98年4月の日記はこちら。 98年5月の日記はこちら。 98年6月の日記はこちら。
7月1日(水)
今回の休暇はラダック行きのための1.5日(金曜日丸一日と月曜日半日)のみであることを改めて説明。色々な仕事が山積している中ではあるが、上司からは快諾を得る。ラッキー。これで何の支障も無くなったので、航空券のアレンジを正式に開始。そもそも思い付きの旅でもあり、フラッと行って現地で宿探しから始めても良かったのだが、現地で過ごせる日数が実質3日しかなかったのでキッチリとした旅程を組んで行くべき一方、とにかく忙しくて、自分で色々やっている暇が無かったので、全てをデリーのトラベルエージェントに丸投げする。
7月2日(木)
7月3〜8日(金〜水)
7月8日(水)
11時頃から出勤。皆に「ラダックよいとこ、絶対行くべき」と宣伝して回る。
夜、帰宅してから、ラダックで撮ったデジカメの写真(約90枚)を見ようと、楽しみにしながらコンピューター(PA-330:シャープメビウスの一番古い型)のスイッチを入れる。スイッチを入れた直後から、何かカタカタキューキューカタカタキューキューと音がする。「おかしいなぁ、CDか何か、かけてたかなぁ?」と思い確認するが、CDはかかっていない。そのうち、画面に「Fixed Disk Error」と出る。最初は何のことか分からなかったので、Alt+Ctrl+Delで再度立ち上げ直す。またキューキューという音がする。Fixed Disk Errorと言われる。この段になって、何が起きたのか必要以上によく分かり、その時僕は 何という災難!ラダックの写真はデジカメのスマートメディアに残っているからよいようなものの、この3年間にわたって蓄積していたコンピューター上の情報(ソフトやメールやナンヤカンヤ)が全て失われてしまったことのショックは大きい。全部は無理でも、ハードディスクリカバリサービスのようなもので、一部だけでも復活させたいなぁと思うけれど、インドではそれも期待できないだろう。嗚呼!
結局、コンピューターについては、「直りそうにない」と言う事実を理性として納得した。家に仕事を結構持ってかえるので、応急措置として、事務所にある古いダイナブック386を借りて帰る。ダイナブック386は僕が買った2台め(一台目は初代ダイナブック!)であり、約6年ぶりの先祖返りである。昨今のラップトップに比べて、キーボードがしっかりしており、使い易いのに改めて驚く。MS-DOSベースのVZエディターが搭載してあって、システムも軽くて、サクサクと使えるのにまた驚く。文章を書くだけだったらこの程度で十分なのだ、ということを実感する。やはりWindows3.1や95になって、ソフトが大きく重くなって、より大きなハードディスク・メモリ、より早いCPUと、ハードに対する負担が大きくなってきている(勿論ハードの発達と「鶏と卵」ではあるが)、パソコンの発達には何かおかしいものがあるような気がする。とはいえ、一旦こっち(Windows)の世界に慣れてしまうと中々昔の世界に戻れないのも事実だ。
さて、帰る途中で、ブラジル大使館の前を通ったら、大使館前の大通りを横断する形で、緑地に黄色い文字で"Brazillians Thank India's Support"と大きく書かれた幕が懸っていた。確かに、インドでもRonaldoの人気が高いのは事実だけれど、それにしても、そんな大幕をインドの公道に堂々と張り出してしまうブラジル大使館もすごい(=如何にもブラジルらしい?)と思うが、それを放置しているインド側もすごいと思った。こんなの、各国大使館が始めたらきりがないと思うのだけれど。(因みに、決勝戦の翌々日までこの幕は張り出されていた。)
7月10日(金)
(注: 因みに、この「間違ってスライドのフィルムを買ってしまう」というのはよくある話。恐らく売ってる方も違いがよく分かっていないので、仕方ないですが、インドでフィルムを買うときには気をつけましょう)
7月11日(土)
7月12日(日)
7月13日(月)
7月14日(火)
インドはソフト開発では有名だが、PCの市場という観点からはまだまだだと思う。デリーにも電器製品市場はあるが、秋葉原のように色々なコンピューターを並べて売っているようなところは見当たらないし、また、出回っている最新モデルは日本の最新モデルに比べて約3ヶ月〜半年は遅れていて、且つ値段が高い(例えば、東芝のTECRAシリーズの最高機種は100万円相当というお値段)。恐らく、まだまだ企業による購入が殆どで、個人がパソコンを所有するというところまで市場が深化していないということが背景としてあるのだと思う。多分、パソコンというものを知っている、買いたい、と思うような所得層の大半は、「パソコン買う金あったらまずはクーラー、洗濯機、スズキマルチ、etc.」というような段階なのだろう。
一瞬、「ええぃ、インドでパソコン買ってしまえ!」とも思ったが、結局高くつきそうだし、Windows98の登場とか、色々状況が変わりつつあるので諦める。代わりにメビウスの互換ハードディスクを手に入れるべく、コンピューター屋に発注するが、ちゃんと手に入るかどうか?
