最近の日記 - 98年8月


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8月1日(土)

今日はピーコック会(ゴルフ)。山本夫妻のお別れの会なので、「山本杯争奪戦」なのだった。また、沢田氏も、デリーからチェンナイに転勤とのことで、取り敢えず今日が最後のピーコック。

僕と相性のよいArmy Golf Course(何と、陸軍所有のゴルフ場:インドを始めとする旧英領では、Cantonmentと呼ばれる軍用地の中に広大なゴルフ場があることが多い。そもそもは、「非常時に軍隊を招集するための場所」ということらしい)だったので、是非出たいと思っていたのだが、木曜金曜と風邪をひいたらしく、調子が悪かったので、金曜日の夕方の段階で棄権。後で話を聞いたら、無茶苦茶暑かったとの由。

表彰式を兼ねた「夜の部」は幹事の佐藤さんのご自宅で。こちらには僕も参加(調子悪いので、酒は飲まず)。

さて、結果の方は、1位は相良さん。2位は沢田さん。3位が武貞君。ブービーが奥先さんでしたが、残念ながら、1位、2位が別件で「夜の部」には参加できなかったので、商品授与はブービー賞のみ。

「寝坊で当日棄権」(無断欠席ともいう)した橋野さんから、先に帰国した前任者の林さんがインドで可愛がっていた犬が、紆余曲折の後、JAL便にて日本にご帰国(?)されたとの由。林さんからは、「絶対JALにしてやってくれ」との依頼があったそうで、この話では盛り上がりました。また、梅田夫妻の「デングばなし」も、苦しんだはずの当人の語り口がよろしく、腹抱えて笑いました。

山本さんご夫妻は13日ご帰国の予定です。勤務地は東京との由。今後ともよろしく。

さて、今日の朝日ネットから。元々は一つの国だったのだから、パキスタンへの核の使用はインドにも直接影響が出てくるのは当然といえば当然なのだけれど、パンジャブの穀倉地帯が放射能にやられる、というのは、現実味があって恐い。いずれにせよ、インドもパキスタンもバカじゃないんだから、核兵器を持っていても、実際には絶対に使わないのだ、と信じたい。

>>=== <980801-14> news.asahi/international, -(-), 98/ 8/ 1 14:47, 44行
>>標題: もしパキスタンに原爆落ちたら、インドにも放射能
>>---
>> インドとパキスタンの核実験に反対する両国の研究者らが、各都
>>市に原爆が投下された場合の被害状況をまとめている。例えば、パ
>>キスタン第二の商業都市、人口約四百万人のラホールで広島型原爆
>>が爆発すると、半径一キロ以内の人は全員即死。放射能は約三十キ
>>ロ離れた国境を越え、インド有数の穀倉地帯であるパンジャブ地方
>>の作物にも打撃を与える――。被爆地・広島、長崎のデータを使い
>>、原爆投下後は医療・救援活動も思うようにできない現実を一般市
>>民に訴えるのが狙いで、地元紙も「衝撃的内容」と論評している。
>> 原爆投下の被害の予測作業を手がけているのは、米国・プリンス
>>トン大学のパキスタン人物理学者やカラチにある労働教育調査研究
>>所の研究員ら。印パ国境に近いラホールの中心地に広島型級(TN
>>T火薬換算十五キロトン)の原爆が投下された場合を想定し、爆心
>>からの距離に分けてシミュレーションした。
>> それによると、(1)爆心地から半径一キロ以内は爆風、熱線、
>>放射線で全員即死。建物はパンジャブ州議会議事堂、総合病院、中
>>央電信電話局、主要なホテルなどすべて破壊される(2)半径一〜
>>二キロでは、外出中の全員と建物内の半数の人が死亡。パンジャブ
>>大学、ラホール博物館、高裁ビル、教会などほとんどが破壊される
>>(3)半径二〜三キロ以内では五%の人が死亡、四五%がけがをす
>>る。
>> ほかの多くの人も、落下してくる建物の破片やガラスで負傷。主
>>要な病院や役所、市場は炎上し、けが人の多くは適切な医療が受け
>>られない。数年以上にわたって様々ながんに苦しむ人が多く出てく
>>る――。
>> 研究者らは「被爆後は救急車や消防車もほとんど破壊され、残っ
>>た緊急車両も道路の寸断で使えない」と指摘している。
>> 被害状況は、「もし、このラホールに原爆が落ちたら」と題する
>>パンフレットで紹介。核兵器を「大きな爆弾」程度にしか認識して
>>いない同国の多数の市民にとっては極めて「衝撃的内容」だという
>>。地元紙も取り上げ、「われわれはこのような核で死ぬのだろうか
>>」と論評している。
>> 研究者らは同様のシミュレーションをカラチでも実施、イスラマ
>>バードなどでも準備している。
>> 一方、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のインド支部を代
>>表するシュリワスタ博士らも、インドがラホールに原爆を投下した
>>場合の自国への影響や、パキスタンがインドの首都ニューデリーに
>>広島型原爆を投下した場合の被害状況を予測。「主要な病院が集中
>>している半径五キロ以内は、病院施設はもちろん医療スタッフもす
>>べてやられ、首都の医療機能は壊滅する」としている。
>> 同博士は「ラホールからインド国境までわずかに三十キロ。しか
>>もそこはインド有数の穀倉地帯、パンジャブ地方だ。風向き次第で
>>、穀物はすべて放射能で汚染される。隣同士の国で、核兵器は持っ
>>ても使えない武器であることを、きちんとした資料をつけて両国政
>>府に訴えたい」と話している。

一方で、"The God of Small Things"(日本語訳は、「アルンダティ・ロイ著 工藤惺文訳 『小さきものたちの神』(DHC \2,300)」:解説は翻訳の監修をなさった関口さんの頁参照)でBooker PrizeをとったArundhati Royが核実験への反対声明文をFrontlineOutlookという週刊誌に寄稿(同じ文章)している。

流石、中々インパクトのある文章だと思うけれど、もう少し早く出てきてくれたら良かったのになぁとも思う(その辺の葛藤というか、慎重にならざるを得なかった理由も書かれている)。もう一回よく読んでみてからしっかりとした感想を書いてみたい。Rushdieとか、Naipulなどが今回の核実験競争についてどんなことを考えているのかにも興味がある。


8月2日(日)

今日も何かと今一つである。昼過ぎから活動を開始し、3時頃からドライブに行く。

アンバサダーは快調だ。

いつものドライブルート(Buddha Jayanti Parkの裏の道)に飽き足らず、「kawadiya(シバ神に捧げるためにガンガの水を歩いてそれぞれの村まで持ち帰る人の行進)がまだ見られるかも知れない」と思い、空港の方まで行く。日曜ということもあり、空港の先、Gurugaonに向かう国道8号線は殆ど車がいない。ここぞとばかりにギアを5速(注)に入れて、アクセルを思いっきり踏み込む。楽々と、といいたいところだが、まぁ、何とか時速100kmに達する。もう一息踏み込むと、時速120kmに達するが、いたるところがガタガタと震え出す。ドアが落ちるのではないか、車がバラバラになってしまうのではないか、と、恐くなり、スピードを落とす。路面が悪いのかもしれないが、やはり時速120kmというのはアンバサダーには酷なスピードの様だ。案の定、スピードを落としたら、震えが止まった。せっかく160kmまで速度計があるのだから、時速160kmは楽に出せるように設計してほしいものだが、ボディーについては、速度計で140kmまでしかないディーゼル仕様と同じものを使っているのか、到底160kmまでは耐えられそうにない。是非日本に持って帰って、日本の高速道路でどんな感じになるのか、試してみたい。

(注) 普通のディーゼル仕様のアンバサダーは4速までしかないが、僕のいすゞガソリンエンジン仕様は5速まであること、スピードメーターが160km/hまであること(ディーゼルは140km/h止まり)が自慢

この後、雑誌を買いにコンノートプレースに行く。雑誌売りの露店の近くにハザードランプをつけてアンバサダーを駐車、露店に向かう。露店でIndia Today(デリー編集),Frontline(チェンナイ編集), Outlook(デリー編集、比較的新しい雑誌), Week(Kochi(Kerala)編集),Sunday(カルカッタ編集)といった常連に加えて、"Babaji Astrology & Religion"という星占い系の怪しげな雑誌も購入、アンバサダーに戻る。

と、何故か、ハザードランプにしたはずが、左折ランプしかついていない!乗り込んでみると、車の中の表示はしっかりとハザードランプのまま。故障したらしい、ということを取り敢えず理解する。それから後は、仮免の試験を思い出し、「方向指示器が壊れたときは、常に手信号」を実践しようと、窓を開けて右手を使うが、慣れていないので気が散って、却って危ない。結局、「ええぃ、ままよ、前の指示器は問題ないから、別にいいや!」ってんで、結局それも止めてしまった。

とはいえ、当地はラウンドアバウトが多く、ラウンドアバウトに突入するときは、左折するときを除いて、必ず右折のインディケーターを出しながら入ることになる(注)ので、右のインディケーターは結構重要なのである。

(注) ラウンドアバウトに入るときは、当然ハンドルは左に切る訳で、左にハンドルきりながら右にインディケーターを出す、というのが未だに何となくしっくり来ない。

家に帰ってから原因を探るが結局分からず。修理工場に持ち込まなければならないのだろうか?

