最近の日記(98年5月)

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5月31日(日)

パキスタンのSharif首相の演説がテレビで流された。僕にはウルドゥー語とヒンディー語の厳密な違いはまだ分からないが、基本的にはヒンディー語と同じに聞こえるし、ヒンディー語ニュースでもキャプションは付かない。僕の貧弱なヒンディー語でもある程度言っていることの意味が分かる。改めて、「元々は同じ国だったんだなぁ。50年も経って、まだ独立時の悲劇が続いているんだなぁ」と痛感する。

さて、朝日新聞によると、我が国の総理大臣閣下は以下のように述べられたそうである。

> === <980531-4> news.asahi/politics, -(-), 98/ 5/31 18:42, 8行
> 標題: 「国連安保理でカシミール取り上げさせたい」、橋本首相
> ---
>  パキスタンが三十日、二度目の地下核実験を実施したことについ
> て、橋本龍太郎首相は三十一日、「できるだけ早く(国連)安保理
> でカシミールを取り上げさせたい。この問題は本質的にほぐさなき
> ゃいけない」と述べ、インド、パキスタン両国国境付近のカシミー
> ル紛争の解決策の検討を国連安全保障理事会に求める考えを示した
> 。首相公邸前で記者団に語った。また両国の核実験競争について「
> 両方の遺恨相撲のようになっている。危険なゲームになっているこ
> とに、両方が気づいていない」と述べた。

評論家みたいにカッコつけるのもいい加減にせよ、といいたい。今、「唯一の被爆国」日本が国際的に提起すべき問題は、インドとパキスタンの局地紛争なんぞではなくて、如何に核の全面的廃絶を目指して行くか、ということではないのか

そもそも、「インドともパキスタンとも感じとしては等距離だけども、対米配慮上少しパキスタン寄りにしとくかなぁ」という程度の外交しか行ってきていない日本なんぞに両国間の50年来の懸案の調停なんかできるのだろうか。勿論、等距離だからこそ、日本の役割が大きい、という理屈もあろうが、本当にできるの?言い出っぺだけやっておいて、後は他の国に纏めさせるつもりなら、言い出す資格はない。いずれにせよ、カシミールなんかに触れるのはやめときなさい、といいたい。最近送られてくる日本の新聞を読むと、いつの間にか、「核の問題→インドとパキスタンの緊張関係→カシミール問題」と議論の焦点がすり替えられているような印象を受ける。ここでカシミール問題なんかに浮気せずに、「核廃絶」を訴え続け、その為の具体案を提示し、実現に向けて走り回ってこそ、これからの世界で日本が尊敬され得る立場を築くことが出来るのではないか。

さて、話をインド、パキスタンに戻すと、今日のテレビで見たパキスタンの人々が喜ぶ姿や、インドの実験直後の大歓迎といった雰囲気(インドでは今では相当反対運動も起きているが、全国民的運動からは程遠い)から思ったことは、一寸短絡かもしれないが、「教育が大切だ」ということだ。どちらの国民も「パキスタンには(インドには)負けたくない。」という気持ちだけは何故か強く持っている(これも教育の効果ではあるけれど)が故に、「核実験に賛成か?」との単なる質問が、一人一人の意識の中で、「パキスタンから(インドから)インドを(パキスタンを)守るための核実験には賛成か?」との問いに組み替えられ、クリケットのテストマッチを応援するようなノリで「賛成!」という答えが大半を占めているのではないか。(このような国民意識を批判することは、同じような環境に置かれたことのない我々日本人には出来ないでしょう)

一方で、「核とは何か」とか、「核を使ったらどうなるのか」については、恐らく十分な教育がなされていないのではないか(これはインド・パキスタンに限らないことなのでしょうけれど)?あまり感情的な反核教育をすべきだとは思わないが、核は無差別大量殺戮兵器であり一度使ったら取り返しが付かないこと、開発・兵器化に莫大な費用を要し、核を持ったからといって、国民一人一人が腹一杯食えるようになり、生活水準が上がるわけではないこと、を事実として「大衆」が理解することが必要だろう。何といってもこの国の民主主義は「大衆」が支えているのだから。

