- 12月21日(月)
- 何とも眠い眠い一日であった。昨日の深夜というか、今日の早朝、六時位までのらりくらりと仕事をしていたので、無理もないのだが、日中眠い眠いといいつつも結構仕事は捗ったのであった。昨日のアドレナリンがまだ残っていたのだろうか。
あぁーあつかれたなぁ今日は早く寝よう、と思いつつ八時半過ぎに帰宅して、コックのMassiが作っておいてくれた飯をチンする(*)。さて腹減ったよなぁサッサとテーブルに運んで食べよう、と思った矢先、ここのところ一週間程の宿敵が目に入った。ゴキブリである。
このアパートに住み始めてからもう二年以上になる。当初、前の住人から引き続いて食料倉庫として使っている部屋に、毎晩のように大型のチャバネゴキブリみたいなものが出現したので、毎晩帰宅してから五分程をゴキブリ掃討に費やしたものだった。三ヶ月もすると出現頻度も少なくなり、最後にとどめのバルサンを焚いて、勝利を祝ったのだった。その後約一年の間、ゴキブリの出現は無くなり、完全勝利を納めたものだと思っていた。
ところが、今年は涼しくなるころから、台所にゴキブリが出現するようになったのだ。これは前のと違って小指の先位の小さなゴキブリなので、最初のうちは、まぁ、かわいいもんだ、というので見て見ぬ振りをしていた。
しかし先週、真夜中(ゴキブリは午前二時頃が一番活発なようだ)に台所に入ったら、何と十匹以上があちらこちらでウジョウジョと動きまわっているではないか。これを見て俄然私の闘争心が再燃した。
一年以上も使われずに打っちゃられていたハエ叩きを持ってきて、真夜中の近所迷惑であるにも関わらず、バシバシバシバシバシとゴキブリの掃討を再開したのだ。キャビネットのドアの裏側に張りついているゴキブリに逃げる暇を与えないために、素早くドアを開き、有無を言わせずバシン!、叩けないところに逃げ込んだものには必殺の突き攻撃!、とその晩だけで二十匹近い掃討成果を上げたのだった。しかし、翌日もその翌日もゴキブリは出現する。その度に何十回も振り回してゴキブリ退治をしているうちに、ハエ叩き(日本製の「ピンセット」までついている高級品(?))がとうとう昨日になって壊れてしまったのである。
と、いうことで、今日敵が出現した時には当方丸腰だったのだが、人間様を嘗めてはいけない。こちらには、「ゴキブリフマキラー」という秘密兵器もあるのだ。丁度ゴキブリが一匹這い出してきた隙間があったので、そこにスプレーを噴射する。すると、何と十数匹が苦しい苦しいと転げ出してきたではないか!正直言って、これには驚いたが、同じような隙間めがけて噴射するとそこからも十数匹が転げ落ちてきて、この秘密兵器のお蔭で労せずして三十匹もの成果を上げることが出来た。敵の隠蔽陣地も明らかになり、これで明後日にでもバルサンを焚けば台所でもゴキブリに勝利を収めることが出来る!
そうこうしている間に、チンした飯は冷えてしまっていたのだった。
(*)この「チンする」(=電子レンジにかける)という言葉は、「電子レンジ」が比較的新しいものであるにも関わらず、最早口語日本語として定着しているような気がするが、一体どうやって広がっていったのだろうか?因みに、「....する」という表現はヒンディー語にもあって、ほぼ日本語と同じように使えるので至極便利なのだ。「仕事する」、「電話する」とか正にそのまま。
- 12月20日(日)
- 今日は何かとアドレナリンが高くなりがちな一日であった。
プレー中に前後のグループとの間で生じた出来事を原因として過剰発生したアドレナリンのお蔭で、半年ぶりにやったゴルフは散々になり、その結果、出張者の空港出迎えに遅れて、デリー市内〜空港〜デリー市内と車で走り回る羽目に陥ったり、兎に角散々な一日だったのだが、家に帰ってシャワーを浴びてビール呑んだらすっかり幸せになってしまった。現金なものである。
そういえば、幸せになってしまった原因の一つに、インド風の焼きいも(?)がある。インドにもサツマイモがあるのだが、これを蒸したものを一口大に切って、それを器に入れて、そこにレモンの汁とチャートマサラと呼ばれる生野菜にかけるタイプのマサラをかけて、器ごと揺すってマサラとレモン汁をイモに絡ませたら出来上がり。
この季節、街角では、太いサツマイモを丸いざるの周りに並べ、真ん中に置いた炭火と線香から煙を出しながら、この「インド風焼きいも(ヒンディー語で何というのか、忘れてしまった)」売っている売り子の姿がよく見かけられ、「秋から冬の風物詩」と言っても良い。女性がよく買っているようだ。
アドレナリンが収まりつつあった夕刻、急にこれが食べたくなったのだが、運悪しく売り子が見つからなかったので(「夏の風物詩」トウモロコシといい、このイモといい、路上で売っているものは食べたいときに限って見つからない)、自分で作ろうと思い、近くの八百屋からサツマイモを買ってきた。一々蒸すのは面倒だし待てないので、イモをラップに包んで電子レンジで4分程加熱して蒸しいもを作り、レモンとマサラを加えて、ビールのつまみにしたらビールに輪をかけて幸せになれたのだった。
幸せになったのもつかの間、日曜日も終わらんとしている今になって、月曜の朝までに片づけなければいけない仕事を思い出してしまった不幸な私!