アンバサダーの名誉のために、本当は黙っておきたかったのだが、この際だから言ってしまおう。僕のアンバサダーはまだ購入後7ヶ月、走行距離3,000kmに過ぎない。日本であれば立派な「新車」なのだろう、しかし、今日発覚した方向指示器の問題に加えて、既に、以下の問題が生じている。全く困ったものだ。

  1. 時々(!)走り出したときにスピードメーターが動かなくなることがある(ぶったたくと動き出す)
  2. スイッチを入れると燃料計がフルを超えて跳ね上がり、走っていると突然本来あるべきレベルに戻る(それが殆どカラッポだったりする)
  3. 何故か(って、どれもこれも「何故か?!」なのだけれど)水温計が走って5分もしないうちに100度近くまで上がってしまう

夜8時近くなってから、無性にトウモロコシが食べたくなったので、「取るものも取り敢えず」、部屋着のクルタパジャマ姿のままでアンバサダーを駆ってINAマーケットに行く。もう店仕舞かと思っていたのだが、マーケットの内外は煌煌と電気が点り、閉まる気配を全く見せていなかった。八百屋に行き、ヒンディー語で「トウモロコシよこせ!」と叫ぶ。先方、突然クルタ姿の日本人からヒンディー語でまくしたてられ、一寸面食らうが、素直にトウモロコシを4本売ってくれた。Rs20也。トウモロコシ以外に、プリアの青版(Rs45)、洋梨(500g Rs20)を買って帰る。

さて、トウモロコシは、1本はガスコンロの上に焼き魚用の網をおいて、その上であぶり、インド式に塩+チャートマサラをレモンで摺込んで食べる。もう一本はラップで包み、電子レンジに3分かけて蒸し上げ、これもインド式で食べる。これで止めにしようか、とも思ったのだが、何となくもの足りず、残りの2本は蒸し+焼きで、うち一本は日本式に醤油をつけて焼いて食べた。都合トウモロコシ4本食べてしまった訳で、気がついたら夜の10時。そもそも今晩は自炊するつもりだったのだが、トウモロコシで終わってしまった夜なのであった!


8月3日(月)

今日も今一つ体調が優れないので早く帰宅。Massiに日本食を作ってもらったのだが、密かに今晩の主役はマツタケ!ブータンに出張された方からのお裾分けのそのまたお裾分けだ。ブータンには至るところにマツタケがニョキニョキ生えているらしい。インターネットで調べて、ホイル焼を作る。

「やっぱりマツタケには日本酒!」と一人ごちながら、日本酒を電子レンジで簡単にお燗して、焼きあがったホイル焼と共に食卓へ。家で酒を飲むのは久しぶりだ。ゆったりとした気分になる。残念ながら、マツタケは香りはすばらしいが、僕が好きな「歯ごたえ」は今一つ。やはり貰ってからすぐ食べればよかった、と後悔する。

マツタケは兎も角、お酒の方はまだ残っている。せっかくゆったりした気分になったのだから、楽しんでしまおう、と肴に佃煮をもってくる。

この佃煮なるもの、曲者なのである。デリーのようなところに住んでいると、結構色々方から日本からのお土産を頂く。原則、お気持有り難く頂戴する訳だが、正直言って頻度が高い一方、貰っても処置に困ってしまい、勢い冷蔵庫の肥やしと化してしまいがちなのが「佃煮」なのだ。そりゃ、日本食も中々手に入らない土地柄、たまには佃煮も食べてみたい、と思わないでもないけれど、日本で佃煮毎日食べているか、と言えば、誰に聞いても十中八九、答は否、だろう。でも、佃煮というのは、「嵩張らない・重くない・腐らない」という、「海外へのお土産の三ナイ基準」みたいなものを満たしているからか、結構皆さんお持ち頂くことが多いのです。(ダカラトイッテナンダ、と言われると困るのだけれど...)

さて、今日食べたのは、小えびの佃煮だった。アミではなくて、飽くまでもえびなので、結構立派な殻を被っていて、小指の頭位の大きさがある。酒の肴に食べてみると結構美味い(だから、佃煮もタマにはいいのですよ)。でも、食べていると、何となく醤油色に煮締っている小えびの山が、まるでゴキブリかサソリの山のように見えてきた。「昆虫感覚」とでもいったらよいのだろうか。味や歯ごたえが、長野でよく食べる「蜂の子」に良く似ているなぁ、「飛ぶのものなら飛行機以外、四つ足のものなら机以外」何でも食べる中国人なら兎も角、「ニンニク食べるのも恐い」(注)なんてことを言う人もいるインド人にとっては、こんなものバリバリ食べながら酒飲んでるなんて、とんでもなく野蛮な食生活なんだろうなぁ、そう言えば、インドには「ゲテモノ食い」という世界はないみたいだなぁ、などと考えながらも佃煮を食み続ける私なのであった。

(注)ブラーミンやジャイナ教徒は基本的にニンニクやタマネギは食べられない。「臭いから」、「刺激が強すぎるから」、「必要以上に元気になってしまうから(!)」、「地中に育つ根菜は生命を宿しているから」等、諸説ある。聞く相手によって言うことが違うのが如何にもインド。

8月4日(火)

俳句研究会の後輩からの電子メールで高校時代からの恩師・俳句の先生で、今でもおつきあい頂いている本井英先生の奥様が亡くなられたことを知る。

昨日、机の上を片づけていたときに俳句の本が出てきて「僕は行けないけれど、石の湯の慶大俳句夏合宿には本井先生の奥様も参加されるといいなぁ。日本を離れておられたから、久しぶりの石の湯だろうし」と思った矢先のことだった。

本井先生の逗子のご自宅に入り浸り始めたのは僕らが高校3年生の時で、もう15年近くも前のことになるが、最初にお邪魔した際に先生から、「うちにはいつ来ても良いし、何をしても良いが、奥さんのことを『オバサン』と呼ぶのだけは絶対御法度だからな」と言われ、恐々として奥さんにご挨拶したことを昨日のことのように思い出す。

いつ何時不意にお邪魔しても、必ず一工夫ある手料理で迎えて頂き、お料理の合間に勝手に出来上がってしまっている我々酔っぱらいの輪の中に加わって頂いたのを思い出す。

我々が大学を卒業する年の秋、紅葉が進む初秋の志賀高原への小旅行に御一緒頂き、丘に登ったり、夜遅くまで暖炉の前で我々のヨタ話にお付き合い頂いたのを思い出す。

御自身カソリックでおられ、会話の中で「イエスさま」と言われるのを聞く度に、御信仰の深さが感じられた。病に見舞われてから後も、病と戦われ、「ルルドの泉」まで車椅子で出かけられ、帰りは歩けるようになってお帰りになったお話などを伺ったのを思い出す。正に「奇蹟」が起きたのだが、決して、誰にでも起きるというものではなく、深い信仰故の「奇蹟」だったのだろう。

我々が学生の頃は、俳句の世界とは距離を置かれているように思われたが、近年は「惜春」の雑詠欄でも上位を飾っておられた。

昨年度一年間留学された本井先生と共にパリに滞在された。「惜春」の雑詠欄でも、如何にもパリらしい俳句をお見受けしていた。今年初め、奥様だけ先に帰国し、まもなく入院されたものの、すぐに退院された、と聞き、心配しつつも安心したのだけれども。

僕にはまだ自分の家庭というものがないのだけれど、本井先生と奥様、娘さん達の、開かれた家庭の雰囲気は、僕にとっては長年の「あこがれ」のようなものなのだ。

素敵な方だった。インドに旅立つ前にご挨拶に伺った際には「インドにもいつか行ってみたい」とおっしゃっていたが、今はそれも叶わない。これからも僕らの馬鹿騒ぎにお付合い頂きたい思っていたのに。嗚呼。

本井久美子様、天国でどうぞ安らかにお休みください。


8月5日(水)

今日はずいぶん長い間手元で握ってしまった仕事が一段落して、といっても、取り敢えずのBreathing Spaceが出来た程度だけれど、兎に角せいせいした(色々書きたいことはあるけれど、書けないんだな、これが。あぁ、チクショウめ!)。

夕刻、とある案件の現場に張り付いておられるコンサルタントの方からお電話を頂き、現場での苦労話を伺う。

この国で円借款の案件を担当していると、突然当初の事業計画からの変更などが出てくることが多くて、そういう場面になると、役人的に(僕らも広い意味の役人ですから)「当初合意したことと何で違うことをやるのか?どういうJustificationがあるのか???」という角度からインド側に詰め寄らざるを得ないことがあるのだけれど、最近そう言いつつも、「結局はプロジェクトはこの人たちのものなのだから、合意合意って振りかざすのは如何なものか?大切なのは我々との合意を守ることではなくて、計画変更案が出てきたときに、それを尊重しつつも、プロジェクトの効果を最大にするために、『援助』と銘打って資金を提供している側としてどういうプラスアルファをインプットできるか、ということではないか?」と思っている自分がいるのだけれど、そういう考えも、現場に張り付いて色々ご苦労されている方々の前では、「机上の空論」になってしまうのではないか、と反省する。

結局僕がインドに対して貢献できていることって、一体何なんだろう?