その為には、(すごく短絡且つ抽象的ですが)やはり「教育」しか答えはないのだと思う。でも、どの党も含め、為政者の側がそれを本気やるつもりがない(やったらこれまでのような政治・選挙のやり方では票が集まらなくなるし、これまでのやり方の方が楽だから)のだから、どうしようもない。

5月30日(土)

パキスタンがまたやった。

今日はT君の家で、T夫妻、Fさんの奥さん・娘さんとお昼をごいっしょした後、買い物にいった。その後、1週間振りにスポーツクラブにいくつもりだったのだが、一旦家に戻った時にこのニュースを知り、スポーツクラブに行くのを止めてニュースを見ることにする。インド側は冷静な反応。特に、Narayanan大統領が、「インドはもうこれ以上核実験をやる必要はない」との声明をいち早く発表したのが印象的である。この声明により、インド国内での再実験への声がある程度抑えられたのではないか。インドの大統領というのは、日本の天皇陛下にも似て、言わば「象徴」であり、ある意味では何もしないことを通じて国民に尊敬されているのであるが、時としてこのような発言をするのが興味深い。(政権側と擦りあわせ済かも知れないけれど)

この日は結局テレビを見ながら寝てしまった。

5月29日(金)

朝イスラマバード事務所に電話する。こちらからかけた一回目は、話が日本政府の制裁云々に触れた途端に電話が切れた。まさかとは思うが、盗聴されている可能性もある。再度電話が繋がり、先方によると街は平静なれど、非常事態宣言で銀行も閉まり、外貨の引き下ろしが出来ない状況との由。非常事態宣言は、「カシミールにインドが攻込んでくる」との情報によるもの、とのことだが、こちらで見る限り、そのような動きはない。

この日は核実験などと関係ないところで、ナンダカンダと忙しくなって、結局帰宅したのは10時過ぎ。しかし、何と、停電がないことが唯一の自慢である我が家一帯が停電している!部屋も真っ暗で何もすることが出来ないので、いっそのこと寝ようかとも思ったが暑すぎる!

そこで私は愛車アンバサダーを駆って夜のデリーへと繰り出したのだった。アンバサダーの中は冷房も効いて、気持ちよかった。最初の内は知っている道を走っていて、「いっそのことアグラ(デリーから200km)くらいまでいっちまおうか」と威勢の良いことを考えていたのだが、いつの間にか知らないところに出てきてしまい、そこからはもうどっちに進んでも知らない地名ばかりになってしまった。いやぁー、デリーは広い。地図も持たずに飛び出してきてしまったのである。おまけに大きな声では言えないが、こちとら正真正銘の無免許(日本でも免許は持っていない)である。デリーの夜の町というのは、そこら中に警官がいるのだ。もう、叫びたくなったが、叫んでもだれも助けてくれない(し、警官などに助けられると却って困る)ので、動物的な感(としか言いようがない)に従って走っていたら、いつのまにか、偶然ニューデリー駅の裏に出て、帰ってくることが出来たのだった。駅の看板を見た時は涙が出そうだった。

帰ってきてみたら、もう真夜中の1時。都合120kmくらい走っていた。

5月28日(木)

とうとうパキスタンがやってしまった。最初に情報が入ってきたのは事務所で仕事しながら見ていたインターネットからだった。パキスタンはインドよりも利口にノラリクラリと実験をやらずにすませるかなぁ、と思ったのだけれども。。。

最初に思ったことは、「実験がデリー上空でなくてよかった」ということだった(結構マジに心配していた)。僕だけかもしれないが、パキスタンは相当追いつめられていて、国際的に孤立し、国内経済が困窮しても、核実験はやる、という決意を持っていた訳で、どこかの国が5、60年前に経験したような暴走があってもおかしくないと思ったわけだ。実際に、よくよく考えてみると、デリーもイスラマバードもお互いのミサイルの射程範囲の中にバッチリと入っているわけで、これは結構恐い話です。東京も北朝鮮のノドン(でしたっけ?)ミサイルの射程範囲に入っている訳だけれども、東京に居て感じる北朝鮮の脅威・緊迫感と、お互い地続きで数百キロのところにあるインド・パキスタン間の相互脅威・緊迫感は比べ物にならない(実際に3回も戦争しているし)。こんなところで、核兵器を持つ・核兵器に狙われる、ということの恐ろしさを実感するとは思わなかった。

