ハワイ紀行
序章

 「私結婚するんだ」この衝撃的な一言からこの旅行は始まりました。私の東京に来てから最も一緒に遊んだ仲間であるEが結婚するというのです。毎年秋の終わりくらいに電話してきて「スキーに行こう」と誘ってくるのはEでした。そしてそのスキーにいつも巻き込まれるのがS君で(以後Bと略す(笑))基本的にはそこにAという女の子が加わって、形の上では女性2人、男性2人のカルテットができあがり(因みに全員血液型が違う)いつも行動を共にしていました。

 そのうち男性陣より「Eは冬しか声をかけてこない」という非難が起こり、Eも気を遣って夏にも飲んだりするようになっていました。気を遣ってといっても基本的にはただの飲み会で、いつも暇なBと私がEが暇な時に呼び出されるという色合いの強いもので(その状況を楽しんでいるのですがね)我々はいつも「また巻き込まれたよ」と愚痴をこぼしながら(喜んで)飲み会に足を運ぶのでした。

 そのうちAさんは流石にAB型の血液型のためか頻繁には巻き込まれなくなってきました。そこで一計を案じたEは職場から女の子を連れてくることを思いついたのです。それがSちゃんです。こうして年に数回会って飲むようになったのですが、Eは結婚式をハワイで挙げるので是非我々4人にも参加して欲しいというのです。

 Aがどうしても都合がつかなくて行けないのですが、結局残りの3人はハワイまで足を運ぶことにしました。因みにこのSちゃんが後に私の嫁になるわけですが、このときは全く何もなかったし、付き合うことになるなんて夢にも思っていませんでした。しつこいようですが、この旅では何もありませんでしたし、むしろ私の楽しみはワイキキビーチでお姉ちゃんをナンパすることにあったので、むしろ邪魔なくらいでした。因みにBは既に結婚が決まっており、なんだか私だけ宙ぶらりんでした。

 どうしても言っておかなくてはいけないことがあります。それは私のハワイ嫌いです。私はいずれアメリカ50州を全部回るという野望を持っていますが、そのうちハワイ州は恐らく一番最後になるか行かないであろうと思っていました。なぜならこんなコテコテの観光地に行くのは私の美意識が許さないからです。しかも暑いところの苦手な私がなぜ南国に行かなくてはいけないのでしょうか?更に言えば海外に行って日本人に会うのは最悪の体験です。聞けばホノルルは日本人の巣窟で、日本語もバリバリ通じるらしいではないですか。そんなところに行くのはいくらお金があってもイヤでした。

 しかし友人の結婚式であれば仕方がありません。まぁ、正直に言えばハワイがよいところであるというのは私も感じていました。でなければあんなに多くの日本人が行かないわけで、私にしても偉そうなことを言っても2回目の海外旅行です。もしかしたら手頃でよかったのかもしれません。

 とにかく旅行記を始めますが、ここで予めお断りを。

 実はこの旅行記は旅行の2年後に頼りない記憶と2時間程度のビデオを元に書いています。固有名詞などが著しく落ちていますし、あやふやな部分、整合性がとれない部分が多いと思います。またこの旅行では写真を1枚も撮っていないので、掲載する写真が1枚もありません。それでなくとも字ばかりで目に悪いと評判の私の旅行記ですが、何とか我慢して読んでいただきたいと思います。

6月28日(月)

 ということで私の2回目の旅行は友人とという予想外の展開になりました。Bと私は日暮里駅で待ち合わせしスカイライナーで優雅に成田に向かいました。確か17時くらいの便に乗ったのですが、前の方の席で「17時半の出発なんだけど、まだ日暮里」とか携帯で話している人がいました。Bと私は薄ら笑いを浮かべながら「絶対間に合わないね」と呟きながらさり気なく自分たちのチケットを再確認しました。

 成田空港についてE達を探しました。Eと旦那さんのKさんは別便ですが、Sちゃんとはここで合流です。先に出発するK夫妻を見送った後、チェックインをして両替へ両替所では今時風の若いお姉ちゃんが「ハワイに行くんだけどお金の単位がわからない」などとのたまっていました。その上10万円全部ドルの現金に換えるというのです。3人で驚くと共に「襲われちまえ」などとあまりの無警戒ぶりに腹を立てました。因みに我々はホノルルに両替屋が沢山あるということを聞いていたので、ほんの少額だけの両替にしました。

 その後、3人はのんびりと日本最後の食事ということでそば屋に入って和食を堪能しました。フー、なんていって一息ついてから出国審査です。ところが私達は忘れていたのですが、出国カードを書かなくてはいけないので、それを考えるとフライトの時間にはギリギリです。しかもそんなに書き慣れているカードではないので、書き直したりと手間取ってしまいました。

 何とか審査を終え小走りでゲートまで進みます。出発ゲートについた時はあらかたの人は乗り込んだ後でした。ハワイに着く前に軽く汗を流す形になりましたが、何とかテイクオフ。海外旅行へ向かう飛行機に友人としかも3人席を並んでいくなんて、私には初めての経験で修学旅行のようにワクワクしました。

 私はいつものように水平飛行に入ったら寝る体勢です。アイマスクこそしませんが、スリッパに履き替えて、イヤープラグを差し込みます。何せ8時間の長旅です。しかし当然機内サービスがあります。以前乗ったデルタ航空なら軽く無視をしていくと思うのですが、横にいる二人(因みに通路側B、真ん中Sちゃん、窓際私のシフトでした。貰ったチケットはSちゃんが通路側だったのですがBがたばこを吸うので席をチェンジしていた)が起きているので、なんのかんのと起こされます。機内食はよく覚えていませんが、確かウナギとビーフで、私はウナギを頼んだのですが、Bに「外国の飛行機ですよ。ウナギはないでしょう」と冷笑されました。

 その後は寝ながら、起きながらでそれほど苦痛もなく進んでいきます。水のボトルがあるので喉も渇きませんし、アルコールでも飲まない限りトイレの必要もありません。機内上映では「ユー・ガット・メール」をやっていました。そういえば、実は私はこの旅行の前におやしらずを痛めておりアルコールはやめようと思っていました。しかも風邪を引きかけていて体調が悪かったのです。

 段々ハワイも近づいてきて、入国カードを書く段になりました。後ろの席はおばさんが3人だったのですが「あらやだこのSexって所はなんて書くのかしら」と一人のおばさんがのたまいました。すかさず別のおばさんが「週に何回」...っていうのはよくあるネタですが、この時はかなりひねりを入れてきた「主婦って書けばいいのよ」...。ここで変な間があき他の2人が「よかった変なこといわなくて」という雰囲気が読んでとれた。しかし今度は「主婦ってなんていうのかしら」ときたもんだ。暫くすったもんだしたあと、日本人のキャビンアテンダントに聞いて事なきを得たようだった。

 この旅行の手配は全部Eがやってくれて、一応扱いは団体旅行になっている。ホノルル空港に着くと、日本人の団体だけ集められて、そのまま入国審査。友人や家族同士は一緒に審査が受けられるようなので、と思っているとBは一人で列に並び、審査を受けます。列に並んでいると、英語が全くできない観光客も多いらしく、書類の不備やらで結構ばたばたしていました。

