98年11月の日記


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11月30日(月)
4、5年前に某役所に出向していたときに大変お世話になったとある大変偉い方にお会いすることができた。ずっと欠礼が続いていたのだが、先方も私のことを覚えて下さっていて、感激だ。


11月29日(日)
昼間、ソフトボール大会があった。マハラジャキングスは準決勝にシード出場だったのだが、残念ながら、惜しい試合だったのだが、準決勝で負けてしまい、その後の3位決定戦でも実に惜しい試合をして負けてしまった。ちょっとだけ走ったら、身体中が痛くなった。

その後一旦家に帰ってから、ジムにいって、汗を流した。その後、家でテレビを見ながら、これこれを書いた。インドの政治は面白い。

そうそう、アンバサダーのウォッシャー液の出が以前にまして悪くなって頭にきたのだが、一旦家に帰ったときに、ボンネットをあけて調べてみたら、タンクから出てくるチューブが折れ曲がっているのが分かって、それを直したら、まるで○○○した×××のように(人様に言えない表現ばかり思い付いてしまう。適当に○○○と×××に言葉を入れて楽しんで頂ければ幸甚)、勢いよく水が出てきてうれしくなってしまい、ジムへの道々、何回も水を出してはワイパーをかけてしまった。


11月28日(土)
今日はアンバサダーのやり直しをさせようと思っていたのだが、テレビで選挙の開票速報がどんどん入ってくるのを見ていたら、夜になってしまった。デリー、ラジャスタンでは予想通りBJPの敗北(ラジャスタンでは惨敗)、マディヤプラデシュでは予想に反して国民会議派が過半数を保持し、政権維持ということになりそうである。ミゾラムでは国民会議派政権が地元のMizo National Frontに敗北。

今回の選挙では、野菜などの物価上昇などにより、「現職不利」ということが言われていたが、マディヤプラデシュで国民会議派が勝ってしまったことで、必ずしも全ての地域で「現職不利」が当てはまる訳ではないこと、また、BJPが主要な基盤としていた北インド(デリー、ラジャスタン)で敗北したこと、から、中央BJP政権への信任が失われた、と見る向きもあり、場合によっては来年早々にも総選挙ということにもなり兼ねない雲行きである。今回の「勝利」を背景に国民会議派がどう出るか、連立与党内の不協和音が高まっていくことに繋がるのか、ますます政治から目が離せない。


11月27日(金)
昼休みに一旦帰宅したときに、うちのMassi(コック)とPushpa(メイド)に、「選挙はやっぱりコングレス(国民会議派)に投票したのか?」と聞いたら、二人とも「いや、BJPに投票した」との回答。「あれっ、この間まで、『玉ねぎが高い、ジャガイモが高い、これはBJPのせいだ、Sonia Gandhiが来れば玉ねぎもジャガイモも安くなる』っていってたじゃないか?」と聞き返すと、「最近は玉ねぎも安くなってきたし、BJPにもう一回チャンスをやってもいいんじゃないかと思って」との答え。ふーん、そんなもんかねぇ、と思っていると、Massiがニヤニヤしながら、「だって、Saabはいつも、『インドをだめにしたのはコングレスだ。Sonia Gandhiが来たからって何も出来やしない』って言ってるからBJPに入れたんだ」と言われて(当然冗談だが)ギョッとする。

「コングレスがインドをだめにした」というのは半分本音である。独立インドの50年の歴史のうち、40年以上を国民会議派政権が占めている。...と、私の主張を書こうかと思ったが、疲れた。別の機会にしよう。


11月26日(木)
この季節、デリーはラジャスタンの砂漠からも遠くないせいか、埃が多く、車の窓もすぐに汚れてしまう。ところが、アンバサダーの標準装備には、ウォッシャー液のノズルは含まれていない。「そもそも、アンバサダーは自分で運転するものではなく、他人に運転させるもの。運転手が面倒を見るので、窓など運転手に拭かせておけばよい」という設計思想なのだろうか。

とはいえ、こちとらオーナードライバーである。一々窓を拭くのも面倒くさいので、これまでは車内に常備しているミネラルウォーターのボトルから水を窓にぶっ掛けてワイパーを回す、という原始的なことをやっていたのだが、それも面倒且つ格好悪い、ということで、今日、ノズルをつけてもらうべく、件の自動車修理工場に車を送る。

暗くなってから、車が帰ってきた。元々、ワイパーのスイッチのところにウォッシャー液のボタンはついていたので、当然それを押せば水が噴き出てくるものと思い、押しても何も出ない。おかしいなぁ、まさかエンジンかけないと使えないってことはないよなぁ、と思いつつエンジンをかけてから同じボタンを押してみるが、何も起こらない。これは変だと思い、室内灯(これも「運転手文化」のせいか、随分と後部座席寄りについているのだが)を点けてみる。すると、当然それがウォッシャー液のボタンだと信じて疑わなかったボタンの横に余り美麗とは言えない赤いボタンが新設されているではないか。

この「かわいくない」赤いボタン(縁のところから接着剤みたいなものがはみ出していて、本当に美しくない)がウォッシャー液のボタンなのであった。押してみると、何故だか5秒位待たされてから、余り元気のよくない水が吹き出してきた。

