| 捷克国紀行 |
| 序章 |
私の幾人かの友人に「チェコに友人が勤めている」というとチェコに行ったことがある人はもの凄く羨ましがります。曰く「とても美しい街だ」「ビールがうまい」云々。私が知っているチェコはまず、チェコフィル。そのシェフだったラファエル・クーベリック、ドボルジャーク、スメタナ、ヤナーチェクなどの音楽系。イワン・レンドルとマルチナ・ナブラチロワのテニスプレーヤー2人はチェコ人だったはずだし、アイスホッケーでは長野五輪でチェコが優勝した。ビールのバドワイザーは元々チェコが発祥の地だということ。昔はボヘミアと呼ばれていたというその程度の情報しかありませんでした。 とにかくプラハのことを悪く言う人にはあったことがありません。ヨーロッパの街でも屈指の美しさであるということは間違いないのだと思います。残念ながら日本から直行便がないのが残念ですが、それが故に日本人が多くないと言うことは大いなる魅力だと思います。 |
| 9月24日(金)百塔の街 |
国境も越えたらすぐにブルノというチェコ第2の都市に着きました。第2といっても本当にのどかな山の中の街で、旭川よりは確実に小さいし、イメージでいえば富良野みたいな感じでした(もっとも駅から見えた限りではですが)。 その後はボヘミアの平原の中を列車はすすみ、私たちはうつらうつらと昼寝を楽しみながら道中進みました。考えてみると初めて海外で長距離列車に乗りました。まさに世界の車窓からですが、列車の中を探検することもなく、じっと席に座っておとなしくしていました。この辺が旅行下手だなぁと反省することしきり。 この辺で私はプラハの地図をにらみ出します。一昨日プラハのTとの打合せでは、我々が到着するのはプラハ北部にあるホレショヴィツという駅で、そこから地下鉄C線に乗りムゼウム駅へ。そこで地下鉄A線に乗り換えて終点のデーヴィツカ駅に着いたら、そこにディプロマットホテルがあるのでそこから電話をかければ奥さんが迎えに来てくれるというものでした。 地図を見ているとホレショヴィツからデーヴィツカまでは約4km歩けない距離ではありませんし、むしろ歩くの大好きな私としては積極的に歩きたいところ。荷物が多いのが気にはなりますが、旅行に来たら歩くのが醍醐味だと信じている私としては迷うことなく「歩く」と嫁に宣言しました。かわいそうな嫁はどれくらい歩かされるのか分からずに私の後に着いていくよりほかにないのでした。 一応ディプロマットホテル着を17時と約束していたのですが、列車も1本早いのに乗り歩いても間に合いそうです(歩く時間を1時間として)。時間は15時半。昨日までの泣き空とは違いプラハの空は陽気に迎えてくれました。ホレショヴィツ駅は本当に暗い感じの駅で、モスクワの空港ともひと味違い、工業国チェコの共産国時代の香りが紛々としていました。 列車を降りてすぐに駅で両替です。なにしろ当初の予定では地下鉄に乗るはずだったし、どちらにしても公衆電話を使わなくてはならないからです。最初に見えた両替所で替えたのですが、こういう事のお約束、駅の出口の方にはもっとレートのいい両替所がありました。みなさんも気をつけましょう。 さて、例によってどっちが北かよく分かりません。地図を見て、太陽の位置を天測して歩き出しましたが、本当にそっちが正しいのかは野生のカンのみといったところでしょうか?観光地図ですから、土地の高低差は出ていません。単純に4kmだと思っていたら結構な勾配があり、上り下りしながら進んで行かなくてはなりません。 疲れている上に、足が痛くて荷物が重い嫁が悲鳴を上げましたが、私も手伝ってあげられるほどの余裕はなく、励ましながら何とか進みます。そんなこんなですから、たった4kmの距離を歩くのに1時間半近くはかかりました。途中、サッカー場があったりして景色のよいところもあったり、何よりプラハの街並みは中世そのもの。道路も石畳なのです! 私はそうした街の空気に感動していたのですが、嫁にはその余裕はありませんでした。