8月6日(木)

Learner's Licence取得から無事故無違反で1ヶ月を無事経過したので、今朝本免許の申請に行った。

朝9時30分頃、アンバサダーを駆ってTilak MargにあるMotor Licensing Officeというところに行く。良く分からないうちに、その辺歩いているオッサンに、「51番の窓口に行け」と言われたので素直に従う。51番窓口で、仮免フォームとパスポートの写し、大使館で作成して頂いた身分証明レターを提出する。すると、いっしょに並んでいた、如何にも気の弱そうなニイチャンが、「あっ、それって、仮免の時に払った50ルピーの領収書つけて出さないとだめだって言われるよ。失しちゃったんなら、ここでもう一回50ルピー払えばいいんだけれど」という。

そんなアホなことはなかろう、そもそも仮免のフォームに"Amount Paid: Rs 50"って書いてあるし、領収書とっとけなんて誰も言ってなかったじゃないか(オフィスに帰れば机の引き出しに仕舞ってはあるのだけれど)、とそのニイチャンに反論していた矢先、ニイチャンの言う通り、窓口から書類を突き返され、領収書を持ってくるか、50ルピー追加で払えと言われる。

50ルピーなんて、日本で免許のためにかかるコストを考えたら屁でもないのだけれど、ここで50ルピー払ったら、窓口のオッサンのポケットに入るだけだろうし、そうでなくても、デリー政府に50ルピー余計に払うのはとてつもなく癪に障ると咄嗟に思ったので、ニイチャンにしていた通りの反論を窓口の中に叩き付ける。最初ヒンディー語でやろうとしたが、やはり英単語混じりでたどたどしくて全く迫力ないので途中で英語に切り替えてまくしたてる。すると、オッサンはうんざりした様子で、「そんなにいうのなら、上役のところに行って話してきてくれ」という。

上役のオッサンのところにいって書類一式を見せて説明するが、全く埒が開かない。「書類はいくつかのオフィスを回覧されることになるので、手数料支払いがキチンと済んでいるという証憑書類が全てそろっていることが必要なのだ」「何のために50ルピー払ったと思ってるのか、50ルピーというのは仮免だけの手数料ではなくて、本免許発行も含んだ手数料なのだから、本免許を貰うまでは領収書を保存するのが当然ではないか!」という。こちらから、「あんたのオフィスで正式に発行した仮免そのものに50ルピー受け取ったと明記されてるんだから、何で領収書が必要なのか、全く分からん」、「誰も50ルピーの領収書もってこいなんて言って無かった。そもそも手続が良く分からんのが問題なのだ」と繰り返し主張するが、先方全く聞く耳を持たず。何といっても相手はインドの(木っ端)役人。手続を止めるとなるとテコでも動かないのだ。

当方、抑えようのない怒り(こういう時の怒りは、目の前のオッサン個人に対してのみならず、インドの「木っ端役人文化」に対する正義の怒りに転じてしまうのだ)に燃え、身体を震わせつつ怒鳴るが、怒鳴って何となるものでもない。仕方なく、オッサンの手から書類一式を奪い取り引き下がり、「絶対に50ルピー払うものか!」、と言いつつ、事務所に向かう。運転しながらもカッカ来ていたので、運転がおろそかになり、突然止まったバスにぶつかりそうになってしまった。危ない危ない。仮免も無駄にするところだった。

件の領収書はすぐに見つかったので、Tilak Margに引き返す。到着10時20分頃。

同じ51番窓口に領収書つきの書類を提出する。今回はロクに内容のチェックもせずにOKがでて、4番の部屋に行け、と言われる。

4番の部屋には、机があるだけで、誰もいない。書類も窓口に渡してしまったし、どうなることかと、激しく心配する。10時45分頃、やっと責任ありそうなオッサンが来て、「お前の車はどれか?」と聞くので、駐車場に止めてあるアンバサダーを指差すと、「じゃあ、その車をこのオフィスの裏側まで運転してこい」と言われる。

いよいよ実技試験だな、オフィスの裏側まで持っていけばその場でOKがでるのかな、と思いつつ、そろそろと運転する。ちょっとした庭みたいなところまでいって、これで終わりかなぁ、結構畦道みたいな変なところ通ったから、あれが実技試験の代わりだったのかなぁと思っていると、件のオッサンが、「じゃあ、実技試験を始めます。ここで前に行って、そこからバックして」というので、言われるままに、15メーター位前進して、そこからバックした(それ以上動けない位狭い試験場なのだ)。それで実技試験終了!

(これがインドの実技試験場。写真向かって右に見える洗濯物に向かって前進し、トウモロコシ畑に沿ってバックしたのだった。)

さて、色々な人から聞いた話では、法規については仮免の時のテストだけで、本免許の時は実技試験だけだ、ということだったのだが、試験官のオッサンが、「じゃあ、次は口頭試問ね」といい、仮免の時にテストを受けた部屋に呼び込まれる。今日も仮免のテストの人々が緊張の面持ちでテストに臨んでいるのだった。僕は、一寸先輩面して(1ヶ月だけだけれど)、「おお、みんなガンバレよっ!」と言ってやりたい気持だった。

「口頭試問」なるもの、どうだったか?まず、試験官のオッサンが僕に「インド人それとも何処の国?」と聞くので、「日本人」と答えると、おもむろに試験問題が乗っているらしい小冊子を取り出す。その際ヒンディー語版ではなく、わざわざ英語版を選んでいた。そして、小冊子を開くとそこには交通標識が並んでいる。

口頭試問は、要すれば、小冊子に載っている交通標識を試験官がランダムに指差して「これは何?」と聞くのに答えればよいのだった。第一問は赤い停止標識。これは簡単。第二問は駐車禁止。これも簡単。第三問は駐車禁止に似ているが、一寸違う。これは良く分からんので、いいかげんに、「これも駐車禁止」と答えるが、どうやら間違えらしい。

第四問、こっちから見ると左側に曲がっている矢印に「禁止マーク」が付いている。僕は右と左が時々良く分からなくなる人なのだが、小冊子が、机をはさんで座っている教官の側をむいているので、「こっちからじゃ上下反対で右か左か良く分からないので、本をひっくり返してくれ」と頼むが、教官何故か拒む、のだけれども、何か微妙に標識を指している指が動く。すると、上下反対ではあるものの、英語で説明が書いてあるではないか!ここに至って、教官が英語版の小冊子をわざわざ選んでくれた意図が分かったのだった。書いてある英語をそのまま読み上げて、第四問合格。そして第五問は、さっき間違えた、「駐車禁止モドキ」がもう一回指差される。また、微妙に指が動いて、僕は「駐停車禁止!」と正解をいうことが出来た。

その場で仮免のフォームに、「合格」というサインを貰って、僕は満面の笑みを浮かべて、試験官のオッサンにThank You!といったのは言うまでもない。このオッサンも、仮免の試験官をやりながら、僕の実技試験や口頭試問もやっていた訳で、すごく忙しく働いていたのだった。

今後は52番窓口に行って、本免許手数料65ルピーを支払う。すると部屋の中に入ってこい、というので入っていくと、コンピューターの横に座らされた。結構親切そうな係りの女性が仮免に書かれている住所とか、親父の名前(インドでは男性場合Son of Mr A(父親の名前)、女性の場合は未婚だとDaughtor of Mr B(父親の名前),結婚後はWife of Mr C(ダンナの名前))と行った具合に身分証明を行う)とかを入力し、ディスプレーを見せて、間違いがないか、確認してくれ、という。OKというと、指紋を採るから、左手の人差し指を出せ、という。左手を出すと、何やら赤外線センサーらしいものを取り出し、そこに人差し指を当てよ、というので当てると、瞬時にコンピューターの画面に僕の指紋が映し出される。右も同じようにして採取する。

「すごいねぇ、ハイテクだねぇ」とこちらが頻りに感心していると、彼女は「ここはインドだからねぇ」と得意気に言った。彼女の意図するところとは違うかも知れないが、確かに、こういう「一点豪華主義」というか、「一点ハイテク主義」というのがインドにはあるような気がする。

これが終わると、隣の部屋で写真撮影。写真の設備もコンピューターに接続されていて、そこにはたった今入力された僕の情報が表示されているのだった。何かパッドのようなものの上にサインしろ、と言われるので素直に従うと、それが即座にコンピューターに読み込まれ、写真もすぐに取り込まれる。

ここまで終わると、「上役の部屋に行って」と言われる。さっき激しく口論した相手だ。嫌々ながら書類をもって入っていくと、彼の机の上にもコンピューターのモニタがあって、今後は殆ど何も言わずに、コンピューターを操作して、僕の情報を検索し、最後に"Accept"のボタンを押してくれた。これでおしまい。さっきのコンピューターの部屋に戻って、出来立ての本免許を貰う。顔写真入りのクレジットカードのような出来。独立50周年マークが背景に入っていて、結構カッコイイ。有効期間が異様に長いのに注目!

免許を貰ってから、「日本には日本のハイテクがあるぞ!」ってんで、コンピューターを操作していた人たちの写真をデジカメで撮り、その場で見せて上げる。こういう時にはすぐポーズ取ってくれる。

みんな結構驚いて、その場にいた上役(さっきのとは別の若い奴)も呼んできたが、そのニイチャンは「あ、これデジカメでしょ。知ってるよ。この免許のシステムと同じだよ」てな、物知り顔の、こんなつまらんものでわざわざ俺を呼ぶな、ってな反応。こういう素直でない奴ってのはインドにもいるんだな。これが。

全部終わったところで、時計を見ると、11時10分。随分待たされたような気がしたが、何と出直してから一時間足らずで実技試験+口頭試問+免許発行手続が終わってしまったのだった。予想外に迅速な処理で、インドも捨てたものじゃない、と改めて思ったのだった。

事務所に帰って皆の祝福を受ける、お茶の時間にお祝いのRasmalaiを振る舞う、お約束の「免許とれたお祝いパーティー」もやらなければ、と免許がとれたらとれたで結構忙しいのである。

さて、免許取得の決算だが、怪しげな教習に支払ったのが1,200ルピー、仮免の手数料が50ルピー、本免許の手数料が65ルピーと、合計1,315ルピーと格安に収まったのだった。日本で取ることを考えるとタダみたいなもの。

さて、この免許、僕の当初の目論見通り、日本の免許に書き換え出来るのだろうか?