街でオンボロのタクシーに乗っていると、ハンドルのところのクラクションボタンが壊れていて、丁度この赤いボタンがあるところに代りのボタンがあったり、それさえなくて、裸線を手で接触させてクラクションを鳴らしたりしているのを見かけることがあるが、何だか、僕のアンバサダーも、そういう方向への第一歩を踏み出してしまったようで、無性に悲しい。

週末にでも、修理工場に持っていって、やり直しさせることにしよう。


11月25日(水)
今日はデリー、ラジャスタン、マディヤプラデシュ、ミゾラムの4州の州議会選挙があった。とある知り合い(特に名前は秘す)のツテでデリー市内の投票所に潜入することができたので、その模様をここに掲載する。


11月24日(火)

夕刻、JICAが行っているインドの中高校教師を日本に送るプログラムの対象者の壮行パーティーに出席。インド中から30人の先生たちが選抜され、日本で3週間過ごすとのこと。関連新聞記事(Hindu 1998年11月24日)はここ

彼らが空港に向けて旅立つ前でもあり、駆け足のパーティーだったので、余り多くの人たちとは話せなかったが、ウッタルプラデシュ、アンドラプラデシュ、ビハール、ケララ等からの先生と話をする。皆、若くて真面目な好人物で、普段デリー喧喧諤諤やっている役人ドモとは全然違う印象。

核実験後、日本とインドの関係は必ずしも良好ではないのだが、こういう地道な交流を通じて、お互いの理解を深まていくことが大切だとおもう。

夕食は武貞君宅で、大橋さんを始めとするシャプラニールの方々とバングラデシュの話などで盛り上がる。ダッカにはタクシーなるものがなく、これまでは専らサイクルリキシャか、あちらではベビータクシーと呼ばれているオートリキシャしかなかったそうだ。ところが、最近営業を開始したタクシー(ダッカ中で16台って言ってましたっけ?)は、何と冷房付きのアンバサダーだとのこと。よりによってアンバサダーじゃなくてもいいような気がするが、外国から輸入するよりは地続きのインドから持ってきた方が早い、ということか?


11月23日(月)

テレビによると、ハイデラバードにインド初の民間のインターネットプロバイダーが開業したらしい。

10月末にVajpayee首相から、「11月6日までに、民間のプロバイダーへのライセンスを発行する」との発表(関連記事)があり、それを受けて業務が開始されたもの。

これまで、インドのプロバイダー業務は日本のKDDのような国営国際通信会社(VSNL)が独占していた。独占故のサービスの質の悪さ、割高なコストなどの問題が利用者(俺のことか)から問題視されていた。今後は、民間の参入によって競争が生まれ、全体としてサービスの質が上がり、接続料金も安くなっていくことが期待される。

と、それはそれでいいのだけれど、雨が降ると雑音だらけになるなど、そもそも電話線の質が低いので、繋がっても頻繁に切断されたり、つながりにくかったりするので、そういう基本的なところも何とかして欲しいものだ。

参考までに、インドにおけるインターネット環境についてとある方から受けた質問に対して送ったメールの写しを転載する。最初の質問の回答はもう変わりつつあるのは言うまでもない。

>>1)現地にインターネット・プロバイダーはありますか?
>>  又、インド国内にアクセス・ポイントはありますか?
>
>はい。今のところ、VSNLという、日本で言えばKDDに当たる国営会社
>が独占してプロバイダーをやっています。アクセスポイントは4大都市
>を始めとして、インド各地に広がりつつあり、全国何処のアクセス
>ポイントからでもログイン出来るようになっています。
>
>>2)プロバイダーには個人で加入できますか?
>
>はい。VSNLの年会費は今のところRs10,000です(年500時間の利用上限あり)。
>大体申請を出してから1〜2週間で手続きが終わります。
>先週、インド政府からの発表があり、民間のプロバイダー参入も認可
>されるとの由。VSNLのサービスの質は余りよくない(電話線の込み具合
>とか、切断の多さ、転送の遅さなど)ので、民間の参入でVSNLの質も
>上がることが期待されています。
>
>>3)自宅でモデムを使用したダイヤル・アップ接続が可能ですか?
>
>はい。電話線の質に大きく左右されますが(運悪く、雑音が多い電話線に
>当たってしまった場合には切断されることが多くなる)、ダイヤルアップ
>接続が可能です。その際の留意点としては、電話線が混んでいて(もしくは
>VSNL側のモデムが不調で)、何回も架け直しをしなければならないので、
>日本国内のモデム(郵政省の規制により、3分間に3回以上の架け直しができ
>ないように設計されている)はインドには向きません。出来れば、海外仕様
>の3分3回規制のないモデムを購入されることをお勧めします。
>
>>4)トランスやスタビライザーを接続すれば、自宅でもパソコンを
>>  使用可能でしょうか?
>>  (赴任前にノートブックを購入して現地に持って行くつもりなのですが)
>
>正に私の環境がノートブック+PCカードモデム+トランスという構成
>です。電圧が変動しますので、トランス及びスタビライザーは必要です。
>停電が多いので、ノートブックのほうがインド向けということが出来る
>かもしれません。デスクトップの場合には無停電装置(UPS)を別途買う
>必要があります(インドで購入可)。