(とあるご指南役のご指摘を受けて、ページを少しだけ見やすくしたつもり。師匠、上手く行ってるでしょうか?)
- 12月19日(土)
- 先週の日曜日に書いたように、今回の年末年始の休みには、「二等列車によるインド縦断エセ貧乏旅行」をやろうと思っていて、そのために今日、ニューデリー駅に切符を買いに行った。いつもならば、エージェントに頼んでしまうのだが、そもそも今回は切符を買うところから自分でやってみよう、というのが自分に課した課題でなのだ。
ニューデリー駅の2回には外国人専用の「緑の窓口」のようなものがある。先週の日曜日の項には、「10年前にどうやって列車の切符を買ったのか」忘れてしまった、と書いたが、この「緑の窓口」に行ったら、「あぁ、ここかぁ」と、昨日のことのように思い出した。言い換えれば、10年間何も変わっていない(ようだ)、ということだ。
列が2つに別れており、向かって左が「ルピーによる購入」、右が「米ドルもしくは英ポンドによる購入」である。
最初何だか良く分からず、その辺に座っているおニイチャンにペンを借りて、申し込み用紙に記入してから、ルピーの列("Indin Rupees with Encashment"と書いてある)に並んだ。文字どおり十年昔日の如く、窓口のオッサン、オバサンはコンピューター端末(これは10年前には無かったかも知れない)を使いつつも、マイペースでノラリクラリと客をさばいており、20人位ある列が片付いて僕の番がくるまでに1時間位かかった。比較的テキパキと客をさばいているオジサンがおり、そのオジサンのところに行こうと腰を上げかかったら、オジサン、突然立ち上がり、「自主休憩」に突入、部屋の中で移動してどこかに電話をかけはじめた。
まぁ、次は俺の番だし、隣のオバサンもよく見れば結構テキパキこなしてるじゃないか、と思って見直しているうちに、眠そうな"Next please"との声が掛かり、オバサンの窓口へ。Mangala Expressという、アラビア海沿いに開通したKonkan Railwayを通ってケララ州のErnakulamまで行く列車を予約しようと思ったのだが、オバサンがコンピューターでチェックしてくれたところによると、売り切れとの由。オバサン眠そうに、何処までいくのか、と聞くので、Kanniya Kumariに行く積もりだ、というと、二つ返事で、そんならKerala ExpressにしなよKanniya KumariならKerala Expressの終着のTrivandrumから近いから、と教えてくれる。実はそのオプションは既に考慮していて、Mangala ExpressならKerala Expressよりも一日早くケララに着けるので、Mangalaの方がよかったのだが、しかたなく、Kerala Expressに切り替えることにした。
じゃぁ、パスポートとEnchashment出して、と言われるので、取敢えずパスポートを差し出すと、ふーん、あんたのビザ12ヶ月なんだぁ、と言われる(規則上は、この外国人ブースは6ヶ月以下の滞在者に限定されている)が、そこはまぁいいか、といった感じで、次に、Encashmentは?、と聞かれた。Encashmentって何だ?と聞き返すと、外国為替の証明書だと言う、僕はここの住人なので、特に証明書みたいなもの持ってきてないんだけれど、というと、じゃぁ、この列じゃだめ、あっちの外貨専用の列に行ってちょうだい、と言ったその次には、"Next please"と叫ばれてしまい、次の人が来たので、文句をいうことも出来ず、すごすごと外貨専用の列に並び直す。
これがまた、20人位並んでいるのだが、ルピーの列に輪をかけてノラリクラリとやっておる。窓口は3つあって、3つとも比較的若くて見たところテキパキやりそうなオニイチャンがやっているのだが、何だか外貨(これがドルとポンドに限定されているのも何ともアナクロなセンスではある)で購入する場合には、特別の帳面に、「どこの誰がどこにいくための切符のためにどの通貨のどの額面を何枚使って支払いをしたのか」、を記入し、且つ、その帳面のページが新しくなる時には、その時点でそれぞれの通貨のそれぞれの額面が何枚ずつあるかを確認しなければいけないらしいので、それで時間がかかっているのだ。
時刻は午後4時45分、この窓口の残り時間はあと15分のみだが、外貨支払の列にはまだ15人以上並んでいる。ふと振り替えると、自主休憩のオジサンが復帰したルピーの列はどんどん進んで、もう4、5人しか残っておらず、件の眠そうなオバサンなどはもう帰り支度を始めている。窓口全体の責任者らしいオッサンが、「こんな調子だったら6時半位までかかっちまうじゃないか!」と言うと、オニイチャン達がテキパキとし始め、処理のスピードがどんどん上がっていき、10分もしないうちに僕の順番となった。
僕の担当のオニイチャンは中でも一番テキパキしていて、威勢もよい。殆どパスポートも見ずにすぐに処理してくれた。
と、いうことで、2時間かけて並んだ結果、Kerala Expressの二等寝台(2nd Class 3 Tier)切符〆て501ルピー也、を手に入れることが出来たのだが、一般の二等列車窓口で並んだ方が早かったかもしれない。