7月15日(水)
その後、少し間をおいてまたサウナに入ったら、またそのオヤジが入ってきて、「日本でもそっちの道は盛んなんだろう」とか、その他書くのも憚られるようなことを言いはじめたので、「僕は(結婚していて)家族もいるし、I don't belong to that category of peopleなので、よく分からない」と言ったら(前段はウソだけれど仕方が無い。早くこれがウソでなくなるよう精々努力せよ >自分)、やっと相手が黙った。当方、黙ったオヤジを残し、ソソクサその場から逃げ出す。
思い出すだに気持ち悪く、インドに来て以来、2番目に恐い出来事だった。(一番目はAgraへの途上、イスラム教徒同士(スンニ派とシーア派)の喧嘩に巻き込まれたとき)
7月16日(木)
勿論、若い女性がインドに興味を持っていただけることは個人的にも(?)大歓迎なのだけれど、今日空港では、「伝統的なインド旅行者」、すなわち、「汚い、金ない、群れない」タイプの人々があまりいなかったのは逆に何か悲しい感じもしたしたし、そういう少数派の人が、「インドに到着してしまった緊張感」みたいなものをギラギラさせながら出てくるのをみると、頼もしいなぁ/がんばれよっ!、と思ったりもした。10年前には自分がそういう人々の一人だったからかもしれないが、「ツアーもいいけれどインドはやっぱり貧乏旅行」と思っている自分がどこかにいる。
7月17日(金)
7月18日(土)
まず早起きして朝一番(6時5分発!)の飛行機でグジャラート州のバローダ(ヴァロダラ))へ。空港で国営火力発電公社(NTPC)の現地スタッフの出迎えを受け、近郊にあるGandhar発電所を視察。総出力650MWのガスコンバインドサイクル発電所(1995年完成)。
発電機器は日欧の企業が共同して収めた近代的な設備であり、清潔で騒音も少なく非常によくメインテナンスされている、との印象を受けた(蒸気タービン発電機の写真)。実際、運転中のコンバインドサイクル発電所を見せてもらったのは初めてだったので大変勉強になった。NTPCの手厚い歓迎にも感謝。
今回グジャラートは2回目だったのだが、「グジャラートのウシは妙に立派である」ということに気がついた。デリーの町中の野良牛やハリヤナ辺りの牛と比べると、2周り位大きい。大人しい白いコブウシなのだが、体格はまるでスペインの闘牛にでも出てきそうな立派なものばかりで、角がこれまた太くて立派で、車ですれ違う度に見とれてしまった。水牛も大きく、立派だ。そこらじゅうの沼地で戯れている。みんなウシや水牛を大切に飼っているのだろう。道沿いにはバナナ畑が延々と続き、如何にも豊かな地方、といった印象を受けた。(残念ながらこういった情景の写真は撮れなかった。仕事で行っているのでなければ、いくらでも道草して楽しめるものを!)