 Sちゃんが英語に弱いだろうと思い、私達は2人で審査を受けました。2人のパスポートを見て、審査官が「新婚さんですか?」と聞いてきました。私はなぜか興奮していたのか「No, just friends」と英語で答え、そのあとの日本語の質問にも全部英語で答えていました。審査を終えると黒人のでっぷり太った警官が立っていて、ああ、アメリカに来たんだということを実感させてくれました。

 このあとの手続きがよく覚えていないのですが、行き先のホテル別に荷物を列に並べて、バスの時間を聞き、携帯電話を借りました。そんなアナウンスを日本人がしてくれたと思うのですが、私は海外に行くと日本人無視スイッチが入るので殆ど記憶にありません。

 バスの時間まで暫くあったのですが、本当に日差しが強くて、空が青くて、南国を感じさせます。色白で肌の弱い私はSちゃんと一緒に日焼け止めクリームを一目散に塗りました。バスは何台も来て、とにかく日本人を詰め込んでいきます。フリーウェーは空港を回るようにして進み、30分もしないうちに市内に入り込みました。

 インターを降りてホノルル市内に入りましたが、最初に思ったのは普通の街なんだなということでした。ダウンタウンにはきちんとオフィス街もあり、住宅地もあるようです。どこをとっても観光地だと思っていたので、地味な印象すらありました。市内を暫く走って漸くビルの地下駐車場に入りました。そのまま全員でビルに入り、5階くらいの一番上まで一気にエスカレータで上り、カフェに案内されました。因みに途中のエスカレーターにはゲートがついていて、我々が旅行の手引きとして貰った冊子の裏にあるバーコードを読ませないと入れないようになっていました。どうやらビル全体が免税店のようです。

 そのカフェで旅行の全体像に関するレクチャーがありました。貰った冊子のバーコードがないとビルに入れないこと、いくつかのクーポン券があること、オプションツアーの申し込みはこの場でしないといけないこと、最終日の荷物の出し方、集合時間などについてです。あとは全く自由時間です。このカフェで食事をしてもいいですし、出ていって街を歩いてもいいわけです。

 後にこのビルがDFSギャレリアのワイキキ店であることを知りますが、私にはどうでもいいことです。ブランドものには殆ど興味がないからです。それでも1階ずつ降りて全部の店舗を眺めていきます。流石に値段を見るような興味を引くようなものはありませんが、お土産に買っていこうかと思うものはいくつかありました。

 ところが2階まで降りてきて、あと1階が降りられないのです。3人でおっかしいなぁ、とかいいながらグルグル店内を歩いたのですが、どこにも下に降りる通路はないのです。10分以上歩き回ったのですが、どこにもありません。そんなに広い店内ではないのに、です。行かれた人は覚えていると思いますが、答えは突き当たりのショップを通り抜ける。だったのです。突き当たりにバーバリーだかフェラガモだかのショップがあって、そのショップに入ると右手奥に更にフロアが続いていて、そちらから下に降りるエスカレーターがあったのです。この作りは日本のデパートも参考にすべきです。必ずそのショップを通らないと降りられないのですから。

 さて、漸く店外に出られました。水着が売っていたりサングラスが売っていたりしますが、とりあえず両替をしました。毎日レートが違うので少しずつするのがコツのようですが、レートの高低を把握している人なら、低い時に一気にやるのがいいかもしれません。因みにワイキキのカラカウア通りの付近であれば両替屋はあちこちにあります。

 カラカウア通りに出て歩いてみます。最初に驚くのは歩行者用の信号が完全に「完全に!(しつこい?)」手押しな事です。自動車の信号はもちろん自動ですが、歩行者用の信号は誰かがスイッチを押さないと永久に赤のままです。とりあえずバーガーキングがあったので腹ごしらえをします。

 バーガーキングはこの当時でも日本でそんなに多くなくて、しかも私がポートランドに行った時も最初に食べた思い出のアメリカのハンバーガー屋です。もちろんワッパーとポテトとオニオンフライなどを頼みました。1つ驚いたのはケチャップは日本では言えばパックされた奴をくれますが、向こうではケチャップのディスペンサーがナプキンとかの置いてあるところに設えてあり、カップに好きなだけとれるのです。白人のお姉ちゃんがカップを3つくらい持って、山盛りにしているのには驚きました。

 暫くぶりの生の英語でちょっと戸惑ったのですが、何とか無事に注文を終えました。席に座って「やっぱりでかいなぁ」とか「こっちのマックもでかいのかな」などと話していると店のガラスの向こうに通りを歩くK夫妻を見つけました。早速声をかけて捕まえました。それにしてもなんたる偶然でしょう。

 ちょっと話をしてEと夕食を一緒にするためこのバーガーキングの前で待ち合わせの約束をして、K夫妻は出ていきました。明日は結婚式ですから色々準備もあるのでしょう。我々はチェックインまでは時間があるのでカラカウア通りを歩いてとりあえずホテルの位置を確認します。WAIKIKI Gatewayホテルはワイキキビーチからは少し歩きますが、カラカウア通りに面していてなかなか便利そうです。

 ホテルの隣にNIKE TOWNがありました。ナイキのショップです。暇つぶしに早速入った私達はその整然とした室内をグルグル歩き回りました。私自身はポートランドでも入っているので見慣れた店内(自慢なのか?そうだ)ですが、早速旅行用にビーチサンダルともしもの為にゴルフ用にグラブを買いました。B君もグラブを買って二人で隙を見てゴルフをやることを企みました。

 NIKE TOWNを出てそのままビーチの方へ向かいます。我々のホテルからの直近はワイキキビーチの隣のフォート・デ・ルッシー・ビーチです。どこに境界線があるのかわかりませんが、ひと言でいって人が少ないです。しかしビーチの手前に林の木が植えてあり、綺麗に手入れされた芝が気持ちよいです。しかもビーチに出てその焼け付くような日差し、真っ白な砂浜、手に取れるかのような白い雲と青い空、そして何ともいえない爽やかな青いビーチ。もう少し色に関するボキャブラリーがあってもいいのにと悔しくなるほどの目に痛々しいほどの景色です。思わずサングラスをはずして生で見てしまったほどです。

 ビーチを少し散歩してみようと移動しました。そんなに日本人が多いという感じはしませんでしたが(相変わらず日本人無視モードのままなのでそう感じたのかもしれない)とにかく人は多くて、しかも午後の日差しを思う存分アホほど浴びて皮膚ガン予備軍の大量生産工場のようでした。ちょうどワイキキビーチとの切れ目の辺りに木陰で座れるベンチがありましたのでそこで休むことにしました。じゃんけんで負けた、SちゃんとBに飲み物を買ってきて貰い「ハワイ最高!」などと暫く話していると、段々眠気が襲ってきました。まだホテルにはチェックインできません。

 程なくSちゃんもBもテーブルに突っ伏して寝出しました。私はこれ幸いとばかりに視線をビーチに向け、女の子の水着をチェックしまくっていました。とはいいながらも私はやはり海外に出ると油断できない性質のようで、3人とも寝てしまうと荷物が危ないと思い、眠れなかったというのが真相なのです(念のため)。