フラチャンスカの辺りで、街並みに高級感が出てきました。それまでは古いが安いという感じで、イギリスの炭坑町みたいな感じでしたが、フラチャンスカの辺りはアメリカ西海岸の高級住宅地という感じすらあります。 街が明るくなってくると嫁も少しは元気が出てくるようです。何とか最後の一踏ん張り頑張って約束のディプロマットホテル前まで来ました。私は電話をかけるためにテレホンカードをキオスクで買いました(多分英語で言ったんだろうなぁ)。それを持って公衆電話ボックスに入ったのですが(扉はなかったけどね)、なんと、使い方が分からないのです。20分くらい悪戦苦闘したのですが、電話が壊れているのか、なんなのか?裏に書いてある英語の説明と機械ものに関する私の経験と勘でいろいろやってみたのですが、全く埒があきません。 いい加減諦めて、ホテルに行きました。ホテルなら公衆電話があるだろう。ところが、ホテルの公衆電話はカードが使えない(カード対応の電話がない)。フロントで小銭に換えてもらい、ようやくTの家に連絡が付きました。 それから待つこと30分。Tの奥さんのNちゃんが迎えに来てくれました。そこから路面電車で15分くらいのところなのですが、私たちが疲れているだろうからと、タクシーで家まで移動。とりあえずは何とか落ち着くことができました。私たちにとっては休暇中ですが、現地のTにとっては思いっきりの日常で、今日の彼はもちろん勤務。彼が帰ってくるまで少し休んで四方山話に花を咲かせます。 夕方Tが帰ってきて、1年ぶりの再会を喜びました(03年彼の父上逝去に伴い札幌で会ったのが最後)。彼の顔を見て本当にチェコまで来たんだなぁと実感できたような気がします。ホレショヴィツから歩いてきたといったら、小さい頃からの私を知る彼は苦笑いをしていました。彼には滞在中とにかく、音楽会に連れて行ってくれとお願いしておきました。 私の音楽人生に大きな影響を与えたのが彼なのに、彼と私はいつの間にか音楽の嗜好がすっかり変わってしまっていました。彼は最近ではほとんどクラシックは聴かないとのこと。私がクラシックを聴くきっかけをくれたのは彼が中学校の時にカセットテープに吹き込んでくれた、ホルストの「惑星」だったというのに(笑)。 到着した今日は、サッカーを見に行くことにし、明日から3日間は毎晩演奏会というのが彼の手配で、私にとっても大満足でした。ということで、今日は先ほど横を通ってきた「トヨタ・アレナ」で地元プラハのチーム「スパルタ・プラハ」のゲームを見に行くことになりました。 9月の末とはいえ中欧は当然北海道より思いっきり北にあります。防寒対策をしっかりしてスタジアムに向かいました。スパルタというチームはチェコでは一番強く、この年のチャンピオンズリーグにも出場しているとのこと。以前はネドベドなど私の知っている選手が在籍していたことなどが事前情報としてもたらされました。 私の知る知識ではサッカーというのはどこの国に行っても労働者階級のスポーツなはずです。簡単にいえば貧乏人が好むスポーツ(ここまで言い切るのは乱暴すぎますかね?)。スタジアムの雰囲気は怪しい感じがあるのが普通で、常に危険な香りがすると聞いています。 スタジアムの周りはマックがあったりしてどこの国も変わらないと思うのですが、雰囲気としてはどうしてもJRAのWINS(場外馬券売り場)の雰囲気が漂っています。Tはそんなことにはお構いなくズンズンと中に入っていきます。 スタジアムは非常にきれいな感じで、さすがトヨタがスポンサーになっているだけのことはあります。鹿島スタジアムによく似ています。私はカメラを出すのも結構びびっていたのですが、スパルタ優位にゲームが進行するので、途中から割と大胆に撮影しました。 観客は6000人くらいだったはずです。やはり何かのマッチゲームのようなときでないといっぱいにはならないようです。この辺はJリーグの方が盛り上がっているといえるでしょう。寒いのでビールを飲みながらでもちっとも酔いません。 ゲームは4−1でスパルタが勝ちました。