一方で、そんな話をローカルスタッフとしていた時に、「じゃあ、仮にデリーにパキスタンの原爆が落とされたとして、どのくらいの範囲で被害が出るのか?」という質問に具体的に答えられない自分を発見し、結構ショックを受ける。私も、「核はいけないものだ」、とは思ってはいるが、では、具体的にどれくらいの被害がでるのか、ということに関しては、良く分かっておらず、インド人の同僚に説明も出来ないいないのだ。

パキスタンが実験を行ったとの第一報は、丁度インド国会で、核実験問題について議論されていたところに飛び込んできたとのこと。国民会議派を始めとする野党は、27日の国会開会時からBJP政権を批判する論陣を張っていたが、パキスタンが実験を実施したことにより、政権批判がやりにくくなるのではないかと見られている。国会では、「貧困があるのに何で核実験なんかやらなければいけないのか!」などと、如何にも正論の主張がなされているが、どこまで本気の議論なのか、良く分からない。国民会議派をはじめ、どの政党も、BJP政権批判の道具として核実験を取上げているだけにしか見えない。

実際、国民会議派政権やUF政権の下でも綿々と核開発が続けられてきたからこそ、BJPが政権を取ってすぐに実験を行うことが出来たわけで、核所有の是非、という観点からは、実験をやったか、やらなかったかはそれほど大きな違いはないのではないか。そういう意味からすれば、どの党も同罪だと思うし、国会の論戦などマジメに聞く気になれない。

夜、テレビで各国のパキスタン批判を見る。アメリカの大統領が出てきたときには、パキスタンの批判もするだろうが、いい加減ここまでインド・パキスタンにいいようにやられているのだから、五大国も含めた全世界的な核廃絶イニシャティブについて何か述べるところがあっても良いのではないか、と思い見ていたが、後者については何も言わない。非常に残念である。失望した。また、米国と同様、経済制裁とCTBTへの即時署名しか主張できない日本政府にも失望。何故、全世界的な核の廃絶、ということを唱えないのか。人様の核の傘に守られがら、傘を与えられない他の国が実験をしたからといって経済制裁云々と言ったって(それしか選択肢がないことはよく分かるし、私はOECF職員としての職務に忠実でもあるが)、迫力がない。「唯一の被爆国」が泣くぜ!

5月26日(火)

もう2、3ヶ月も前の話になるが、某州電力庁の某案件を巡って、同電力庁の総裁と缶詰で4時間ほどネゴをしたことがあった。その際には、双方相当罵詈雑言を尽くしての言い合いになったのだが、最終的には何とか丸く収まったのだった。その時に私は、「このガンコじじいめ!」と思いつつ、「私のような若造が偉そうに話しているのを、よく粘り強く聞いてくれるものだ」と思ったものだった。

その会議の約1ヶ月後、同総裁は定年で退職された。

今日、同電力庁の某氏から伝え聞いたところでは、同総裁は退職されるに当たって、「あの案件について、OECFのあの若造と色々議論し、彼のいうことを踏まえて変更すべきところは変更したことは、結果的に見て非常にプラスだった」と引継ぎ事項の中に残されたらしい。

「核実験→円借款凍結」という逆風の中で萎えつつあった私のやる気を奮い起こしてくれるようなお話。

5月24日(日)

かくじっけんのえいきょうで、なんとなくまえむきなしごとをやるいよくがうしなわれていたところにくわえて、あついあついほんとうにあついいっしゅうかんだった。

きょうもあつい。ふだんはそとまわりがあまりないから、あまりあついおもいをしないですむが、いっしゅんでもそとにでると、あついあつい。きょねんのなつはよんじゅうどをこえたひがつうさんでいっしゅうかんくらいしかなかったけれど、ことしはごがつにはいったころから、もうずぅーっっとまいにちよんじゅうどをこえている。このあつさはいんどでもなみではない。ねっぱ、というやつで、らじゃすたんのさばくのほうではごじゅうどちかくのあつさのなか、ひとがばたばたとしんでいるそうだ。でりーでもきのうはよんじゅうよんどをこえたそうだ。うんがよいことにぼくのうちはていでんがないけれど、でりーじゅうでれいぼうや、えあくーらーのためのでんりょくじゅようがふえて、ただでさえひどいでんりょくぶそくがよけいひどくなって、ていでんがつづいているところもおおいのだそうだ。

とにかくあついあつい。けっきょくあつさにまけて、このしゅうまつはどこにもいかず、れいぼうのきいたへやのなかで、いんたーねっとであそんですごしてしまった。ふわさんはこのあつさのなかでも、ほんとうにてにすやってるんだろうか?

