| 大韓民国紀行 |
| 序章 |
今回の旅行は出張です。この年の8月に入った会社は友人の経営する会社でその会社はいろんな仕事をしていますが、メインは日本で中古のミニラボ(小さな写真現像プリント機)を引き取り、韓国に輸出する貿易業なのです。 私は仕事を始めてすぐなので機種について理解できていなかったり、現地でどのようにオーバーホールしているか?とか、そして私が東京事務所の代表になるので韓国への顔見せの意味もありとにかく早期に韓国へ行くことが入社時からの課題でした。とはいえ仕事を始めてすぐなので私はさして忙しくもないわけです。そこでとにかく8月中に韓国へ行こうということになり今回の出張が急遽決まったのです。 私は正直にいうとアジア圏にはほとんど興味がありません。もちろんそのうちは韓国、中国などにも行ってみたいとは思いますが、その優先順位は低いです。実は私の会社の本社はオーストラリアです。私の友人がオーストラリアに会社を持っていてその日本法人という形になるのです。ですから最初の出張はオーストラリアかと思っていました。 とはいえ、私はオーストラリアにもさほど興味がありません。いい所だとは思いますが、やはり優先順位はそれほど高くありません。むしろその隣のニュージーランドの方に興味があるくらいです。それでも今回は韓国です。私が9年間働いていた出版社では6年間韓国の三世である上司の下で働きましたし、オレゴンに行った時も韓国人に案内してもらったりと、中国人の知り合いが一人もいないのに対し韓国人の知り合いは何人かいます。 私は概ね韓国人には好印象を持っています。その印象は私が関西人に持っているものと似ていると思っています。つまり「一人一人会うと、大変良い人。しかし集団になったり、お国自慢をさせたり、頭に血が上ると急変する」というものです。まぁ、フォローするわけではないですが、こうした印象はその国の全員に当てはまるわけではないでしょう。 とにかく韓国に行って来ます。 |
| 8月26日(月)ソウルは脳天直撃の街 |
成田空港から大韓航空に乗って韓国へ。私にとって初めての非ローマ字圏。初めてのアジア。成田空港で私の社長であるNさんと合流。今回の韓国行きはもちろん出張で、新しい会社の研修のためです。因みにNさんのビジネスパートナーが韓国人で(因みに日本語ペラペラ)簡単にいえば、Nさんが日本国内で集めた機械を韓国のKさんに送り、彼が韓国で販売するという形態なのです。 成田空港の待合室もアメリカ便やヨーロッパ便とは異なり周りは黒い髪の人ばかり。最近の韓国人はあか抜けているので一見日本人と区別の付かない人も多い(もちろん口を開けばすぐにばれる)。いよいよ飛行機に搭乗です。入り口で新聞が置いてありますが、私はいつものように「現地モードに入る」為にハングルの新聞を手に意気揚々と機内へ進みました。 席について身繕いをすませるとすぐに新聞を開きました。大きな過ちでした。全く読めないのです。フランス語の新聞でさえ何となく意味が分かるというのにハングルには本当に歯が立たないのです。それでも一応全ページに目を通しました。ほとんど日本のニュースはなく(第一新聞の名前も読めない)タイガーウッズの写真があったのと(とはいえタイガーウッズと書いてある部分が確認できない)中国の朱鎔基首相の似顔絵があったのが確認できた程度でした。 すぐに諦めた私は旅行ハングルの本を開いてテイクオフを待った。因みにキャビンアテンダントさんで一人ものすごく可愛い人がいました。他のアテンダントがいわゆる韓国美人とでもいえるような凛々しい感じの美人が多いのとは違って我々日本人受けしそうな感じのいわゆる可愛いタイプのショートヘアの女性でもちろん背はスラリと高く、私は搭乗の間中彼女を眺めて過ごしたと言っても過言ではありません。 コリアンタイムというのがあるらしくある程度時間に遅れることは韓国社会では当たり前のようです。しかし定刻の30分過ぎになってもコンテナは積み込まれていないようですし、出発の気配はありません。「乗客が遅れており待っています」というハングルと日本語と英語のアナウンス--このあともご丁寧にこの3カ国語でアナウンス--がありました。 結局テイクオフは定刻の1時間後。ナリタ一ソウル(インチョン)間がわずか2時間であることを考えるとこの遅れはバカになりません。私はいつものようにテイクオフして水平飛行に入ると睡眠体勢へ。