久しぶりのサッカー観戦ですが、大変に楽しかったし、このこぢんまりとした感じは応援しがいがあるなぁと思ってしまいました。因みにスパルタのキャプテンはカレル・ポボルスキーは地元では大変な有名人で、ユーロテル(電話会社)のCMキャラクターとしてビルボードに大きく載っていたりします。確かに一人だけレベルが違うなという動きをしていました。この背番号8番ポボルスキーがこの旅行ではあちこちに登場します(笑)。 路面電車に乗って帰宅。チェコ最初の食事はNちゃん手作りの和食でした。私は海外に出たら絶対に和食は食べない派なのですが、こういうときにつまらない主義を主張するほど子供ではないので、ありがたくいただきました。 食後にはお互いのつもる話をしながら、地元チェコのビールを楽しむことにしました。残念ながらうちの嫁はアルコールが一切ダメなので、飲むのはもっぱら男二人。特にチェコならではなの酒のつまみというのはないようですが、T家で飼っているビーグル犬のパンチにちょっかいを出しながらつきるともなく話は続きました。大体私とTは飲むと長くて、だらだらと話をすることが多いのですが、家で飲むというのは時間を気にしなくていいですね。ここがチェコだというのがだんだん不思議になってきました。ということで、次の日もあるので真夜中少し過ぎに寝ることにしました。 |
| 9月25日(土)モーツアルト・ナイト |
この日もTは仕事なので、Nちゃんの案内で市内観光ということになり、途中から合流することにしました。プラハの観光スポットといえば、プラハ城、バーツラフ広場、カレル橋なんてところなんでしょうが、私はろくにガイドブックも読んでいません。現地で案内してくれる人がいるのだからそれに従うのが最上だとの私の考えからです。 嫁には行きたいところがあればピックアップしておくようにいっておきました。私はくだんの音楽を聴くという目的さえ果たせば、あとはTが案内してくれると大船に乗ったつもりでいたからです。 路面電車と地下鉄に乗って中心部に行きました。まずはムーステック駅で降りて火薬塔と市民会館を見ました。市民会館にはスメタナ・ホールがあり、今晩の演奏会のチケットをそこで購入しました。プラハ交響楽団の室内オケによる演奏で、前プロがロッシーニのセビリアの理髪師序曲、中プロがス・ミンジョン(韓国)というヴァイオリン奏者によるモーツアルトのヴァイオリンコンチェルト3番でメインはモーツアルトの36番『「リンツ」でした。 音楽に詳しい方ならご存じだと思いますが、モーツアルトはウィーンでなかなかよい評価を得られなかったときにプラハで熱烈な歓迎をされたという実績があります。実際プラハではドン・ジョバンニの初演が行われていたり、それこそ「プラハ」(交響曲38番)という名曲を作っていたりします。とにかく今晩はプラハでモーツアルトを楽しめます。 さて、プラハといえば、世界遺産にも登録されています。ちょっと歩いただけでも石畳の道路や中世の建物がもの凄い雰囲気を醸し出すため息が出るような美しい街です。ウィーンと違って醜悪な近代的な建物は目に入りません。それなのに、街のあちこちに「牛」がいるのです。 実はこれ「カウ・パレード」といって日本でも2003年の9月から10月まで東京でも行われていたそうです(私は全然知らなかったのですが)。その街のデザイナーなどのによってデザインされた牛が無造作に街の中にいるのです。東京では60体くらいだったそうですが、ここプラハでは200体もいたので、街のあちこちに牛がいるという感じでした。 とはいえ、こうした情報は帰国してから得たもので、現地の二人もどうして牛なのかよく分かっていなかったりして、私もプラハは牛の街なんだと危うく間違えてインプットするところでした。 最初は嫁の希望を聞き入れて「ムハ美術館」へ行きました。ムハとはチェコ後でミュシャのことで、日本でも有名なアルフォンス・ミュシャのことで、彼がチェコ人だということは、この旅行に行くことになって初めて知りました。