夕刻は松下電器の現地進出企業(乾電池製造工場)の方と夕食。因みにグジャラート州は、インドでも少なくなった"Dry State"で、外(レストラン等)では酒が飲めないので、ご自宅にお邪魔して酒盛り。Baroda滞在の日本人は2、3人であり、グジャラートでは2番目の大都市ではあるが、やはり地方都市に過ぎないので、色々なご苦労があるとのお話を伺う。
7月19日(日)
さて、30年前にもインド(デリー)に赴任されていた、ムンバイ総領事から伺った話では、30年前は、インドで車といえばアンバサダーしかなかった訳だが、当時は「アンバサダーを買うなら古いものほど良い」と言われていたとのこと。そのココロは、当時はまだ「アンバサダーの国産化」が進められていた時代(だった(現在では外資系進出自動車企業の国産化率を上げることが目標)ので、新しい車になればなるほど(純粋Morris Oxfordよりも)「インド率」が高くなっていき、それと比例して故障が多くなる、と言われていた由。何たる時代の違い!
7月20日(月)
このNagarjunasagar(sagarはサンスクリット語で湖)というのは、大乗仏教を広めたNagarjuna(漢訳では龍樹と呼ばれている:Nag=龍 Arjuna=樹(前者はサンスクリット語の意訳、後者は音写))という聖人(150?〜205?)が晩年を過ごしたところといわれ、3-4世紀当時はクリシュナ川の谷沿いに仏教の僧院が林立し、各国からの仏教徒が集まり、「仏教大学」の相を呈していたところだった。1926年に村人が古代のブラーマ文字の石碑を発見したをきっかけに本格的な発掘が行われた。しかしながら、クリシュナ川の下流に1969年に完成した、Nagarjunasagarダム(石造りのダムとしては世界最大、世界でも最大級の人造湖)により、その大半が水没することになったため、水没後も島として残ることになる丘の上に遺跡を移築したものが、現在人造湖の中の島と残るNagarjunakonda(Kondaはテルグ語で「丘」)である。
Nagarjunasagarダムは1956年に着工され、1969年まで、13年間をかけて建設された巨大な石造ダム(高さ124.7m、堤長1,449.6m、セメント使用量110万トン、鋼材使用量6万トン)およびアースダム(左岸2,560m+右岸853m)であり、サイトのゲストハウスに貼り出されていたダム建設当時の写真は、木で組んだ足場が縦横無尽に巨大なダムを覆うような形で張り巡らされており、豆粒のような無数の人々が働いている様が映し出されていた。まるで現代のピラミッド建設の様だった。このダムの建設当時も、仏教大学の遺跡の保護か、それとも開発か、といった議論が盛んだったらしいし、人造湖の大きさを考えると、住民移転問題なども皆無では無かったのだろうと思うけれども、写真を見て、これだけ多くの人々によって作られたダムだと思うと単純に感動してしまった。
さて、ダムは地域の灌漑を主目的としてインドが独自に作った(サイトの人々の話では外国援助は受けていないとのこと)訳だが、発電を行うための設備については、7基、合計770MW相当の発電ユニット(写真手前の一つを除いた7つのユニット)が円借款資金によって据え付けられている。今回の訪問はこの発電所を視察することが主目的だった。すでに据え付けられてから10年以上経過している発電機であり、渇水期ではあったものの、どの発電機も90MW以上の出力で運転されており、APSEBのエンジニアが機器のメインテナンスをきちんとやり、機器を大切に扱ってきていることが見て取れた。
発電所視察を終えると、すでに夜8時で、宿泊先の州政府経営のゲストハウスに戻ったらすぐ夕食かなぁ、と思っていたら、我々を案内してくれたChief Engineer(偉い人)が、「夕食の前にsmall get togetherを準備しているから」という。要すれば、「get together=宴会」。ビールに始まり、インドウィスキーが出て、つまみもナッツの類、サラダ、パコラ(インド風野菜天ぷら)、Nagarjunasagarで採れた魚のカツレツ等が並び、大変な宴になった。最後には東京からの出張者の寝酒(高級スコッチ)まで飛び出し、インドでは中々手に入らない逸品なので、普段は飲まない人まで乗り出してくる始末。アルコールを飲まない人も、「Thums up(インド国産コーラ)のMazza(甘ったるいマンゴジュース)割り」とか、「Thums upのLimca(甘ったるいライム系ジュース)割り」なんぞを、Beautiful Tasteだなどと言いながら楽しみ始める。