最近昼寝がお決まりになっているので割とすんなり眠れました。 1時間ほど進んでから機内サービスが始まりました。私のお気に入りのキャビンアテンダントは私の席の担当なのですが、残念ながら私の席のサービスは一緒にサービスをしていた男性でした。機内食はパンと中華丼とオレンジジュースとピーチゼリー。味はまぁまぁでした。 食事が終わると目が冴えてしまい、ハングルの本を読みながらの道中になりました。私は基本的にその国の言葉で話すのが正しいと思っているので少しでもハングルを覚えようと思ったのですが、所詮付け焼き刃。いくら読んでも頭には入りません。 そうこうしているうちに下に陸地が見えてきました。初めて見る韓国です。飛行機は大きく旋回してインチョン国際空港にタッチダウン。飛行機を降りる時に前述の可愛いアテンダントさんと写真を撮ってもらいました。因みに実物は写真より100倍は可愛かったです。私が「写真いいですか?」と聞くと、彼女は「写真!?」と笑いながらもすかさず髪を整えて撮られる気満々でした。デジカメで私が画像を確認すると彼女ものぞき込んでいました。ある種プロですね。 国際線で問題となるのはやはり入国手続きでしょう。いくらワールドカップで随分大勢の旅行客を受け入れたとはいえ、やはりハワイやパリとは違い乗客のさばきかたが下手です。同時刻にロシアからの飛行機があったらしく、ロビーにはロシア人と日本人と韓国人で溢れました。当然韓国人の列はスムースに進みますが、外国人の列は一向に減りません。そのうち係員が「韓国人の列に並べ」と列を均し出しました。 我々はロビーで待っている人がいるので一刻も早く入国しようと列を移動しました。私の数人前から日本人に切り替わったこの列の入国係員は「日本人はあっち(外国人)の列に並べ」と韓国語で言ったのですが(正確には意味は分からないのですが「イルボン」と聞こえたら他に言っていることはないでしょう)。3列くらいの日本人が口を揃えて(しかも日本語で)「係員がこちらに並べといった!」と抗議ののろしを上げました。 私の前のNさんは無事に入国したのですが、私の段になって、余所の列に並んでいる韓国人を優先し出しました。私はパスポートをトントン叩き抗議の意を表したのですが、あんまり露骨にやってさらにいじめられてもイヤなのでおばさん3人を笑顔で通してあげました。もちろんその後私の出番が来たのですが、「ありがとう」も「サンキュー」も「カムサハムニダ」も「笑顔」もなく通ってやりました。 荷物を受け取って到着ロビーにでるとKさんが待っていました。恐らく2時間近く待っていたはずなのに彼は笑顔で向かえてくれて、挨拶も早々にソウルに向かいました。インチョン国際空港はワールドカップのために新しく作られた空港のようで非常にきれいです。しかしそれをゆっくり見る間もなく先を急ぎます。 インチョンからソウルは約30キロですが、ソウルの渋滞は非常に有名でその渋滞は夜の1時、2時まで続くそうなので到着には2時間は掛かるそうです。19時にインチョンを出るということは到着は21時です。さて、少し雨が降ってきましたが、空港を出て直結している高速道路に乗ります。インチョン国際空港もそうですが、出てすぐの高速道路もものすごくきれいです。これはハワイよりもポートランドよりもパリよりも凄いです。 車中kさんの運転する車ではNさんとビジネスの話で息を付く暇もありません。私はインチョンを出てすぐのきれいな橋やソウルに近づくに連れて見える建物の名前などを聞きたいのですが、その暇もありませんでした。とはいえ私の興味はやはり道路を走る車であったり、高速道路脇の建物だったりします。 さて、私が今まで行ったことのあるアメリカやフランスとは異なり韓国行きの最大の障害は「文字が読めない」ということです。一応飛行機の中でハングルの基礎知識のようなものは読み多少ならハングルも読めるようになりました。しかし読めても意味が分からなければその先に進みようがないのです。数日前に会った、ワールドカップで韓国へ行った友人は「町中で漢字やローマ字は期待しない方がいいっすよ」と言っていました。 ソウルが近づくに従って噂通りの渋滞が始まりました。日本のような止まったきりの渋滞とは違い混んではいるものの少しずつ流れてはいます。周りの車は見事なまでに韓国製。