とはいえ、私は彼の絵は好きではないので、ふーんという感じでした。 そのあと、旧市街広場で食事をしました。今回は内陸国ばかりなので、食べるのはどうしても肉料理になります。この日の昼は私は牛肉を食べました。味はどうということはないのですが、こってり系なので私の口には合いました。それよりもやっぱり付け合わせの量が半端ではないのです。とはいっても、いつも言っていますが、西洋料理には「主食」という考え方がないですから、量を稼ぐには大量の付け合わせが必要になるわけです。でもね、大型のジャガイモ3個って…。 聖ミクラーシュ協会の上からプラハの街を見るとオレンジの屋根が美しいです。街に色があるというのがこんなにいいものだとは思いませんでした。思えば私の郷里の札幌も夜景こそ綺麗ですが、昼間市街を山から見るとうんざりするほどグレーですし、シアトルもパリも市街地はグレーでした。やはり古くからの町並みを残すというのは意味があることなのだと思います。 昼飯を食べてTと合流。カレル橋へ。この橋から罪人を処刑するために投げ入れたなどと言う剣呑な話を聞くと呑気に観光などという気分ではなくなります。実際カレル橋の袂の塔はちょっとおどろおどろしい雰囲気が漂っていました。言ってみると江戸川乱歩のような雰囲気です(分かってもらえるでしょうか)。 カレル橋の途中には聖人の像があってそれぞれに由来があるのだそうです(まぁそんな話はガイドブックに書いてあるよね)。途中に日本人なら誰もが知っているフランシスコ・サビエルの像があり彼を支える中に日本人がいるのだそうです(それもガイドブックに書いてあるね)。 橋の途中に石だったか絵だったがが二つあって、右側の石を左手で、左側の石を右手で触ると幸せになるのだとか(うろ覚えですいません、ガイドブックに…書いてあるよね?)。大道芸人もいっぱい出て、本当ににぎやかでした。私は人混みが嫌いなので、ブルタヴァ(モルダウのことですよ)を楽しむのもそこそこでした。 橋を渡って市街散策を楽しんだあと、一旦帰宅して、から再びスメタナホールへ。スメタナホールは市民会館の中にあり市民会館の正面にはムハの絵が飾られていました。こういう歴史ある建物がそのまま残っているというのは文化の深さなのだな、と感じました。スメタナホールはシューボックス型のホールで、私たちは2階のバルコニー席の一番奥、正面の一番前の席でした。 演奏の方はウィーンフィルを経験してしまったせいか、ものすごい感動というのはなかったのですが、ヴァイオリンコンチェルトがものすごく上手でした。私は実はヴァイオリンの良さというのが未だによく分からないのですが、今回は本当に素晴らしい演奏でした。チョン・キョンファでな買ったのが残念でしたが、補って余りある演奏でした。 メインのモーツアルトもこれといって特筆すべき演奏ではありませんでしたが、オーケストラで必要不可欠なアンサンブル力の緊密さ、それでいてモーツアルトらしいリラックスした感じが良く出ていました。とにかく感心したのはホールのすばらしさです。国内のホールだと古いホールは古臭いものですが、ここは歴史があるのに古くさくない。本当に響きの柔らかい素晴らしいホールでした。 演奏会が終わってから、食事に行きました。東京でもそんなことは出来るのですが、やっぱり異国の地では、何でもない普通のことなのに特別なことのように思えます。料理もおいしくビールもおいしく、本当に楽しい夜でした。 帰宅して、もう少し飲み直しました。明日は日曜日なので、ドボルジャークの生家に行くことにしました。
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| 9月26日(日) |
