墺太利国紀行
序章

 今回の旅行は私の最も古くからの友人であるTがチェコの日本人学校で勤務するようになったというところから始まります。日本人学校の教師ということで公務員ですから当然任期があって、彼は2005年の3月で帰国の予定だということで、それ以前に一回チェコに来い!という強い勧めがあったのです。

 チェコに行くに当たって、なんとなくあんまりぱっとしない(失礼)チェコだけではもったいないので、その周辺国でどこかいいところはないか?と考えた私の頭に最初に浮かんだのはオーストリアでした。フェルメールの画があるし、運がよければウィーンフィルなんか聴けちゃうかも!?と、とにかくチェコ行きには是非ということでウィーン行きをセットしてしまったのです。

 ところが行く前に一つテンションの下がる情報がありました。なんとウィーンの美術史美術館に所蔵されているフェルメールの画はこの年の夏に上野で見た「絵画芸術」でそれはその時期京都にあるというのです。私の中で美術館巡りの線は消えました。

 ちなみに毎回話題にでますが、オーストリアはドイツ語。ドイツ語は大学の第2外国語でとっていますが、もちろん成績は悪くおそらく使い物にはならないでしょう。こんなことならもっとまじめに勉強しておけばよかったと思いますが、一般の日本人よりはドイツ語ができるはずなので、それほど困らないだろうと高をくくっていきました。

9月22日(水)モスクワ空港は暗い

 オーストリア直行便というのはあるのですが、なにしろそれほど予算に余裕があるわけではありません。というか実情としては昨年の冬の引っ越しの時にかかった費用をローンで返している現状で、航空会社を選ぶという贅沢は許されませんでした。

 行きと帰りをセットで考えると、行きはウィーンへ行き、そこから電車かバスでプラハに移動。帰りはプラハから帰ってくるというルートが一番無駄がありません。プラハからの帰国便に直行便がないことは知っていましたので、とにかく一番安いコースでチケット屋にお願いしました。

 チケット屋の回答は明快でした。航空会社はアエロフロートです。ああ、アエロフロート!!私が生涯ここだけは乗りたくないと思っていた航空会社です。なにしろシートがガタガタする、シートベルトは締まらない、天井から酸素マスクがぶらぶらしているなんて評判は普通に聞くし、中にはドアが半開きだったという伝説まで聞いたりします。どんな統計か知りませんが、世界で一番事故の多い航空会社だというのも聞いたことがあります。

 しかしガタガタ言っても航空会社を選べないのには変わりありません。それにどうせ私は機上では寝ているだけです。そんなに深刻に考える必要もないのかもしれません。

 いつも海外旅行へ行く前の晩は寝ないことにしているのですが、今回はぎりぎりまで仕事をしていたこともあり、少し早めに寝て、朝早く起きることにしました。私がなぜその日に支度をするかというと事前にやっておくと「あれ?あれ入れたっけ」と確認することになり、結局2度手間だからです。

 朝のラッシュ時間に大荷物を持って山手線に乗るのは気が乗らなかったので、タクシーで日暮里まで行き、そこからスカイライナーで成田空港へ。私は必ず空港に入ってから最後の日本食を楽しみ、その後旅先では日本食は口にしないことにしているのですが、この日成田空港で食べたカツカレーはうまかったですねぇ。あれはいったい何だったんでしょう?

 ゲートは変更になっているし、チェックインの時間は遅れるし、さすがアエロフロートという感じでのスタートでしたが、機内に入ってその感想は一変しました。ブルーとオレンジの色づかいがおしゃれで、機体も新しいもののようです。いつものようにロシア語の新聞を片手に席に座ると、席もゆったり。思わず最初の旅行を思い出し場所を間違ったかと再確認してしまいました。ここではっきりお伝えしておきます。アエロフロートいいですよ。機体は最新のボーイング(ツポレフやイリューシンじゃないんだよ!!)でロシア人の体格にあわせて大きくゆったりシート!

 すっかり面食らってしまったのはいいのですが、結局離陸は予定の1時間後。モスクワでのトランジットは大丈夫だろうか?と心配してしまいました。しばらく進むと最初の食事がでてきました。私は飛行機に乗ると現地時間に時計を合わせるのことにしていますが、知り合いの元国際線パイロットに聞くと時差ぼけにならないこつは睡眠ではなくて、胃袋なのだそうです。食事を決まった時間にとれば時差ぼけは防げるということのようです。

 機内のアナウンスはロシア語と英語と日本語で、この辺のサービスの良さにも感心しましたが、最初の食事、なぜか海苔巻きといなり寿司がついていました(笑)。ちなみにサラダのドレッシングは「ゆずドレッシング」でした。

 

日本を出て最初の機内食。なんでいなり寿司に細巻き?