ヒョンデ(現代)がほとんどでキア(起亜)、サムスン(三星)、デウ(大宇)などどの車もみんな韓国製。日本車はおろか他の外車も全くいません(見たのはBMWを1台だけ)。韓国のナンバープレートは日本のものとそっくりです。都市の名前、2ケタの番号が上段に、下段はハングルが一文字に4ケタの番号が入ります。私は覚え立てのハングルを実践する意味で前の車のナンバープレートを読んでいたのですが、結構読めるので感激しました。とはいえ1文字なら集中力も続くのですが、夜のネオンに光るのはまさにオールハングル。しかも単純な人文字とは違い複合母音など複雑なものもあって、ほとんど歯が立ちません。 ソウル市内に入ったのですが、あいにく地図を持っていなかったのでどこを走っているのか良く分かりません。街並みにはまぁきれいですが、とにかくどこも団地とマンションばかり。道路沿いは食べ物屋という感じです。高速を降りて30分ほど走ってくねくねと道路を走りようやくホテルに着きました。 今回の出張は全て費用を韓国側でもってもらっています。ホテルの手配も全部してもらっています。着いたホテルは元はラブホテルだったものを改装したそうですが、改装しても怪しい雰囲気は残っています。ホテルに荷物を置くとすぐに食事に行きました。 食事はお約束の焼き肉です。焼き肉屋は日本のお店とそんなに変わりはありませんが、とにかくメニューがビックリするほど読めません。「カルビ」なら読めるはずなのに、指でさされるまで読めないのです。読めるのは500gとか600gなどの重さだけ(数字とローマ字だから当然だ)。観光客が来る店ではないそうなのでお店の人に英語が通じるかどうか分かりませんが、とにかく座ったが最後、Kさんがいないと注文も出来ません。 本場の骨付きカルビを食べ、キムチを食べ、眞露を飲みました。ビビン冷麺も頼んでくれましたが、とにかく辛い!酒のせいか辛さのせいか段々ボーっとしてきました。そのうちKさんの会社の若い社員が2人やって来ましたが、彼らは日本語が出来ないので余り会話は出来ませんでした。 豚肉や酢の物、和え物、水キムチなどをしこたま食べ腹一杯になり解散しました。韓国料理といえば例の鉄製の箸を使います。私は使う前は滑りやすそうだとか重そうだとか心配していたのですが、使ってみると案外普通に使え、全然気になりませんでした。 ホテルに戻ってきました。日本に国際電話をかけて嫁に今日の報告をしました。距離的にはそんなに遠くないのにやはり海外のせいか随分離れてしまったような気がしました(その割に報告したのは可愛いアテンダントの話でした(笑))。テレビをつけるとERをやっていました。ハングルのERを見れば4カ国語(英語、日本語、フランス語)制覇か!と思ったのですが、なんと日本のBS2の映像をリアルタイムでやっていました。そういえばNHK-BSの画面に常に「NHK-BS」とクレジットが入っているのは衛星放送が地理的にアジア圏であれば見られて、それを録画して販売するのを防ぐためだと聞いたことがありました。 ERを見たあと、韓国の番組を少し見て眠りにつきました。韓国1日目。とにかく印象的な辛さ。そして女性の美しさ(こればっかり)。ソウルは脳天直撃の街です。因みに辛いのは日本の辛さと違い何時までも辛いのではなくいつの間にかスーッと辛さが引いている爽やかな辛さです。但しニンニク臭が何時までも口の中には残ります。 |
| 8月27日(火)クレイジーナイトinソウル |
この日は朝8時半くらいに起きました。9時にKさんが向かえに来てくれて今日は彼の会社で研修です。昨夜は焼酎しか飲んでいないので二日酔いもしていません(あんまり威張れないか)。因みに天気は雨。暑いよりはいいですが、生憎の天気です。 9時過ぎにKさんではなく、昨日会ったKさんの会社の人が、会社の車で向かえに来てくれました。ホテルから会社までは10分少し。この時間は出勤ラッシュも終わっており街はさほど混んではいませんでした。 会社に着くと企画と経理をしている女性が我々を迎えてくれました。Nさんとは旧知の仲で彼女にお土産を渡して席を勧められました。彼女は英語が出来るそうです。「何か飲みますか?」と進められたので私は「何か冷たいもの」といいました。数分後に戻ってきた彼女は2つの缶を持ってきました。Nさんがどちらかを私に選ばせてくれました。一つは青リンゴの絵が描いてあり、もう一つは白い液体にタピオカのようなツブツブが浮いた絵がありました。 