。大学に入学した時は電気工業学専攻だった。が、間もなく興味がなくなり、経営学と経済学に専攻を変え、結局二つの学士号を取って卒業した。経営学部の必須科目の一つに人事経営があり、それが私の日本との出会いであった。その授業で著名な社会学者ラインハルト・ベンディクスの 『 産業における労働と権限:工業化過程における経営管理のイデオロギー 』 という本を読んだ。そこで学んだ三つのことが私の将来の研究方向を決めることになった。即ち、1)経営思想(イデオロギー)は思想として研究できる;2)思想・思想家は経済と社会に著しく影響されている;3) 19 世紀の英国と米国で高い人気を誇った個人の立志についての著作(サミュエル・スマイルス 『 自助論 』 など)は明治日本でも広く読まれていた。

大学院で日本について勉強し始めた時は、英米の社会が個人主義的であるのに対し日本の社会は集団主義的である、との見方が常識であった。そのため、明治時代の日本人が英国の個人主義を代表するスマイルスの‘ Self Help (『西国立志編』)を理解するはずがない、とまで言われていた。しかしながら、研究すればするほどこのような個人主義対集団主義という二分法は殆ど意味を持たず、日本の歴史と社会を分析するのに役に立たない概念だということが分かってきた。ベンディクスが英米のケースについて指摘したように、経営または立志(立身)に関する思想は時代と経済発展につれて変化するだけでなく、同じ国の同じ時代であっても階層または世代によってかなりの違いがある。これは明治の日本と日本人についても言えることである。即ち、「明治の日本人」を包括する出世観・価値観念は存在しなかった。そこには、時期、階層、または著者の年齢によって、大きな違いがあった。詳細は拙著『 立身出世の社会史 』 をご参照ください。

この研究は私の博士論文の基となった。もう 30 年も前のことである。が、そこで至った確信は、歴史家としての私の基本的な研究姿勢として、以後研究テーマや時代が変わっても一貫して続いている。即ち、日本対欧米または日本人対欧米人という比較は無意味である。価値観念・出世観・教育観・家族構造などは同じ国の中でも階級・階層・世代によって異なる。欧米または西洋という概念は数多くの異なる歴史・民族・宗教を抱えた国々を十把一絡げにする単位であり、学問的な比較対照として意味を持たない。 1989 年に米国から英国に移ってから、この考えが一層強くなった。英国系米国人として言語上の障害がなかったにも拘わらず、私が知る米国と私が隠れた「外国人」として経験した英国とは、かなり違っているのに驚いた。英米でさえこれほど違うのなら、「欧米」あるいは「西洋」においては何が共通であるのか(殊に日本と比較する対象として)という疑問が強まった。

さて、現在の主な研究テーマはある意味で 『 立身出世の社会史 』 の継続と言える。具体的には 1930 年代における軍国主義が中産階級にどのような影響を与えたかということである。 『 立身出世の社会史 』 同様、社会的・経済的変動と思想(特に個人の立志・立身)との関係を調べている。以前の研究方法との違いは、階層別の総合的な比較を試みている点である。つまり、 1930 年代の「日本人」または「中産階級」を包括的に扱うのではなく、熟練労働者・小売業者・零細企業・工人・サラリーマン・インテリ(知識人)・大学生などの階層を個々に研究し、相互の比較をしている。また、今までのように今回も日本人の学者が殆ど目を向けない資料、例えば中小企業者向けの新聞と雑誌、大学新聞、就職案内などを広く使用している。これらは検閲の影響が少なく、日常生活に密着した建前ではない本音を表す資料と考えられるからである。研究は未完成だが現段階で言えることは、 1930 年代は「暗い谷間」であるという通説に反し、多くの日本人、特に熟練労働者と新中産階級(サラリーマン、インテリ、大学生)にとって、その時代は特に満州国の建国以降自らの可能性を追求する機会に恵まれた魅力的な「新天地」であったということである。

その他に、少子化と私立大学の経営難、インターネットと職業・教育の関係についても関心を持っている。これらは歴史の専門分野ではないが、教育と職業、新中産階級を取り巻く生活環境という面で、 30 年前に始まった私の日本の研究と関連している。

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