8月7日(金)

昼休みに帰宅して、午後の出勤はアンバサダーで。昨日までは「無免許運転」のリスクに直面していて、びくびくしながらも運転していた訳だが、今日からは泣く子も黙る(?)正式免許保持者。至るところにいる警官も恐くない。ははは、ざまぁみろ(って、一体誰に言ってるの?)。


8月8日(土)

今日は、Raksha Bandhanというお祭り。ただ、お祭りといっても、家庭の中で行われるもので、「姉・妹が兄・弟の安全を祈る日」とも、「兄・弟が姉・妹を護ることを確認する日」とも言われる。いずれにせよ、「兄弟姉妹愛を確認する日」ということ。

姉・妹(女兄弟がいない場合には従姉妹でも良いらしい)が、兄・弟の安全を祈りつつ、彼らの右手首にRakhiという、色々なデザインの飾りひもを結び付け、兄・弟からはお返しに彼女たちに贈り物をする。この日は、遠方に離れて生活している兄弟姉妹も集まって、Raksha Bandhan(Raksha=守り、Bandhan=結びつき)を祝う。それが無理な場合も、Rakhiと送りものを郵便で交換して兄弟愛を確認する。

Raksha Bandhanの謂れは色々ある(1, 2, 3, 4)ようで、インドラ神(日本では帝釈天)が悪の神と戦って不利な情勢に置かれたときに、奥さんのインドラニがインドラ神の右手首に守り紐を結び付けたらインドラ神が逆転して勝った、とか、「ラーマヤナ」で、ランカから救出されたシータがラーマ王の弟ラクシマナの手首に守り紐を結び付けたとか、いやいやそれはハヌマーンのはずだとか、とにかく聞く人によって様々なことをいうものだが、歴史的な謂れは兎も角、「兄弟・姉妹の間の愛を確認する」Raksha Bandhanは何か、懐かしい感じのするお祭りなのだ(といっても、残念ながら(というか、当然ながら)、僕自身は参加できないのが残念)。日本にも似たようなお祭りが有りそうでない?


8月9日(日)

今日は、僕の「運転免許取得祝賀会」兼「来週末から日本に行くことになったMr Verma(アンバサダーの頁Diwaliの頁に登場)一家の壮行会」を我が家にて行う。久しぶりにお客さんに来てもらうので、昼過ぎから(それまで寝てました)休日出勤を頼んだMassiとPushpaと3人で家の中を掃除。始めるときりがなく、5時過ぎまでかかってしまった。

料理も含め、準備が終わり、僕はクルタとドーティーに着換えた。

ドーティー(腰巻)はドレープを横に持ってきて、ベンガル風に着てみる。MassiとPushpaに披露すると、「あっ、ベンガル風!」といってくれるので、ワシのドーティーの着こなしも捨てたものじゃない、と自己満足に浸る(実際、我が事務所の同僚でドーティーが自分で着られるのは、僕とRadheyだけなのだ!)

誉められてうれしくなって、お客さんが来る前にセルフタイマーで記念の写真を撮る。が、後から見てみると、自分でいうのもなんですが、この表情といい、手が隠れてしまうクルタの袖の長さといい、結構キテますな。フラッシュの加減か、後光が射しているようにも見えるし、今にも飛び上がりそう。自分で見てても何か恐いものを感じる。

お客さんのVerma一家と武貞夫妻が到着。ナムキーンというカレー風のおつまみをつまみながらひとしきりおしゃべり。Vermaさんは仕事で日本に行くのだが、その機会に奥さんと2人の娘さんも同行する。この辺若干公私混同的な世界なのだが、中流階級にとって、海外に出る機会というのはまだまだ手の届かない世界の話なので、仕事で行くときに家族を連れて行く、というのは結構あるパターン(勿論、家族分の旅費は自前)。いつもの通り、子供たちはシャイでヒンディー語でも英語でも中々話してくれないのだが、やはりディズニーランドに行きたいと言っていた。

MassiとPushpaが作ってくれた「インドメシ+鉄火巻き」を皆で食べる。鉄火巻きは、「日本に行ったらこんなものが出るよ」というつもりで、冷凍してあったマグロの刺し身を使ってつくったのだが、やはりVerma一家はこわごわと、結局お父さんとお母さんのみ食べていた。

メシの後にラダックのスライド鑑賞。Mr Vermaは日本でいえば「運輸省+建設省」のような役所のエンジニアなので、アルナチャルプラデシュという辺境にも行ったことがあり、同じような踊りを見たことがある、と言っていた。

最後に皆で記念撮影。一寸ピンボケで失礼。

Mr Vermaの奥さんは今お腹が大きくて、予定日は9月下旬だそうだ。そんな状況で日本にいって大丈夫なのか心配ではあるのだが、Mr Vermaによると、「とある方法で(注)」生まれてくるのは男の子であることが分かっているらしい。奥さんの家系が女系で、Mr Vermaも女の子2人だったので、めでたしめでたし。

(注)インドでは、生まれてくるのが女の子だと分かると、堕胎してしまったりすることがあるので、生まれてくる子の性別は知らせてはいけないことになっている。


8月10日(月)

今日はとある方に日本から持ってきて頂いた新しいハードディスク(2.1GB)をメビウスPC-A330(Pentium 90MHz)にインストールする。「Runrun Linux」という、これまたとある方から頂いたCD-ROMつきの本があり、Windowsも重いし、不安定だし、マイクロソフト嫌いだし、いっそのこと全部Linuxにしてしまおうかなぁ、とも思ったが、すぐに使いこなせそうにないので、パーティションを切って(3回くらいやり直した)、まずLinuxをインストールする。CD-ROMからのインストールは思ったよりも簡単で、Slackwareはすぐに立ち上がったが、何とX-Windows(XFree86)が立ち上がらない!いろいろとビデオチップを変更してもだめ。次々とオタッキーな世界に入っていき、気がつくと朝4時になっていた。

Linux(というか、取敢えず引っかかっているのはXFree86)の世界、奥が深そうだ。


8月11日(火)

昨晩の夜更かしが祟って今日は一日寝不足でなかなか仕事にならない。

電話をかけようとすると、通話音が出てからしばらくすると、"Vande Mataram!"という女性の声が聞こえる。一瞬耳を疑ったが、オフィス中で皆がオンフックで電話を架ける度にVande Mataramが聞こえ、どうやらこれは電話局が独立記念日を前に始めた電話局なりの祝賀行事らしい、と知る。

この国の電話は、いまだに雨が降るとつながりにくくなったり、断線したり、長距離電話が繋がりにくかったり、と基本的なレベルの問題が多いのだが、このVande Mataramもそうだが、インドらしく妙なところでハイテクで、各種暗証番号システムによって、通話範囲を制限できたり、そもそも架かってくる電話も受け取れないようにしたり、といろいろな工夫ができるらしい。僕は面倒なのでやっていないが、元々は、それぞれの家の使用人等が電話を無断で悪用するのを防ぐためにあるようなもので、これもインドの"Servant Culture"(これについてはどこかでまとめよう)という前近代的なものの一端だ。そういえば、インドのオフィスにいくと、電話(のダイヤル)に物理的に鍵が架かっているのもよく見かけるが、あれも同じことで、鍵を持ってる人以外は電話を使ってはいけない、という、"Servant Culture"とは表裏一体の"VIP Culture"が根底にはある。

電話に関してもう一つ。この国はやたらと間違い電話が多い。それも、いきなりかけてきて、「誰それいるか?」と聞いてくるのは未だましな方で、「あんた誰だ?」と聞いてくる手合が多いのには閉口する。この手合には「あんたこそ一体誰だ?」とヒンディー語で聞き返すと半分くらいはそこで間違い電話だったということに気がつくが、大抵謝りもせずに切ってしまう。休日など、一日家にいると、このような間違い電話が一日に2〜3回は架かってくるが、中には、「Arjun Singh(=国民会議派の大物)いるか?」というのもあり、一番驚いたのは、「Vajpayee ji(=首相)はいるか?」というやつで、この時は、一寸からかってやろうと思い、「Vajpayee jiにつなぐためにはあんたが誰か名乗ってくれないとだめだ」と言い返してやったら、「この野郎!」といってけんかを売られかけたので、慌てて電話を切ってしまったこともあった。

電話交換設備が悪いのか、それともオッチョコチョイが圧倒的に多いのか。訳が分からないが、とにかく間違い電話が多いのである。


8月12日(水)

昨夜も作業を継続して、OSのインストールは8割方完成。Windows95からインターネットにも接続できるようになった。めでたしめでたしではあるが、XFree86がまだ起動しない。インターネットで調べてみると、この、Mebius PC-A330というモデルが積んでいる、Cirrus Logic 7453というグラフィックチップは結構扱いにくいチップらしい、ということがわかってきた。XFree86の起動までは長期戦になりそうだ。

さて、政治のお話。インドにいて、今一番面白いエンターテイメントは、映画でも音楽でもなく、何といっても政治である(ここんとこボリウッドもなんとなく低調だしね)。一番の注目株は、何といっても南インド・タミルナド州を基盤とする、AIADMK(All India Anna Dravida Munnetra Kazhagam)の独裁的指導者であるJayalalithaというおばさんである。

今日本ではインド映画が流行っていて、一部ではタミル映画「ムトゥ」という映画のミーナという女優の人気が沸騰しているらしいが、この、Jayalalithaというおばさんも元はタミル映画の女優だった。タミルナドというところは映画関係の政治家が歴代州首相を務めてきている特異な土地柄で、現職のKarunanidhi州首相も元は映画脚本家だ。と、この辺の話はまた機会を改めてまとめることにするが、このJayalalithaというおばさん(流石元女優、AIADMKのホームページには彼女の写真が、こちらが「参った参った」と言いたくなるくらい沢山掲載されている)、BJP連立政権に26名の議員を率いて参加しており、連立与党の中では第2党に位置づけられていて、BJPは彼女の意向を無視できない。

そこで、彼女は、様々な要求を中央政府に叩き付け、その都度連立与党からの離脱を示唆してきた。

Subramaniam Swamyというインド政界では有名なトラブルメーカーを大蔵大臣もしくは法務大臣に任命すべし
自分の脱税疑惑を捜査しているIncome Tax Officerの更迭
大蔵省の分割、税務担当大臣をAIADMK出身とすること
国会副議長席をAIADMKに配分すること
タミル語の国語化
汚職疑惑を有する大臣の辞職(AIADMK出身大臣が辞職に追い込まれたことへの反撃)
Karunanidhiタミルナド州首相の罷免と大統領直轄の導入
Cauvery川水利権問題についてのVajpayee首相の妥協案への反対、中間裁定の完全実施

と、とにかく色々あり、その度にマスコミは"Crisis in the BJP Government"と報じるのだが、彼女の要求は地元タミルナドにおいてAIADMKが有利な立場に立つことしか考えていない、という点で見事に一貫している。このおばさんのCauvery水利権問題に関する最新の要求は、首相が政治的に達成した妥協案を否定する、というBJPとしても受け入れ難いものだが、BJPは今回もデリーからチェンナイにFernandes国防相らを使者として派遣し、Jayalalithaのご機嫌とりをやっている。

さて、独立記念日には一体誰が首相演説をやることになるのだろうか?