 久しぶりの海外旅行で時差の計算方法を忘れた私は、モスクワまで6時間くらいだと思っており、結構近いんだな、などととのんきなことを思っていました(実際は10時間かかるのに)。いつもならぐっすり眠れるのですが、今回は途中からうつらうつらの状態でした。そしてあることに気がついたのです。なんと「足が痛い」のです。

 シートの横幅が広いのはいいのですが、高さもあるもので、短足の私では太股が圧迫され鬱血しているのです。エコノミークラス症候群になる!と慌てた私は、一計を案じ、シートに胡座をかくことにしました。ゆったり胡座がかけるわけではないのですが、なんとか押し込めばギリギリ可能でした。

 その後、ガイドブックを読んでみたり、身じろぎをしながらなんとか機中の時間をやり過ごそうとしましたが、こういう時の時間というのはなかなか経たないものですね。久しぶりに辛いなぁと感じました。

 まぁ、文章で書けばあっという間なのですが、機内での退屈な時間をやり過ごしてモスクワの空港に着いたのが予定より1時間遅れの19時頃。トランジット3時間が2時間に減ったのはいいことだったのかもしれません。

 とにかくドキドキしました。初めてのロシアです。私は北海道生まれで小さいときからソ連に対しては恐怖と親近感を常に持ち続けてきました。そしてとうとうそのロシアへ足を踏み入れたのです。驚いたのは国際空港だというのに、ボーディングゲートがなくて、昔ながらのタラップだったこと。タラップの下には制服を着た女性が立っていました。もちろん笑顔はなくて十中八九軍人でしょう。

 空港ビルまではバスで輸送されますが、空気の冷たさも相まって、本当はここはシベリアで我々は強制収容所に送られるのではと思ってしまいました(被害妄想)。空港に入ると入国する人はそのまま出口へ、トランジットの人間は2階へ上がるようでした(トランジットでモスクワ空港を利用する人は覚えておきましょう)。嫁がトイレに行きたいというのでそれを待っている間辺りを観察しました(本当はトイレが一番怖くて行けなかった)。乗ってきた飛行機は半分がロシア人であとの半分は日本人という感じでした。日本人はどうして良いか分からなくてトイレの前にたむろしていましたが、ずっと携帯電話で連絡を取っているおばちゃんがいたりもしました。

 2階に上がるとそこにトランジット用の受付がありました。入国するわけではないので、パスポートとチケットのチェックだけなのですが、さすがロシア!という感じで、人がいっぱいいても気にすることなくお喋りしながらちんたら受付をしていました。時々トランジット先の都市の名前を呼んでみたりして列を整理しようという気はあるようでした。大量のインド系の旅行客が先客で待っていたのですが、並んでいるようで並んでいないので、並んでいる振りをしてさっさと前に進みました。

 結局こういうときは分からない振りをして、先に行ったもん勝ちという気がします。係員に質問しに行った人が、何十人も並んでいる人を抜いて先に受付してもらっていましたから。それともロシアの側としてインド系の人たちに対する差別のようなものがあるのでしょうかね?

 これといった荷物検査もなくモスクワ(シェレメティエヴォ)空港のトランジットエリアに入りました。行ったことのある人は皆口を揃えますが、とにかく「暗い」です。本当にびっくりします。とりあえず時間もあることだし全部歩いてみようと思ったのですが、成田空港どころか、昔の羽田空港や昔の千歳空港よりもはっきり言って暗くてしょぼいです。

 土産物屋はそれなりに明るくて品揃えも普通な感じではありますが、全体の照明が暗いこと、椅子の割にトランジットの客が多くて、みんな地べたに座っていること、そしてやはりキリル文字が多数を占めており、韓国でも感じた「文字の圧迫」にあうのです。私はロシア語は基礎の基礎を少し勉強したくらいで、挨拶のほか数語会話ができて、文字も何となくなら読めるのですが、それでもやはり意味が分からない言語に囲まれるというのはプレッシャーです。

 最初は「ピロシキでも食おうか」と笑っていたのですが、そのピロシキはどこにも売っていなくて、というか、両替をユーロでしかしていなかったのでそれが使えるかどうか分からなかったし、第一英語が通じるのかどうかも分からなかったので、誰にも話しかけませんでした(笑)。