 時間がよくなってきたので、2人を起こしてホテルに向かいます。チェックインをして部屋にはいるとまぁまぁ広い感じで清潔そうではあるものの、観光地のホテルというよりはビジネスホテルの趣のある部屋でした。部屋の点検をして荷物を解いた我々は誰がいうともなく寝てしまいました。因みに日陰にはいると本当に涼しくて部屋に入ってもエアコンが必要ということはありませんでした。

 軽く寝て夕方起きあがり、食事に向かいました。カラカウア通りは観光地でいろんな店があります。ラーメン屋のえぞ菊なんかもあります。バーガーキングの前でEと合流しました。「旦那は?」と聞くと、KさんはKさんの友人と遊びに行ったとのことです。どこで飯にしようか?という話になったのですが、ご存知の通り私はよっぽどのことがなければガイドブックを読んで旅行することがないので、どこに何があるのか全く知りません。

 とりあえず通りの向かいにあるプラネット・ハリウッドへ行きました。シュワルツェネッガーやブルース・ウィリスが経営するチェーンレストランです。入り口で予約はないんだけど4人というと(私が英語で言った)「大体40分待ち」といわれました。いくら予定のない観光客とはいえ、基本的に待ってまで何かをしようとは思わないわけです。すかさず店を変えます。

 カラカウア通りを東に向かって歩き、Eがガイドブックでチェックしておいた、「デュークス・カヌー・クラブ」というレストランに行きました。そこでもやはり待ち時間があったのですが、入り口の受付の人が「ページャーを持って飲んで待っていればよい」というのです。私はページャーのシステムがよくわからなかったのですが、ページャーというのが呼び出しの機械だと思い、バーで飲むことにしました。

 おやしらずが痛いので、アルコールはやめようと思っていたのですが、貰ったメニューにはノンアルコールは書いていないし、何となく気分もいいので正体不明のカクテルを飲むことにしました。因みにSちゃんはアルコールがダメなので、きっちりアイスティーを頼んでいました。

 店は如何にもハワイという感じで、ビーチの方は壁がなくて、そのままビーチからも入ってこられるようにできています。店内はウッド作りでウエイトレスのお姉さんもオレンジ色のアロハシャツとショートパンツで店内を颯爽と歩き回っています。人気店らしく食事の席はいっぱい、バーコーナーも立って飲んでいる人がいるくらいです。

 しかし1時間くらい飲んでいても一向に呼び出しはかかりません。私達の飲むスピードが遅くなったことに気が付いたウエイトレスが近づいてきて「食事の席を待っているのか?」と聞いてきました。私はページャーを見せて「席を待っている」というと「いまレセプションに行って聞いてきてあげる」といってくれました。程なく帰ってきた彼女が食事の席に案内してくれました。20時近かったのか食事の方は席も空きだしていました。

 私はリブロースステーキを頼み、食事にはサラダバーがついていました。先ほど1杯飲んでいるのでビールと、オニオンフライ(いま気が付いたけどこの日2度目のオニオンフライ、何でだろう?)を頼みました。肉はそれほどバカでかいという感じではありませんでしたが、タレが甘くて私の好みではありませんでした。それでも店内の照明はキャンドルや火を使っていて、いい雰囲気だし、生のバンドが入っていてハワイアンミュージックなどをやってくれたので、とても気分良く食事できました。

 いままではこのメンバーで新宿やら銀座で飲んで騒いでいたのに、こうしてハワイで食事をしているのが信じられませんでした。ひとしきり食べて飲んだあと、夜のビーチを散歩することにしました。因みにオニオンフライは食べきれなかったので持ち帰りにして貰いました。

 ビーチにでるとBが姿を消しました。ビーチではたばこを吸えないため灰皿のあるところへ移動するためです。この辺は南国とはいえ流石にアメリカだという感じです。ビーチで月をながめ闇にうっすら姿を映すダイアモンドヘッドなどを見ながら暫く涼んでいました。そう、本当に涼しいのです。そのうち我慢できなくなったのかサーファーである(と称している)Bが海に入りました。それほど冷たくもなくとてもいい感じらしいです。私はこれ以上風邪が悪化するといけないのでやめていたのですが、じゃれて遊んでいるうちにEも海に突き落とされる羽目になりました。

 結婚式の前日に海に着衣のまま突き落とされ、ずぶ濡れのままハレクラニホテルに戻らなくてはならなかったEが可哀想でもあり、ここまで我々を巻き込んだお礼参りとしてはよかったのかもしれません。Eは海に入った途端に急に寒くなってきて帰ることにしました。途中でEと別れて3人でビーチを歩き、米軍博物館のある公園を横切ってホテルに戻りました。

 ホテルの1階はABCストアで0時まで開いているので、部屋で飲むビールと、水、フルーツの盛り合わせやつまみなどを買って部屋に戻りました。部屋のベランダはNIKE TOWNに向いており抜群の眺めというわけではありませんが、椅子を出して3人で風を感じながら飲むにはちょうどよい雰囲気でした。

6月29日(火)

 この日は朝7時半くらいに起きました。やはり気分がいいせいか二日酔いもしていなくて、朝のビーチを散歩しようということになったのです。何度も書きますが本当に南国の朝は気持ちがよいです。湿度のせいか暑いという感じはなくて、日向に出れば強い日差しの指すような感覚を味わえますが、日陰に入れば涼しく、夜も過ごしやすいのです。

 そうした中でも特に朝の気持ちよさは格別です。何しろ普段は朝の苦手なBも私も何の抵抗もなく起きられたのですから推して知るべしでしょう。ホテルの前には米軍の博物館のある公園があり、朝からスプリンクラーで芝生に水を巻いています。ホノルルは本当に道にゴミに1つ落ちていなくて、ゴミ箱もあちこちにあり街自体に清潔で爽やかな印象を受けます。

 緑の中舗装された小道を歩いてビーチに出るなんて今までに体験したことのないものです(因みに私は気分がよいので「オーシャンゼリーぜー」と歌い出し勝手にシャンゼリゼ通りと名付けてしまいました)。昨日ハワイについて初めて出たフォート・デ・ルッシー・ビーチに出ました。まだ朝早く空気も暖まりきっていなく肌に気持ちよい感じです。昨日は昼のギラギラの直射日光に焼かれた白い砂浜でしたが、今日はまだヒンヤリ冷たく、私も波打ち際まで行き、足を海に漬けてみました。砂浜の温度よりも温かいですが思ったよりもヒンヤリとしています。

 昨日も書きましたが、私は温度に関する語彙には敏感でそれほど困らないつもりですが、色に関するものには弱点があります。このビーチの色、海の色、空の色、雲の色、波の色そして空気の色。なんと表現していいのか本当に困ります。とにかくカラフル、それでいて目に痛々しいサイケデリックな感じはなく、どの色もニコニコ笑っているようなのです。そのままビーチを歩いてワイキキの方へ行きました。

 流石にビーチ沿いのホテルはゴージャスなリゾートホテルの趣で、低い南国の植物の垣根の向こうにはいくつものビーチベッドとビーチパラソルそしてプールがあります。その奥のオープンレストランではサングラスに新聞を読みながら朝食をとる人も何人かいます。