まぁ、そもそも外国人専用窓口なんてものがあること自体おかしな話ではあるのだけれども、元々は外国人の便宜を図ろうとして始まった仕組みのはずで、そこでドルとポンドしか使えないこと、ルピーで買おうと思ったら外国為替証明書が必要なこと(闇両替対策なのだろうが、昨今ブラックマーケットを使うメリットなんてそんなにないはず)、など、全く時代遅れのシステムになってしまっていて、結果としてanother layer of bureaucracyと化してしまっているのではないか、という気がしてならない。こういうのは鉄道のみに限った話ではなく、要するに、制度が本来果たすべき役割を果たさずに、制度そのものと制度に付帯してくるものを守るためのみに生き残ってしまっているものが多すぎるのだ(日本でもそうだけれど)。
何はともあれ、休暇の切符が手に入ってラッキーではある(キミ、スナホニヨロコビタマヘ!)。
- 12月18日(金)
- JICAの電力セクターの専門家として赴任されたYさんと打ち合わせ。インドの電力セクターの状況とOECFとして考えていることについてご説明する。
明らかに当方準備不足で、話のまとまりがなく、右行ったり左に行ったりで誠に申し訳なく思う。これはWebの影響が大きいと思うのだが、このところ自分が誰かに何かを説明しているときに、「あっ、この話はあれに関連しているな」と思うと、まるでWeb上でリンクをクリックするかのように、すぐに「あれ」の方に話が飛んでしまって、本題からどんどん外れていってしまう、という癖があるようだ。
でも、(これもWebと同じように)何時の間にかキチンと本題に話題が戻っていたりして、一体俺の頭の構造はどうなっているのだろうか?と思うことしきりである。
新聞に、我が社と日本輸出入銀行の統合後の名前が「国際協力銀行」になる、との記事が掲載された。そもそもこの統合自身何で決まったのか良く分からんものであり、今回の名前についてもどのように決まったのか背景はよく知らないが、来年10月以降この俺が「行員」かよ、と思うと何とも変な(正直言って嫌な)気分である。キョウビ、銀行員ほどやくざな商売はないと思うのだが。
- 12月17日(木)
- 昨日の夜の便で東京に一時帰国する、と聞いていた、とあるコンサルタントの方から電話があった。何と、昨晩空港には行ったが、午前2時過ぎまで待たされた挙げ句、「濃霧のため離陸出来ず、フライトは延期」と言われて引き返してこられたとの由。
この季節のデリーは連日のように霧がでる。僕の素人考えでは、気温の日較差が激しく(最高25度、最低5度など)、冬になると風が吹かなくなり、そもそも霧が出易い条件が整っているところに排気ガスなどを原因としたスモッグが発生し、本来の霧だかスモッグだか分からない(恐らく大半は後者)濃霧が発生する、ということなのだと思われる。今朝の通勤時の視界は恐らく100mを切っていただろう。
新聞などで良く言われていることには、デリーの大気汚染は、スクーター、オートバイ、オートリキシャ、乗用車、バスなどの排気ガスを主因としているとの由。所謂中産階級(実感としては、スクーターを買うことの出来る層を下限とし1000ccの車にやっと手が届く層を上限とする。因みに一番売れているスズキマルチは800ccである。)が増大し、車の所有は特殊なことでなくなってきた。一方、有効な大量輸送システムが欠如しているため、自家用車による通勤が一般化し、排ガスの増大・道路混雑の悪化に繋がっている。また、スクーター、オートバイなどはツーサイクルエンジンを使っており、これらの排気(エンジンオイルも含まれる)が特に有害である。バスやタクシー(アンバサダー)・トラックなどのディーゼルエンジン(ディーゼルはガソリンの訳1/3の値段に抑えられている)は性能が悪く、これらも大気汚染に一役を買っている。
これらの問題に対する一つの方策として、OECFは円借款でデリー地下鉄プロジェクトを支援してきているのだが、僕は個人的にもう少し別の、もっと有効なアイデアを持っているのだ。それを固めるために、デリーの大気汚染についてどのような資料がありそうか、取敢えずWebを検索してみたところ、意味の有りそうなサイトを以下に見つけた。勉強しようと思う...けれど、もう午前3時前。眠いので寝る。
- 12月16日(水)
- 国会で核実験後のインドの外交が議論され、Vajpayee首相と、先日就任したJaswant Singh外相が質問に答えた。
上院におけるVajpayee首相の答弁は、核実験後これまでにJaswant Singh氏を中心に行われてきた対米交渉の状況を概説したもの。この後、普段はソフトな語り口で知られているJaswant Singh氏が首相の答弁を補足したが、米国の態度について、「(自分たちがやっていることと逆のことを説教するという、)受け入れることの出来ないものであり、その傲慢さには驚かされる」と極めて厳しい口調で米国を批判した。
BJPの背後には、Rashtriya Swayamsevak Sangh(RSS: 直訳すると「全国ボランティア奉仕団」。日本語では「民族義勇団」などと訳されている)を始めとするSangh Parivar(「奉仕団ファミリー」)と呼ばれるヒンドゥー教至上主義団体があり、両者は一応独立しているものの、RSSのBJPへの影響力は計り知れないと言われている(どこかの国の某党と「学会」と自称している団体の関係に似ている)が、もともとVajpayee首相(自身もRSS団員である)やJaswant Singh外相は政治・経済面でSwadesh(「国産」)主義を標榜しているRSSとは距離を置いていると言われている。