8月13日(木)

Windows95については、今日をもって再インストール完了。以前とまったく同じ環境が整った。それもこれもインターネットのおかげ。ここでインターネットがなかったら、何もできなかっただろう。

夕食はOECFのOBの佐中さんと。あまり量をお食べにならないので、一寸心配するが、明日インドを発ってカンボジアにおいでになるとの由。

新聞に、電話局の愛国精神(="Vande Mataram!")は、そもそもBJPの通信大臣の発案であること、一方で、インターネット利用者に大変不評であることが掲載されていた。Vande Mataramというのは、ヒンドゥー色の強い詩で、マハトマ・ガンディーが愛誦していたものだが、そのヒンドゥー色故に国歌とはされなかったもので、ムスリムからは少なからず反発が有り得る。BJPが独立記念日という機会を利用し、Vande Mataramを引き合いに出し、そのために多くの人が使う電話を媒体とする、というのはプロパガンダとして非常に巧妙であり、結構恐ろしいことだなぁ、と思う。

事務所の同僚は、「そのうち、電話がVande Mataramと言ったら、Jai Hindu(ヒンドゥー教万歳)と言わないと電話が繋がらなくなってしまうのではないか」と冗談を言っていた。僕が、「Jai Hinduではなくて、Jai Hind(インド万歳)でしょうが?」といったら、「いやいや、BJPはJai Hinduだから」といっていた。この人はヒンドゥー教徒だけれども、やはりBJPのこういう側面(それは1992年のアヨーディヤのモスク破壊に繋がる、大衆動員の手法に繋がる)にはヒンドゥー教徒の間でも眉を顰める人が多いようだ。


8月14日(金)

前首席の不破さんがパキスタンへの出張の途上デリーに立ち寄られたので、昼食をご一緒する。

今晩は独立記念日前夜。今年も国会のMidnight Sessionがあるのかと思い、夜テレビをつけっぱなしにしておいたが、結局何もなかった模様。そのうちこっちも寝てしまった。


8月15日(土)

今日は独立記念日。本当なら朝8時からRed Fortで行われる首相演説をテレビで見るべきところだが、目覚めたら何と12時。外はじとじとと雨が降っていた。

どうやらMidnight Sessionはなかったらしく、テレビをつけたら丁度国会の特別セッションで大統領が演説を始めたところだった。演説では、国会・州議会議員の議場での目に余る振る舞い(法案ペーパーを与党側から物理的に奪い取ったり、流血の乱闘を起こしたり)について嘆いていたのが印象的だった。

この後ヴィヴェカナンダの伝記の映画が始まったので、ビデオに撮りながらシャワーを浴びていると、停電した。またか、ビデオ途中で止まっちゃったなぁ、と思いつつ、シャワーの後にビデオデッキを見てみると、とまっちゃったどころか、何とスイッチが入らない。どうやら停電した際のショックで回路が壊れてしまったらしい。去年の独立記念日も停電した(というか、配電盤が燃えてしまった)が、どうやら8月15日は電気関係の厄日らしい。

さて、今日はクリシュナの誕生日、Janmasthamiである。昼過ぎに武貞夫妻も誘って新しく出来たばかりのISKCON(International Society for Krishna Consciousness)のお寺に行く。小雨交じりの中ではあったが、やはり老若男女の長い列が出来ていて、靴を預けたりなんやかやで、30分位は並んだだろう。クリシュナの幼少時の姿を模して着飾った子供達も沢山いる。多分、怪力クリシュナに因んで、無病息災のお払いをしてもらうのだろう。日本の七五三のような雰囲気だ。

お寺の中に入ると、ロープが張り回してあって、「順路」が決まっている。その中を一列に並んで階段を上っていく。すると、監視員と思しき若いお兄ちゃんお姉ちゃんがロープの傍らに立っていて、すれ違う人々に、「ハレクリシュナ!」という。挨拶代わりにこちらも「ハレクリシュナ!(クリシュナ万歳!)」と言い返すが、そのうち、列の中から、「ハレクリシュナハレクリシュナクリシュナクリシュナハレハレ! ハレラームハレラームラームラームハレハレ!(ラーム:ラーマヤナの主人公・クリシュナと同じくヴィシュヌ神の化身)」と掛け声を掛けはじめるおばさんが現れ、それに件のお兄ちゃんお姉ちゃんも「ハレクリシュナハレクリシュナクリシュナクリシュナハレハレ! ハレラームハレラームラームラームハレハレ!、はい皆さんご一緒に!ハレクリシュナハレクリシュナクリシュナクリシュナハレハレ! ハレラームハレラームラームラームハレハレ!」と加勢して、一同すっかり盛り上がる。盛り上がったところで階段を上りきって、本堂の中へ。

本堂の中には、Devnagari文字の電光掲示板があり、そこにも「ハレクリシュナハレクリシュナクリシュナクリシュナハレハレ! ハレラームハレラームラームラームハレハレ!」と順番に表示されていた。新しいお寺だけあって、中はぴかぴか、壁画もきれいで、ゆっくり見てみたい気もしたが、狭い「順路」の中にあってはそれもままならず、クリシュナとラームにお賽銭をあげる間もなく、軽く手を合わせてお祈りしただけで3分もしないうちに本堂から出されてしまった。

本堂から出ると、甘酒のようなものが匙で配られていて、これを手に受けて啜る。少し降りていくとちょっとした広場があり、雨が降った後でぐちゃぐちゃしていて、裸足のままで結構抵抗感はあったのだが、そこでチャートアルー(チャートマッサラというマッサラを絡ませた茹でジャガイモ)と甘いミルクドリンクのようなものをもらって食べる。みんなタダ。もらうときに「ハレクリシュナ!」といって受け取る。

さて、広場の周りにISKCON教団のやっている出店が出ていて、バガワットギータの本とか、クリシュナの塗り絵とか、車内用のクリシュナの飾りとか、色々売られていたが、そのなかでISKCON教団の人々が小物入れ(?)として首からぶら下げているバッグが気に入ったので、3種類購入。黒いのと白いのはオリッサ州の主神でクリシュナの別名ともいわれる、ジャンガンナート。愛敬のある顔が気に入った。白地に赤いDevnagari文字が架かれているのは、件の「ハレクリシュナハレクリシュナクリシュナクリシュナハレハレ! ハレラームハレラームラームラームハレハレ!」。全部で110ルピー也。これは結構良い買い物ではないか、と思う。

お寺の後、一同なんとなく疲れてしまい、ハシゴする予定だった、デリー随一のヴィシュヌ/クリシュナ系のお寺、Laximinarayan寺院には行かずに武貞君宅でお茶を頂く。7時近くになり、さてそろそろ、と失礼するが、僕はなんとなく物足りなく、やはりLaximinarayan寺院に行こうかなぁ、と思い、アンバサダーを向けるが、雨が降り出したのと、お寺から結構遠い駐車場に止めなければならないので、これはあきらめ、折から独立記念日でライトアップされている大統領官邸の写真を撮りに行こうとするが、至るところで道路がブロックされていて、それもかなわなず、むしろインド門周辺の大渋滞に巻き込まれる。そこで、レッドフォートならば、多分ライトアップされていて、道路もブロックされていないだろう、と思い、車をレッドフォートに向ける。案の定、レッドフォートは開放されていて、写真を撮ることが出来た。因みに、中央の50周年のマークはすべて花で作られている。この花といい、デリー中が電力不足だというのに電球をジャンジャン使ってライトアップしてみたり、何ともインド的な蕩尽!