 ワイキキに着くとその一番ダイヤモンドヘッド寄りの浜から大勢のサーファーが沖を目指しています。沖を見るとそこには既に場所を占めたサーファー達が無数に漂っています。私はサーフィンはしたことがありませんが、多分ゴルフで早起きして1番ティーに立った時と同じくらい気持ちがよいのだろうなぁと変な想像をしました。浜辺には早くも寝そべっている人もいましたが、流石に観光地ホノルルの目玉商品ワイキキビーチです。きちんと砂浜を整備する人。金属探知器を持って浜と浜に近い海の中を調べている人までいます。

 私は普段はとても早足で歩くのですが、ぶらぶらと本当にぶらぶらとビーチを歩いてサーファー達が出発する地点まで来ました。この辺まで来るのに1時間はかかっているでしょうか?その地点はレンタルサーフボードやら、サーフィンのインストラクターやらが店を出しており、朝食を終えた人々が繰り出していました。

 ワイキキはご存知の通り鉄道や地下鉄はありません。移動には車かバスか...またはテクシー(要は徒歩)なのです。私はどこへ行ってもその街の雰囲気を感じるために歩くことを好みます。この日も、ただビーチを歩いて戻るのはつまらないのでと、カラカウア通りより1本内陸側のクヒオ通りを歩きました。歩く道すがらアメリカでは道路で新聞を売っている箱があって、コインを入れると扉が開き中の新聞が買えるのですが、そこで新聞を買おうと思ったのですが、なぜか全然売っていませんでした。多分9時半くらいだと思いますが、この時間でも遅いのでしょうか?

 クヒオ通りはカラカウア通りとは全然違い、派手な観光地というよりは本当にごく普通の通りという感じの方が強いです。サーフショップもあんまり飾り気がないし、普通の事務所もあるし、食べ物やも如何にも地元の人が食べる定食屋という感じの店が多いのです。そんな地味な通りを歩きながらも我々は「何故このメンバーで朝のホノルルを歩いているのか」という不思議な感慨にとらわれていました。

 歩きながらアラモアナショッピングセンターへ行ってみようということになりました。どうせ今日は午後の結婚式まで時間があるし、暇だからです。我々の宿であるゲートウエイホテルを過ぎて、運河を渡り、ハードロックカフェの辺りまで来ると、左手にはマリーナがあって、爽やかな感じがするものの、通りの辺りは結構殺伐としてきました。ネイルサロンやバーベキュー屋さんもあるのですが、とてもホノルルの店とは思えない店構えです。地図を持っていたのか覚えていないのですが、きちんと曲がる場所もわかり、のんびり歩いてアラモアナショッピングセンターにたどり着きました。

 実はアラモアナショッピングセンターに来たのにはわけがあるのです。もちろんショッピングという目的なのですが、基本的には私はブランドものには興味がないし、免税しなくてはならないような高価なものは買う予定はありませんでした。しかしそんな私にも1つだけ買わなくてはいけないものがありました。「アロハシャツ」です。

 日本を発つ前にEに「結婚式っていってるけどどんな格好すればいいんだ?」と聞くと「ハワイの正装はアロハシャツに白いズボンだからズボンだけ持っていけばいいんじゃないの」との答え。それ故にアロハを買わなくては行けないわけです。

 とりあえずこの巨大なショッピングセンターをぐるりと見て回りました。改装している店が多かったのですが、それでも高級ブランドショップやら高級陶器の店やらがあって、歩いて回るには結構時間がかかりました。お店の人はブランド点の割には感じの良さそうな人もいました。とても日本ならそういった店には入れない格好をしていたのですが、ハワイの開放感のせいか、敷居が低いせいかズンズン入ることができました。

 1通り見たあと1階で食事にする。ショッピングセンターの食事ゾーンは数十軒の店が軒を連ねる大ホールで、どこの店で買ってもその中心の食事ゾーンで食べられる学食方式です。何を食べたのか覚えていませんが「ラージ」といって買ったペプシコーラが1リットルでバケツのような容器に入っているのには驚きました。いくら飲んでも減らないのです。

 食後お目当てのアロハ屋に行きました。私は洋服のセンスが悪いことで頓に有名ですが、SちゃんとBが首をひねる中、気に入った柄のアロハを無事に買いました。因みにBも気に入ったアロハを見つけたのですが、青と茶色で迷っていると店のおばさんに「青がいいよ」と指さしブロックサインを送られたそうです。

 流石に歩き疲れたか、帰りはどこで見つけたか無料送迎バスに潜り込む。勝手がわからずドキドキしましたが、3人いれば割と平気で(因みにこういう時にBは異常に落ち着いて見える)無事にホテルのそばまで帰ってくる。ホテルに帰り恒例の昼寝。部屋には涼しい風が吹き抜けて快適三昧。

 16時にハレクラニホテルで待ち合わせだったと思いますが、小1時間ほど寝て、起床。私は早速先ほど買ったアロハに袖を通し、白いパンツにサングラスという完全にやくざの出で立ちでホテルを後にしました。いつもの米軍博物館公園(勝手に命名)の横の道も歩いてみたのですが、そこにはなぜかひっそりと郵便局がありました。

 堂々と時間ちょうどに行くと我々が集合の一番最後でした。式に参加する20人弱の人間がマイクロバスに押し込まれ、教会に向かいました。新郎新婦はなんとリムジンです。この旅では天と地ほどの待遇の差を思い知る瞬間が何度もあるのですが、このときはリムジンとバスというだけでなくて、このバスの運転手が日系人らしく下手くそな日本語で延々と頼みもしないガイドをしてくれるのです。

 最初は笑って聞いていたのですが、教会に着くまでの20分間延々と喋り続けているのです(しかも微妙に下手な日本語で)。段々むかっ腹も立ってきました。そうこうしているうちに教会に着きました。風通しのよい南国らしい教会で、結構広くて恐らくびっちり入れば1000人は入れるのではないでしょうか。いまだに名前を覚えていませんが、高知東生と高島礼子が式を挙げた教会で、予約のタイミングがよかったのでとれたのですが、行った時点では日本人に大人気の教会なのだそうです。

 そんな広い教会に20人くらいですが、寂しいというよりは空間が広々としていて、しかも本当に吹き抜ける風が爽やかなのです。ハワイは暑いとか行っていた奴はここへ連れてこい!という感じです。簡単なリハーサルの後すぐ式は始まります。リハーサルで式を取り仕切った人がちょっとパテーションの裏に隠れてガウンを着て出てきたのには驚きましたが、紛れもなく神父さんのようです。スタッフの女の人はみんなムームーを着ています。

 やがて神父から言葉があり、パイプオルガンが響き、新婦が父上と一緒に入場してきました。ムームーの人が生で唄うアヴェ・マリアにもの凄く感動してしまいました。途中で父上より新郎に新婦が渡され(ややこしい文章だ)二人は揃って歩き、新婦の前に立ち誓いの言葉を交わしたのでした。

 式の後、こだわりのカメラマンによる写真撮影が延々30分も続いたのには驚きました。当然式に参加した15人弱の人間はその間ほっぽりっぱなし。親族を呼んでみたり、教会の庭を縦横無尽に歩き回って、何カットも何カットも取りまくるのです。しかもそのたびに新婦のブーケの位置や新郎の表情にいちいち細かく指示を出して、延々やっているのです。