と、ひらがなばかりで書くと、なんか本当に暑そうにみえるかなぁ、と思って書いてみたが、却ってしつこくて、蒸し暑そうな感じがして失敗か?実際は乾いた暑さなのだが、それにしても、この暑さは並みではない。冷房の効いた部屋から一歩でも外に出て、10秒位で部屋に引き返してくるだけで、身体全体が「暑さのオーラ」で囲まれているような気分になる。たまらんたまらん。懸案のカイラス山巡礼旅行の計画でも練ることとしよう。

5月22日(金)

自分でも毎日のように深く反省しているのだが、私はこのところ頓に不機嫌で、人に当たり散らしている嫌いがある。自己分析は出来ている。正直言って、焦りがあるのだ。我が社の通常の駐在任期は3年位で、私は既にインドで1年8ヶ月を過ごしてしまった。ということは通常であれば、後1年半足らずで日本に帰国しなければならない。自分でいうのもなんだが、丁度、インド駐在員として脂が乗ってきたころで(実際太りましたけれど)、残りの任期の間にこれもやりたいあれもやりたい、と色々と考えていた矢先の「核実験→新規円借款停止」なのだ。

前の日記にも書いたように、私個人としては、インド側の理屈も、日本政府の理屈もどちらも良く分かるので、実験が行われたことにも、それに対して新規円借款が凍結されたことにも、理屈としては納得しているので、当然与えられた環境の中で日々の仕事をこなして行くべきなのだが、核実験直後の騒ぎから一段落してみると、結局自分がやりたいと思っていた、あれもこれも、どれも核実験が吹き飛ばしてしまったような感じがして、自分の残された任期とも相俟って焦燥感を感じているのだと思う。(将来またインドに帰ってくるという保証があればそんなに焦ることもないのだが、そういう訳にも行かないのが宮仕えの哀しいところ)

繰り返しになるが、与えられた環境の中で、将来にわたって出来るだけ質の高い仕事が出来る様にするためには、今何をすべきなのか、良く考えてみよう。

5月20日(水)

このたび赴任された、O新首席駐在員を歓迎すると共にF前首席駐在員を壮行するための事務所全メンバーの昼食会が開かれた。

ローカルスタッフからF前首席が彼らの厚生・処遇改善に大きな配慮を払ったことに対する謝辞が述べられ、新首席にも同じような協力を宜しくお願いしたい、との挨拶があった。それはそれでよい。私も我が事務所のローカルスタッフはみんな能力も高いしよく働いてくれていると思うし、それに出来るだけ報いるべきだとは思うけれど、待遇改善(賃上げや肩書の改訂等)要求もさることながら、仕事をもっと効率的にやる方法を提案するとか、より木目の細かい案件監理の具体的な方法を考えるとか、そういったことにも、もっと自発的にエネルギーを使って欲しいものだなぁ、と考えてしまう。

1年半以上この事務所で働いてみて、改めて日本人がヘッドの事務所においてローカルスタッフを本当に「活用」すること(これは「登用」ではなく、同僚として、相互作用の中で切磋琢磨して行くということ)の難しさを思い知らされたような気がした。でもあきらめたくはない。

それはそうと、デリー事務所のページもそろそろ模様替えをしよう。これについてはローカルスタッフにアイデアを出してもらって、より良いページを作るようにしたい。

5月17日(日)

当地の有力週刊誌であるIndia Todayが今回の核実験の背景分析及び今後の動向について記事を発表した。日本については、「今回の実験については、橋本首相がRegrettableという表現を使ったが、1995年8月の中国の実験に対してはDeplorableというより強い表現を使っていた。これは日本が有する中国への警戒心、インドへの親密感の表われではないか」とされているけれど、本当にそうだろうか?