 周りを観察したり、ガイドブックを読んだり、私はロシア語を読もうと必死になったり、2人でいたので結構時間はつぶれましたが、それでもこのくらい雰囲気。写真でも撮ろうものなら逮捕されそうな重苦しい雰囲気のせいで、やたらに疲れました。ウィーン行きのアナウンスがされて再び荷物チェックを受けて、搭乗口で待ちます。

 ウィーン到着は時差の関係で23時頃。モスクワからは約5時間ということになります。笑ってしまったのはなんとここでの搭乗手続きが「手書きだったこと」。今では日本国内ほとんどの空港でチケットカウンターがあって、機械に通すだけで搭乗手続きができるが、このモスクワ空港ではなんと手書きで搭乗手続きをしていました。どのようにやっているのかは分かりませんが、とにかく手でチケットの半券を集めて、もう一人がなにやら紙にボールペンで印を付けていました。

 大丈夫だろうか?と思いながら(この旅行の少し前にロシアで小学校を占拠したテロがあった)も、落ちるときは落ちるもんだと思っている私はそのまま機内に進みました。一緒に成田を発った日本人もいましたが、8割はヨーロッパ人でした。成田便と同様にボーイングの最新機種で、機内のブルーとオレンジの色調も一緒。なにやら安心感すら出てきました。

 成田-モスクワ間もそうでしたが、最初に飲んだトマトジュースがおいしかったので、ウィーンへ着くまでもトマトジュースをもらいました。成田からの便はアテンダントも日本語を話したのですが、この便では英語でした(因みに機内アナウンスはロシア語、英語、ドイツ語でした)。機内サービスを受けると疲れていたのか寝てしまいました。

 まもなくウィーンというところで、目が覚めました。機がやたらに揺れるのです。ナイトフライトなので外の様子は全く見えませんし、どのみちどこがどうなっているのかは分かりません。しかしとにかく中央ヨーロッパで、下が山であることは間違いなさそうです。それにしても未だ味わったことのないほど細かく機が揺れます。これまた昔聞いた噂話ですが、アエロフロートのパイロットは元軍人が多いので、腕は確かだということでした。

 果たして私の心配をよそにウィーン空港へは見事なタッチダウンでした。私が今まで乗った飛行機の中で一番上だったといっていいと思います。到着したウィーン空港は先ほどいたモスクワ空港とは打って変わって明るく近代的な空港でした。

 気持ちよく入国審査を受けて、ロビーに出ました。1日目のホテルは空港内にあるホテルを取っておきました。やはり知らない街で大荷物を抱えたまま、23時に歩き回るのはイヤだったからです。空港ロビーでホテルの場所を聞くと、外に出て道路を渡ったらあるとのこと。本当に空港ビルの目の前にホテルはありました。

 ほっとしてチェックイン。日本から予約をしてクーポンを持っていったのにもかかわらず保証としてクレジットカードを出さなくてはならなかったのですが、これって普通なんですかね?部屋に入ってすぐにチェコの友人に電話をかけたのですが、国際電話のかけ方が分からなくて難儀しました。とにかくこの日はこれで予定終了。興奮して眠れないかとも思ったのですが、風呂に入って、酒も飲まずにあっという間に寝てしまいました。

9月23日(木)信じられない幸運

 この日の予定は全く立てていませんでした。私の旅行は大抵そうなのですが予定を立てると予定を消化することに躍起になって、結局落ち着いて旅行をした気にならないのです。とりあえずまずは今日のホテルにチェックインして、荷物をおいて、あとは私の希望は夜に音楽が聴けて、昼は中央墓地に行って音楽家の墓参り。嫁の希望はザッハトルテだけでした。

 カーテンを開けると外は雨。なんか海外旅行で雨というのはいいやら悪いやら。私は雨が好きなのですが、行動に制限を受ける難点があります。荷物をまとめて、ホテルをあとにしました。空港からバスという手もあったのですが、高速鉄道があるというので料金は少々高いですが、それに乗れば16分でウィーン・ミッテ駅まで行くというので、それに乗りました。

 交通機関の乗り方はパリで結構慣れたので、それほどとまどうこともありませんでした。カードでチケットを買い、搭乗。これまた海外の駅ではおなじみの、出発の合図抜きでの発車でした。さすがドイツの鉄道、シートもスタイリッシュで機能的だと感じましたが、ここはドイツではなくオーストリア。どうしてもドイツ語が目に入るので、ドイツだと勘違いしっぱなしでした。