結局8時過ぎから始まった酒盛りはナンダカンダで10時半位まで延々と続いたのだった。これがつい半年前までのDry Stateかとあきれる。連日の早起きとアンドラプラデシュの暑さで体調を崩していた僕も色々理屈をつけて(結構このChief Engineerのオジサンしつこい)飲まされるハメに陥ったが、加えて驚いたことには何と、この宴会の後10時半から夕食。これには参った。
夜は静かで、満点の星も美しい。体調は悪化の一途だったが、デリーの喧騒と色々と煩わしい議論から解放され、ゆったりした気分で眠りにつく。
7月21日(火)
4時半過ぎ、再びトイレへ。何か大変である。まだティッシュはある。
6時位、またまたトイレへ。本当に大変だ。止まらない。
7時位、またしてもトイレへ。
さあ、ここで私は告白しなければなりません。とうとうやってしまいました。何をって、そうです、インド式のトイレの始末。インド人のやることには大抵トライして、我が物としてきた僕も、これだけは何となくやる気になれなくて、今日の今日まで試さずにきたのだったが、状況如何ともし難く、とうとうやってしまった。とはいえ、やってみるとなんということは無いのだった。結構クセになるかもしれない。想像していたような、「ツメの間にナニが詰まってしまうのではないか」とか、「においが取れなくなって大変ではないか」ということは一切ない。ちゃんと手を洗えば大丈夫!でも、朝食の席では左手を使うのを控えたのは言うまでもない。
この日は結局、朝食の後、昼食の前、昼食後と3回トイレに行ったが、3回ともしっかり左手のお世話になった。とはいえ、同行者には言い出せなかったけれど。
出発までの間に時間があったので、ポンポン船にのってNagarjunakonda島にいく。片道約45分。当方体調絶不調。加えて無茶苦茶暑い。島で過ごせる時間が1時間しか無かったこともあり、博物館のみ見てホウホウの体で退散。移築された仏教遺構を見られなかったのは残念だ。
もう、本当に体調悪し。早くデリーに帰りたいと悲鳴を上げる。昼食の後、件の運ちゃんがコンテッサをすっ飛ばして、ハイデラバードに戻り、APSEBの総裁と面談。その脚で直接空港に行く。インディアンエアラインは1時間遅れだが、無事デリーに到着。帰っても誰が待っている訳ではないが、自分の家が一番落ち着く。
何といってもちゃんとトイレットペーパーもあることだし。
7月22日(水)
通常どおり出勤。出張の疲れが取れない。つい先日まで全国で郵便ストがあり、深刻な影響が出ていたが、今度はウッタルプラデシュ州で待遇改善を求める電力スト。州を超えて労働組合が協力し、ハリヤナ、ラジャスタン、デリーなどでもストが起きるかも知れないという。スト(ヒンディー語ではHartalという)はマハトマガンディー以来の伝統だが、何はともあれ困ったものだ。
7月23日(木)
「働く」ということにはどういう意味があるのだろう。僕は単なる金銭的な報酬とか、地位とか、安定ということを超えて、何か自分で実現したいものに一歩でも近づくための手段、という側面が重要なのではないかと思う。一方で、どうしても組織に頼り、組織に凭れ掛って働きがちだ。でもこれからはそうも言ってもいられないし、組織の奴隷にはなりたくない。
さて、これからどうしようか?何があっても、自分で如何に見極めをつけても大丈夫なように、自分の「ウリ」が何なのか、よく考えてみよう。
7月24日(金)
7月25日(土)
往年の"Angry Young Man"、Amitabh Batchanも、Amitabh Batchan Corporationというプロダクション会社が上手く行かず、最近は、電化製品や、ミリンダ(ジュース。日本では懐かしい)のコメディータッチのコマーシャルにも出演するようになって、ボリウッドの全てを凌駕するような大スターのオーラを失いつつある、と言われている。失敗作に終わった前回のMrityudaataとは違い、今回のMajor Saabは、既に56才になったAmitabh Batchanにとっての「年相応の役」ということで、新境地を拓くか、と期待されていたが、結局失敗作となってしまったようで残念だ。しかし、やはりスーパーヒーロー、失敗しても、まじめな週刊誌が7ページにまたがる特集記事を掲載する。Amitabh Batchanは不滅です?