さて、途中、ダリヤガンジというところでオートリリキシャにアンバサダーの横っ腹を引っかかれたり(=右折レーンにいながら直進した僕がいけない)、色々あったが、9時過ぎに帰宅。

食事の後、11時半から始まるはずのマトゥラのクリシュナ生誕地の寺院から生中継されるクリシュナ生誕会の模様を楽しみにテレビを見るが、独立記念日の出し物の中継が長引き、最高潮を迎えるはずの午前12時を過ぎてもマトゥラからの中継が始まらない。12時20分位になってやっと中継が始まるが、当然のことながら、もうお祭りの核の部分は終わってしまっていて、中継の調子も悪くて、ブーブー言いながら見ていたら、何とか中継が復旧し、録画中継が始まった。あまりきれいではないが、デジカメでテレビの画面をとってみた。

その1。「クリシュナ生誕会 マトゥラ」と書いてある。

その2。午前0時に生まれてきたばかりのクリシュナ像に聖水をかけているところ。

その3。聖水の後は牛乳がかけられる。

その4。牛乳の後は小麦粉(?)がかけられ、再び聖水がかけられ、清められた後、クリシュナ像は内陣へと納められる。

と、いうのが一連の儀式なのだが、写真その1からもわかるように、堂内に人があふれ返り、すごく盛り上がっている様子。こういうところは日本の祭りで御神輿担いで盛り上がるのと似ている。マトゥラはデリーから車で2時間弱。来年は車で行ってみようかなぁ、とも思う。

取敢えず、今年もクリシュナの生誕を見届けられて、めでたしめでたし。


8月16日(日)

今日は妙に疲れて、一日中何にもしなかった。。

これではいかん、と思い、夕方アンバサダーを駆ってINAマーケットに行く。ナスを買い、プリアを発見した雑貨屋の前を通りながら、「最近プリヤ級のネタないよなぁ。日記もマンネリだしなぁ」と思いつつ、別の雑貨屋で、India Today,Frontline, Outlook, Week,Sundayといった常連の英語の週刊誌をまとめて買う。

うちに帰って焼きナス、ナスの塩もみを作り、味噌汁とご飯で晩飯。

晩飯の後、さっき買ってきた雑誌を読む始める。最初にIndia Todayの常連コラムを読み、次に母体の新聞Hinduと同様、極めて真面目な誌面づくりが売り物のFrontierをパラパラ見始める。すると、何と真面目なFrontierで見つけてしまいました、プリヤに続く第2弾!

それにしても、INAマーケット侮るべからず。またネタに困ったらINAに行け!


8月17日(月)

日曜日の悪い癖で、昨日も11時半過ぎてから仕事を初めてしまい、寝たのは今朝5時過ぎ。おかげで一日中眠い眠い。死にそうである。でもこの悪い癖は死んでも直りそうにないなぁ。

世間で悪評を買った電話のVande Mataramはぱったりと止まってしまった。ふーん、BJPの愛国心ってその程度のものなんだ、と思う。


8月18日(火)

今日は夕方から大蔵省に行き、Mr Bhaskar他と協議。とあるポイントを巡って議論がヒートアップする。こういうときにはとにかくこちらもインド人になって、ある事ない事とにかく機関銃のように喋り続けなければならない。今日も喋り続けて、少々酸欠気味になったのか、彼の部屋を出た時には流石にぐったりつかれた(いつものことなのだけれど)。最近、上司が一緒にいようが、相手が誰であろうが、兎に角喋りすぎの自分を反省すること頻りである。でも、(インド人化していると言われるかもしれないが)喋らないと相手に理解してもらえない、と思うのです。

9月一杯かけて行くつもりのカイラス山行きの計画を固めつつあるのだが、今日、インド外務省が中国との協定に基づいて派遣しているカイラス巡礼団(Mr Bhaskarが行ったものの後続第12隊)が、ウッタルプラデシュ州のヒマラヤ山中で大規模な地滑りに見舞われ、一行60名を含む約200名の生命が絶望視されているとの由。

Mr Bhaskarも僕のことを心配してくれて、どのルートを予定しているのか、しきりに聞いてくれたが、事故が発生したルートはインドから直接チベット国境を超えていくものであり、我々外国人には許可されていないもの。僕はネパールのカトマンズから北上し、チベット入りしてそこから西に約1,500km車で走り、徒歩でカイラス山を巡回し、Manosarovar湖で沐浴した後、ネパール西部のSimikotというところまでトレッキングで下りてくることを計画中。

これだけで、約1ヶ月かかってしまうのだが、さて、休暇の許可をもらえるかどうか?


8月19日(水)

やっと今日になって休暇の申請を出した。「1ヶ月+6日」というお願い。インドのような「不健康地」に駐在していると、休暇にも色々あるのだが、インドに来てもう2年になる僕には、最大1ヶ月の一番ゴージャスなものが選択可能。これを使ってカイラスに行こう、というわけだが、日本に10日間は滞在しなければいけない、という条件がつくので、どうしても30日を超える日数が必要となってしまう。

どうしてもカイラスには行きたい。ええぃ、もうこれは半分信仰の問題だ、と「37日間の休暇」というので提出してしまった。事務所内では問題無く認めてもらえたが、さて東京でどうなるか?

一方、ウッタルプラデシュ州北部の地滑りは今日も複数個所で発生。現地は救援のためのヘリコプターも飛べない気象条件で、救援活動は困難を窮めているとのこと。これを受けて、インド政府は中国との協定に基づく巡礼団派遣を今年は打ち切ることとし、既に帰途についていた第9隊、これからカイラスにむかうところだった第10隊、11隊、13隊については軍の支援も得つつ救出し、引き返すこととなったとの由。


8月20日(木)

今日は、仕事で書いたものに手を加えて、これをまとめる作業をやった(未完成)。全くもって、インドの政治からは目が離せない。こちらについても随時更新していく予定。

去年インドに来た、俳句研究会の後輩の荒瀬君から何やらカードが入った封筒が届く。「アヤツまさか、突然、『結婚しました』とかいうんじゃないだろうなぁ、」と訝りながら開けると、何と、タージマハルの形をした、免許取得のお祝いカードなのであった。感謝感激。荒瀬様、今度インドにおいでの際にはアンバサダーによる空港出迎、小宅無料宿泊、等々、をお約束します。


8月21日(金)

東京から返事を貰った。1ヶ月を一日たりとも超える休暇は認められない、との由。その電話をもらったとたん、カッときて、「分かりました。じゃぁ、申請取り下げます!無かったことにして下さい」と言ってしまった。規定は規定、ということなのだろうが、言い様の無い位、実に残念である。そもそも...、と愚痴を書き出すとキリがないので、止める。

あーぁ、何が何でもカイラス行きたい。ほぼ15年来の夢なのに、すごく近くにいるのに、あの忙しいBhaskarでさえ行けたのに、休暇制度故に行けない、というのはどうしても解せない。いっそのこと会社やめちまおうかなぁ、とさえ思う。それくらい自分にとって価値のあることなのだけれど...。

まぁ、制度あるところに必ず抜け穴あり。何とか制度の枠の中でカイラスに行ける様、考え直してみることにしよう。


8月22日(土)

アンバサダーの方向指示器を直すのと、独立記念日にオートリリキシャに引っ掻かれた傷を直すために、昼過ぎに事務所で使っている自動車修理工場に行く。

方向指示器は、何やらメーター類の裏から沢山電線を引っ張り出してきて、ああでもない、こうでもない、とやっているうちに直ってしまった。結構、この国で電化製品や車を直すときには、この、「ああでもない、こうでもない」で直してしまうことが多いので、結局原因が分からず、次に同じ症状が出た場合にも、「ああでもない、こうでもない」で直すしかなくなってしまうのだけれど、この際、取敢えず直ったから文句をいうのは止める。ドアの引っ掻き傷の方は、ワックスのようなものを塗って、ごしごし磨いたら殆ど見えなくなった。しかし、どうやら、そもそも工場ではドアとボディーは別々に塗装しているらしく、ドアを磨いてきれいにしてもらったのは良いが、却ってボディーとドアの塗装の微妙な違いがはっきりしてしまった。

作業してもらっている間にペプシまで貰ってしまったのに、修理代はタダでよい、という。いやいやこれは私用車だから、といっても受け取らない。丁寧な対応に気を良くして、Khan Marketに行く。

Khan Marketで、Lata Mangeshkar(注)が今年の独立記念日に出したVande Mataram No2というCDを買う。去年爆発的にヒットしたA R RahmanのMaan Tuje Salaamと同じプロデューサーによる、独立50周年締めくくりのアルバム。カセット版は既に売り切れとの由。家に帰ってから聞いてみたが、何と、1954年にLataが歌ったVande Mataramも収録されていて、その他、色々な歌手による、様々なバージョンのVande Mataramが収録されている。最初はA R Rahmanの二番煎じかと思ったが、結構これもイケます。但し、ビデオクリップは去年の方が圧倒的にカッコよかった。ジャケットにLataの若い頃の写真が載っていて、結構かわいいので驚く(右側が1998年現在のLata Mageshkar)。

(注)50年以上歌い続けている、インドでNo1の女性歌手。Salman RushdieのMidnight Childrenにはインド独立前にも、「ラジオから流れてくるLataの歌声を聞きながら...」とい記述がある。映画のプレーバックソング(ボリウッド映画で出てくる、踊りのシーンなどの歌。女優はクチパクしているだけ)では、いまだにNo1。ボリウッド映画に出てくるあの、キンキンした声の多くはLata Mangeshkarの歌声。ちなみに、Lataの妹のAsha Bhosleも有名な歌手。

Khan Marketを出るとザーザー降りになったが、Buddha Jayanti Parkの裏のいつもの道をドライブし、その後これもいつもの成り金スポーツクラブへ。

2時間程汗を流すと、午後8時過ぎ。まっすぐ家に帰るべく、アンバサダーを駆る。結構いい気分で、「方向指示器を直してもらってから、なんとなく自信というか、右折するときに安心して出来るようになった。今日の日記には修理してもらったことを書こう!」などと考えながら至極快調に運転していたのだが、前の車がノロノロ行くので、パカパカとパッシングしていたら(自分でいうのも何だが、この辺の運転マナーは、完全にインド人)、それ以外何にもしていないのに、突然、全ての電気が消えてしまった!前照灯のみならず、メーター類の明かりまで消えてしまって、一瞬、エンジンまで止まってしまったのかと思った。幸い、エンジンは動いていて、方向指示器も支障無かったので、運転すること自体は問題なかったが、それから後は無灯火運転。ハザードランプをつけながら、徐行運転で家の近くまで帰ってきた。