 あっという間にウィーン・ミッテ駅に着き、そこから地下鉄(U-バーンという)4号線に乗ってピルグリムガッセ駅まで。ウイーンの駅はパリとは違ってきれいで危険な感じがしませんでした。地下鉄の中もそれほど危険な感じはありませんでした。ピルグリムガッセについてホテルはすぐそばでした。その日の午前中から(というか普通ならチェックアウトの時間)チェックインできるかどうか心配だったのですが、カウンターにいってみると快く通してくれました。

 荷物をおいて再びフロントへ。今晩何か音楽を聴きたいのですがというと、いくつかのメニューを見せてくれました。ムジーク・フェライン(学友協会)で、ウィーンフィルではないが、モーツアルトの演目があるというので、それをお願いしました。電話をしてもらうとその日の公園はキャンセルになったとのこと。

 実は私は旅行の前からこの日にムジーク・フェラインでウィーンフィルの公演があることを知っていました。アーノンクール指揮でドボルジャークの8番をやるということを知ってはいたのですが、本当に行けるかどうか分からなかったのでチケットは取りませんでした(ネットで予約できるんです)。

 とりあえず、ホテルでは埒があかないので、公演が見られても見られなくてもムジーク・フェラインとオペラ座には行くつもりだったので、とにかく街に出ることにしました。ここまで地下鉄を使って移動してきたので実際のウィーンの町並みはあまり見ていません。私は旅行に出なくても街を歩くのが好きなので、小雨の中でしたが、歩くことにしました。

 まずは駅でパンと水を買って歩きながら食べました。これもすっかりパリで慣れたもんです。まずは地下鉄の線に沿って歩きました。パリというのは街にあまり色がないのですが、ウィーンは結構カラフルです。その一方であちこちで工事をしているのがとても目に付きました。古い町を壊して新しいものを作っている感じで、何となくバランスが悪いような気がしました。

 30分と少し歩いたでしょうか。カールスプラッツ駅の辺りで右に折れてシュターツオパー(オペラ座)に着きました。建物の周りを一回りしてチケット販売所を見つけました(因みにシュターツオパーの周辺では正規のチケット屋が中世の格好をして街角に立っています)。中をのぞいてみると今晩の演目はオペラ(当たり前だ)で、私の聞いたことのない演目でした。うろちょろするよりもここでチケットを買っても良かったのですが、ダメ元でムジーク・フェラインを目指すことにしました。

 ムジーク・フェラインはオペラ座から5分くらいのところにあり、大通り沿いにあってイメージとは全然違っていました。この辺の感覚は札幌の時計台があんなビルの谷間にあるのが意外なのと似ているのでしょうか。とにかく建物の周りを一周しました。

 

ムジーク・フェラインの壁前にて。斜めに貼ってある紙はおそらく「売り切れ」でしょう。

 壁に貼ってあるポスターには読めませんが「売り切れ」と書いてありました。まぁ、ダメもとできたのですから、仕方ありません。一応チケット売り場に行ってみると、なんと立ち見ならあるというのです。しかもたったの6ユーロ。あのウィーンフィルが800円くらいで見られるのです。すぐにチケットを買い、何時頃にどこに並べばいいのか聞きました。

 久しぶりに本気で英語を使ったのですが、全くさび付いており聞きたいことがうまく伝えられません。なんとなく、開演の1時間前くらいに正面の扉の前にいればいいみたいな感じは伝わりましたので、チケットを手に入れた幸運をかみしめました。今度はそのそばにある路面電車の駅から今度は中央墓地を目指しました。

 私の勝手な思いこみで中央墓地はここから5分くらいだろうと思っていました。これもまたパリの中央墓地のイメージがあるからだと思いますが(因みにパリの中央墓地には行っていない(笑))20分位も路面電車に乗ったでしょうか。こうした旅行に付き物ですが、「大丈夫か、おい」などとずっと思いながら電車に乗っているのもあとになればいい思い出です。

 中央墓地の入り口は本当に寂しい感じで、そのころは雨も強くなっていました。雨のおかげでそれほど観光客はなく、私たちの前後に団体さん(あとは日本人でした)が来ていただけでした。音楽家の墓が一角を占めているところは私にとっては聖地も同然でした。ヨハン・シュトラウス親子、シューベルト、ベートーベン、モーツアルト、ブラームス。全部の墓の写真を撮ってきましたが、特に「未完成」を指揮させてもらった縁でシューベルトには膝をついて謝ってきました(笑)。

