
インドは今年(1997年)8月15日に独立50周年を迎えました。
例年通り、1947年8月15日の早暁に開かれた制憲議会に倣ってインド国会ではMidnight Sessionがもたれ、8月14日深夜には、インド国会のCentral Hallに国会議員、各政党の代表、元大統領、元首相等が集まりました。その模様はテレビでも放映されました。
15日0:00には、インド国歌の斉唱、続いて、第二の国歌として知られる、Vande MataramがPandit Bhimsen Joshiによって詠われました。
引き続いて、Mahatma Gandhi、Jawaharlal Nehru首相、Subash Chandra Bose、Dr Ambedkarの演説(録音)がそれぞれ再現されました。ここで聞いていて(勿論TVを見ながらですが、)オヤッ?と思ったのは、Chandra Bose、Ambedkarという、これまでのインド政治の主流(=国民会議派)からは必ずしも充分に認知されてこなかった人物が、独立50周年を機にGandhi及びNehruと並び立つ偉人として改めて取上げられたことです。後述の大統領演説の中でもChandra Boseとインド国民軍並びにDr Ambedkarには特別の言及がありました。これは、現在の政権が、Gandhi-Nehruに源を発する国民会議派政権ではなく、United Frontという中道左派・各地方政党が糾合した政権であることにも象徴されるように、政治の中心が国民会議派単独政権から、多種多様な政党の連立へと重心が移動してきていることの一つの現われでしょう。
Subash Chandra Boseは、その「敵の敵は見方」との過激な主張故に、非暴力主義を貫いたMahatma Gandhiとは袂を分かった人ですから、国民会議派としては彼の功績を正面から認知することにはためらいがあったのでしょう。UF政権の下、今年(1997年)はBose生誕100年目にも当たりますが、彼の誕生日である1月23日が急遽国民の休日になりました。なぜ今Chandra Boseなのか、明確な答えはありませんが、連立政権の中に西ベンガル州を大きな基盤とする、Communist Party of India (Marxist)が含まれていることが関係しているのかもしれません。
また、Dr Ambedkarは、貧しい不可触民の生まれで、様々な差別を克服するために、死にもの狂いの努力をして奨学金を得、コロンビア大学、ケンブリッジ大学を経て、英国弁護士資格を取得し、独立インドの初代法務大臣として、憲法を起草した大変な努力の人ですが、インド独立前のロンドンにおける円卓会議で不可触民について分離選挙の実施を主張し、インドの分裂を防ぐため如何なる形(ヒンドゥー/ムスリム、もしくは上位カースト/不可触民)でも分離選挙は行うべきではないとするMahatma Gandhiの主張に真っ向から反対しました(その結果、Mahatma Gandhiの対不可蝕民政策も方向修正された)。その後も、国民会議派を中心とする主流派からは一定の距離を保ち続けたのですが、独立インドの政府に法務大臣として招請され、共和国憲法を起草しました。憲法に続いて、ヒンドゥー教徒に関する民法(Hindu Code)の法案を巡って国民会議派政権内部でも孤立し、最終的にはNehru首相とも対立し、法務大臣を辞任、野党から総選挙に出馬するも、国民会議派に敗北、という、波乱が続きました。晩年には50万人以上の不可蝕民と共に仏教に改宗しました。Dr Ambedkarについても、United Frontの主要政党であるJanata Dalなどが、Dalitと呼ばれる下層カーストの人々を支持基盤にしていることから、近年その業績が見直される傾向にあり、街中に、「50ルピー札にSubash Chandra Boseの肖像を、20ルピー札にDr Ambedkarの肖像を!」と書いたポスターが貼られているのをみたこともあります。
さて、Midnight Sessionに話を戻しますと、その後、恒例の大統領演説が行われました。今年就任したばかりのNarayanan大統領は、この50年間のインドの発展を称えつつも、汚職問題の悪化を憂い、貧困問題・カースト問題に対する真摯な取組みの重要性を訴えました。
その後、50年以上に亙り、映画音楽を中心としたインド歌謡界の女王として君臨する、Lata MangeshkarがSare jahan se acchaという、「国民唱歌」的な歌を、一番国民的な歌手であるはずの彼女が、何と歌詞カードを見ながら、たどたどしく、ニコリともせずに歌いましたが、これは大いにヒンシュクものでした。
15日9:30から、Red Fort前の広場(50年前にNehru首相がインド国旗を掲揚したところ)でGujural首相の演説がありました。ここでも、汚職問題が大きな比重を占め、「汚職に対する新たなSatyagraha(Satyagraha=もとはMahatma Gandhiの始めた「非服従運動」)」の呼びかけがありました。このように、大統領・首相演説を通じて言えることは、「50周年のお祭り気分」というよりは、現状、特に汚職の問題に警鐘を鳴らす、という色彩が非常に強かったということです。Gujural首相自身は清廉な学者的な政治家として知られていますが、インド政界は、(どこかの国と同じく)汚職疑惑を抱える政治家ばかりであり、Gujural首相の「もう、オレこんな連中とやってらんないよぉ!」とでも言いたくなる気持ち(?)も分からないではない感じがします。