5月15日(金)

当地の状況を心配した何人かの方々からメールを頂いたが、全く平穏で、日本人だからといって攻撃されるとか、そういうことは一切ない。まぁ、制裁が長引いて、経済が困窮すれば別だけれども、そもそも90%以上国内経済で成り立っている国なので、そのような事態に陥る可能性は低い。

日本の新聞で、「インドの人々も核実験には反対している」との記事があったが、何かにつけてすぐ抗議デモ、座り込み、断食が行われるニューデリーで、今のところ、核実験に反対するような行動(座り込みや断食)は見受けられない。前日、ルピーは最安値(USD1=Rs40・75)を記録し、金融市場においては事態は深刻に受け止められていることが明らかになった。

インドは既に核兵器保有国である、とするVajpayee首相のインタビューが発表された。パキスタンも実験を行う、との情報もある中、インドが先行してCTBTに加盟してパキスタンの実験を実質的に封じることもあり得るか、と期待していたが、このインタビューを見る限り、CTBTについて譲歩するつもりはないらしい。

5月14日(木)

2回目の核実験を受け、審査ミッションの仕事が実質的にストップした。またため息ばかり吐いている一日。

2時過ぎに第2回目の核実験を受けた官房長官談話が伝えられる。(当地日本人会配布版による)

インドによる第二回核実験実施を踏まえた我が国の措置に関する村岡官房長官の談話
1.	13日、インドが新たに2回核実験を実施したことは極めて遺憾であり、我が国と
	してはこれを重大に受け止め、インドに対し改めて核実験及び核開発の停止を
	強く申し入れたところである。この新たな事態に鑑み、13日の自分のコメント
	にもあるとおり、我が国政府としては、ODA大綱の趣旨を踏まえ更なる措置に
	つき検討せざるを得ない状況に至ったが、今般、更に以下の措置をとることと
	した。
	(1) インドに対する新規円借款の停止。
	(2) 国際開発金融機関による対インド融資については慎重に対応する。
2.	なお、我が国は、この新たな事態を踏まえ、今後の対応を協議するため平林駐
	インド大使を一時帰国させることとする。また、我が国政府は、来るバーミン
	ガム・サミットの場において、インドに対し不拡散体制への参加を前向きに取
	り組むよう働きかけるよう呼びかけることとする。

来るべきものが来たなぁ、といった感想。あとはため息。

パキスタンが17日にも核実験を行うのではないか、との記事がインターネットで流れる。インドとしては、パキスタンが実験を実行すれば、「近隣国からの核の脅威」とのインドの主張が裏付けられることにもなり、願ったりではないか。

日本人会関連の夕食会で、ある方が、「インドにとってパキスタンという国は影法師のようなものだが、パキスタンがなければインドは存在し得ないという訳ではない一方、パキスタンという国はアンチテーゼとしてのインドが存在しなければ、そもそも存在し得ない国なのではないか」との趣旨のことをおっしゃっていた。蓋し名言と思う。また、今回の核実験に限らず、日本の新聞のインドについての書きぶりについても話題に上った。今日もこんな記事があった。

> === <980514-52>. news.asahi/society, -(-), 98/ 5/14 14:41, 20行
> 標題: インド大使館前で核実験反対の抗議続く
> ---
>  核廃絶を求める世界の声を無視するかのように、日を置かず立て
> 続けに行われたインドの核実験に対して、長崎市議会の代表や市民
> 団体は十四日、東京都千代田区のインド大使館前で抗議の声を上げ
> た。
>  早朝にはプラカードを掲げた抗議の市民たちが集まった。午前十
> 時すぎ、七つ団体が「もうこれ以上蛮行を繰り返すな」などと声明
> を読み上げ、大使館職員に抗議文を手渡した。長崎市議会の塩川寛
> 副議長も抗議に訪れた。
>  また、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の岩松繁俊議長は十三
> 日深夜、インドのたび重なる核実験強行に「世界の人々の怒りの強
> さを自覚すべきだ」との抗議声明を発表。「核軍縮を実現するため
> の懸命な努力を続けてきた国々や、世界の平和運動に対する明確な
> 挑戦である」とした。
>  原水爆禁止日本協議会(原水協)も十四日、「世界に広がる核実
> 験禁止、核兵器廃絶の世論に逆行するものであり、新たな核軍拡競
> 争の危険をもたらす」との抗議文を発表した。
>  一方、広島では、被爆者や市民が原爆ドームの前で座り込みをし
> て、抗議の意思を示す。市民団体「ピースリンク・広島・呉・岩国
> 」の世話人、三木のりこさんは「平和への責任感のなさに憤りを感
> じる」と批判した。
日本人の感情及びそれを報道することの是非については、別に文句はないが、インドの「平和への責任感のなさ」は如何なものだろうか。別に発言者に反論するつもりはない。しかし、インドは国連PKO創設以来継続的に参加してきていること、そもそもNPTもCTBTもインドが提案したものであること、等と共に報道して始めて、バランスの取れた報道ということができるのではないだろうか。こういう記事ばかりだと、感情面ばかり煽られて、読者がインドのことを誤解するのではないだろうか。