 永遠に続くかと思われた写真撮影の間にいいことが1つだけありました。教会の隣に金のカメハメハ大王の像があったのを見ることができたのです。別に大したことではないのですが、何となく嬉しかったのです。その後再び新郎新婦リムジンに乗り込みみんなでお見送り。残った我々はまたしてもガイドに喋りまくられ17時を過ぎて渋滞の始まったホノルルの道を縫いながら、ハレクラニホテルに戻りました。因みにその道の両側は全く観光地ではなくて、地元の人用のスナックやらポルノショップやらすしレストランやらが並んでいました。ちょっとダークな感じがします。

 どの段階で打ち合わせをしたのか忘れましたが、ホテルの1階のロビーで新郎新婦を待ちました。ロビーといっても我々のホテルとは比べものにならないほど豪華で、殆ど大理石の吹き抜けで、ふんだんに小さな噴水があり、ロビーのソファーですら我々のホテルのベッドよりもフカフカしているのです。

 暫くすると新郎新婦が現れました。我々3人に新郎の友人2人の若者全員で食事に行きました。注文した魚や肉を自分たちで焼くレストランで、私とE(結婚したからK夫人とでもすべきだが便宜上ややこしいのでこのままにしておく)が「やはりハワイに来たらマヒマヒでしょう」といってウエイターに聞くと、彼は「今日のマヒマヒあまりよくない、オパにしたら?」といってきました。マヒマヒ(シイラなのか?)にしてもオパ(タイの一種らしい)にしてもアヒ(キハダマグロらしい)だろうが、オノ(サワラらしい)だろうが私には何の魚かよくわからないので、お勧めに従うことにしました。他の人も魚を頼んだようです。

 このレストランもサラダブッフェのようで、付け合わせなのにてんこ盛りにしてテーブルに準備、注文の品が(当然)生で運ばれてきて、全員でグリルゾーンへ移動しました。ウエイター君が手順を説明してくれて、肉は片側2分でひっくり返し、途中で塩こしょうをするとか、魚はアルミホイルにくるまれていたのですが、それは何分焼くのだとか教えてくれました。

 我々の他に日本人はあまりいないようで、私には大変気持ちがよかったのですが、我々の隣で肉を焼いている白人の少年が肉が黒こげになるほど焼いていたのを見て全員で爆笑しました。私の風邪はどこ吹くやらでビールを飲みまくり(でも咳は激しかった)爆笑トークで食事を終えたその後K夫妻のハレクラニホテルの部屋に押し掛けました。Kさんとそのお友達は同じ職場の方で3人とも広告代理店勤務な為、大変フットワークも軽く、酔っぱらって部屋になだれ込む巻き込まれ3人衆を後目につまみなどを買いにいってくれました。

 我々3人はEの先導でホテルの中を歩きますが、本当に天国と地獄という感じです。何だろうこのゴージャスさは!!部屋に入って溜息は悲鳴に変わりました。ベランダだけでも私が当時住んでいた部屋ほどあったのではないでしょうか(いくら何でもそんなにはないですね)。部屋の感じも落ち着いた感じで間接照明も悪くありません。テーブルの上にはさり気なくフルーツの盛り合わせです。テレビも大きくて、何よりもバスルームが広く清潔でしかも機能的なのには驚きました。

 我々のホテルのバスルームは本当に飾りも味も素っ気もないもので、しかもアメリカ仕様のシャワー固定方式なので、体の中で洗いにくい部分とかがあるのです。しかしこちらはなんということかバスルームの中にシャワールームがついているのです。彼我の差たるやアメリカの進駐軍と「ギブミーチョコレート」の洟垂れ日本人坊主っくりほどあります。

 程なくKさん達も帰ってきて、再びシャンパンで乾杯しました。小1時間ほど喋り、重い脚を引きずるような思いで自分たちのホテルに帰ります。あんまり辛いので今日もビーチを歩いていくことにしました。不思議とビーチにでると気分が晴れました。ビーチ沿いのホテルの1階のレストランやバーの庭では炎が焚かれ幻想的な雰囲気を高めています。オープンテラスのバーではカラオケコンテストをやっていました。もの凄く下手な歌が流れてきて思わず苦笑い。

 辛い思いでホテルに帰ってきましたが、やはり住めば都です。今日もベランダに出てビールで乾杯です。本当にハワイ最高の2日目でした。

6月30日(水)

 本当はこの日も朝は散歩のはずでした。しかし私の風邪が悪化しているのと、体力的な疲れに飲み疲れで、ベッドから起きあがれなかった。Sちゃんは行きたそうでしたが、おっさんとでかいのが動かなければ行動はできないのです。

 それでも約束の時間にはレンタカー屋に着きました。歩いて3分くらいですから遅れるわけはないのですが、とにかく着いて、どのタイプを借りるのか相談しました。今日は1日、昔懐かしい4人での行動(新郎はその友人達と遊びに行った)になるので車種を考えなくてはいけません。オープンカーを借りることでは一致していましたが、マスタングなどのスポーツカーも捨てがたい、こんな時でもないとジープにも乗れないだろうと迷いました。

 迷っていると程なくEが現れて4人揃いました。結局スポーツカーは後部座席が狭いのでジープにしました。こういうときは何も言わなくても運転はBです。彼は自分の免許書とカードを出して書類に記入しました。彼は国際免許はないのですがお店の人は「問題ありません」とのこと。ただし警察に掴まったら一応罰金があるのでスピードなどには気を付けてくださいと念を押される。ここら辺のアバウトさが、ハワイが日本の県なのか、日本がアメリカの51番目の州なのかということなのでしょうか。

 書類を書き終わると全員でワゴン車に乗り込みました。車がおいてある場所まで運ばれるのです。5分ほど荒っぽい運転で走るとビルの地下に入っていきました。どうやらそこが駐車場のようです。キーを渡され、緑色のジープを紹介されました。ハワイに来てジープに乗ってドライブなんて気分がいいことこの上なしです。駐車場の上のスターバックスでドリンクを買って走り出しました。しかし30mも行かないうちに路肩に車を止めました。道路が分からないのではなくて、幌がかかっていたので、幌をはずすためです。ちょっと曇り空でしたが、幌を上げないのなら何故ジープを選んだのか意味がなくなってしまいます。

 私も左ハンドルの車を運転したことはありますが、右側通行の道路というのは初めてです。同様に初めてなBはまるで30年前から地元で運転しているかのように余裕で車を進めます。カラカウア通りを西に向かって走り、ワイキキビーチを過ぎると段々道路が狭くなってきて、左側にはゴルフ場などが見えてきます。そのうち段々住宅が多くなって、今度は一転して道路が広くなります。

 住宅地やゴルフ場の入り口のところには、スピードを落とさせる目的で道路にかまぼこ状の隆起が施してあります。最初の1個を知らないで高速で走り抜けた我々はもの凄い衝撃に驚きました。段々山に向かって道路が狭くなり登り勾配になっていきます。