チケットは簡単に手に入った。バルコニー(2階席)で一人60ルピー。37.5ルピーが料金で、残り22.5ルピーは税金だ。チケットを買った後、Sさんをホテルからピックアップするまで時間があったので、ホテルの周りを適当に運転していたら、この季節の風物詩、焼トウモロコシ売りがいた(実をいうと探していた?)ので、すかさず2本買って食べる(焼トウモロコシ売りについては、別途書く予定)。12時過ぎにT君夫妻と落ち合って、Ambassador HotelのDasprakashという南インド料理のレストラン(ここはオススメ!)でターリを食べる。美味い。ここで食べるときは、いつも食べ過ぎてしまう(ターリは具が無くなると無制限で継ぎ足してくれる)ので、今日はセーブする。
昼食の後、映画開演の3時半までは時間があったので、時間潰しにINAマーケットへ。以前連れていった出張者は肉屋魚屋の臭気に結構参っていたが、Sさんは全然気にせず、大したもんである。プリヤの青色の箱を発見!これで赤・灰・青と三色セットとなった。店の兄ちゃんに、「これ(プリヤ)の名前は何だ?」と聞くが、「ティッシュ」というつまらない回答が返ってきた。少なくとも、「プリヤ」と指名して仕入れている訳ではなさそうだというところまで分かった。プリヤの追跡調査も長い間懸案になっている。
3時半から映画。あらましは以下の通り。
ムンバイのスラム出身で、少年時に誤って人を殺めたがその後更正し、バンガロールでテロリストを退治する警官になった主人公(Akshay Kumar)が、暗殺が横行するムンバイのアンダーグラウンドの世界と戦うために隠密裏にムンバイ警察に呼び寄せられる。
ムンバイに戻り、スラムに行ってみると、そこには昔の仲間(Nagarjuna他)や恋人(Pooja Bhatt)がいて、再会を喜びあう。しかし、よく話を聞いてみると、友達はどうやら一連の暗殺に携わっているらしい。捜査のために、友達を足がかりにして組織の中に入り込む。友達を裏切ることとの葛藤。組織に仲間を一人殺され、最後は組織のボス(西川のりお風)との対決(当然勝つ!)。 と、ありがちな筋ではあるが、ムンバイのアンダーグラウンドワールドという、いわばホットな話題を採り上げたのがポイント。但し、実態はギャングと警察との「つるみ合い」が問題だと言われており、それが十分に採り上げられていない、との批評もある作品。
主演のAkshay Kumarはアクション男優として売り出し中。結構カッコイイ(武貞夫人に好評)。Pooja Bhattは色白で顔は奇麗かも知れないが、昨今如何せん太り気味。因みにこの作品の監督のMahesh BhattはPooja Bhattの父親。ドッキリしたのは、Pooja BhattとAkshay Kumarのキスシーン。ほんの一瞬(瞬きする間位)だったが、完全にキスしていた!もっとも、これくらいでドッキリする、というのも、僕の鑑賞基準がインド人化している証拠かも知れない。
映画館の前で記念写真(僕、Sさん、T夫人)。無茶苦茶暑い一日だった。
7月28日(月)
昨日、「所々で検問が」と書いたが、新聞によると、昨日の午前中、Lal Qila(Red Fort)の北にある、ISBT(Inter State Bus Terminal)で、バスに仕掛けられた爆弾が炸裂、2名が死亡、3名が重傷を追ったとの由。デリーの治安も悪化しつつある。(こういう事件は大体パキスタンの諜報機関のせいにされるのだけれど)。