11月22日(日)

今日は何かと忙しい一日だった。

朝7時過ぎに起きて、お茶を沸かして水筒に入れて、日本人学校へ。年一回の日本人会の運動会があるのだ。僕は専ら誘導係のお手伝いをする。僕ら独身者や子供のいない家庭にとっては、(正直いって)今更運動会?、という感じがあるのだが、やはりお子さんのいるお父さん・お母さんにとっては、楽しい日であると共に、写真・ビデオ撮りにいそしむ日のようだ。皆さん最新型の小型ビデオカメラや、スチルカメラを片手に(本当に片手に収まるような大きさだ)、ベストショットを求めてフィールド内を右に左にと動き回っていた。(入場行進の群れからちょっと離れて立っている一群が、お父さん・お母さん方である。)

最近見た雑誌に、「子供が生まれたからって、写真入りの年賀状なんて絶対にやるもんか、と思っていたけれど、生まれて見たら気が変わっちゃった」みたいな、マイクロソフトの広告が載っていたのだけれど、皆さんの親バカぶりと幼稚園・小学生低学年(みんな何だかチョコチョコしていて可愛らしい)をみて、そういう感じって分からないでもないなぁ、と思ったりしたのだった。

運動会の後、とある焼き肉パーティーにお邪魔する。殆ど初対面だが、意外なメンバーが集まって、楽しい会となった。この下らぬ日記をまめにお読み頂いている方々がデリーにもいらっしゃったと知って、大変恐縮する(妙に丁寧な言い方ではある)。

誰がいたのか、どんな下らん話をしたのか、色々書こうと思ったのだが、最近、自分以外の人に起きたことをここに書くと、ご本人が他人に告げる前にこのページを見た方々に広がってしまう、という事態も生じているようなので、謹んで遠慮させて頂きます。いやぁ、ごちそう様でした。楽しかったので、同じメンバーで是非芋なべの会やりましょうね!


11月21日(土)

久しぶりに成り金スポーツクラブにいく。久しぶりなので、余り無理はしないでおこうと思い、抑え気味に身体を動かしたのだが、汗は出るものの、身体は何とも楽だ。やはり、海抜5,500mの高地から200m足らずのところに降りてきたからか、と勝手に決めつけ、独り満足する。

そう言えば、トレッキングから帰って直後、体重を量ったら、4kg程減っていた。この程度しか減らなかったのか、まぁ、こんなのすぐに戻っちまうよなぁ、と思っていたら、トレッキングから戻って1ヶ月以上経ち、インド飯・日本飯と従前のように食べ、ロクに運動していない現在でも、その体重から増えていない。

トレッキングの途中、仲間の一人が持っていたガイドブックに、「高度に慣れていない外国人が4,000m以上の高度で一定期間過ごすと筋肉に新たな血管が出来上がり、その後は平地に戻っても決して太らない身体になる」と書いてあったが、これはそういうことなのだろうか、と思い、また独り満足する。


11月20日(金)

DEAのMr Bhaskarのところに行く。お互いメチャクチャ久しぶりである。彼はチェンナイの近くの お寺にお参りした時に頭を丸め、僕はネパールにいって髭を伸ばしてきた、と いう、お互い「普通でない状態」でMr Mool Chandと共に記念撮影。

夕刻、デリーを流れているヤムナ川の水質を改善するために円借款で実施 中の「ヤムナ川流域都市下水道等整備事業」のコンサルタントとしてデリーに 貼りついてこられたSさんの送別パーティーに行く。我々を除いて日本人は 殆どおらず、ゲストの殆どはSさんのジョギングの同好会の仲間である外国 人。今更ながら、鈴木さんの交友範囲の大きさに驚く。

UNDPの下水道専門家のNさん、うちの事務所のMr Singh、T夫人、T君、Sさん、日本大使館のKさん。


11月19日(木)

Madhuから、12月11日に予定されてい る彼女の結婚式の招待状を貰った。日取りが決まった、と発表があったのは7月9日で、当時はまだまだ先の話だな ぁと思っていたのだが、あっという間である。

これから3月のHoliの時期まで北インドは結婚式の季節だ。毎晩のように何 処かしらで結婚式が行われ、人が担ぐ電飾の行列と楽隊が先導する、白馬に乗 った花婿の行列や、レセプション、俄かづくりのディスコ、そして(ヒンドゥ ー教徒の場合)決まって真夜中に行われる結婚の儀式、と、殆ど夜明けまで続 くのだ。

こちらにきてから、貧しい人から官界の大物の娘の式まで、数多くの結婚 式に出たので、インドの結婚式次第や、御祝儀の相場感などについてはやたら 詳しくなってしまったのだが、そんな他人のこと知ってたって、何の自慢の種 にもなりゃ〜しねぇよなぁ〜、と独りごつる私。


11月18日(水)

今日は外で会議が3本もあり、朝から出たり入ったり忙しい一日だった。

今日は事情があって、アンバサダーで動き 回ったのだが、流石にもう11月。少々寒くなってきた。もう冬だ。北インドの 平原では氷点下には至らないものの、摂氏一桁までは下がる。そうなると、元 来南方仕様(?)のアンバサダーには工場出荷仕様ではヒーターなるものがつい ていないので、凍えながら運転することになるし、室内が体温で暖まってくる と今度は熱線が入っていない窓は結露で真っ白になってしまう。そのうちヒー ターをつけることにしよう。