5月13日(水)

午後に大蔵省に協議に行く。協議を終えて大蔵省を出ると、TVのクルーが(大蔵大臣を)待ち構えている。何かあったのか、と聞くと、何と、2回目の実験が行われたという。色々と質問すると、逆にこっちが問い詰められそうなので、早々にその場を立ち去る。(参考:第2回核実験に関するインド政府の公式発表)

今晩は、そもそも出張者を我が家に招いてMassiのインド料理をご馳走するつもりだったのだが、2回目の核実験を受けて、新規案件審査の取りまとめ作業に加えて、東京と連絡を取りながらの対インド制裁関連の資料作成作業が夜遅くまで続いたため、急遽料理を事務所に送ってもらってミッションといっしょに食べる。結局、午前4時近くまで事務所で作業をする羽目になった。とはいっても、一番大変だったのは、東京で孤軍奮闘、徹夜を強いられたIさんだっただろう。

5月12日(火)

一夜明けての新聞報道で目に付いたタイトル。批判的な論調はほとんど見られない。雰囲気としては、日本で人工衛星が始めて打上げられた時のような感じであり、「お祭りムード」といった感がある。彼我の受け取り方の違いに戸惑う。

一方で、仕事柄、すぐ開催される先進国サミットや、6月に予定されている対インド援助国会合に向けて、「何で、このタイミングでこんなことをしでかしてくれたのか」という思いが去来し、同僚や出張者とともに一日中ため息ばかりついていた。

興味深かったのは、複数以上のインド人同僚から、「アメリカや日本がインドの核実験を批判するのは、パキスタンとの友好関係があるからなのではないか?」と問われたことだった。とある新聞がそのような論調で報道していたのも原因らしい。また、「経済制裁が実施される可能性があるというが、74年の核実験の際には援助の削減等はなかったではないか?」という主張もあった。

これらに対しては、「74年当時から大きく変化した現在の国際常識では、核実験を行うということのみで批判を受けるのは当然であり、パキスタンがあろうがなかろうが、また、パキスタンが核を持っていようがどうだろうが、インドの核実験に対する批判は止むことはない。特に日本とインド、日本とパキスタンとの『距離感』については全く異なるところがなく、本件について日本とパキスタンが連携している、と見るのは大きな間違いだ」と説明するが、インドの人々の思考回路の隅々にまで染み込んでいる「パキスタン」という、言わば「自らの影法師」のような存在を強く感じさせられた。

東京から、官房長官談話として、以下が伝えられた。(当地日本人会配布版による)

インドの核実験実施に関する我が国の措置に関する村岡官房長官の談話
    1. 	11日、インドが核実験禁止の流れに逆行して、核実験を行ったことは極めて
    	遺憾である。我が国は、12日、小渕外務大臣よりシン在京インド大使を招致
     	し、この遺憾の意と共に	核開発の早期停止をインド側に申し入れたところ
     	である。
    2.	今般のインドによる核実験実施は、核兵器のない世界を目指す国際社会全体
	の努力に対する挑戦であり、全く容認できないものである。インドに対して
     	は核実験の即時停止と、NPT及びCTBTへの早期加入を改めて求めたい。

    3.	このため政府としては、ODA大綱原則に鑑み、以下の措置を講ずることとし
	た。
	(1)	対インド無償資金協力については緊急・人道的性格の援助及び草の根無償を
		除き新規の協力は停止する。
	(2)	対インド円借款については、今後のインド側の対応を見て、我が国政府の具
		体的方針を決定する。
	(3)	本年6月30日〜7月1日に対インド支援国会合(IDF)が世銀主催の下に東京で開
		催されることが予定されていたところ、我が国政府としては、東京開催招致
		を見合わせたい旨世銀に申し伝える。
    4.	また、インド向けの大量破壊兵器関連品目の輸出については、厳格な審査を
	堅持していく。
これを見て思ったこと(複雑な思い)。