青リンゴの方は味が想像できたので、白い怪しい方に挑戦しました。開けて一口。液体はココナッツミルクのように甘く、タピオカかと思ったものはお米のようでした。どうもそのあとの社員たちの様子から見るにその飲み物はずいぶんとポピュラーなようですが、私にははっきりと甘すぎました。 Kさんがまだ現れないので女性が「朝食は摂りましたか」と聞いてくれました。私は朝食を食べないと動けない質ですのでこれ幸いとお言葉に甘えてもらうことにしました。どうも「海苔巻き」を買ってくるようでした。同様に数分後戻ってきた彼女は牛乳を2つとサンドイッチを2つとアルミホイルでくるまれたものとビニール袋に入ったタクワンを持ってきてくれました。 どうやら海苔巻きにはタクワンが付き物のようです。アルミホイルを解いてみると日本の太巻きより一回り細い見た目は日本の海苔巻きと同じものが2本、それぞれ1センチ幅で切られてありました。口にしてみるとご飯はすし飯で多少甘め。中の具は玉子とにんじんとツナなどが入っており私は醤油が欲しい感じがしました。因みにタクワンも何やら甘酸っぱく、漬け物というよりはピクルスという感じです。二人でそれを頬張っているとKさんが出勤してきました。 Kさんは会社の寮に住んでおり(社長なのに)、社員がみんな洗面所を使ったあとに最後に出社するので遅くなったと説明してくれました。到着して早速仕事が始まりました。Kさんは5年前に自動車のセールスマンから中古ミニラボの販売という事業を興し、近いうちに3階建ての自社ビルを購入するそうです(因みに1億500万円だそうです)。オフィスの横が倉庫になっており足の踏み場もないほど中古ミニラボで溢れかえっていました。倉庫の一番奥はオーバーホールスペースになっていて、5人くらいの若者が働いていました。 私の研修はまず機種を覚えることから始まり、機種ごとに中古品を買う時のチェックポイントを教えてもらいました。恐らく私が実際に値段交渉をすることはないのですが、物の引き取りには行かなくてはならずその際の注意点ということになります。Kさんは大変流暢な日本語もそうですが、説明に全く無駄がなく、私を驚かせました。 オーバーホールの様子も見せてもらいましたが、みんなで手作業で分解し、全部きれいにクリーニングして部品を交換し、新品といってもいいほどの状態で出荷するそうです。日本人はきれいさにはうるさいといいますが、ここのレベルはその日本以上といってもいいほどです。私は学生時代に写真屋で3年半アルバイトしていたので全くの門外漢というわけではないと思いますが、私の知っている機械は15年近くも前のものです。色々新しくもなっており、2時間以上Kさんのエネルギッシュな説明は続きましたが、私も全く集中力を切らすことなく勉強しました。 雨が激しかったので昼食は出前を取ることにしました。私はNさんに任せて以前食べて美味しかったキムチのチャーハンのようなものを頼みました。出前されたものは豚キムチにライス、ライスの上に目玉焼きが乗っていました。付け合わせにタクワンと生のタマネギ、(更に)キムチがひと皿にキムチスープでした。豚キムチは辛いけれども大変に美味しく、付け合わせとも良く合っていました。とにかく辛かったのはキムチスープです。一口飲んで思わずむせてしまいました。しかし味は絶品。話を聞くとこのキムチは韓国人でも辛く、しかも最近は若い人がキムチを食べなくなってきているので韓国ではキムチの消費が落ちているのだそうです。 1時間半ほどゆっくり食事をして、休んでいると別会社の社長がやってきました。我々の会社との商談のためで彼は印画紙とフィルムを欲しがっていました。むちの社長のNさんは日本語の他は英語が出来て、ハングルは出来ません。よってこの商談は英語で進められました。私が聞いていてもわかる内容だったのですが、やはり油断してフッと気を抜くと何を言っているかわからなくなっていて、焦りました。 商談が終わり今日の仕事は終わりました。とりあえずショッピングにでも行きましょうと言うことになりました。今回の出張で私が一つだけ行きたかったのは「眼鏡屋」でした。ご存知の通り韓国といえば革製品と眼鏡が安いわけです。革ジャンも欲しかったのですが、お金がないのと時期的なものもあり、眼鏡だけは買いたかったのです。 とはいえ最初に案内されたのは韓国の農協が経営している巨大なスーパーでした。