帰ってから、フィルムスキャナでトレッキングのスライドをスキャンする 。枚数が多い上に、パソコンがPC-A330というシャープ・メビウスの一番古い モデルでCPUがPentium 90MHz、RAMは32MBという、非力な仕様なので、時間が かかって仕方がない。2時くらいまでかかっても全体の5分の1も終わらず、疲 れ果てて寝る。


11月17日(火)

エベレストベースキャンプへのトレッキングの途中、10月10日に、ネパールの山中の村ナムチェバザールから出した絵葉 書がやっと 今日着いたとの連絡が実家からあった。

ナムチェからヤクや人に担がれてルクラまで届けられ、そこからあの小さ なプロペラ機でカトマンズまで送られ、それでやっと日本まで届いたわけだ。 随分と時間はかかってしまったが、よくも日本まで届いてくれたものだなぁ、 と思う。

もう、あのトレッキングから帰って一ヶ月近く。随分時が経つのは早いな ぁと思いつつ、あの、毎日歩くだけで辛かったが、歩いただけ確実に前進する 実感に満ちていた毎日と、忙しくも唯何となく過ぎていく今日この頃を見比べ て、少し寂しい気分になる。


11月16日(月)

折からインドにおいでになっているOECFのOBのSさんと夕食。「日本酒 が呑めるところ」という基準で、アショカホテルの「東京レストラン」に行く 。

実は僕もT君も初めてである。これまで2年以上インドにいるのだが、わ ざわざ外食で日本食を食べに行く気にもなれず、且つどうせ日本食といったと ころで、中華だか何だか分からないものが出てくるんだろう、とタカを括って 、今日の今日まで来る機会がなかった。ところが、まず、店の雰囲気が日本の 駅前の居酒屋ぽくって、中々よい。店員も日本語は流暢ではないが、愛想があ った。

また、つまみに頼んださつま揚げとか、焼きうどんなども結構しっかりし ていた。酒の燗もまぁまぁである。仕上げに頼んだ蕎麦については、漬け汁が 甘かったので、その旨指摘すると、シェフ(北東州出身なのだろうか、日本人 のような顔つきだった)が出てきて、どうやったらおいしくなるか教えて下さ い、という。中々勉強熱心そうなので、付け焼き刃覚えた、蕎麦汁の「かえし 」(醤油とみりんと砂糖を合わせて火を通したもの)の配合を教えてあげる。ち ゃんと出汁の取り方は知っているようだ。

コースターなんかのロゴもカッコイイ。最近デリーには日本食レストラン が2軒程オープンし、日本食フェ アがあったばかりだが、アショカホテルとしては、それにもめげず、「デ リーで一番古い日本食レストラン」という「老舗」のイメージを前面に出して 行こう、ということか(いつ開業したのか聞いてくるのを忘れた!)。

と、いうことで、意外にも、居酒屋としては結構満足度の高い東京レスト ランなのであった(所謂酒の肴しか頼んでいないので、ご飯ものとか、他の品 については保証しない)。入り口には、おなじみ、蝋細工の見本がある。

新顔の日本レストランに負けずにがんばれ!東京レストラン。


11月15日(日)

今日は日本人会のソフトボール大会があったが、朝起きてみると、何とも 熱っぽく、体調が宜しくない。下痢気味のようだ。流石にいまだに夏布団だけ で寝ているのが祟ったのか、風邪を引いたらしい。

とはいえ、チームの頭数が足りないといけない(まぁ、僕が加わったところ で、戦力アップというよりはダウンなのだけれど)ので、取敢えず応援だけは しようと思い、途中でT夫妻を拾って日本人学校へ。

我々のチームは某商社を中心とした連合軍で、名前をMaharaja Kingという のだが、一応ユニフォームのTシャツもあって、そのTシャツ姿で気合が入って いるキャプテンTさん(サングラスでちょっとコワイ)とFさんの写真を撮 る。

第1戦目は日本人学校+報道関係者連合軍のWhite Tigersが相手である。学 校の先生方は普段から体育の授業などで走り回っているだろうから、手強い相 手ではあったが、Maharaja Kingは内野の守備が固く、相手にホームを踏ませ ず、Tキャプテンのホームランなどもあって、6点を先取。

と、ここまで観戦していたのだが、どうも腹の調子が悪くて、胃が捩じれ るような感じで痛い。苦痛が顔に出るらしく、申し訳ないので、途中で失礼す る(僕の分までお弁当を作ってくれたT君達には申し訳ないと思いつつ)。

尾篭なお話ではあるが、車を運転しながら、下痢っぽくなってきて、どう も注意が「下の方」に行ってしまい、運転が覚束なくなった瞬間があった。危 ない危ない。結局、午後2時過ぎに帰宅。少し熱があったので、午後はずっと 横になっていた。5時過ぎにT君から電話があり、Maharaja Kingは第2戦も 大勝し、決勝リーグにシードつきで出場とのこと。めでたいめでたい。