つい先週も、国が独占している保険業を外資を含めた民間に開放し、現在財政赤字の補填が主な使途と化してしまっている保険資金をインフラ等の生産的な投資に回すための第一歩となる「保険規制機関(Insurance Regulation Authority)」設立法案について、RSSから、外資を認めることはまかりならん、との横槍が入って、BJP党首が同法案に反対である趣旨の発言を行ったため、一時はBJP党内の意見が二分されたが、最終的にVajpayee首相が押し切り、当初法案通りの40%を上限とした外資の導入を認めるラインでの法案を上程した(その結果、保険業労働組合が「キチンと収益を上げている我々国営企業が民営化されるのはおかしい」などと主張し、全国ストライキに入っているが、アナクロな主張だ)。
Vajpayee首相としては、18党の連立与党の維持にプライオリティーを置く必要があり、そのためにはRSSの主張をそのまま呑込む訳にはいかない、という事情もあるが、RSSの意向を完全に無視する訳にもいかない。と、言うわけで、一体何が言いたかったのかというと、上記Jaswant Singhの発言は、RSSへのリップサービスだったのではないか、というどうでもよい勘繰りなのであった。
因みに、Jaswant Singh氏はJodhpurのマハラジャ家の出身であって、私の大家だ(これが一番言いたかったことか?)。
- 12月15日(火)
- ノーベル経済学賞を受賞したAmartya Sen教授がインドに里帰りしてきた。テレビで見る限りでは、(英国から?)直接カルカッタ入りしたSen教授は非常にリラックスしている感じだった。
Sen教授の母親はこれまたベンガル出身のノーベル賞受賞者であったTagoreの秘書であった縁から、Sen教授のAmartya(この世のものを超越する、という意味)という名前はTagoreに授けられたものである。Sen教授の母親は非常に高齢だが今でもTagoreが設立したShanki Niketan(平和の村)に健在で、ニュースによるとSen教授も短期間バングラデシュの首都ダッカに立ち寄った後、Shanki Niketanでゆっくり過ごす、との由。インドではSen教授を「ノーベル賞を受賞したインド人」として歓迎している訳だが、バングラデシュ(及びインドの中でも西ベンガル州)では「ノーベル賞を受賞したもう一人のベンガル人」として熱烈歓迎することになるのだろう。
と、Sen教授のことをWebで調べていたら、一応僕も経済学徒の一人であった、ということに気がついた。経済学の知識も考え方もすっかり錆付いてしまっているが、これを機会にすっかり「積読」になってしまっているSen教授の本でも読んでみるか、と思う。この俄か経済学熱、一体いつまで続くことやら。
その外、Sen教授のノーベル賞関連のページはここ(英語:リンク豊富)やここ(日本語)がある。
- 12月14日(月)
- 12月10日の項に記したインド全国高速道路網構想について、3日間の予定で開催される国際会議に出席する。国際会議ということで、会議場の外には、インド各州の民族衣装を纏った若い女性が居並んでそれぞれの州の踊りを踊って参加者を歓迎していた。如何にもインド的なホスピタリティーであって、まぁ、ちょっと見ただけでも、各州こんなに色々な衣装があるのかと面白いが、インドもそろそろこういうの止めにしてもいいのになぁ、と少し思った。寒空の下、軽装の民族衣装をまとった女性達(多分各州からデリーに派遣されてきている官僚の子女なのだろう)が如何にも寒そうで気の毒だ。
会議場で、4年程前某省に出向していた時にお世話になった道路分野の専門家の方に偶然再会。先方もこちらのことを覚えていて下さっていて、やぁやぁ、と握手を求められた。この日記にはそういう形で再会した方々が既に数名登場されているが、日本でならばともかく、インドくんだりまで来て4年ぶりに再会するというのは、正に奇遇だ。
それにしても、4年以上も前にほんの一瞬なりとも相見えた方々皆さんが僕のことを覚えていて下さるのは、本当に有り難いことである。
- 12月13日(日)
- この年末年始の休みを利用して実行しようと思っている「二等列車によるインド縦断の旅」の計画を立てるために、時刻表を買いにニューデリー駅にいった。10年前にやった「貧乏旅行」を再現してみよう、という魂胆なのだが、10年前にどうやって列車の切符を買ったのか、どうやってバスに乗ったのか、全然思い出せない。時刻表を買ってみて、その思いを強くした。そもそも時刻表の見方さえ良く分からないのだ。
さて、10日間の予定で何個所を回ることができるか?Thiruvananthapuram(Trivandrum)と、インド最南端のKanniya Kumariは必須で、その後、Chennai(Madras)とBhubaneshwar、出来ればPuriも行って、カルカッタ経由飛行機でデリーに戻る、という素案は持っているのだが、列車でいくとThiruvananthapuram(舌を噛みそうだが、Thiru+vananta+puramと分ければすぐに覚えられる)まで3日、Kanniya KumariからChennaiまで1日、Chennaiからカルカッタまで2日、ということで、これだけで6日もかかってしまう。いずれにせよ休暇は最大でも10日しか取れないので、この「インド一周」コースをやるためにはどこかで飛行機を使って妥協しなければならなくなる。
折角インドに来ているのに、自由な旅もままならない。宮仕えなる身、何とも窮屈なものだ。あぁーあ!