 山の中を走っているといつの間にかダイアモンドヘッドを越えていました。そして目の前に視界が開けた瞬間に4人揃って歓声を上げてしまいました。目の前に開けた雄大な太平洋は絶対に日本の景色ではあり得ないほど美しかったからです。ありきたりですが青い空、白い雲、エメラルド色の海。私は思わずサングラスをあげて生で見てしまったほどです。暫くくねくねと海岸線を下っていくと、駐車場があって景色が眺められるようになっていました。

 もちろん問答無用で車を止めると、暫く高台からの海の眺めを堪能しました。鳥の名前ははっきりしませんが、恐らくカージナルという鳥が何羽もいました。本当に燃えるような生々しい赤い色をしていて、やっぱりここは南国なんだと改めて確認すると共に感動してしまいました。

 その山を下りきったところで真っ白な砂の美しいビーチがありました。サーファーであるBは「いい波だなぁ」と感心しています。サーファーでない私にも良く分かるいい波です。何よりもワイキキよりも人がいないのがいいです。駐車場に車を入れるとトイレ休憩です。

 私は「大」がしたかったので一目散にトイレに向かったのですが、なんとトイレの個室にはドアがありません。確かにアメリカでは麻薬などの危険があるので、ドアには隙間があると聞いていました。しかしここには隙間しかないのです。「中国かよ」と思いながらも背に腹は替えられません。一番奥の個室に入りました。

 元々早グソですから、何とか誰かが来る前に済ませてしまえとズボンを降ろした瞬間に外から英語が聞こえてきました。私はええいままよといきみました(こういうときの思いっ切りはいいと自分でも思っている)。第一波が終わった瞬間に子供が私の視界に入ってきました。手にはおもちゃを持っています。どうやら小をしている父親と一緒のようです。彼は私と目が合うと見てはいけないものを見たような顔をしてそそくさと視界から消えました。

 私にとっても屈辱でしたが、旅の恥はかき捨てです。何とか仕事を終えて手を洗い涼しい顔で車に戻りました(もちろんみんなには報告した)。

 その後72号線に戻り暫く走ります。海岸を気持ちよく飛ばしていたのですが、屋根のないジープでスピードを出すと後部座席には相当風を巻き込むようです。女性二人の髪はふり乱れてしまいました。間もなく道路は内陸部に入っていきます。オアフ島の西側に来ると今までのワイキキ界隈の風景とは一変して、ジュラシックパークのようなうっそうとした風景に様変わりします。山が近くに迫ってきて、緑が濃くなり雲が低くたれ込めここが熱帯だということを思い知らされます。考えてみればジュラシックパークのロケはハワイで行われたのですから当然といえば当然でしょう。

 道路工事をしているお兄さんが我々を見て拳の親指と小指を尽きだして「アロハ」とやって挨拶してくれます。もちろん我々4人揃って100万ドルの笑顔で手を振りながら「アロハ」です。こういうところが旅行の楽しみでもあります。

 61号から83号に入って、北西の方へ上がっていきます。暫く進むと再び左手に海岸が広がってきました。手近なところで休憩を取りました。風が強く雲も立ちこめてきたのですが、私は海岸で少し横になってみました。ちょうど直線道路があったので、私は降りてビデオを回し、走るジープの映像も取っておきました。あとで見てみると陽炎の中に去っていくジープがなかなか格好良く取れていました。因みにこのあと力関係から私は後部座席になりました。

 ノースショアまで行き、そこで昼食にしました。日本でいったら本当に小汚いラーメン屋、田舎のちゃちなドライブインという感じのアウトドアのスタンドショップに寄りました。ぼろいプラスチックのテーブルが20人分くらい庭においてあって、木の小屋で調理をしていました。ハンバーガーなどの他にご飯ものもあって、私はシュリンプバーガーにコーラで何となく現地の人のような気分を味わいました。

 特に焦る理由もなかったのですが、なぜかその後も旅は続きます。私はノースショアから少し足を伸ばしてサンセットビーチで夕日を見たかったのですが、さすがにそれまで見ているとレンタカーを帰す時間に間に合いませんでした。83号から99号に入りビーチと分かれて、内陸部に戻りました。今度はいままでの熱帯のような景色とは一変して(行ったことはないけど)アイダホポテト畑のような延々と続く茶色い畑が目を覆いました。99号に入ると驚くのは信号がないことです。そりゃそうです。道路がクロスしていないのですから。

 ガイドブックを見ていたSちゃんがドールパイナップル園があるはずだけど行きたいと言い出しました。後部座席の私とSちゃんは風を避けるために半身になってみたり、後ろを向いたりしたのですが、突如路肩に車が止まりました。右手には広大な畑が広がり、路肩の目の前にはシートベルト着用の標識があって、よく見るとその標識には銃痕がついていました。「パイナップル園行くの?}とBが聞いてきます。私がSちゃんの顔を見ると彼女は頷きました。車はUターンしてパイナップル園の駐車場に入りました。

 ドールパイナップル園には世界最大の迷路があるそうです。先ほどまで曇っていたのですが、気が付くと晴れて日差しが痛くなっています。入場料を払うとカードをくれて、入り口で時間をカウントして、迷路にあるチェックポイントでマークして、出口に辿り着くと所要時間を計ってくれるようです。掲示板を見ると一番早い人は9分と書いてありました。

 迷路の中からは「Here! Here」などと叫んでいる声と共に走る足音が聞こえています。みんな結構エキサイトしているようです。我々は静かに入ったのですが、途中でEとSちゃん、B、私と3つに別れると俄然負けず嫌いの血が疼きます。途中までビデオを回していたのですが、私も早足でチェックポイントを探します。何度かBや女性陣とすれ違ったのですが、20分少しでゴールすることができました。ゴールすると女性陣は座って待っていました。私がゴールしたすぐあとにBもゴールしましたが、彼は全てのチェックポイントを探すのは諦めたようです。たっぷり日光を浴びて迷路を満喫したあと、カットしたパイナップルを買って庭で食べて休憩しました。

 99号を南下すると段々住宅が多くなってきて、先ほどまで晴れていたのに軽くスコールも降ってきました。坂を下る感じで段々低地に向かって降りていくと目の前に港が見えてきました。言わずもがなのパールハーバーです。パールハーバーまで近づいていくと独立記念日が目の前に迫っているため垂れ幕などがでていました。また遠くから確認できたのは戦艦ミズーリでした。

 アロハスタジアムを過ぎてパールハーバー記念公園みたいなところに行こうと思ったのですが、米軍の施設の入り口についてしまいました。おっかない守衛さんがいましたが、無事正しい道に乗って記念公園に着きました。そこには博物館があって、なぜか無料で入れました。博物館には真珠湾攻撃の記念品が飾ってあったりしました。近くに韓国人がいましたが、このときほど自分が日本人で恥ずかしいと思ったことはありません。どんな理由があれ戦争を始めたのですから。すぐそばに航空博物館もありましたが、残念ながら時間が遅くてしまっていました。

 パールハーバーからは東に進路を取りますが、ホノルルに近づくに従って段々交通量が増えてきました。しかしBは臆することなく運転していきます。町中に入ってもオープンカーはやっぱり気持ちがいいです。