Kさんはやはりお土産といえばキムチかノリだろうというのですが、私は何か韓国らしいお菓子があればそれがいいと思い、いくつか買ってもらいました(Nさんに出してもらった)。その他Nさんお勧めの柚子のジャムを買いました。因みにKさんも私に一つ韓国の伝統的お菓子を買ってくれました。 店を出る前にそのスーパーの中の軽食コーナーで、チヂミと春雨の腸詰めとレバーをつまみました。本当はあんまり食欲はなかったのですが、せっかくだったので食べました。どれも大変に美味しかったです。 続いて眼鏡屋に行きました。私は1個3000円くらいで買いたかったのですが、Kさんが知っているお店があって値段はそこまで安くないかも知れないけど品質は安心できるというのでそこに行きました。 行った先はこれ又一昔前のスーパーのような感じで、スーパーに入っている眼鏡屋さんでした。店は店主が一人だったのですが、その人とKさんは知り合いでした。私が眼鏡を探していることを聞いていくつかフレームを出してくれたのですが、どれも10万ウォン(因みに1万円)くらいで私の予算はオーバーしています。 私は1個3000円の眼鏡を2つとサングラスを1つで1万円くらいで考えていたからです。私が少し高いなぁ、と予算をKさんに告げると、彼は「値段のことはいいから、欲しいものを探してください。お金はあとで交渉します」というのです。とはいえ値段は大体5万ウォンから7万ウォンくらい。あんまり無理を言っても悪いので眼鏡を1個とサングラスを1個お願いすることにしました。 因みに私は眼鏡はその場で1時間くらいできると日本で聞いていたのですが、それはレンズのストックを店に大量にしてあるからでフレームに合わせてすぐレンズを削るからだと聞いていました。しかしどうやらサングラスのレンズはすぐにでは出来ないようなのです。私が次の日日本に帰ること説明したKさんは何やら店主に言っています。店主はすぐに電話をし出したのですがどうにも表情が険しく、そのうち汗までかき出しました。 私は「出来なければいいです」と言ったのですが、そのうちKさんが「では私が受け取り日本に送りますよ」と言ってくれました。しかしそれでも店主は電話をかけ続けていたのですが、結局出来ないのでKさんにあとから送ってもらうことにしました。因みにその電話が終わった後Kさんが値段の交渉をしてくれたのですが、これ又激しいやりとりのあと結局2個で8万ウォンという思っても見ない安さで出来ました。因みにこのお店でも私自慢のアメックスのゴールドカードは使えませんでした。 そのあと、フランスの巨大スーパーであるカルフールに行きました。千葉にも昨年出来たのですが、私は日本でもフランスでも行ったことがありません。ソウルのカルフールはそれほど大きくもなく日本のダイエーやヨーカ堂くらいの大きさでした。火曜日の夕方だというのに閑散としていましたが、品揃えは豊富でした。 カルフールといえば店員さんがインラインスケートを履いているので有名ですが(日本ではお客さんにぶつかったとかでやめているそうですが)、韓国ではちゃんと履いていました。それを見てインラインスケートも安いのかな?とKさんに聞くとKさんはすぐに店員さんを掴まえて聞いてくれました。高いものでも20万ウォンだそうで、やはり日本の相場の半額ぐらいのようです。今度来た時は買うことにしよう。 買い物も終わり19時半くらいになったので食事に行くことにしました。今日はKさんの社員をみんな集めて大焼き肉大会になりました。Kさんの会社は若い社員が20人くらいいますが、その全員とKさんの先輩の会社社長とそこで働く女性の2人まで加わわりました。 日本語が話せる人が5人くらいで英語が出来る人が少し、あとはみんなハングルオンリーでした。酔いが回るまで私は日本語ゾーンにいたのですが、そのうちみんなハングルで話し出してしまいました。私はいつものようにビールビンとグラスを抱えるとハングルしか話さない若い社員の輪に突っ込んでいきました。 やはりメインは英語になりますが、私は日本語と英語に何とかハングルを交ぜて話そうと努力しました。例えばある若い社員が焼けた肉をサンチュに巻いて私に渡してくれた。彼は片言の日本語(と笑顔で)「ドウゾ」といってくれました。 私は当然「カムサハムニダ」とハングルで礼を言いました。それが数回続いたが私は正直もう腹一杯でした。