とある夕食会があり、インド大蔵省のカウンターパートも揃っていた。私から、「東京のインド大使館とはコンタクトを取っているのか?」と聞いたところ、先方から、(純粋な疑問といった感じで)「えっ!何を聞くべきなのか?」と逆に聞き返された。私からは、「一緒に仕事をしている相手国が何を考えているのか、特に日本の国民がどういう反応をしているのか、知って欲しいと思う」といっておいたが、どこまで分かってもらえたか。資金協力だけでなく、相互理解を深めるためにも仕事をしているつもりで、こちらはインドについて出来るだけ色々な角度から理解しよう努めているのに、片思いが分かったような、少し悲しい気持ちになる。

5月11日(月) Buddha Purnima (仏誕会)

夕方帰宅してテレビを点けると、Star Newsで、何とインドが核実験を行った、との報道があった。最初は半信半疑で見ていたが、Vajpayee首相が演説しているのを見て、「あぁ、いつかやるとは思っていたけれど、とうとうやっちまったんだ!なってこった!」と思った。普段は記者会見や国会でも基本的にヒンディー語のみで通す同首相がこの核実験に関する記者会見では英語のみで話していた。如何にも外国を意識した会見という印象を与える。(参考:首相会見に引き続き公表されたインド政府の公式見解)

主要野党のうち、国民会議派は、当初、実力者Sharad Pawarが核実験の成功に関しては称賛したものの、その後、デリーの本部ベースでの公式ステートメントでは、何故この時期に実施したのかについてBJPを問い質す姿勢を示した。一方、UFは、「昨今の各政権は核実験の実施を課題として捉えてきており、これが成功裏に実施されたことは幸い」と、諸手を挙げて称賛というスタンス。但し、UFを構成している左翼政党からは、称賛のコメントは聞かれず、むしろ、「連立政権内部の矛盾・確執から国民の関心を外すための実験であった」とのスタンス。実験準備に要する短からぬ期間を考慮すると、政権について7週間しか経っていないBJPが準備着手から実験実施まで全てを取仕切ったと考えるのは困難であり、UFとのコメントとも考え合わせると、UF政権下でもHidden Agendaとして本件実験が検討されてきており、仮にUF政権が継続していた場合でも、早晩実験が行われることになっていたのではないか、とも思える。もしくは、96年のBJPの「13日政権」の際に準備されていた?

いずれにせよ、現在国会は休会中であり、本件についての政治的な議論・かけひきは、5月27日から始まるBudget Sessionに向けて本格化して行くことになろう。

大抵のことでは、インドの肩を持ちたいと思っている私も、今回はどこまでインドの肩を持てるのか分からない。いろいろ思いを巡らせてみたが、何故、このタイミングでなければならなかったのかについては明確な答えが出ない。

5月10−11日(日・月)(月曜日はBuddha Purnima(仏誕会)で休日)

パリ事務所から紹介されたOECDのMさん(女性)をデリー市内にご案内する。アンバサダーでピックアップしたところ、「この車随分クラッシックですけれど、何年モデルなんですか?」と聞かれ、ショックを受ける(97年モデルです!)。

前評判通り元気な人なので、普段はお客さんを連れて行かないKalkaji寺院(結構キタナイ)にも御連れした。また、オールドデリーのJami Masjidにも行き、卒業旅行以来、9年ぶりに同モスクの塔に登る。結構骨が折れたが、Red Fortを始め新旧デリーの街並がよく見えて、登ってきてよかったなぁと思う。

5月4−7日(月−木)

出張者に同行して、ラジャスタン州のアラバリ山地植林事業のプロジェクトサイトを視察する。(以下作成中)

5月3日(日)

出張者と共にVineetの家に行く。(以下作成中)

5月2日(土)