夜、お粥を食べて寝る。やはりここのところの寝不足と、キチンと毛布を 被って寝ていないのが祟ったのだろう。デリーは日中は30度近くなり、夜は恐 らく15度前後まで気温が下がっているので、暖かくして寝るべきなのは分かっ ているのだが、大体朝になると、全てを払いのけて寝ていることに気づくのだ 。


11月14日(土)

夕方、例によってアンバサダーを運転し ていたら、暗くなってきたので、ライトを点ける。なんとなくアップビームに なっている感じがした。パネルの青いインディケーターは点いていないにも関 わらず、実際にアップビームになっていた。またか、と思い、パネルを2・3回 ぶっ叩くと、直った。

また、スピードメーターは先週末に再度直したばかりだが、今日走ってい たら、時速60kmを超えるところで、一瞬、スピードは上がっているのにメータ ーは上がらず同時にメーターの裏でカタカタと音がする、といった症状が発生 。またワイヤーが切れるのも時間の問題だろう。

夕刻、Star Plusで放映されたPardes(「遠い祖国」という意味?)という映画を 見る。アメリカに渡って大金持になったNon Resident Indian(NRI)の息子と結 婚することになったインド人女性を通じて、インドの伝統的な価値観と「西洋 かぶれ」のNRIのそれとの相違を描き、「やっぱり世界でインドが一番良い」 とする映画。独立50周年に合わせて1997年封切りされ、ヒットとなった。Shah rukh KhanとMahima Chowdharyが主演。Mahimaはこの映画で鮮烈なるデビュー を飾ったが、当初は主演女優としてMadhuri Dixitが予定されていたらしい。M adhuriだと、Mahimaのような、溌剌とした娘姿、というのは描けなかったので はないかと思う。映画を見終わったら、すでに午前2時を回っていた。


11月13日(金)

インドとジンバブエのOne Day Match(クリケット)を生中継でみる。結果 はインドの圧倒的勝利。Sachin Tendulkarが大活躍し、インドがたたき出した 197点のうち、Sachinは124点を稼いだ。まるで、インドがジンバブエ相手に練 習をやっているようなもので、見ていて却ってつまらない。


11月12日(木)

夜8時から、Star Plus (TV)でMaachis(Slide Showというところをクリックすると イメージが自動送りで出てくる)という、96年制作の映画が放映された。 ボリウッド女優の中で僕の好みのTabuが出ている評判の映画だったので、 ビデオに撮る。

この映画は、84年のIndira Gandhi首相暗殺の引き金となった、「パンジャ ブ問題」(注)を背景としたストーリーで、首相暗殺事件後の権力側の不当なシ ク教徒弾圧とそれへの反発の結果としてテロ活動の深みにはまってしまう青年 の物語であって、ボリウッド作品ではあるが、シリアスな社会派映画である。 歌のシーンはあるが、「ボリウッドダンス」のシーンはない。

(注) Indira Gandhi首相(当時)は、一部のシク教徒過激派による パンジャブ分離独立運動が武力闘争となった1984年6月、武装過激派が籠城し たシク教総本山、アムリトサルのGolden Templeへのインド国軍を突入させ、 過激派を掃討する(6月5日)が、その際、Golden Templeを著しく破壊した。そ れはシク教徒の反発を買い、同年10月31日、同首相はシク教徒の護衛官に暗殺 された。その直後から、デリーを中心として、国民会議派の政治家・活動家に 煽動されたとも言われるヒンドゥー教徒暴徒によるシク教徒への報復的虐殺行 為が広がり、その結果数千人の無辜のシク教徒市民が殺害され、結果として過 激派活動の激化・長期化を招くこととなった。シク教徒は、インドとパキスタ ンの分離独立の際のパンジャブ分割の悲劇(国境を東行するヒンドゥー・シー ク教徒と西行するムスリムとの衝突、虐殺)の影響を尤も大きく被ったグルー プであり、中央政府に対して正当な償いを求める気持が強いと言われる。

さて、Maachisとの関係で、昨今の政治の話を少し書いておこう。

昨日、Sonia Gandhiがシク教徒の集会で、「1984年の出来事を思う毎にシ ク教徒の嘗めた辛酸に対する悲しさで胸が一杯になる」、と発言した。元来は 国民会議派の支持層であったシク教徒の多くは、1984年の虐殺事件以降国民会 議派への反発を強め(当時、国民会議派政権は、デリー一帯に広がった虐殺行 為について2日間、「見て見ぬふり」をして放置したと言われている)、同党へ の支持を取りやめ、穏健化したシク教徒中心のAkali Dal(現在中央連立政権参 加)等、他の政党支持へと変わっていった。 一方で、11月25日に投票が予定されているデリーの州議会選挙に向けて、デリ ーでは人口の20%にも上るとも言われるシク教徒からの支持を取り付けること がどの政党にとっても大きな鍵となるが、その一環として、Sonia Gandhiから 、まるで、天皇陛下の「おことば」のような「謝罪」の言葉があったわけだ。