 

中央墓地のシューベルトの墓の前で懺悔「下手くそな指揮ですまん」。

 本当はゆっくりと思いを巡らせたかったのですが、雨が降っていて寒かったのと、すぐあとに日本人の団体さんが来たので逃げるようにしてその場を去りました。

 そのまま中心部に戻っても良かったのですが、夜のためにネクタイと革靴が必要で一端ホテルに戻らなくてはなりませんでした。詳しい路線図は見ていなかったのですが、ここは野生のカンで、来たときとは違う路線の路面電車に乗りました。私は土地勘がいいので、どこへ行っても困ることはないのですが、初めての街を自分で歩くというのは本当に楽しいものです。

 無事にホテルまで帰ってきて、ネクタイと革靴を着用。再び街に繰り出します(時間がないんです(汗))。先ほどとは違う道を歩き、シューベルトの最後の家の前とか街並みを見て回りました。やっぱり工事をしているところが多くて、違和感がありました。

 シュターツオパーまで戻ってきて、次は嫁のリクエストのホテル・ザッハーへ行きました。ご存じの方が多いと思いますが、ウィーンの名物といえば何はなくてもザッハ・トルテでしょう。ザッハ・トルテは「ザッハー」と「デメル」という2つのカフェで売っておりその名称使用権を巡って裁判が行われ、両方使って良いという判決が出たそうです。因みにザッハーのザッハ・トルテには生クリームが乗っていますが、デメルの方は頼まないとついてこないとか。

 

本家「ザッハー」のザッハ・トルテとカフェ・ザッハ、うまいが高い。

 ザッハーはオペラ座裏にあるホテルで、その1階にカフェが併設されている感じでした。因みにこのホテル・ザッハーも外観工事中でした。そのカフェはさすがにウィーンの観光名所でもの凄く混んでいました。私たちは運良く並んですぐに座れましたが、とてもカフェで優雅にお茶という感じではなく、有楽町の吉野家で昼時に牛丼という感じではありました。

 出てきたザッハトルテはさすがにおいしかったです。人によっていろんな感想を持つようですが、私には重すぎず甘すぎず量もちょうど良かったです。精一杯ゆっくりしても恐らく30分はいられなかったでしょう。外に出てからホテル・ザッハーのロビーで作戦会議でも開こうと思ったのですが、ザッハーのロビーはもの凄く小さく、しかもなにやら高級感にあふれていて覗くだけですぐに出てしまいました(小心者)。

 とりあえずケルントナー通りを歩くことにしました。ここは道路に音楽家のレリーフが埋まっており、それを気にしながら歩いているような人はほとんどいませんでしたが、私はいちいち「おお、モーツアルト」などと感心していました。ケルントナー通りもほかの部分と変わらず、古い部分と新しい部分が混在していて違和感がありました。

 ウィーンの街は東京の山手線のように「リンク」と呼ばれる外周路によって一応区切られており、その中側は古い街並みが保存されているのかと期待していたのですが、そうでもないようです。シュテファン寺院まで来たのですが、シュテファン寺院まで工事中(泣き)。入る気はなかったのですが、そこでおれて王宮の方に何となく足を進めます。王宮を抜けて新王宮の前を通り、王宮庭園へ折れました。本当だったらその向かいになる美術史美術館によだれが出かかっていたのですが、フェルメールのない美術史美術館はソバの入らない天ぷらソバみたいなものです(違うか)。

 

王宮庭園のモーツアルト像前にて。

 本当はこのモーツアルト像と市立公園にある金色のヨハン・シュトラウス像は見ておきたかったのですが、天気が悪かったこともあり、シュトラウスの方は諦めました。シュターツオパー周辺まで戻ってきて、夕方から並ぶことを考えて、早めに夕食にすることにしました。嫁がガイドブックを調べて、良さそうなところに入りました。

 時間が早かったので、店はすいており、嫁はグラーシュ、私はウインナー・シュニッツエルを頼みました。グラーシュはシチューで、シュニッツエルはカツレツのことです。両方とも特にウィーンの名物というよりは海のない中欧では一般的な料理です。考えてみるとこの旅行は出始めての現地料理で、ようやく旅行に来たことを実感できました。