- 12月12日(土)
- Madhuの結婚式のページと、もう一つ、近々公開予定のページを作成したら、目もショボショボしてきて、結構疲れた。
夕刻、STAR TVで、96年の大ヒットだったRaja Hindustaniを見る。Karishma Kapoorは、踊りが上手いのは定評のあるところで、良く分かるのだが、どうも好みのタイプではない。というか、彼女はインドの水準からいって、美人の類に入るとは思えないのだけれど、彼女を見るたびに踊りの上手さ以外に何がいいのかと思ってしまう。
完全に僕の好みの問題かも知れないが、Madhuriとか、Tabuの方がずっと美人で、且つ色々な役回りを上手くこなすことが出来ると思うのだけれど。
- 12月11日(金)
- 今日はMadhuの結婚式(写真はここ:相当重いので注意)があった。まず、簡単にインドの結婚式の式次第を説明しておこう。
インドの結婚式(当日のこと。これに先立って、婚約式とか色々な儀式がある)は、大体が夕刻に行われる(シク教徒は日中)。結婚式の日取りは星占いなどで縁起が時が選ばれる。
当日の儀式は花婿一行の行列で始まる。白馬にのった花婿が、楽隊、電飾隊と一族郎党に先導されて、結婚式場へ向けて行進するのだ。楽隊がボリウッド映画の音楽やナンヤカヤをにぎやかに鳴らし、電飾隊がランプやむき出しの蛍光燈などを担いで行列に付き添う。行列の中ほどには、一族郎党が音楽に合わせて思い思いに踊りながら進んでいく。
一方、花嫁の方は式場(式のアレンジ全般は花嫁側の負担で、招待状も花嫁側から出される: 伝統的には花嫁の家に花婿が「嫁迎え」に行ったことの名残とも)の一角で家族と花婿の到着を待つ。花婿が式場内の壇上に到着したところで、花嫁が壇上に向けて歩き出し、壇上で二人がそろったところで、首にかける花輪が交換され、みんなが花びらなどを投げかけて祝福する。その後、家族、友達などが次から次へとお祝いの言葉を述べつつ、御祝儀袋やお祝いの品を渡していく。その間、ひっきりなしにビデオや写真の撮影が続けられる。
これが一巡し、星占いで定められた縁起の良い時刻になると内輪で結婚の儀式が行われる。これは、ヒンドゥーの僧侶が取り仕切る儀式で、火の周りを衣装を結び付けた花婿花嫁が七回回り、火の神アグニを証人として、七つの誓いを立てるもので、その七つの誓いとは、
- 「お互いうそをつかないこと」
- 「お互い隠し事をしないこと」
- 「お互い...
と、書き出して、残りが何だったか忘れてしまった。勿論、今のところ自らのこととしてインドの結婚式を経験していない僕にとっては覚えたところで使いようがないことなのだが、来週にでもオフィスの既婚者に聞いてみることとしよう。さてみんなどれくらい覚えていることか?