Sonia Gandhiの言葉についてどう思うか、とシク教徒のドライバーSheetalに聞いてみたが、彼も、84年の事態に関 する怒りを禁じ得ない、といった様子で、「何を言おうが、当時ヒンドゥー教 徒を煽動したと言われる会議派の政治家が裁かれもせず、会議派のデリー支部 で大きな勢力を有している限りはお笑いに過ぎない。自分の知人の家は家族全 員で17人だったのが、あの気違い沙汰の中で、男を10人も殺された。」と言っ ていた。当時、彼の家の周りにも暴徒が来たらしいが、彼の友人の警察官(ヒ ンドゥー教徒)が、身体を張って彼の家を守ってくれたそうだ。その友達がい なかったら、彼も亡き者になっていたのかと思うとゾッとするし、何らかの形 で火が点いてしまうとそれが瞬く間に激化してしまうインドの民衆の恐ろしさ というものも感じる(Ayodyaのモスクが破壊されるに至ったのも、シク教徒虐 殺事件と同根である)。

一方、デリー西部のナングロイという地域では、昨日、中央連立政権に参 加しているが今回の州議会選挙ではBJPの候補者調整はしないこととなったSam ata Partyの候補者が、何者かに殺害された。殺人の当日、その候補者のとこ ろにVerma前デリー州首相(BJP)の弟が訪ねてきた、との情報もあり、この殺人 に前州首相が関与したのではないか、とも言われている。

何とも物騒なお話ではある。ご他聞に漏れず、政治家とマフィアの関連も 強く、またいつ同じような事件がおきてもおかしくない。

これから1ヶ月近く、州議会選挙などが集中するので、また、「政治の季節 」になっていくものと思われる(政権が不安定だから、常に「政治の季節」じ ゃないか、と言われればそうなんだけれど)。地方選挙の結果が中央政権に与 える影響も大きいので、いつか、全体像が分かるようにまとめてみたい。


11月11日(水)

今日は、何だか非常につまらない仕事で一日があっと言う間に終わってし まった。

家に帰ってから、トレッキングのページに英語の掲示板を付けた。トレッキングの日記はまだ入力していないのだが、手帳一冊分に もなってしまっている。一緒に行った仲間は誰も日本語を読めないので、日本 語と英語の両バージョンを掲載しようと思っている。英語版を見に来たトレッ キングの仲間や、その他日本語を読めない人書き込んで貰おうという魂胆。

しかし、トレッキング日記の方は、一体いつになったら完成することやら( というか、いつになったら手を付けるのだろう)。

1996年のエベレスト遭難に関するルポルタージュである、Jon Krakauer, Into Thin Air, Anchor Books, New York.を読みはじめる。カトマンズ で買ってきたもの。日本人女性で二人目のエベレスト登頂者となった直後に遭 難した難波泰子さんがメンバーだった登山隊の悲劇を綴った本だ。

冒頭にエベレストの歴史、エベレストの高さの測量者達の話などが簡単に 触れられているのだが、1852年にエベレストの高さがSikhdarというインド人 によって最初に測量された際、言い換えれば「世界最高峰」としてのエベレス ト(=発見当時のインド国土地理院長の前任者の名前)が発見された時には、何 と6つの観測点の全てがインド領内だったという。エラク遠くからの観測だっ たわけだが、その時の測量結果は、標高29,002フィート(約8,840m)であり、現在定説となっている8,848mとの誤差は10mもない。地表の彎曲も考慮して測量 結果を計算したそうだが、100年以上前に、当時の機器(何といっても電卓すら なかったのだから)で算出されたものであることを考えると、恐ろしい精度だ 、ということが出来るのではないか。


11月10日(火)

昨日遅くまで起きていたので、今日は何とも眠い一日だったが、何故か仕 事の方は捗った。

夕刻Mr Vに電話する。遅れが目立つ国道案件について、我が社の自前の予算で専門家を派遣し、現場での工 程管理の改善などを行おう、という案について議論したのだが、30分の長電話 になってしまった。そのうち仕事の話は半分位か?

彼の赤ん坊の名前はまだ決まっていない。坊さんによると、赤ん坊の名前 は「M」の音で始まる名前にすべし、とのこと。早速、本当の名前が決まるま での愛称は何が良いか、と家族会議を開いたら、この間東京ディズニーランド に行ってきたばかりのGoonjが、Mickeyという名前を付けて、今のところ赤ち ゃんはMickeyと呼ばれている由。

元々興味本位で買ったのだが、Book of Hindu Namesという、アルファベッ ト順にヒンドゥー教徒のファーストネームの意味が記されている、まるで辞書 のような本を僕は持っている。そこには、それぞれの名前について、どういう 謂れがあるのか、どの神様と関係があるのか、などが説明されている。インド の親は、坊さんの星占いを踏まえつつも、、こういった本などを参考にして、 日本と同じように、子供に斯くあって欲しい、という思いを込めて名前を付け るのだ。

Vineetに女の子が生まれたときに、こ の本を貸してあげたところ、随分重宝したそうだ。彼の赤ちゃんは、「p」か 「v」で始まる名前にすべし、と言われて、結局芸術と知恵の女神サラスバテ ィの異名Vaniという名前が付けられたのだった。

さて、V家の坊やには、愛称が先についてしまったが、明日、この本を 貸してあげることにした。是非、インドのオノコらしい、力強い名前を付けて もらいたいものだ。


11月9日(月)