家の近くで右折しなければならず、対向車が気になったので、反射的にパッシングのレバーに触れたら、何と、つかないはずの前照灯がつくではないか!また、ご丁寧なことに、メーターの明かりもつく。やった、何だか分からんけれど、兎に角直った!と喜ぶのもつかの間、パッシングのレバーを離したら、また元の暗闇。アンバサダー一体どうなっちゃってんの???、と、いうことで、明日もまた自動車修理工場に行かなければならないのであった。やれやれ。


8月23日(日)

昼飯は武貞君宅で。武貞夫人も参加しているシャプラニールでボランティアをなさっている写真家の吉村さんとご一緒。ラジャスタンの砂漠の町、ジャイサルメール近郊の村に一週間以上滞在しての写真撮影の後、バスに2日揺られてデリーに到着した由。ラジャスタンの話、プリー(オリッサ)の話、バングラデシュの話など。吉村さんは毎年バングラデシュに通っているらしい。僕などは最後にいったのが1991年のサイクロンの直後だったから、もう7年もいっていないことになる。

武貞宅に到着後、シャワーから出てきたときのルンギー(腰巻)姿が妙にサマになっている吉村さんなのであった。

吉村さんをニューデリー駅前のNew Marketまで送ってから、自動車修理工場に行く。昨日ライトが点かなかったのは、単にヒューズが飛んでいたからだった。これからパッシングは控えることとしよう。

その後、いつもINAマーケットだけでは芸がない、というので、Saronininagar Marketに行く。ここは、Saronininagarという、政府職員を中心とした団地のど真ん中に位置しているが、INAよりも規模が大きく、衣料品が安く買えるので有名。ここで、トマト(Rs15/kg)と、トウモロコシ(Rs10/kg)を買う。以前ライチをよく買っていた、ころころと太った威勢の良いニイチャンが店番をしていた果物屋がなくなっていた(というか、八百屋・果物屋の屋台が2列あったのが、果物屋の列がすっかりなくなってしまって、八百屋だけになってしまっていた)。


8月24日(月)

Kailash行きの件、休暇制度には合いそうにない。一方で、どう考えても休暇制度故に自分が行けない、というのも納得行かない。行き帰り共に車を使う短縮コースも考えてみるが、そんなの誰でも出来るよなぁ、などととつらつら考えているうちに、トレッキングエージェントから電話がかかってくる。思わず、「休暇の申請がダメということになったので、申し訳ないけれど、この話はなかったことにしてくれ」と言ってしまう。

言ってしまってから、後悔する。こういうあきらめのよさというか、短気はいけない。もう少し、すべての可能性を粘り強く検討した上で決断すべきだ。と、いうのはわかっているのだが。

僕はヒンドゥー教徒でもないし、チベット仏教徒でもないけれど、やはりKailshは信仰の山、そこに辿り着くために歩いて行くか、少なくとも帰りの一部は歩きたい、というのが今回の旅の計画だった。実際、事故に遭ってしまったものの、インドからの巡礼団は殆どの行程を歩いていくのだった。それが休暇制度故に出来ないというのは、...。やめよう。日本のサラリーマンの限界を感じる。30日以上の休暇なんて、それこそ会社を辞めない限り、無理だろう。でもいつかは、遠からぬ将来に、絶対に行ってやる!

気持を切り替えて、10月以降に休暇をとって(カイラスは9月一杯が限界)、エベレストへのトレッキングでもやろうか、とその方面の本を読みながら寝てしまった。


8月25日(火)

インドの南端ケララ州にThiruvananthapuram(ティルヴァナンタプラム)という、妙に長い名前の町がある。以前はTrivandrum(トリヴァンドラム)と呼ばれていたのだが、これも「ボンベイ→ムンバイ」「マドラス→チェンナイ」といった、「復古主義」の影響だろうか。

この長い名前、我々日本人には覚えづらいが、`Thiru(v)-Anantha-puram'と3つに分解するとわかりやすい。

と、いうことで、長い名前だが、日本語に訳せば、「大蛇の神の町」ということになる。

ただそれだけ。どこの国でもそうだけれど、地名には色々な意味がある。インドについては、取敢えず州の名前をまとめかけたのだけれど、残念ながら未完だ。


8月26日(水)

タミルナドゥ州でメチルアルコールを飲んだ人がバタバタ死んでいるらしい。

デリーでは、不純物が混入した食用油によってこれまた大勢がDropsy(水腫?)で亡くなっている。

さて、今日は取敢えず、これを作成した。BJP政権どこまでもつのか分からないが、状況に応じて随時更新していく予定。

色々考え直して、Kailashに行く方向で検討しようかなぁ、と思う。せっかくだし。なんとなくエベレストはまた行けそうな気がする。

短気、優柔不断、仕事の遅さ、...と、このところ反省すべきことばかり。


8月27日(木)

来週、ウッタルプラデシュ州に出張を予定しているのだが、現在同州からビハール州にかけてのガンガ流域一帯は大洪水に見舞われている。我々の出張先(州都Lucknowと発電所プロジェクトサイト)は大きな影響を受けていないので、出張自体に差し支えはないのだが、受入先の州政府が災害対策に追われていて、受入が困難、と言ってくる可能性が出てきた。

ウッタルプラデシュ州では、近々分割されて新しい州となる予定のUttarkhand(「北部地域」という意味)のヒマラヤ山麓で大規模な地滑りが多発し、死者200人を超える事故があったばかり。地滑りの結果、天然のダムが出来上がったが、それが決壊した場合、Rishkeshあたりまで大きな被害が発生する、との予測もある。

食用油中毒の被害も拡大しているようだし、政治も不安定(一部更新)だし、景気も悪いし、どうも今年は良い事がない。


8月28日(金)

食用油中毒の被害は拡大している。新聞やニュース番組によると、西ベンガル、マディヤプラデシュ、マハラシュトラ、メガラヤの各州でマスタードオイル(からし菜の種から採った精製していない油。菜種油)の販売が禁止されたとの由。デリーでは州境に検問所が立って、マスタードオイルを搭載したタンク車の通行が許可されていないとのこと。

新聞に掲載されたデリー州政府の通知によると、Argemoneが混入したマスタードオイルが摘発された由。Argemoneというのが何なのか良く分からなかったが、どうやらラテン語らしい。こういうときのインターネットと、gooで検索したらArgemone mexicanaというのが出てきた。他に出てきたページでも、大体、「何とかpoppy」と書いてあるので、どうやら罌栗(けし)の花の一種らしい。罌栗ってことは、阿片の元にもなりうる、物騒なものが混入していたものだ。

パソコン(っていうか、MS-IME)で変換すると、何故か、「からし」も「けし」「芥子」になってしまうのは困ったものだ。危ない方の「けし」は「罌栗」(わざわざ登録した)が正しい。とはいうものの、念のため辞書(当然、三省堂「新明解国語辞典第五版」)を引いてみた。

けし」として、【罌栗】【芥子】が別々の見出しで並んでいる。

【罌栗】は、

種は非常に小さく、あんパンなどに載せる。未熟な実の乳液から『あへん』をとる。[ケシ科]
とされている。

【芥子】は、

カラシナの種。ナタネ。...[種が小さいので、前項「けし」と混同が起こりやすい。]

とされていて、用例として

【芥子粒】ケシの種。
【芥子坊主】子供の髪型で、まわりを全部そり、中央だけ丸く残したもの。 」
が挙げられている。と、ここまできて、良く分からなくなってきた。「けしつぶ」というのは「罌栗の種」のことではないのか?また、「けしぼうず」というのも、「花が散ったあとの罌栗の実のような髪型」のことではないのか?それを敢えて「芥子」(=「ナタネ」)と書くのはなぜなのか?「新解さん」も酷い。「前項「けし」と混同が起こりやすい」と言っておいて、用例で人を混乱させる。

まさか、英語でいうPoppyというのは「芥子」のことか、と思い、これまた三省堂の「デイリーコンサイス英和(和英)辞典」を引いてみると、

pop'py n. ケシ(の花); ケシのエキス

と、「罌栗/芥子」問題を巧妙に避けている。ところが、折角ここまで調べたんだからついでに、と思い、同じ辞書の和英の部を引いてみると、なんと、

けし 芥子 poppy. 〜粒 poppy seed.
となっているではないか!で、「ナタネ」はどうなっているかというと、
なたね 菜種 rape; rapeseed 菜種油 rape oil

とされている。レ、レイプ!と思うが、一応そういうらしい。 また、芥子菜(からしな)は

芥子菜 [植] mustard

と、されている。

いうことで、一体何が言いたいのか、自分でも良く分からなくなってきたが、要すれば、「Argemoneが罌栗で罌栗が芥子で芥子がからし菜でからし菜がナタネで、poppyがケシでケシが芥子で芥子がmustardならば、mustard oilの中にArgemoneが混ざっていて何が悪いんだ?」ってことにならないか?ああ、自分でも良く分からない。兎に角、「三省堂よ、今インドで問題になっているArgemoneってのは罌栗なのか芥子なのかpoppyなのかrapeなのか、はたまたmustardなのか、責任とってはっきり教えてほしい!ついでにMS-IMEも紛らわしいぞ!」ということなのだ。