 やっぱりヨーロッパなのでアメックスカードは使えない場面が多かったです。パリでの教訓を生かして、今回は現金払い(もしくはVISA払い)にしたのですが、おつりでユーロをもらうと、ユーロコインは各国で裏面のデザインが違うんです。オーストリアの1ユーロコインは裏面がアマデウスなんですねぇ。途中で銀行によって「お土産にアマデウスに替えてくれ」といってみました。旅行ならではの恥ずかしい行為で、最初は係りの人も分からなかったようですが、心地よく対応してくれました。わざわざ窓口に行った甲斐があったものです。

 今晩の公演は19時半開演で18時半に開場。その1時間前に並べば17時半。ちょっと早めに並んで、17時に行けば楽勝でしょう。とにかくようやくゆっくり食事をしましたが、量が多いんですよね。グラーシュについてきたクネドーキは蒸しパンみたいなもんで、とても嫁が1回で食いきれる量ではない。私の方のシュニッツエルもわらじサイズで、しかも付け合わせのジャガイモがこれでもか!というほど乗っています。これからムジーク・フェラインに行かないのなら、残した分は包んでもらいたかったのですが、そうも行きません。腹一杯になり、ムジーク・フェラインへ。

 17時頃。正面玄関には人影がありません。ということは私たちが一番乗り。9月の末のウィーンは天気が悪いこともあり結構寒いです。恐らく終演は21時過ぎでしょうから、これから4時間は軽く経ちっぱなしです。寒いは立ちっぱなしで辛いには辛いのですが、ウィーンフィルが1000円以下で見られるのです。恐らく一生に一度あるかないかの幸運でしょう。

 30分程して、日本人の老夫婦がやってきました。話しかけられて聞いていると、8月からネットで席の申込みをして席がなくて、立ち見ならあるだろうか?みたいな聞き方をしてくるので、横のチケットブックで売っているかもしれないと答えると、自分たちは持っているとのこと。結局何がいいたいかというと、自分たちは立ち見を運良く手に入れられたのだが、あんたたちはどうなんだ、みたいなことのようなのです。

 今日の午前中に買いましたよ、と答えると、それは運がいいを連発するのです。私が8月くらいにネットで見たときまだ席は十分残っていましたし、結局この夫婦が何をいいたいのかよく分からなかったのですが、いい時間つぶしにはなりました。そうこうしているうちに18時になり、周りに地元の人たちも集まってきました。

 ムジーク・フェライン立ち見席必勝ガイド!

(1)まず開演時間の1時間前に行き、正面扉の前に並びます。正面扉は3つありますが、真ん中の扉は階段の側にはないので不利です。左右どちらかの扉の前に並びましょう。

(2)扉が開いたら、迷わずに右の扉から入れば右へ。左の扉から入れば左へわき目もふらずに小走りで進みます。その先には2階へ続く階段があります。その前で一端列が作られます。この段階で前から10人くらいまでが立ち見の最前列確保の勝ち組です。中に入ってから3時間近くは立ちっぱなしなので、最前列で柵に寄りかかれるのは大きなアドバンテージになります。階段の下で開演30分前まで待たされます。席を持っている人は優雅に入っていきますが、哀れみの視線に負けてはいけません。

(3)30分前になると2階に進みます。この段階で勝ち負けは決まっていますが、勝ち組に入っていても油断はできません。2階で更に待たされます。

(4)開場の立ち見席の入り口にはバーが降りていて、係員が人数を数えています。最後の勝負は上手と下手からほぼ同数の人間が順番に入れられます。仮に先頭に並んでいてもここでの席取りに負けたら台無しです。バーの下をくぐって会場に走ります。

(5)階段下ので順番にもよりますが、最前列とはいえ上手と下手に割と大きな柱がありますので、そこでは視界を遮られます。中央の良い位置が確保できたらあとは、トイレにも行かずにひたすら死守してください。ちょっとでも隙間があると図々しい人がどんどん入り込んできます。

(6)このガイドを読んであなたも良い席が確保できますように。

 私たちは上手扉最前列を確保したのですが、階段へ行くのが遅れて15番目くらいになり、結局2列目になってしまいました(負け犬)。私は我慢強いのでいいのですが、嫁は背も低いし体力もないので結構辛かったと思います。

 周りは結構日本人が多くて驚きました。日本人同士話している声を結構聞くのですが、こういうときでっかい声を出しているのは大抵関西人。若い人も多くて、ジャージみたいな格好の人がいるのには驚きました。立ち見席にはドレスコードないそうです。

 

ムジーク・フェラインの「大ホール」(Grosser Musikvereinssaal)です。写真撮影禁止ですが、周りの人が撮っているので私も(苦笑)。

 写真撮影は禁止とチケットには書いてあるのですが、そんなものを守っている人はいません。立ち見席に限らず、席がある人たちも前の方でパチパチやっています。行儀の悪い外国人が地べたに座りだしたり、結構みんな好き勝手やっています。