これが終わると、花婿が花嫁の首に結婚をした証の首飾りをつけて儀式はおしまい。
その後、花嫁は花婿の家へと(伝統的にはdoliと呼ばれる輿に乗って、最近は車で)出発する。結婚の儀式が何時に行われるかにもよるが、大体これが終わるのが真夜中である。
さて、Madhuの結婚式の招待状には、19:30に花婿の行列が到着し、23:00に花嫁の出発ということになっていたが、大体花婿の行列の到着は遅れるものなので、結婚式に招かれた場合には適当に遅れていくのが利口だ。僕は20:30に現地に着くように家を出て、丁度20:30に現地についた。案の定、花婿の行列は到着していない。この日の式場は、デリー南部のファームハウス(郊外の別荘地のようなもの)を借り切って野天の下行われたのだが、僕が着いた時には、専ら花嫁側のお客さん達が気温10度を切ったかと思われる寒空の下、所々に焚かれた火を囲んで花婿の到着を待っていた。21:00位にやっと花婿が到着し、10分程して花嫁姿のMadhuが静々と壇上に進み、一連の行事が始まった。
伝統的な結婚式では、花嫁は式ではニコニコしたりせずに出来るだけ無表情を保つのが美徳とされる。ところが、この日のMadhuは始終幸せ一杯といった様子で、ニコニコしっぱなし。普段ならちょっとからかってやるところだが、彼女のお祝いに免じて止めにした。因みにMadhuと花婿のAvinashは数年越しの恋愛の後の結婚との由。
順繰りにお祝いをいって、御祝儀を上げてしまうと、実のところ我々参列者にはもうあまりやることはなくて、専ら準備された食事を楽しむこととなる。この日の参列者は恐らく500人程、この大人数の食事をどう作っているのかと思って、キッチンテントに行ってみた(写真はここ)。20人程のスタッフが働いており、配膳係のボーイ達が行ったりきたりしており、いかにも舞台裏、といった感じで忙しそうだった。その後、オフィスの女性たちのサリー姿(こういった場以外では中々見られない)を写真に撮ったり、子供たちの写真を撮ったりした後、もう一回Madhuにお祝いを言いに行って帰宅。家についたのは23:30頃だった。
- 12月10日(木)
- 夕方こちらの運輸省に行って、10月のVajpayee首相の演説から始まって、昨今やたらと盛上っている、「7,000km高速道路建設構想」について色々話を聞くと共に意見交換をしてきた。
そもそも構想の是非や、実現可能性、一般国道整備との優先順位づけなど、色々な課題が多いのだが、運輸省のカウンターパートは「基本的に楽観的に考えてなきゃやってられない」といった感じだ。
話を聞いていて、慎重に検討すべきことが多い(=これは「役人言葉」では「殆どダメ、可能性なし」という意味なのだが)と思ったのだが、よくよく考えてみると、日本でも(善し悪しとそもそもの実現可能性は別にして)「所得倍増計画」、「日本列島改造計画」とか何とか色々怪しげなスローガン・掛け声を唱えていた時期があったわけで、今のインドも丁度当時の日本と同じような段階なのかなぁ、と、楽観的に語っていたカウンターパートの出っ歯のオッサンのことを思い出しつつ、妙に納得したりする。
こういう、インドの人たちのおおらかで楽観的な姿勢(「絶対楽観」と呼びたくなる)は、学のある無しとか、カーストなどを超えて共有されていて、プロジェクトの実施段階ではスケジュール管理の甘さにつながり、後々で色々な問題の種になるわけだが、一方で、みんながこんなに将来に対して楽観的である限りはこの国は大丈夫だ、と思ったりもする。インドに限られたことではなく、開発途上国何処にいっても同じかも知れないが。
- 12月9日(水)
- 今年の冬は去年一昨年に比べて暖かいようだが、流石に朝晩は寒くなってきた。多分夜は10度近くまで下がっているのではないか。
11月の中頃から夏布団から毛布に切り替えたのだが、毛布一枚では寒くなってきた。家を出てからそのことを思い出したので、家に電話して、メイドのPushpaに「あのさ、ヒンディー語でなんてぇんだかよくわかんないだけど、ブランケットじゃなくて、英語ではDuvetとか呼んだりするんだけど、ブランケットよりも重くて大きいやつ、分かるかなぁ、そうそう、キャビネットの上の方にしまってあるやつ、もう寒いから、あれを今晩から使いたいんで、キャビネットから出して日に干してからベッドに敷いておいておくれ」、と我ながら無茶苦茶なヒンディー語で頼む。ちゃんと伝わったかどうか、不安である。帰ってみたら、何処からか引っ張り出してきたカーペットなんかがベッドの上に敷いてあったらどうしようかと思ってしまう。
夕方帰って見ると、キチンと干した掛け布団がベッドの上に敷かれていて、安心すると共に、俺のヒンディーもまぁまぁだな、と自己満足に浸った私。最近我が家の使用人殿達との会話の80%はヒンディー語なのだ。やれカネ貸してくれとか、給料上げてくれ、とか、こっちに都合が悪いときにはすかさず英語しか話さないSaabに戻るのだけれど。
- 12月8日(火)
- トレッキング(いつになったらまともな内容が出来上がることやら)の最後の部分と、Diwaliやオフィスの様子などを撮ったフィルム(スライド)の現像が出来上がってきたので、フィルムスキャナで読み込もうとして、SCSI接続する。ところが、例のごとく、SCSIが認識されない!ナンダカンダやって、やっと繋がったのが12月9日の午前2時過ぎ。
次キチンと繋がるのはいつのことか分からないので、眠くてフラフラになりながら、20枚近くスキャンする。Diwaliの写真は我ながらよく撮れていると思う。