そこで私は近くの英語が出来る人に「ファット」は何というのか聞きました。彼の答えは「テジ」。恐らく豚児(日本語だと自分の子供を謙遜して呼称する言葉だ)と書くのだと思いますが「ピッグ・チャイルド」と説明してくれました。 私は自分の腹をさすりながら「テジ」といったあと英語で「デブなので嫁にあんまり喰うなといわれている」と説明しましたが、自分のことを「テジ」と言って笑いを取ったつもりでしたがあんまり受けませんでした。 中には私がそばにいるので口を開かない人もいましたが、概ね好意的にコミュニケートできたと思います。「知っている韓国人を挙げろ」といわれ、私がサッカー選手など何人も名前を出すと「おお」と驚きの声があがりました。その一方私が「知っている日本人はいるか?」と聞くと彼らはほとんど誰も知りませんでした。韓国では日本ブームだとかいわれていますが、やはりそれは一部の話なのでしょう(もちろん私の会った彼らが一部だともいえますが)。 とはいえとにかく何とか少しずつコミュニケートして腹一杯食べて(私は韓国ビールHiteを飲んで)楽しい宴は終了しました。 と思いきやこのあとナイトクラブに行く!というのです。車に分乗してそのクラブに移動しました。韓国のナイトクラブというのは作りは大きなキャバクラ、またはキャバレーという感じでショーがない変わりにバンドがステージで演奏しており、お客はそれに会わせて中央のフロアーで踊るのです。フロアーを囲んでコの字形に席があるのですが、男性客ばかりでなく女性客も多く来ています。 どうやらナイトクラブでは女性をナンパする目的もあるようで、我々は男性が20人くらいに対し、女性は5人と少なかったのでKさんが店に人を呼んで女性を手配してくれました。どういう仕組みになっているのか分かりませんが、暫くして私がトイレから戻ると私の隣には見知らぬ女性が座っていました。 妙齢の韓国女性で、私がどうしたものかと思案していると日本語が出来る我々の女性が「どうぞ話してください。野さんのための女性ですから」と説明してくれました。それがどういう意味なのか分からなかったのですが、まぁはっきりいえば全く私のタイプではなかったので話しかけませんでした。向こうからも話しかけてこなかったのでホステスというわけではないのでしょう。 見かねて向かいの席から先ほどの日本語が出来る女性が何回も乾杯してくるのですが(彼女は日本語が出来る上に酒も強い、因みに可愛い)、日本にいる時の私なら話をしたくもない女性でも一応相手を気遣って話しかけるのですが、ここは外国です。こういう場合は放っておくのがいいし、第一向こうが英語が出来なければほとんど話も出来ません。 そのうちステージに白人の女性たちがダンサーとして現れました。私が涎を垂らしてみていたのを見逃さなかったKさんが「noさんはロシア人好きですか?」と聞いてきました。正直な話私は世界中の女性の中でスラブ系の女性が一番好きです。「いいですねぇ」と答えると再び店の人を呼んで耳打ちしていました。因みにその頃先ほどの妙齢の女性は既に解放され別の席に着いていました。 程なく私の隣には写真の女性が座っていました。私のスケベ力のなせる技か、私はハングルよりはロシア語の方ができます。「ロシア人か?」と聞くと「ベラルーシ」だと答えました。因みにこの質問は英語でしました。因みに「日本語は出来るか」と聞くと「いいえ」「英語は?」「少し」「ハングルは?」「少し」という答えでした。これだけの会話でも私が先ほどの女性には一言も話をしなかったのと比べると大きな違いでしょう。 彼女はミンスク生まれの21歳のダンサーでカタリーナという名前でした。ご覧になってお分かりの通り美人で、私のお酒と会話も大いに弾みました。まぁ、私がロシア語が出来ると言っても「ズドラーストヴィーチェ(こんにちは)」「ハラショー(素晴らしい、いい)」「スパシーバ(ありがとう)」「ダスビダーニャ(さようなら)」「クトー・エタ(これは何?)」「ダー(はい)」「ニエット(いいえ)」くらいなものです。結局このあとの会話は英語になりました。 とはいえ私が少しロシア語が出来ることで彼女も話してくれるようになりました。「どうしてロシア語が出来るの?」と聞かれごく正直に「ロシア人が好きだから」と説明すると笑っていました。もちろんベラルーシ人も好きだと付け加えておきました。