午前中、Mr Singhと一緒に世銀の事務所に行く。とあるプロジェクト についての意見交換。

それにしても世銀の事務所は立派だ。中庭に噴水まであったりする。そし て、いつも腹が立つのが、受付のネエちゃんの傲慢なこと!もう何回もきてる んだから、「OECF」ってぇのくらいおぼえろよなぁと思ってしまう。よっぽど 役所の入り口で通行証をチェックしているオッサンたちのほうが愛想がある。 この世銀のネエちゃんに引き換え、アジア開 発銀行の秘書達は、電話をしても僕のことをよく覚えてくれていて、実に 愛想が良い。こんなところから、「やっぱりアジアの方が、いいよなぁ、通う ものがあるよなぁ」思ってしまったりする。

ご他聞に漏れず、インドでも世銀は人数が多く、一人一人が細分化された 仕事に特化している。インドの場合、国担当の局長が2人制になっていて、ワ シントンとデリーに夫々置かれている。デリー駐在の局長の権限は大きく、最 近は、国別融資方針なども駐在事務所が中心になってドラフトしているようだ 。まぁ、Professional Staffだけでも50人もいる事務所だから、それも可能な んだろうなぁ、こっちときたら、日本人4人にインド人4人だけだもんなぁ、限 界あるよなぁ、と思う。

世銀は、「個別のプロジェクトの調達に関する外部からの照会については 、一切受け付けない」ということ。まぁ、国際機関だから出来ることで、我々 のような二国間援助機関とは位置づけが違うのだけれど、僕らも同じ方針で割 り切って仕事が出来たらどんなに楽だろうなぁ、と「いけない」ことを考えて しまったのだった(= 何が言いたいのか、分かる人にだけ分かってもらえれば 結構です)。

本部に研修に行っていたMr Natarajan< /A>とMadhuが帰ってきた。

夕刻、溜り に溜まった一ヶ月半分の新聞の切り抜きをやる。手が真っ黒になる。いくつか 面白い記事を見つけたので、いつかここで紹介することとしよう。


11月8日(日)

今日は起きたら11時前だった。あと5分位寝てもよいだろうと思って、5分 後に(と思って)再び目覚めたら、何と13時であった。

メールの返事も書かなきゃいけないし、この日記も早くキャッチアップし なきゃいけないし、休暇の間溜まってしまった新聞の切り抜きも作らなきゃい けないので、今日は出かけないことにして家で作業する。


11月7日(土)

とあるプロジェクトの関係で、今を時めくアンドラプラデシュ州首相、Mr Chandrababu Naiduとの面談 に同席。州首相に会うのはDigvijay Singh MP州首相、Kalyan Singh UP州首相 に次いでこれで3人目である。

面談内容は一寸ここには書けないが、Naidu州首相アンドラプラデシュ州の 改革を推進している、今インドで一番注目されている政治家の一人である。自 らコンピューターを駆使し、情報産業の振興に努めるなど、Cyber Chief Mini sterとも呼ばれる(若干揶揄気味な意味合いもあるが)。会ってみて、実際非常 に精力的な人であった。

これまで会ったことのある他の州首相よりもより実務的な話を自ら切り出 すタイプであり、面談時間が長ければ、もっと色々な話が飛び出してきただろ う。インドの政治家というのは、大体がよく分からん存在なのだが(そんなこ と言ってないで、どういう存在なのか、他人にも分かり易く説明出来るように よく調べてまとめること →自分)、Naidu氏のように、自ら達成したい夢を自 分の言葉で語り、それを追求していくタイプの政治家がもっといても良いので はないかと思う。Chidambaran前蔵相もそういうタイプかとは思うが、彼とは 数回会う機会があったけれども、いつも傲慢さが鼻について仕方がなかった。 多分、Indira GandhiやRajiv GandhiまではNaiduに通じるタイプの政治家だっ たのだろうが、Sonia Gandhiは単なるロボットだからなぁ。

恐らくNaidu氏は、今朝ハイデラバードから飛行機で到着したばかりだった のだろうが、いくつもの面談をこなしており、我々以外にも面会を求める人々 が沢山待合室にいた。

いつものことだが、こういうエネルギッシュな人との面会の後はぐったり 疲れてしまう。オフィスに帰って面談の模様を記録しながら、居眠りしてしま いそうになった。

アンバサダーのメーターを再度点検。やは り、取り替えたばかりのワイヤーが切れていることが判明。当方特に文句は言 わなかったし、修理工場というよりはワイヤーの出来が悪いと思ったので、修 理代は払うつもりだったが、タダで良いと言う。タダより恐いものはないとい う(それって、インドでは結構当たりすぎていて恐いくらい)が、この新しいワ イヤー、一体いつまで持つことやら。


11月6日(金)

出張で来ていたKさん、Tさんが帰国(Tさんは直接バングラデシ ュへ転戦)。インドでは実施機関相手に苦戦したようで、ご苦労様だ。

何故か、左の人差指の爪の付け根が化膿している。これはネパールから帰 った直後から続いているものだが、特に傷があったわけでもないのに腑に落ち ない。T家から抗生物質の軟膏を貰って塗ると、夕刻までには腫れが少しは おさまった。

ネパールでは、一度ならず、トイレで左手を使う局面があったのだが、ま さかそのせいじゃないだろうな?