それにしても、SCSIだパソコンだと、ナンダカンダ偉そうに呼ばれてはいるが、所詮は機械。「言うこと聞かずに期待された能力を発揮しない」のは、それが人間であれば許せるが、それが機械の場合は、使いたい時に言うことを聞かない、というのは許せない、と毎度のことながら思ってしまう。
- 12月7日(月)
- エベレストの本からはしばし離れて、昨日から、Upamanyu Chatterjee English August, Penguin Books.を読みはじめた。もっと前に読んでおくべき(?)本の一つだったのだが、専ら「積読」派なので、買っておいて、本棚で熟れさせておいて、熟れに熟れてもう落ちそう、というところでやっと読む、というのが僕の本の読み方で、この本もその類に入る。
文体は昔読んだHanif KureishiのThe Buddha of Suburbiaを思い出させるものがある(これは自慢ですが(笑)、結構インド系の英文学は読んでいるのです)。Hanif Kureishiはロンドンのインド系コミュニティーの話だったが、このお話はインドの高級官僚(IAS: Indian Administration Service)に「なってしまった」青年が、訓練の一環として田舎町で1年間行政官を勤める経験を綴ったもの。作者自身がIASであり、相当部分実体験を踏まえた物語になっているものと思われる。田舎の役場の雰囲気など、インドに来たばかりでは読んでもイメージが湧かなかったのではないかとも思われ、ここまで「熟す」のを待っておいてよかったなぁ、と思う。
- 12月6日(日)
- 今日は、バンガロール・カニンガァムロード物語という、バンガロール在住日本人とその関係者のWeb Pageを通じて知り合ったVinayさんと夕食。
所謂「オフ」というのか、ネットで知り合った人と実際に会うのはこれが初めてなので、結構緊張したが、タンドリチキンを食べながら、インドについての様々な熱い思いを交換しあったのだった。
夕食後、遅れてデリーに到着するVinayさんの奥さんを迎えに空港へ。Vinayさんが到着ゲートに駆けつける中、僕はアンバサダーを近くに駐車していた。
車の中で待っていたのだが、一瞬外に様子を見に出た隙をねらって、何処からともなくレッカー車に乗った警官が現れ、駐車違反で罰金だという。他にも車は止まっているし、どうもタイミングが良すぎるなと思いつつ、運転免許を見せよというので、普段免許を収めている財布を見ると、何と今日のこの日のこのタイミングに限って免許がない!仕方がないので、免許不携帯は認めたのだが、そのうちに警官の一人が「日本人か、大使館関係?」と聞いてくるので、「まぁ、そうだ」と答える。
すると、彼は同僚に向かって、「後で問題になったりするといけないから、ここは穏便に」みたいなことをヒンディー語で言っている。こっちはこっちでこんなことで大きな問題になっても困るし(実際問題、駐車違反と免許不携帯でどんな罰に相当するのかさえ知らないのだ)、Vinayさん達を待たせるようなことになっても悪いから、ヒンディー語など分からない振りをして、罰金なら払うから早くいくらなのか言ってくれと英語でまくしたてる(但し、こういう時に高圧的な姿勢に出ては逆効果)、すると、駐車違反と免許不携帯で500ルピーだという。
値切っても良いところだが、面倒なので500ルピー渡してしまうと、先方は、レシートをきらなければならないので、交番まで来てくれ、という(ということは、500ルピーというのは言い値ではなくてキチンとした罰金だということか)。それも面倒だ、何でもいいから500ルピーあんた達にやるよ、とヒンディー語でいうと、何だお前ヒンディー分かるのかとちょっと驚きつつも、You are a good man.とかいって、何事もなかったようにレッカー車も警官もいなくなってしまい、それから10分以上も駐車していたが、誰も文句を言いに来なかった。
ということで、インドに来てから初めて、「警官に掴ませる」ことをやってしまった訳だ。あまり良い後味ではない。
- 12月5日(土)
- 昼寝だか何だか分からないが、とにかくゴロゴロしていたらあっという間に時間が経ってしまった。極めて無駄に時間を過ごしてしまった一日。やったことと言えば、銀行にいってお金を下ろしてきたことと、Anatoli Boukreev and G Weston DeWalt The Climb,St. Martin's Paperbacks.を読み終えたことくらい。
"The Climb"は、Jon KrakauerのInto Thin Airが記した、1996年5月10日にエベレストで発生した遭難について、Krakauerとは別の隊のガイドであったBoukreevの目を通じて記したもの。Krakauerは、Boukreevはガイドとして期待される役割を十分に果たさなかった、と批判的に記しているが、Boukreevの立場に立って書かれた"The Climb"を読むと、Boukreevの考え方、当時直面していた限界なども見えてきて、この遭難事件を別の角度から見ることができた。この2冊を通じて、極限状態でのピリピリするような人間関係が見え、下手な小説を読んでいるよりは、人間の心理が見えてくる。
エベレストの小説ということでは、夢枕獏の「神々の山嶺(いただき)」集英社もお勧めである。随分前に読んだのだが、また読み返してみよう。
大阪弁翻訳フィルターに加えて、このサイト経由で幼児語化フィルターを見つけた。大阪弁化程の驚きはないが、結構笑える。このページには各種フィルターがある。大阪弁以外には名古屋弁がやはりインパクトがある。
- 12月4日(金)
- バタバタして忙しい一日。