因みにナイトクラブは非常に大音量で音楽を流しているので会話をするにはお互いの耳元で怒鳴らないとならず必然的に距離は近くなります。 私達の会話が弾んでいることでKさんも安心してくれたようです。実際私は焼き肉屋からこっちNさんとはほとんど話をしていません。それでもKさんは私達が踊りに行かないのを見てフロアに行くよう促してきます。私は少し躊躇したのですが、カタリーナが立ったので一緒についていきました。 踊るのはいつぶりでしょうか?軽く5年以上は踊っていません。こういう表現は非常に誤解を受けやすいとは思いますが、フロアに出て美しい女性と踊っている私に視線が集まるのは気分のいいものです。踊りにも力が入るというものです。数曲終わり曲がスローになりました。自然に(と私は思っている)彼女の手を取り右手を腰に回しました。彼女はヒールを履いてはいるものの元々背が高く、彼女の腰にいっている手はほぼ私の肋骨の下くらい、つまり彼女は恐ろしく腰の位置が高いのです。 彼女とは色々話をしましたが、いつかアメリカに行ってダンサーになりたいというのです。面白かったのは私が「I hope your success.」というと彼女は「Sex!?」と聞き返すのです。私が目をむいて首を振り「サクセス!」と大声で言ったのですが、彼女にはこの単語は分からなかったようです。もし「セックス」といったら彼女はなんと答えたのでしょう? 楽しい時間はすぐ過ぎるもので私はしこたまビールを飲んでいつものように酔っぱらいました。彼女に「名前はなんていうの?」と聞かれ、酔っぱらった私がいつもするように名刺を渡しました。ああ、またやったと冷静に思いながらも、楽しいからいいやと、なんだか5歳くらい若返った気がしました。一体何時なのか分かりませんが、帰ることになりました。後ろ髪を引かれる思いがしましたがポラロイドを撮ってもらったのでいい想い出が出来たので良しとしましょう。 因みに言い訳をするわけではないですが、あくまでも接待を受けたのです。私の自発的希望ではないことははっきり明記しておきます。そうしてソウルのクレイジーナイトはふけていったのです。
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| 8月28日(水) |
流石に飲み過ぎました。国外にいる時は普通これほどまでにひどい二日酔いというのはしないのですが、今回はやっぱり同じアジアの国、お隣の国という気楽さからだと思いますが(決してカタリーナ「だけ」のせいではない)、とにかく完全にやられました(笑)。 とはいえ今日は帰国するだけ、国際線とはいえ飛行時間は2時間だしお腹が緩いことを除けば大丈夫でしょう(何で旅行記でこんな文章を書いてるんだ)。荷物をまとめロビーにおりました。因みに私の部屋は8階だったのですが、窓の下すぐには線路が走っており、夜は0時くらいまで、朝は5時くらいから電車が走っていました。線路の向こうには東京では考えられないほど広い、北海道の基準でいっても軽く4倍はあるくらいの大きさの自動車教習所がありました。 10時20分のフライトだったのですが、ホテルを出るのは7時半で大丈夫だろうということになりました。とにかくソウルの渋滞は私の予想以上のようで、9時過ぎに空港に着けば何とかフライトに間に合うという計算です。 帰りもKさんが空港まで送ってくれました。ラッシュアワーのソウルを縫うようにして走りますが、なかなか前には進みません。私的には通勤する高校生や会社員の姿を垣間見られて良かったのと、正直どれくらい時間が掛かるのか分からなかったので良かったのですが、前席のKさんとNさんは焦っていたのではないでしょうか。 どうにか高速道路に乗れて安全圏にたどり着きました。因みに韓国の高速道路は無料なので特にソウル近郊の混みは半端ではないとのこと、実際「空港線」(とでもいうのだろうか)ともいうべき部分は有料でそこにはいると途端に周りに車はいなくなりました。 空港についてチェックイン。9時半位でした。係の女性には「あんまり時間がないので走ってください」といわれてしまいました。朝食を3人でとろうと思ったのですが、時間がないようなので諦めてKさんとはお別れしました。そのご無事出国をすませ、飛行機へ。 乗って驚いたのですが、チェックインが遅かったせいか何とビジネスクラスなのです。ビジネスクラスへは初めての海外旅行で間違えて座って以来、国内線でも乗ったことがありません。