今日は日曜日でTもお休み。朝から彼の運転でドボルジャークの生家に行くことになりました。ドボルジャークの生家がどこにあるかなんてことも私は全く調べて行かなかったので、全ては彼にお任せです。Tの家はプラハの割とはずれの方にあるのですが、車で10分も行けば、とても工業国チェコとは思えないほどの長閑な田園風景が広がるのには驚きました。 帰国してから調べたところプラハから40kmのネラホゼヴェス村に生家はあったのだそうですが、日曜日ということもあり、道路は閑散としていました。というか、北海道なら驚くことはありませんが、とにかく道路が狭くて、しかも本当に他の車がいないのです。東京に15年暮らしたものとしては違和感を感じずにはいられません。 小1時間ほどで生家に着きました。完全に郊外の村で、その集落の中にごくひっそりと普通の家があるという感じでした。ちょっと違うのは、多分観光客相手の売店があることと、家の横には大きなドボルジャークの銅像があったことです。 生家にも入れるということだったのですが、どう見ても普通の家の玄関です。開けてはいると3段くらいの階段があり中庭のようになっていました。多分英語だったと思うのですが、「見学したい人は管理人を呼べ」みたいなことが書いてあって、ベルを押しましたが、人がいる気配がありません。かなり時間が経ってから、家の中に女の人が現れ、玄関を開けてくれました。 入場料を払って中に入りました。本当にひっそりとしていて、しかも私たち以外の観光客がいないのには驚きます。しかし時間が止まってしまったような不思議な感覚を味わえたのはよかったのかもしれません。私は北海道生まれで歴史の浅い土地に育ったので、歴史を感じさせるものには畏怖の念さえ感じます。この部屋をドボルジャークが歩いて、作曲をしたのかと思うと神妙な気持ちになりました。 ドボルジャークの生家の直ぐ隣に立派なお城があります。お城といっても日本の城ではなくて、ヨーロッパのお城です。ノイシュバンシュタイン城みたいなお城ではなくて、本当に人間が普通に暮らしていたんだろうな、と思える規模のお城です。これまた帰国して調べるとロボコビッツ城という名前で、ロボコビッツ公爵の夏の別荘で、ベートーベンも滞在したことがあるのだそうです(知らなかった)!! お城の見学ツアーを申し込みました。昔の貴族はお金があったら美術品を集めたりしていて、このお城もちょっとした美術館のようでした。きちんと部屋ごとにテーマが区切られていて、というか「何部屋あるんだよ」というくらい広い城でびっくりしました。あとにして思えば、ベートーベンが居たということを知って見学したかったのですが、後の祭りです。 そういえば、楽器のコレクションがあり、ベートーベンの直筆の楽譜もありました。直筆の楽譜をコレクションする人がいるのは知っていますが、直筆譜で演奏すると気持ちが入るでしょうね(笑)。小1時間の見学を終え、その村をあとにしました。 途中ちょっと道に迷ったりしながら、プラハ市内に戻ってきました。この旅でずっと話題になっていたことに「トラバント」という旧東独製の車のことがありました。トラビなどとも呼ばれるようですが、この車は何よりも「紙で作られたボディ」ということで有名です。実際はプラスチック素材を染みこませたもので作られているようですが、私は実物を見たことはありませんでした。 チェコといえば「シュコダ」というメーカーがあり、WRCにも出ていることで日本でも知られていますが、Tによると未だにトラバントが市内で走っているというので、それは一度見てみたいなぁということになった。実際は車で走っていると何台か止まっているトラビを見ることが出来たが、この日の午後わざわざ車を止めて、撮影した。 中をのぞき込んだり、ボディーを叩いてみたりしてじっくりと眺めてみました。所有してみたいとは思いませんでしたが(私は何より速い車が好きなのだ)、やはり歴史を感じさせる職人のすごみみたいなものがありました。共産主義や旧東独が存在しなければなかった車が、21世紀になっても生活に根ざしている。自動車もまた文化なのだと感じました。 Tの行きつけの店で昼食にしました。チェコのビストロという感じで、料理もとてもおいしくてよかったのですが、バリエーション的にはグラーシュしかないのかよ、という感じでもありました。一旦家に帰り、Nちゃんを降ろして、タクシーで町中に向かいました。