日本語でいうところの「治安」はインドでは、Law and order situationという。現代は連合政権の時代。各州を基盤とした政党が中央政権を構成し、中には地元州では野党勢力となっているものが多い。前政権であるUnited Frontも各州を基盤とした地方政党の寄り合い所帯であったが、United Frontの構成政党は殆どが各州政府の政権党だった。さて、地元では野党・中央では与党、という地方政党がやることといったら、そう、中央政権の威を借りて地元の対抗政党を州政権から引きずりおろすこと。はっきりいって、中央政権に参加していることの意義はそれくらいしかないのではないか。
そのために、憲法第356条による大統領直轄を導入するための理屈として、"Law and order situation"がよく引き合いに出される。例えば、タミルナド州を地盤とし、元女優のJayalalitaというとんでもない独裁的なオバサンに率いられているAIADMKは、積年のライバル政党で、タミルナドの現政権党であるDMK(これも元は映画の脚本家のKarunanidhiという如何にも怪しげなオジサンに率いられている)を州政権から引きずりおろすために、「タミルナドのLaw and order situationは最低であり、憲法356条に基づき、現政権を解任し大統領直轄とすべし」との主張を行う。
また、「世界でもっとも長く続いている民主的に選出された共産政権(州首相はJyoti Basuという86才の老練政治家)」がある西ベンガル州出身の野党Trinamool Congressの党首のMamata Banerjeeという、Sonia Gandhiと袂を分かって国民会議派から分派した元気の良いオバサン(美人ではなく、いつもシャウトしているのだけれど、元気で何ともチャーミングなところがあるので、結構僕はファンです)も、「西ベンガル州のLaw and order situationは悪化しており、中央政府は共産党政権に対して断固たる措置をとるべし」、としている。
はたまた、西ベンガル州の隣のビハール州を基盤とする、George Fernandes国防相(Samata Party)も、「ビハール州のRabri Devi政権は、Laloo Prasad Yadav(注)の傀儡であり、事実上政権は崩壊している。ビハールは元々カースト間闘争が激しく、左派過激派ゲリラが跋扈してきた土地であり、かかる統治能力のない政権が継続することは、Law and order situationの更なる悪化を意味する」として、州政権の更迭を求めている。
自身は汚職の疑いで州首相の立場を追われたが、「最後っ屁」的に、後任に殆ど文盲とも言われる自らの夫人を州首相の椅子に据えた。Lalooという言葉は「少年」というのが正式な意味だが、「ばか者」という意味もある。因みに、Yadavというのはビハールの牛飼いのカーストであり、汚職疑惑も「まぐさ」の配分を巡る疑惑。 一方で、BJP政権は、UP州等で、前UF政権による「憲法356条の濫用の被害者」になったと主張してきており、憲法356条の適用については、出来るだけ厳格に行うべし、としている。
と、こんな調子で、何ともまとまりのない政権なのだが、これから何処に行くのだろうか?まさかデリーの州政権(BJP政権)に、「Law and order situationの悪化」を理由に大統領直轄は適用しないだろうけれど。(デリーの州首相の事実上の更迭・BJP内の他の有力者との交代、という説は根強い)
それにしても、インドの政治は面白い。今度まとめて、「現代インド政治の主役・脇役」という題で書いてみたいと思う。
7月28日(火)
もう一つ感じたのは、「ソニア・ガンディーって、自分でジャガイモとか、タマネギとか買いに行ってみたことあるの?」という素朴な疑問。絶対にないよなぁ。