私は何度もチケットを確かめたのですが、海外旅行を何度もしているNさんは「昨年6回乗ったうち半分はビジネスだった」と驚く風もありません。 席は広く、足を伸ばしても前の席まで届きません。フットサポートにヘッドサポート。私は優雅な気持ちで身繕いをすると同時にビジネスに乗れるならもっと長い時間乗りたかった!などと思いました。まぁ二日酔いと疲れでどうせ帰りも寝ているだけなのですがね。 帰りは冷房が利いていて毛布をかぶって離陸前に寝てしまいました。水平飛行にはいるとフットサポートを出して、ヘッドサポートを引っ張り出して完全睡眠体勢です。とはいえ不思議なものでこれだけ快適な空間なのに帰って落ち着かず熟睡とは行きませんでした。 帰りも1時間ほどたったところで食事が出ました。メインが鶏肉と青梗菜の中華丼風になっただけでメニューは変わらず。味は例によってまぁまぁ、時間が時間ですからあんまり力の入った食事ではないのでしょう。あ、それと機内食はどう考えてもエコノミーでしたね。席はビジネスでも食事はエコノミー、この辺はきちんとしています。とにかく早々に食べて(何しろ朝食抜きです)再び寝ることにしました。 それ以後も熟睡は出来なかったのですが、うつらうつらしているとアッという間に成田に着いてしまいました。ビジネスクラスの良い点は降りる時に割と素早く降りられるということもあります。私は大抵荷物は座席の下に置いてすぐに降りられるようにしてあるので、待つのはとても苦痛なのです。 飛行機の外に出ると熱気が押し寄せてきました。「ああ、東京に帰ってきたんだな」と思います。Nさんはここからバスに乗って羽田へ移動なので空港で別れました。これから仕事が山盛りです。とにかく短い滞在でしたが私にとって初めての韓国でした。
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| 8月の3日間 |
初めての韓国でしたが、帰る日を除いて天候に恵まれなかったのが残念でした。1日目は入国して終わり、3日目は帰国して終わりという感じで、本当に研修だけでした。どちらにしてもたった3日しかいなかったのでそれで韓国の何を語れるのかという思いもあります。 とはいえこれは私の古くからの持説なのですが、日本人と朝鮮人というのは人種的歴史的に兄弟に当たると思います。隣にいる兄弟であるが故に喧嘩も絶えませんでしたが(そんな安い言葉を彼らが受け入れてくれるかどうかは別として)私は韓国人というのはやはり日本人に似ているなぁと思いました。仕事の関係で行ったとはいえ下にも置かぬおもてなし。こうした歓待ぶりを発揮する民族は世界各地にいるでしょうが、私にはとても心地よいもので(逆にいえば気を遣っている様が手に取るようで申し訳なくもありました)した。 街並みには発展した部分と古い部分が混在しており特に古い部分は私が知っている昔の日本を彷彿させるもので悪くいえば汚く貧乏くさいものでした。しかし例えば空港や高速道路など近代化が行き届いている部分はものすごく発展しておりました。韓国人のエネルギーを考えるに彼らが「打倒日本!」と目の色を変えている以上彼の国の発展は止まらない気がしました。 食べ物は概ね私の口には合いました。特に辛いもののパンチ力は相当なものです。印象としては辛いものと甘いものしかないようで甘いものがそれほど得意でない私としては驚いた部分もあります。それとやはり多くの料理で使われているニンニク。私は大好きなので気になりませんが、気になる方はブレスケアのような胃から匂いを消してくれる物を持っていくのをお勧めします。 それと治安ですが、ソウルは本当に安全な街だそうです。特に今日本の物騒さを考えるにつけ、どこに行っても危険なような気がしますが、ソウルはかなり気楽に歩ける街のようです。尤も私はどこに行くにも車で殆ど街は歩いていないのでこの説が実感出来るとは言い難いですが。 これからも韓国へ行く機会はあると思います。勉強熱心な私としては次に行くまでにハングルは読めるようにしたいと思っています。もちろん読めるからといって出来るわけではないのですが、やはり言語を覚えることによって相手の考え方が分かるというのが私の考えですから。
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