ヴィシェフラトに向かうためです。 ヴィシェフラトはご存じスメタナの交響連作詩「我が祖国」の1曲目です。2曲目の「モルダウ(チェコ語ではヴルタヴァ)」を知らない人はいないでしょう。ヴィシェフラトは「高い城」という意味で、伝説では8世紀初頭にボヘミア王朝の祖リブシェ王妃が造ったことになっています。実際は10世紀になってから建築されているのですが、ヴルタヴァ川を挟んだ対岸のプラハ城との間にプラハの町が発達しました。つまりチェコ国家の誕生の地がここだということです。 ここは現在公園になっていて、チェコの有名人のお墓があります。なんか墓参り旅行だったような感じですが、たまにはこういう旅行もいいでしょう(笑)。スメタナ(因みにスメタナってロシア語でサワークリームのことなんですよね(笑))、ドヴォルジャーク、カフカ、ヤンとラファエルのクーベリック親子、ムハ、などそれこそ知っているチェコ人のお墓は軒並みここにありました。
ガイドブックなどを見ないでいったので、結構お墓の中をぐるぐるして、3人で手分けして捜しました。恐らく傍目には怪しい東洋人3人だったと思います。私はラファエル・クーベリックという指揮者がすごく好きで、彼の墓に行けたのは本当にいい思い出になりました。「いい指揮者になれますように」とお祈りしてきました。 因みにヴィシェフラトは高い位置にあって、そこを降りて、ブルタヴァ沿いのトラム乗り場まで行き、次に目指したのは、チェコフィルの本拠地ルドルフィヌムです。「プラハの秋音楽祭」というのをやっていて、そのチケットをTが取っていてくれたのです。最初「ベルリンフィルが聴ける」という話で随分盛り上がったのですが、ガイドブックとチケットを見ると「ベルリン・シンフォニカー」と書いてあります。
ベルリンフィルなら「ベルリン・フィルハーモニカー」と書いてあるはずです。ちょっと残念でしたが、それで何かが変わるわけではありません。それよりもチェコフィルの本拠地であるルドルフィヌムに行けることの方が重要でした。 プログラムを無くしてしまったのですが、確かフォスターの歌の入る曲を長々やっていたような気がします。ドボルジャークと他の作曲家の曲もやりました。こんな書き方ですが、演奏が大したことなかったわけではありません。やはり大編成のオーケストラですから、音の迫力はありましたし、緩急自在で、ドイツのオケらしい厳格さがありました。 しかしもっとも印象的だったのは、アンコールです。いままでの演奏会では1回もアンコールがなかったのですが、このコンサートでは何と3回もアンコールがありました。しかも途中でやったブラームスのハンガリー舞曲の5番はテンポの揺れが素晴らしく、しかも表情付けがよくてものすごく楽しめました。流石に本場のオケは違うなぁと感心しました。そして、やっぱり知っている曲か親しみやすい曲でないとコンサートは楽しめないのだな、とも感じました。 終演後、今宵も夜のプラハの街を歩き、食事でしたが、プラハらしからぬ新しくおしゃれな店でイタリアンを食べました。今日もビールが美味い!
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| 9月27日(月) |
プラハ城観光。楽譜屋に行くが大したものはなかった。夜は国民劇場で、バレエ、ジゼルを見る。ブドヴァルのバーでビールを楽しむ。続きはこれから。 |
| 9月28日(火) |
プラハ国際空港へ。行く途中にシャールカを見る。モスクワで延々とトランジット。モスクワの空から見た月がものすごく印象的だった。 |
| 9月29日(水) |
日付を越えて無事日本へ帰国。最初に食べたのは王将のチャーハンと餃子。
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| 9月の8日間 |
旅のまとめ。
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