「市場にいってクルタパジャマを買いたい」という出張者を案内する。まずはINAマーケットに連れて行く。INAとは、Subhash Chandra Boseが率いたIndian National Armyの略で、第2次世界大戦後、まだインドが英国統治下にあった時に、「反逆罪」に問われたINAの人々が収監された監獄があった場所だとのこと。

乾物屋みたいなところに入ってみると、店の隅に味噌・醤油・味醂・御茶漬けの素・等々が無造作かつバラバラにおいてあった。当地日本人社会には、「使用人が日本食の買い置きをINAに横流しして小遣い稼ぎをしている」という、まことしやかな噂があるけれど...。

同じ乾物屋で掘り出し物があった。その名もカタカナで「プリヤ」というティッシュペーパーだ。れっきとしたインド製のティッシュなのだが、何故か説明が日本語で書いてある。プリヤについては、すごすぎるので、別のページで追跡調査することにした。

さて、何でも手に入るINAマーケットの一番濃ゆい部分、それは何といっても肉・魚売り場だ。早速出張者を連れて行き、写真を撮る。凄まじい臭気、次々と絞められて行く鶏の末期の声、バカでかいドブネズミもいた。一生懸命笑顔を作りながらも不快感に激しく歪むKさんの顔が印象的。


さて、INAから、Sarojini Nagarマーケットに場所を移し、クルタパジャマを購入。一着約200ルピーである。

Sarojini Nagar市場から、INAマーケットとは道を挟んで反対側にある、Dilli Haatという入場有料(Rs5)のマーケットに行く。ここは、インド各地から我らが村の手工芸品を持ちよった人々(所謂女性企業家みたいな人も多い)が思い思いに店を広げている出店のブースのコーナーと、インド各州の料理が楽しめる屋台のコーナー、そして音楽や演劇のための野外小舞台のコーナーに分かれており、結構オススメである。しかし、如何せん暑かった。恐らく40度を越えていただろう。そのためか、お客は余りおらず、マハラシュトラやラジャスタン、グジャラートから来たという出店の店番達も今一つ力が入らない。夕方来るべきだったと思う。

入場料5ルピーだけの違いで、道を挟んだだけのINAマーケットとの客層の差は歴然としており、こちら側にはTシャツとジーンズの良家の子女風の若者や金持ちの家族連れが多く、モダンバザールと並んでデリーの若者のオシャレなスポットになっているようだ。

さて、暑いのでもう帰ろうかと行っていたときに、遊びに来ていた高校か大学生くらいの女の子グループに会い、一緒に写真を撮りましょうということになった。デジカメで撮った写真をその場で見せる。

集合写真を撮った後、その中でも一番可愛いなぁと思っていた子が、何故か私とツーショットで写真を撮りたい、という。インドに来て以来初めての出来事で、ドギマギする。

最後に、連絡先を教えてくれ、という。すかさず名刺を渡した某君と異なり、準備が悪い私は持ち合わせの紙に連絡先を書いたのだったが、肝心の相手の連絡先を聞くのを忘れた!ナンパ失敗である。某I氏を見習わなければ、と思う。

この後、事務所に戻り、サファリスーツに着替えて、西ベンガル州の交通大臣の表敬を受け、円借款資金で実施中のカルカッタ交通基盤整備事業や、カルカッタの交通関連プロジェクトについて議論する。

その後、再び出張者を連れて、オールドデリーの楽器屋、スパイスマーケット、紅茶屋、モダンバザールを廻る。楽器屋では、タブラを買おうと思うが、タブラの先生を紹介してくれと行っても教えてくれないので、取り敢えず教本だけを買って帰る。

夜9時半から始まった西ベンガル州交通大臣ご一行との夕食会は真夜中12時過ぎまで続いた。実に長い一日だった。

5月1日(金)

大蔵省で、とある問題について協議していたときに、我々の頼もしいカウンターパートであるMr Bhaskarが、The issue has gone six.といった。一瞬なんのことか分からなかったが、このところクリケットづいている私には、ピンときた。「その問題は、(ホームランのように)我々にはどうしようもないところに行ってしまった」ということ。同席したMr Mool Chandが「お前、今の意味分かったか?」というニュアンスで私に目配せするので、「これしき当然!」と胸を張って答える。昨晩はショックだったが、こういう時には、相手の言っていることについて、単なる言葉を超えた何かが理解でき共有できたような感じがしてうれしいものだ。