 因みにこの日の演目は、指揮がニコラウス・アーノンクール。リュバ・オルゴナソヴァ(S)、イヴァン・クシュニエール(Br)の独唱で、ドボルジャークの「テ・デウム」、ヤナーチェクの「永遠の福音」、ドボルジャークの交響曲第8番。合唱はブルーノ・チェコ・フィルハーモニー合唱団。不思議なことに、ウィーンでオールチェコプログラムです。アーノンクールのチェコものは定評があるので、楽しみです。

 私は曲がりなりにも楽隊なので、楽団員の様子というのは凄く気になるのですが、驚いたのはパウカー(ティンパニ奏者)が開演10分くらい前に出てきて、ものの2分くらいであっという間にチューニングをすませてしまったことです。下チューニングをすませてあったのかもしれませんが、このスピードは驚異的です。

 それにしても今までテレビでしか見たことがなかったこのホールにいるのが本当に不思議でなりませんでした。照明はテレビで見るより暗かったですが、金色に輝くホールはこぢんまりとしており、荘厳な雰囲気がありました。

 このホールではマーラーやブラームスも指揮をしたことがあり、リヒャルト・シュトラウス、トスカニーニ、フルトヴェングラーも立ったことがある。そう思うだけで胸がいっぱいになりました。私はウィーンフィルはそれほど好きではないのですが、それでもここが音楽の重要な聖地のひとつであることは否定しようもありません。

 開演時間になりコンマスが入場してきました。日本語ができるキュッヒルさんかどうかは分かりませんでしたが、驚いたのは普通コンマス入場。オーボエによるA音(ラの音)が出てる。チューニングという流れなのですが、ウィーンフィルではコンマスがA音を出してチューニングしていました。もの凄く格好が良くて、鳥肌が立ちました。

 正直に言うとそのチューニングの音だけでその響きに魅了されました。もちろん雰囲気に飲まれたのかもしれませんが、そこには間違いなくウィーンフィルの音がありました。特に本プロであるドボルジャークの8番にはいると、ウイーンフィルはとたんに本気を出しました。今までとは全然音が違うのです。これが噂に聞く本気を出したウィーンフィルなのか!と実感しました。

 出だしのチェロの音は今でもはっきりと耳に残っています。恐らく一生忘れられないでしょう。そしてこれほど短く感じた8番も初めてでした。どんな曲でもそうですが、仮にウィーンフィルでなくともCDよりは実演の方が絶対に良いわけです。3楽章が終わり、4楽章へアタッカ(切れ目なく)で入るアーノンクールの格好良いこと。私は指揮棒を使わない指揮者が好きではないのですが、彼が指揮棒を使わないことで上品なウィーンフィルがなんと土臭い音を出すことか!

 因みに日本人のチューバ奏者杉山さんが吹いている姿を見られたのも大きな収穫でした。とにかく、今年一年分の幸運を全部使い果たしたかのような夢の出来事でした。因みにアンコールはありませんでした。どうやらそれが普通のようです。

 

夜のムジーク・フェライン外観。雨が降っていてもの凄く雰囲気がありました。

 心地よい興奮と、身体的な疲労で熱くなっていたのですが、外へ出ると雨でした。知っている街ならここで当然飲みに出かけるのですが、相手が酒を飲まない嫁であることもあり地下鉄に乗ってホテルへ直行しました。昼間見たムジーク・フェラインとは別の建物のようで、歴史の重みを感じました。

 この日も風呂に入りすぐに寝てしまいました。なんと健康的なんでしょう。

9月24日(木)世界の車窓から

 昨晩ホテルに戻ってすぐにしたことはこの日の電車の時刻を調べることでした。とはいえ今回はネットに接続する準備をしてきていなかったので、ホテルのカウンターでお願いしました。昨日チケットお願いしたときはコンシェルジェがきちんと対応してくれたのに、夜は彼女がいなくて、態度の悪い若い女でした。態度が悪いといっても、向こうにとっては普通のことでしょうし、私も外国人は慣れているので別段腹も立ちませんでした。