仕事でアメリカのUSAIDのオフィスに行く。インド人を始めとして、色々な国の人と接する機会があるが、アメリカ人というのは何故あんなにも「人を不愉快にしない」という技に長けているのだろうか。お互いインドでやっている仕事も異なり、殆ど仕事上の接点はないのだが、会っていて実に気持ちよく話ができるし、極めて真摯に対応してくれた。こういう対応は僕らにはできないなぁ、と思い、感心する。
とはいえ、アメリカのそこに騙されてはいけないのかもしれないなぁ、と思ったりもして。
- 12月3日(木)
- 我々の頼もしいカウンターパートであったMr Bhaskarが突然異動になってしまった。同じ大蔵省の中で、世銀・IMFの担当になるという。彼が我々のカウンターパートとなってから一年半余り、彼のイニシャティブの下、インド大蔵省と日本側の協力関係が緊密になり、色々と面白いことが出来そうな素地ができて来たところであったのに、実に残念だ。
後任は、Mr Mulayといって、今年の夏まで在京インド大使館で参事官を務めていた人物。日本で通算7年過ごしたという、IFS(Indian Foreign Service: 外務上級職に相当)で、日本語がペラペラである。先に異動したMr Grewalの後任であるMr Ohm PrakashもIFSであり、これからは外交官2人を相手にすることになる。
よく、多分にお世辞を込めて、「ヒンディー語で内輪の相談をしていても、Mr原にはバレてしまうのでやりづらい」と言われるが、Mr Mulayの日本語は僕のヒンディー語よりもずっと上なので、今後、彼の前では日本語でのヒソヒソ話が出来なくなってしまった。
- 12月2日(水)
- 今日、事務所のとある運転手が、外務省の庁舎の裏の道でサルを轢いてしまったらしい。
サルはデリーの至るところで見ることができる。何故か役所の建物の周辺には多い。会議の途中、窓を誰かがコツコツと叩いているので、振り返ってみると、子ザルがいたずらをしていた、というのはよくある話だ。今日事故があった外務省の裏側の通りは交通の往来が結構激しいにも関わらずサルが多く、突然道路を横断しようとしたりするものだから、確かに危ない一帯なのだ。
外務省と大蔵省の建物は、大統領府前の通りを挟んで南北対象に位置しているのだが、どちらにもサルが多い。Mr Bhaskarのオフィスで議論が長引いて、日没後になると、「サル番」のオッサンたちが長い棒を持って我々を役所の出口まで導いてくれる。日没後役所の廊下でサルに襲われるという事件が後を断たないらしい。「外務省側のサルと大蔵省側のサルは仲が悪い」というまことしやかな話があるが、サルの話なのか役人の話なのか?
さて、サルを轢いてしまった(死んでしまったのかどうかは分からない)運転手はひどくふさぎ込んでいる。それもそのはず、神神の中でも人気の高いハヌマーン神は猿神なのである。そこで、一体こういう時にどうやって罪滅ぼしをするのか?ハヌマーン寺院(事務所のすぐ傍にある)にお参りして、懺悔してくるのか?と聞いたところ、「罪滅ぼしに事故を起こしたところに行って、集まってきたサルにバナナを沢山施してくる」とのこと。結構良い話だなぁ、と思って感心してしまった。
因みに、ヒンドゥー教の神様にはそれぞれ特定の曜日があって、それはハヌマーン神の場合には火曜日なのだが、毎週火曜日の朝6時頃に、サルが集まるところへバナナを100本施している人がいるらしい。来週でも早起き出来たら見に行ってみることにしよう。飽くまでも早起きできたら、ということだが。
- 12月1日(火)
- 今日から12月。今年ももう1ヶ月を残すばかりとなった。
12月に入ったのをきっかけに、気分を一新しようと思い、今日からキチンとスーツを着ることとする。
と、いうのも、昨日まで半袖のサファリスーツで通してきたのだが、朝晩は摂氏15度を切ることもあり、流石に寒くなってきたのだ。いい加減11月に入った頃から、僕の半袖サファリ姿はインド人の間でさえ「浮いている」存在だったのだが、僕はそもそも朝弱いので、スーツを着るために要する「ワイシャツ選んでワイシャツ着てカフス選んでカフス着けてネクタイ選んでネクタイ締めてサスペンダー着けて...」という、一連の作業というか、儀式めいていて、本来時間的な余裕さえあれば楽しめるプロセスが面倒なので、パッと羽織るだけでカフスとかネクタイなど五月蝿い装飾品も不要なサファリで過ごしてきた、というのが本音のところではある。
以前、DEAのMr Bhaskarが、「インドでは、酷暑の4〜6月、モンスーンの7〜9月はそもそも仕事にならないので、政府の役人も真面目に働かない。10月以降にならないと、実質的に予算もリリースされないので、そもそも何も出来ない」といった趣旨のことを言っていた。実際、デリーでお役人達を見ていると、暑い季節は日本の基準で言えばカジュアルなシャツにノータイで出勤していた人々が、Diwaliを過ぎて涼しくなりはじめると皆ワイシャツにネクタイ、キチンとしたジャケット、という、いかにも「涼しくなったから仕事マジメにやります」といった姿で出勤を始めるようだ。
と、いうことで、私の「気分を一新」もインドのお役人達と同じマインドなのである。さて、今日からはマジメに働くことにしよう。(ト、イウト、コレマデマジメニハタライテコナカッタヨウデハアルガ、ケッシテソウイウワケデハナイ!!!)
ここまでの内容と全く関係がないのだが、とあるサイト経由ですごいページを見つけた。ここをクリックして現れるページのURLを入力する欄に、例えば、http://www2.gol.com/users/harasho/diary-november98.htmを入力してみると、結果が読める。
いやぁ、これはすごすぎる!