閑話休題。この油騒動、新聞で読んでも、テレビでみても、一体何が混ざっていたのか、良く分からなかったので、昼休みにMr SinghShashiに聞いてみた。

まず、マスタードオイルはからし菜の種から採った油で、若干辛みを伴った味がして、野菜類を料理するときによく用いられる、オレンジ色がかった油(日本でいう菜種油)。調理の他には、アチャール(ピクルス)とよばれるマサラ漬を漬け込むのによく使われる。値段的には精製油(いわゆるサラダ油)よりも安く、庶民の使う油ではあるが、野菜類の料理のためには、マスタードオイルの方がおいしい、という熱心なファンもおり、実際、Mr Singhは郷里(UP州)から直送のマスタードオイルを使っている由。

さて、混入物だが、Mr Singhによると、何と、エンジンオイルを混ぜているケースもあるらしい。エンジンオイルを混ぜると、蒸散が抑えられるため、よく道端で見かける、サモサやパコラの揚げ売りの出店などで使われていることがあるそうだ。

と、言うわけで、インドに来たら水だけでなくて、油にも気を付けよう、というお話。

で、おしまいなのだが、今晩、我が家の料理人Massiが作ってくれたインド飯は油ギトギトのMatar Paneer(グリーンピースとパニール(インド風コッテージチーズ)のカレー)と、付け合わせにこれまた油ギラギラのアーム(マンゴー)アチャール。彼のインド飯はいつも旨くて、ついつい食べ過ぎてしまうのだが、今日ばかりは今一つ食欲が進まなかった。


8月29日(土)

例によって、昼過ぎに起きだして、3時頃からアンバサダーの中の掃除。電気掃除機も持ち出して、徹底的にやったのだが、カーペットの下から、何本もネジが出てきたのには閉口した。何故か殆どが木ネジだったけれど、一体どこから来たのだろうか?

さて、夕方、武貞夫妻とDil Seという、Shah Rukh Khan, Manisha Koirala主演の映画を見に、Chanakya Cinemaに行く。

ストーリーのあらすじ

All India Radioの記者であるAmar(Shah Rukh Khan)は、インド北東部(アッサム?)に独立50周年の取材に行く。そこでMeghna(Manisha)とすれ違い、一目惚れする。取材を通じて、必ずしも50周年を喜んでいる人たちばかりではないことを知り、分離独立を企図するゲリラの秘密基地の取材も行う。町で偶然Meghnaと再開したAmarは彼女のことを追いかけ、彼女の村まで辿り着き、Dil Se(心の底から)と言って彼女を口説くが、「他の男と結婚することになっている」とのそっけない返事。その後、町に戻ったAmarは彼女から呼び出しを受け、彼女の取り巻きらしき男たち(ゲリラの仲間)にボコボコにされる。
それにもめげず、Amarは彼女が郵便局からかけていた長距離電話の先を探り出し、ラダックのレーに辿り着く。レーでは祭りの取材をしていたAmarだが、祭りの場でテロリストが軍によって射殺される事故が発生し、その場で(またしても)偶然再会するAmarとMeghna。AmarはMeghnaに結婚しようと迫るが、「(自分には)時間がない」と言いつつ、忽然とAmarの前から姿を消すMeghna。
Meghnaのことを諦めたAmarはデリーに戻り、お見合いで結婚を決める。婚約祝いの場にMeghnaが現れ、(この辺良く分からなかったが、)Amarの家の居候となる。Amarはお見合い相手とそれなりに盛り上がり、場面は突然ケララのBackwaterへ(と、この辺、ストーリーとあまり関係なく場面が変わる)。
実は反政府ゲリラで、1月26日のRepublic Dayのパレードで爆弾テロを計画しているMeghnaなのだった。Meghnaがまだ十代の頃、彼女の故郷はインド軍に制圧された。家族が殺され、彼女は陵辱された。復讐を期して反政府ゲリラに身を投じたのだった。
テロ計画を嗅ぎ付けた当局と、Republic Dayに向けてテロ計画を着々と進めるゲリラ側と双方から追われるAmar。一方、Amarへの思いを断ちがたいMeghnaはテロ当日の「人間爆弾」として選ばれたのだが、...。

という、悲恋物語。

監督のMani RatnamはBombay(これもManisha。日本でロードショー公開された)で知られる。社会派のテーマを織り込みつつ、美しい映像を撮ることに定評がある(らしい、新聞によると)。

映像はアッサムにしても、ラダックにしても、ケララにしてもどれも美しい(但し、ラダックとケララは何で必要だったのか良く分からん)。Bollywoodの定番、歌にあわせての群舞は一回だけ。何と言ってもManishaがきれいだった。常に翳を感じさせる役で、どちらかというと無表情に近く、余り笑ったりする場面はないのだが、ふと見せる笑顔がかわいい。翳を伴った美しさ、という、まさにはまり役、と言う感がある。結構Exposingな場面があって、細面だから手足も細いのだろうと思っていたら、結構手も脚もゴリッパだったのは驚いた。フラれてもフラれてもめげない男、Shah Rukh Khanも上手かった。インドの男前の基準でいったら、彼は、どこにでもいそうな、隣のアンチャンという感じがするのだけれど、そこが良いのだろうか、最近のヒット映画は大体Shah Rukh Khan主演なのだ。

さて、この映画は、何と、"Strictly Adults Only"指定なのだった。結構期待していたのだが、見終わってみると、どこがStrictly Adultsだったのか、良く分からない。確かにManishaの背中が見えたような気がした(その程度の一瞬)入浴シーンがあったけれど...。Angaarayにはキスシーン(これもほんの一瞬)まであったのに、何にも指定はなかった。どうも基準が良く分からん。

Strictly Adults Onlyと言いつつ、そこはインド。入場制限が非常にいい加減で、金持ち家族が多い2階席は子供だらけ(1階席に入りそうな貧乏人の兄弟連れなどは弾きだされているのもいた)。最初のうちは歌とか踊りとかがあったのでよかったが、後半になって、心理描写が多くなってくると、みんな飽きはじめたのか、ギャーギャー騒ぎ始め、一体どこがStrictly Adults Onlyやねん、と文句言いつつ見ていた我々であった。もしかしたら、「子供は絶対飽きるので、見るべきではない」と言うことだったのだろうか?それとも、テロとか反政府ゲリラという題材が子供に見せるべきではない、という配慮があるのだろうか?

映画の後、晩飯を食べつつ、武貞君の大家が今晩十時半からDJを呼んで、ディスコを兼ねたガーデンパーティーを開くという話を聞いて、それは真夜中過ぎまでうるさくて寝られないだろうご愁傷様、という話をして、うちに帰ってくると、何とうちはうちで、隣の大邸宅でガンガン音楽をかけてのパーティー騒ぎ、結局1時過ぎまでうるさかった。

全くもって、金持ちというのは周りの迷惑を考えず、やりたい放題でけしからん!


8月30日(日)

今日は例によって、グダグダした日曜日。何にもせずに終わるのもシャクなので、床屋にいったら、床屋でプリヤ(青)を見つけた。どこで買ったのか聞いたら、Khan Marketだという。これまでINAにしかないと思っていたのだが、プリヤは静かにその触手を拡げている!

その後、スポーツクラブにいって、帰りにINAマーケットでトマトと洋なしとマンゴーを買って帰る。マンゴーはウッタルプラデシュ州のラクナウ産との由。

油問題続報。新聞によると、汚染されたマスタードオイルの影響で、現在までのところデリーだけでも死者23名、入院患者200名を超えるという。一説では入院患者は1,000名を超える、とも言われる。また、National Diary Development Boardという、政府系の食品会社の食用油からもエンジンオイルが検出された。

今日のHindustan Timesから。Vanaspati Ghee= (合成)植物油/Desi Ghee= 純粋ギー(バターを精製して作る油)

このような状況下、インドの街角でよく見かける、揚物売の出店(パコラとかサモサなど)から客足が遠のいている。また、マスタードオイルよりも高価な油を使う事を余儀なくされているため、儲けがその分圧縮されて困っている由。

この油被害、過剰反応する必要はないが、取敢えず道端の屋台系の揚物類は避けておいた方が良いかもしれない(コウイウノガイチバンウマインダケドネ!)。


8月31日(月)

油被害は死者が30名を超え、被害は拡大している。この件についてはArgemoneが一体何者なのよく分からなかったが、今日Argemone(ヒンディー語ではSatyanashiと呼ばれる)について、新聞記事を見つけた。テクニカルタームが多すぎて、三分の一位しか分からなかったが、大体以下の通り。

インドで、局地的にDropsy(水腫、消化器疾患、嘔吐、高熱、発疹、貧血症の複合症状)が流行する減少は古くから見られていたもので、ベンガル地方では1935年に1,500人以上が死亡した。Argemoneの種子から取れた油ととの関係については、1926年にベンガル地方の医師によって確認されていたという。

Argemoneとは、(日本ではアザミゲシと呼ばれる)、葉・茎・実全体に細かい棘がついているケシの花のことで、北アメリカ原産であるが、人間の移動と共に全世界的に広がったもの。一年生の草木で、黄色い乳液をもち、花は黄色、白、もしくはオレンジ色である。その種子はマスタードシードに外見が似ている。また、マスタード畑の周りに自生しているものが混入した可能性も排除出来ない。

種からは、吐き気をさそうような、苦みのある、食用には適さない油が取れ、通常は皮膚病の治療に用いられる。また、亜麻仁油などと混ぜて、塗装用にも用いられる。

この油は安価であることから、マスタードオイルを主に使っている地域では、悪徳商人たちがマスタードオイルに混入して安価な油を売ろうとするケースが後を絶たず、その都度Dropsyが発生してきた。Argemoneの種子には、他のケシ類と同様、アルカロイドが多く含まれており、これがDropsyをもたらすのみならず、脳や眼球にも作用し、最悪の場合、視覚を失う可能性もある。

エンジンオイルの場合には、鉛が含まれているため、これも人体には極めて有害でむしろArgemoneよりも害は大きい、との指摘もある由。