 朝は9時半くらいにズーバンホフ(ウィーン南駅)から発車する電車があるので、それに間に合うように出発しました。チェックアウトをして、朝市をのぞいてみました。朝食を買うのが目的だったのですが、とにかくケバブ屋が多くて、私と嫁はとにかくケバブを買って、嫁はそれ以外にブルーベリーを買いました。ウィーンでも通勤ラッシュはあるだろうから、あえて地下鉄には乗らないで、カールスプラッツまで歩き(というか歩きながらケバブを食べたかった)、そこからズーバンホフまで地下鉄を利用しました。

 

ケッテンブリュッケンガッセ駅そばの朝市でケバブを買う。パリよりうまい。

 地上を歩く分には方向もつかめるのですが、地下鉄から出てくるとすぐには方角を把握することができません。交差点で道行く人に地図をさして「ズーバンホフはどこか?」聞きました。その人が発音したので「ズーバンホフ」と分かりましたが、Sが頭にあるので「スーバンホフ」だとばかり思っていました。

 因みに降りた駅は「ズュートディローラー・プラッツ」駅、とにかくドイツ語は長いのが難点です。地図上はズーバンホフにくっついているように見えたのですが、そこから10分くらいは歩きました。

 これまた国際線が発着している駅とは思えない閑散とした駅で、広さこそあるものの人はまばらでした。駅に併設されたスーパーでその日の昼飯用にサンドイッチと水を買い、無事にプラハまでのチケットを買いました。私は北海道という島で育ったもので、国境をまたぐという感覚に未だに慣れません(正直に言うと隣に件があるのもピンと来ない)。

 これまた海外の駅ではおなじみで駅に改札口はありません。そのままホームへ行き、行き先を確認して乗り込みました。どこが2等でどこが1等かも分からなかったのですが、とりあえず荷物を置いて腰を落ち着けました。

 フーなんていって、「まるで世界の車窓からみたいだね」と笑っていたのもつかの間、なんと私たちの座っていたところは指定席で、チケットを持った二人がやってきたのです。それも発車数秒前。私たちは発車してから席を探さなくてはならなくなったのです。

 どこが指定でどこが自由なのかも分からないのですが、とにかく座って誰かに指摘されたらよければいいやと思い、先ほどよりも良い席に座りました(笑)。まぁ、このあと改札が来るだろうし、そのあとにはパスポートのチェックもあるだろう。

 

ズーバンホフ(ウィーン南駅)にて、プラハ経由、ベルリン行き!!

 とはいえ、電車での出国というのはなかなか感慨深いものがあります。幸運だったのは、駅を出てすぐにドナウが川が見られたことです。私がオケで指揮をした最初の曲が美しく青きドナウでした。私が見たドナウ川は空模様同様に濁っており、美しくはなかったですし、正直故郷の石狩川によく似ていました。

 嫁がデイパックの中でブルーベリーをつぶしてしまったというトラブルはありましたが、無事に改札してもらい、そのあとでまずオーストリアの出国チェック。パスポートにはんこを押してもらったのですが、よく見ると入国の時は飛行機の絵で、出国のはんこには電車の絵が彫ってあり、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

 そのすぐあとにチェコの入国審査がありましたが、荷物を開けられることもなく、パスポートを見ておしまいでした。とにかく、これで私のオーストリア旅行は終わりました。

このまま国境を越える

オーストリア雑感

 実質たった1日しかいられなかったし、ウィーンしか見ていないのに何が語れるかという思いはありますが、見た限りのウィーンは変化を遂げている街でした。

 建物自体は古いものがいっぱい残っていましたが、その1階には「Hot Spar」が入っていたり(ホットスパー自体が悪いわけではない)、都市計画がされているようでされていない。その一方で歴史的建造物には専用のレリーフと旗が飾ってあり、そういう統一感にはさすがオーストリアと唸らせるセンスがありました。

 何が何でも古いものが良いというわけではないのですが、方向性の定まらない近代化というか、はっきり言えば近代化なら日本やアメリカの得意分野な訳でそういうものをヨーロッパに求めないのは全く私の勝手なのですが、私としては「第3の男」で見た古くかびくさいウィーンを期待していたものですから、その点はちょっと期待はずれでした。

 ただ、街はきれいで、人も親切だったし、噂に聞いているほどイヤな思いはしませんでした。食べのものおいしかったし、ウィーンフィルは聴けたし、何よりもシェーンブルン宮殿には行っていないわけで、その意味では見逃したものも多く、また行きたいとは思っています。

 今度行くときまでに是非、もう少しドイツ語を磨いておこうと思っています。いつものことですけどね(笑)。

このまま国境を越える

戻る HOME 日刊NO TIMES プロファイル 趣味の宮殿 アルバム ゲストブック