皮肉なことに、「電気や電話を早く繋いでもらうために袖の下を払う位ならば、少し待たされてでもみんなで我慢しよう!それが新たなSatyagrahaだ!」と汚職撤廃を訴えるGujural首相の演説をテレビで見て、「うん、いいこというよなぁ」と感心していたら突然停電しました。なんと私の家の配電盤が煙を上げているので、デリー電力庁(DESU:最近改組されてDVBという名になっているが、DESU(デス)のほうがピンと来る)のエンジニアを呼んできて直してもらいました。取り敢えず作業が終わった後に、そのエンジニアが何となくモジモジしているので、「何だ?」ときいたら、「バクシーシ(小遣い)くれ」と言うので、そこですかさず、「首相が『DESUにはバクシーシなし』っていってたじゃないか。naya(新たな) satyagrahaだ!」と言い放ったところまではカッコ良かったのですが、「でも今日はHolidayだしぃ。ブツブツブツ…」といわれ、それもだよなぁ、悪かった悪かった、と渋々幾らか渡してやることになってしまい(心の中でGujuralさんごめんなさいといいながら)、早くも私は自らSatyagrahaに敗北してしまいました。
さて、この他にも50周年関連イベントは色々あったのですが、2つだけ。
一つ目は、何といっても、A R RahmanのMaa Tujhe Salaamです。これは、上述のVande Mataramを現代風にリアレンジしたヒンディー語の歌ですが、これは無茶苦茶かっこいい。独立50周年とは言え、景気も政治もイマイチだなぁ、という、なんとなく振るわない雰囲気をふっとばし、一気にお祝いの気分に盛り上げてくれる歌です。A R Rahmanという人は、普段はボリウッドの映画音楽を歌っている人ですが、ひょっとした思い付きでこの新たなVande Mataram (Maa Tujhe Salaamというのは、口語でVande Mataram(後述)と大体同じ意味。Salaamというのはムスリムの挨拶)を思い付いたらしいですが、沢山の人々の心を動かし、愛国心に火をつけた、という観点から(明らかに大統領演説も首相演説もこの点では失敗)、50周年記念の最大のヒーローは彼かも知れません。この歌のMaking storyについては、ここ参照。
歌もかっこいいけれども、ビデオクリップが「これってまさにインドだけれど、本当にインドで作ったの?」って位かっこいい。とにかく、インド各地の色々な装束・顔立ちの人々が出てきて、色彩が豊かだし、北インドの人も南インドの人もラジャスタンの人もチベット系の人(これがどれも皆、極々普通の人達)も、最後はとにかくみんなみんな大きなインド国旗の下に行進して集まってくるという、未だにビデオクリップを見る度にそのカッコよさに「あぁ〜俺ってインド人に生まれて良かったなぁ」とシビレています(お前いつからインド人になったんだ?)。
Vande Mataramというのは、もともと、ベンガル人のBankim Chandra Chatterjeeという人が作った「母なる大地よ貴方にひれ伏します(=vande mataram)」という書き出しで始まる詩で、Mahatma Gandhiも自由独立運動の過程で毎回集会の最初に愛誦しており、ゆくゆくはインドの国歌にしようと考えていたところ、内容的にヒンドゥ教の影響が濃い(mata=Durga mataという女神)、という読み方も出来るということでMuslim League及びJawaharlal Nehru(この人はPanditと呼ばれていたにも関わらず、世俗主義を貫くためか、徹底した合理主義者で却って反ヒンドゥ教的だったらしい)双方から積極的な支持が得られず、結局Muslim Leagueを除いてインドが独立した後にも正式な国歌としての位置づけをJana Gana Manaという歌に譲らざるをえなかったのですが、インド自由独立運動とは切っても切れない関係にある歌なので、最終的には言わば準国歌としての位置づけが、1950年1月24日の制憲議会の最後のセッションでなされました。
もう一つ、50周年関連行事は凧上げです。日本で言うと、凧上げは正月の行事ですが、何故か、インド(少なくともデリー)では、独立記念日前後に凧上げが流行します。独立記念日と凧上げがどういう関係にあるのかは良く分かりませんが、とにかく、8月に入ってから、そこら中で子供たちが凧を上げ始め、色とりどりの凧が空を飾ります。冬になると風がぴたっと止まり、夏(4-6月)になると強風(熱風!)が吹き、8月頃になると手頃な風が吹く、というデリー近辺の天候にも関連しているのかもしれません。私は子供の頃に父に教えられ、手作りの凧を上げに行っていたので、こちらで子供たちが凧を上げているのを見て懐かしくなって、凧上げがしたくていてもたまらなくなって、同僚の武貞君を誘って凧上げに行きました。近くのマーケットで一枚5ルピーくらいの凧(基本的な菱凧。材質は紙やビニール)と糸を買ったのですが、凧を買うときに、安いので奮発したつもりで、5枚くらい買ったところ、「それだけしか買わないのか?」と聞かれました。こちらは、「きたきた。外国人だと思って、売り込むつもりで吹っかけてきたな!」と思い、「5枚もかったんだから、いいじゃないか!」と言って、凧上げ広場まで急いだのでした。
凧上げ広場は、とある集合住宅の前の広場で、半分は「草クリケット」ニイチャン達に占領されていましたが、凧を上げるためには十分な広さがありました。そこで、外国人の凧上げを好奇の目で見守る子供たちに囲まれて、我々は凧を上げ始めたわけですが、これが、やってみると簡単に上がってしまって、ここにあるように(Thanks to Mr T for the Photo)、上げている本人達にも凧がどこにあるのか分からない位、上がってしまったのでした。こうなってしまうと、とにかく糸を出せば出しただけ上がるわけですが、わがままなことに、これは凧を自作したことのある人にはお分かり頂けると思いますが、問題が全くない凧というのも、上げている本人にとっては全くつまらないもので、つまらないなぁ、といっていたら、廻りの子供が所謂喧嘩凧を始めたので、こっちも一緒になって糸を絡めて始めたら、次から次へときられてしまい、あっというまに5枚の凧がなくなってしまい、マーケットのオッチャンの言っていたことにやっと合点がいったのでした。