 無事にレンタカーを返して歩いてワイキキへ向かいました。やっぱりどこでもラッシュアワーはあるもので、結構道路は混んでいました。歩いて10分くらいでホテルに着きました。しかしこのままホテルに寄らずに夕食にします。この時点で19時くらいだったので、現地の感覚では夕飯にはちょっと早いのですが、とにかく入ります。この日はホテルの隣のナイキタウンの横にあるオールスターカフェというスポーツレストランにしました。

 私はお腹が結構一杯だったので、自分にはシュリンプフライ(この日2回目のシュリンプです)だけ、後サラダを頼み、BはステーキやらSちゃんはハンバーガー(アホみたいに大きい)などを頼みましたが、結局みんな食い切れませんでした。

 店内のモニターではNBAドラフトなどをやっていましたが、修学旅行生みたいな団体さんの入る店で賑やかな感じでした。感じの良いウエイターさんに注文してビールなどを飲んでいい気分になりました。

 食事後、隣のバナナリパブリックに行き、お買い物。私は買い物する気がないので店の中を軽く見ると、店の人が日本語ができるので通訳の必要もなく、外に出て夕涼みをしていました。3人は30分ほど店内を見て、買うものを決めて出てきました。

 その後、朝レンタカー屋でもらったクーポンを使ってガンシューティングに行きました。みんなにとって初めての経験です。私も小学校の頃から銃を撃ってみたいと思っていたのがいよいよ初体験です。

 ハワイのガンシューティングは観光客用に火薬の量が少ないんだぞ、とか、火薬の粉が顔や手に当たるとピリピリするぞなどと蘊蓄を並べていましたが正直いって少しドキドキしていました。病院の待合室のようなところに通されて、写真撮影をするか聞かれました。記念なのでお願いするとそれぞれモデルガンをもって写真を数枚(デジタルでした)撮影が終わり画面を見て絵柄を決めると、また待合室に。

 私達の他にも数組の日本人がやってきて、みんな日本語でインストラクションを受けます。「自分の口を打つのはダメ」などと軽くジョークを交えながら、リボルバーとオートとライフルの3種類が撃てること。弾がからになったらゲージから離れて係の人に合図すること、イヤーパッドを絶対に外さないことなどいくつか注意を受けました。

 まず我々4人が射撃室に案内されました。イヤーパッドをして緊張の面もちで中に入りました。実は良く覚えていないのですが、テレビで見るような狭いゲージがいくつも並んでいて、そこに銃がセットしてありました。因みに銃は左右から鎖でつながれていて、正面の標的以外は撃てないようになっていました。

 まず最初はリボルバーです。標的は以前やったエアーライフルの射的よりは大きく見えましたが、銃が重いのと緊張とで照準が定まりません。衝撃は思ったほどではありませんでした。バシュッというエアーライフルの方が衝撃は強く感じたくらいです。数発撃ってから段々落ち着いてきて、きちんと息を止めて照準を覗き、的を狙えるようになりました。

 あっという間にリボルバーは弾がからになり、私は銃を置きゲージから一歩下がりました。係の人が私の肘を掴んで隣のゲージへ連れて行きます。あとの3人はまだ撃っています。次はリボルバーです。もう先ほどのように緊張はしません。軽快に撃ってきます。半袖で撃ったのですが、火薬かすが皮膚に当たってピリピリしました。

 リボルバーも撃ち終わり最後はライフルです。ライフルは持ちやすくて安定しているので、とても撃ちやすかったです。私が最初に終わり3人を待っていました。写真を買うか聞かれたので、1人分だけもらうことにしました。頼めばTシャツやマグカップにプリントしてくれたようです。間もなく3人がでてきました。みんなそれぞれに興奮した面もちでした。みんなが撃ち終わると係の人が的をもってきてくれました。それぞれに「Good」とかコメントが入っていました。

 ガンシューティングはビルの中に入っていたのですが、防音がしっかりしていて一歩店の外に出ると音は全然聞こえませんでした。外に出ると下のフロアにあるお好み焼きやさんからソースの匂いが漂ってきました。ちょっと食べたくなりましたが、そのまま外に出ました。Eのホテルまで一緒に行きそこで彼女とは別れて3人でビーチを歩いて帰ってきました。

 毎日通っていますが本当に夜のビーチは素敵です。とてもアメリカとは思えないくらい安全ですし、ギターなんかもって星空を眺めたいくらいです。途中で3人それぞれの的を見て誰が上手いかなどを話しましたが、みんな大した差はありませんでした。その後ホテルに戻り今日もベランダで晩酌です。

7月1日(木)

 とうとう風邪が本格化してきて動けなくなってきました。SちゃんはEとアラモアナにショッピングに行くといっているのですが、ショッピングに付き合う体力はありません。お互い携帯を持っているのでどこかで待ち合わせするとして今日は別行動にしました。

 Bも付き合ってくれて10時くらいまで朝寝坊を楽しみました。その後男性チームは日本では混み混みのスターウォーズエピソード1ファントム・メナスを見に行こうということになりました。しかしガイドブックがないので映画館の場所もわからないし、上映開始時間もわからないので適当に出かけました。

 この辺だろうと予想をつけていったところに映画館はありましたが、案の定しまっており11時半くらいからの初回でした。天気はよいし体を動かせば少しは元気が出てきましたが、とにかく咳がひどい。カラカウア通りなどをブラブラしてロイヤルハワイアンショッピングセンターの1階で、フラダンスとブラスバンドの演奏を見て時間をつぶし、再び映画館に突入しました。

 海外で映画館に入るのは初めてですが、Bも私も元映画館勤務です(しかもBは2館も)。最近日本でもシネマコンプレックスが進出しているので、切符を買う時に時間を言うのを忘れなかったり、すんなり入場。しかしお世辞にも設備のよい映画館ではないようです。ロビーはそれほど明るくなくて、ただだだっ広い感じです。早速ポップコーンとコーラを買って場内に入ります。シネコンなどもこういう予告の流し方をしているようですが、休憩中も客席は半分くらい暗く、CMやアニメなどを流しています。

 私達はガラガラだったので真ん中少し後ろくらいの格好のポジションをキープしました。ちょっと広すぎるくらいの映画館で恐らく1000席は十分にあったと思います。ところが思わぬ誤算が。外国人でさえ、この空き様にいくらベストポイントとはいえ我々の周りは避けて席を探すのに、我々の後ろの列に日本人のカップルが座りやがったのです。アホです。おもいっくそ日本語でくだらないことを喋っているので、私とBは黙りこくってしまいました。

 気を取り直して映画が始まりました。スクリーンが暗くてイマイチでしたが、初めて外国の映画館で字幕なしで映画を見たということだけで楽しめました。反則ですが実は事前に小説を読んでいたのであらすじはわかっていたので全然ストレスは感じませんでした。

 映画が終わり私はホテルに逆戻りすることにしました。Bは携帯を使ってアラモアナで女性陣を捕まえるためそちらに向かいました。暫く寝てみんなが帰ってきました。Eは帰ってしまいましたが、彼女たちは明日からボラボラ島に新婚旅行に行くので、お土産の類を私に預かって欲しいらしく、後で電話すると言い残していたそうです。

 我々3人もお土産などを買うためにカラカウア通り沿いの店を何軒か歩き、夕食の時間になりました。どこに行こうか迷ったのですが、結局初日に行って雰囲気のよかったデュークスカヌークラブに行くことにしました。今日はこの前と違い待つことなく案内されました。テーブルについてすぐに気が付いたのは今日から7月でメニューやシステムが変わっているらしく、サラダバーはありませんでした。夏メニューということでしょうか?