個人的に何ら恨みがあるわけではないが、やっぱりソニア・ガンディーが国民会議派、ひいてはインドを率いていく、というのは無理がありすぎると思う。でも、国民会議派を特に支持していない人たちの間でも、「ネルーファミリー待望論」みたいなもの(=ネルーファミリーでないと長期安定政権が望めない?)があるみたいで、これまで、長年の政治家としてのキャリアを反国民会議派で貫いてきたインド共産党(マルクス主義)(CPI(M))のJyoti Basu西ベンガル州首相(86才)までが、「国民会議派がBJP政権を打倒して政権を握るのであれば、選択的に国民会議派政権を支持しても構わない」といってみたりする。
まぁ、反コミュナリズム(政治と宗教を絡める立場)という観点では、CPI(M)は反国民会議派であるのと同じ程度に反BJPであるのだけれど、まったくもって、インドの民主主義なるもの良く分からない。
7月29日(水)
さて、僕のカイラス山行きの計画も早くツメなければ。また、Bhaskarに取材して、ペンディングになっている、「IAS(Indian Administration Service)についての原稿」も仕上げたい。
7月30日(木)
このところ暑い日が続いていて、モンスーンだというのに、何故か、我々の期待を裏切るかのようにデリーだけ雨が降らない。環境森林省までは車で15分位かかるのだが、この日はマイケルが休んでいて、会社の車が足りなかったので、タクシーで行った。目的地に着くまでの間に、窓から吹き込む熱風ですっかり参ってしまった。
会議では、ラジャスタン州の植林案件2件とグジャラート州の植林案件について、意思決定が遅れがちな各州政府をプッシュするためには中央の環境森林省として何ができるのか、といった点について前向きな議論が行われ、無理して来てみて良かった、と思ったのであった。
会議が終わった後、帰りのタクシーを探すのが大変だった。そもそも、来たときのタクシーをそのまま待たせておけば良かったのだが、Vineetも、Natarajanも「待たせとくと高くつくし、何とかなるから」というので、返してしまっていたのだった。結局、汗ダラダラ流しながら、15分位ほど探してもタクシーが見つからない(デリーで流しのタクシーを捉えるのは大変)ので、通りかかりのオートリキシャでオフィスに帰ることになった。大の男が3人も乗ると、流石にオートリキシャも重そうで、誰にというわけでなく、何となく申し訳ない感じ。
オフィスに帰ったら、環境森林省の担当のお役人が、「特別の使者を立てて届させたはずなのに、何で届いていないのか不思議だ」と首を傾げていた今日の会合の通知が郵便(ストが終わったばかりで、郵便局には滞留郵便物が山積している!)で届いたところだった。上役の指示が中々貫徹されない、という、ここインドでは如何にもありがちなお話。
7月31日(金)
(注)ガスコンバインドサイクル発電とは、天然ガス等でガスタービン(ジェットエンジンのお化けと思えばよい)を運転し、発電機を回す際に発生するガスタービン(ジェットエンジン)の排熱(放っておけば大気に排出される)を無駄にせず、蒸気ボイラーで回収してさらに追加の発電を行うという形式で、熱効率が高く、環境に与える影響も少ないという特長がある。

(注)Rabri Deviの夫。僕はインドの「田中角栄」と呼んでいる、「下層階級の利益を代表する」大衆政治家。現職国会議員。何処までまじめなのか良く分からない演説をよくやる。Jab tak samosa men aloo hai, tab tak Laloo hamara neta hai.(「サモサの中にジャガイモ(aloo)がある限り、Lalooは我々のリーダーだ」という選挙キャンペーンをやったりした。悪事を働いているかも知れないし、政治家として適当かどうか難しいが、憎めない人物であることは確か。