 初日に骨付きリブのバーベキューソースが結構甘かったので、この日はニューヨークステーキにしました。ビールも進みますが、なぜか会話が進みません。考えてみるとBもSちゃんも非常に寡黙なタイプです。いつもは私が喋り倒して、Eが合いの手を入れるという絶妙なバランスがあったのですが、この日は3人です。

 食事も終わりという頃にEからで電話があり、荷物を持ってやってきました。少し立ち話をして彼女は去っていきました。我々も店を後にしました。明日はまたしても8時間飛行機なので、今晩は寝ない予定ですが一旦荷物をおきにホテルに戻る事にしました。Sちゃんは慣れないお酒に相当参っているようで殆ど自分で立っているのも困難なようだったのでいつものビーチは後ほど行くことにして真っ直ぐカラカウア通りを歩きました。

 途中フルートのストリートミュージシャンがいました。フルートの優しく乾いた音はなぜかハワイの夜にとてもマッチしていました。take fiveやスティービー・ワンダーYou are the sunshine of my lifeなんかを吹いてくれたのですが、私達が日本人だと悟ったのか突如「花」を吹き出しました。さすが滝廉太郎(だったっけ?)ハワイの夏にもマッチする美しい曲でした。

 私が「イパネマの娘」をリクエストすると彼は難なく吹き始めました。曲が終わりポケットをまさぐり小銭がないかとやっていると彼は「おっ、友達が向かえに来た」と早口でいうと(なぜか聞き取れた)フルートをケースに仕舞い、月光仮面張りの早さで通りの向こうに消えてきました。

 私はトロンボーンを愛していますが、中学の時にフルートがとても欲しい時期があって、日本に帰ったら遊びで買ってみようと思いました。ああいう空気にとけ込む音質というのは残念ながらトロンボーンではなかなか出ないですからね。

 ホテルに戻りビーチに行こうと思ったのですが、思ったよりSちゃんの酔いが深刻だったので、彼女がシャワーを浴びている間にBと私は再び晩酌です。最後の夜ということで溜息も出ましたが、帰りたくないという気持ちでいっぱいでした。しかし途中でSちゃんが復活してきてビーチに行くことにしました。0時は過ぎていたと思います。しかしホノルルは安全ですね。ここまで書いていませんでしたが、カラカウア通り沿いには街灯の他にたいまつが燃してあって、とても幻想的な雰囲気でした。

 我々はビーチに行って夜風に当たったのですが、もう明日は帰国です。私はこれ以上風邪がひどくなってもいいやと思い、思い切って海に入りました。水着はもっていなかったので、短パンのまま入りました。水は冷たくなく日本の海よりも塩分が濃い感じがしました。因みに海に入ってすぐにわかったのですが、なぜフォート・デルッシービーチはワイキキの隣なのに、人がワイキキとは比べものにならないくらい少ないのか?

 答えは、なんとこのビーチは岩場なのです。岩ではないかも知れませんが、とにかく下が砂ではないので足が痛いのです。海に入って少し寒くなってきたのでホテルに戻ることにしました。その後、Bは荷造りを追え寝てしまったのですが、私は朝まで残らずアルコールを平らげ、Sちゃんは朝まで(荷物が入らないので)唸りながら荷造りをしていました。

7月2日(金)

 朝方ビーチに散歩に行くことにしました。ハワイの日の出が見たかったからです。寝ているBを叩き起こして、ツアー会社の指定通り送る荷物をドアの脇に置いてホテルを出ました。

 朝といっても多分5時前だったと思います。本当に朝のビーチは気持ちがいいです。せっかくだからワイキキビーチの方まで歩いて、もう言葉では言い表せないような空の色を堪能しました。この文章の地のようなピンクとも紫ともいえないような空の色です。微妙な混ざり具合で雲と空の色と解けているのです。残念ながらワイキキビーチは南向きなので日の出の瞬間は見られませんでしたが、南国ならではの柔らかい色使いで空の色が変わっていく様子は一生忘れられないものになりました。

 さすがに眠いのかSちゃんが一瞬寝た隙をついて私とBは遠く離れて隠れました。遠くからビデオをまわして我々を捜す彼女を撮影したのですが、悪戯は成功してちょっとした旅のスパイスになりました。この気持ちの良い空気をいっぱいに吸って、また再びこの地へ戻ってくるぞ!と、私は更に「新婚旅行はハワイだ」などと宣言してホテルに戻りロビーで集合しました。間もなくバスが向かえに来ていてそのまま空港へ。

 本当に3人とも帰りたくない気持ちは一緒だったと思います。それくらいハワイは最高でしたし、いつも遊んでいる仲間との海外旅行は楽しかったのです。ゴルフにも行きたかったし、サンセットクルーズにも行きたかったです。いろんなやり残したこともありましたが、いつかみんながそれぞれ家族と一緒に合同で行ける可能性があることを考えると、それだけでも良かったとも思います。

 入国の時と違って出国は非常にスムースでした。寝なかったのが功を奏したのか帰りの飛行機ではあっという間に眠りに落ちてしまいました。

7月3日(土)

 寝ていたお陰で非常に快適に空の旅を満喫しました。そして入国審査を終え、帰国するとハワイとは全く違う湿気が我々を瞬時に包みました。飛行機は15時くらいに着いたのですが、さすがに疲れており、この大荷物で公共交通機関に乗るのは気分が進みません。とはいえタクシーに乗るほどの予算がない我々はBの提案に従いレンタカーを借りて、Sちゃん、私の家と旅の名残に後ろ髪を引かれながらそれぞれの旅行を終えたのでした。

6月の3日と7月の3日間

 あと2日いればアメリカの独立記念日でワイキキビーチで壮大な花火が見られたのですが、そこまでの贅沢は言えませんでした。何しろ私はEから旅行費用を借りていったのです(もちろんその後全額返済しました、冬のボーナスで)。

 暑すぎず季節もちょうど良く、夏休み前なので人もそれほど混んでいませんでした。お陰でそれほど日本人でイヤな思いをすることがなく済みました(映画館以外は良かったでしょう)。本当にハワイは良かったです。

 私達のホテルの1階にABCストアがあるのですが、そこで渡部篤郎を見たり、確か初日の夜だったでしょうか、カラカウア通り沿いのルイ・ヴィトンの店の前で酔っぱらった鈴木紗里奈が、歌を唄いながら何事かを叫んでいました。帰国してから何かの本で彼女のコラムを読んだのですが、結婚する友人の女の子と最後の独身旅行を二人で楽しんでいたようで、それにしても羽目を外していました。因みに可愛かったですよ、思ったよりちっちゃくて。

 帰国してからしばらくはハワイ病が抜けなくって、ハワイでやきそば屋を開くと断言していたのですが、いまにして思うとやっぱり南国はバカンスで行くところで年中いると頭も南国になっちゃいそうです。しかしその頭が南国になる感覚って常習性があるようで、いまでもたまにハワイの暖かさが懐かしくなる時があります。

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