11月5日(木)

11月2日の項に書いた仕事の内部決裁が終わった。まるで、便秘が直った ような(?)感じで身体が軽く感じる。

夕刻、Mr Bhaskarから電話。彼と話すのも久しぶりである。仕事の電話で はあったが、トレッキングはどうだったか、高山病にならなかったか、体重は 減らなかったか、と色々心配してくれていた。そのうちスライド上映会をやる と約束する。彼はマドラスの近くのお寺に行って、髪の毛を全部剃ってしまっ たそうだ。そのお寺にお参りするときには、何らかの「犠牲」を払わなければ いけないらしく、髪の毛を剃ってしまうのが一般的だという。彼は去年もそこ に行って突然丸坊主になって帰ってきた。こちらが不精髭伸ばし放しにしてい るのと対照的で、笑ってしまった。

今日の朝日ネットの朝日新聞ニュースのコーナーにこんな記事が載ってい たので、参考までに転載します。

> === <981105-28> news.asahi/society, -(-), 98/11/ 5 12:06, 20行
> 標題: インドのヒンズー語識字運動に援助を
> ---
>  字が読めない子どもたちのため、ヒンズー語の字を絵や文で説明
> した絵本を作っているインドの識字運動を応援しようと、日本国際
> 児童図書評議会(JBBY)が募金活動をしている。「七十円で一
> 冊の識字絵本を子どもに手渡すことができる。多くの人の協力を」
> と呼びかけている。
>  絵本を作っているのは、国際児童図書評議会インド支部。インド
> は、人口約九億人のうち、ほぼ半数の人が字が読めないといわれて
> いる。同支部は、一九九五年に識字教育のための絵本を作ったが、
> 資金不足で十分に活動できないでいた。
>  それを知ったJBBYが、インド識字基金募集実行委員会をつく
> って、今年二月から寄付を募り始めた。八月末までに約八十六万円
> が集まり、これを基にインド支部は、絵本を改版し、一万冊印刷で
> きた。
>  絵本は、ヒンズー語のアルファベットを一文字ずつ取り上げ、そ
> の文字が頭につく物事の絵と、やさしい文章が添えられている。
>  識字活動が継続できるよう、同委員会は年末まで募集を続ける。
> 寄付金の振り込みは、同委員会あてに郵便振替で。番号は〇〇二四
> 〇―二―八七四六一。問い合わせは、郵便番号一六二―〇八二八、
> 東京都新宿区袋町二五の三〇の二〇三、JBBYインド識字基金募
> 集実行委員会へ。

しかし、「ヒンズー」語ってぇのは何とかならないものか。「ヒンズー」= Hinduであり、ヒンドゥー教の事となるが、それと、言語としての「ヒンディ ー」Hindi語は別物だ。キリスト教徒で母語がヒンディーという人も沢山いる わけで、そういう人たちに「貴方は『ヒンドゥー』語を話しますね」というの は失礼に当たるだろう。こういったことは大切だと思うのだけれど、日本では 混用されているようだ。せめて新聞くらいは気を付けて書いて欲しいなぁと思 う。


11月4日(水)

今日はシク教の開祖、Guru Na nakの誕生日でお休みである。今日も目覚めたら午後1時であった。どうも午前 中無駄にしてしまったような気がしてならない。

夕刻、Gurudwara(シク教のお寺)の電飾を見に行こうとしてアンバサダーに乗る。15分程走っていると、パネルの裏あた りから、カタカタカタカタという音が聞こえてきて、よく見てみると、また、 スピードメーターがイカレている!カタカタカタカタという音からして、また してもワイヤーが切れたらしい。取り替えてから100kmも走っていないのに、 一体どういう事なのかよく分からないが、そもそも、「スピードメーターのワ イヤーを切れやすい運転の仕方」なるものがあって、無意識のうちにそういう 運転になってしまっているのだろうか?また週末に修理工場に行かなければな らなくなってしまった。

Gurudwaraの周りは何処も混んでいて、電飾の写真を撮るどころではなかっ 。ハンカチをもっていたので(注)、Gurudwaraの中に入ろうかとも思ったが、 物見遊山でいくべきではない、との「良識的な」考えが頭をよぎり、結局止め にした。

(注) 一部のヒンドゥー教のお寺と違い、シク教のGurudwaraは、 異教徒であっても、頭を覆う布を被っていれば、誰でも自由に入ることが出来 るし、ランガーという集団給食を共にすることもできる。

夕食は、INAマーケットで見つけた、インドの南端、ケララ州の沖合のアラ ビア湾に散在するLakshadweep諸島で作られているツナ缶を使ってちょっとし た料理を作り、腹一杯になる。このツナ缶、一寸油がしつこいが、特に癖はな くて、ツナの味は良い。結構使える。一缶55ルピーである。


11月3日(火)

夕刻、Oさんがコーディネーターを務め、開発問題に興味を持つ在留日 本人を対象として国際交流基金事務所で開催される「開発と文化研究会」に出 席。初めてお会いする方が殆ど。遅れていったので、どのような方々がおられ るのかよく分からなかったが、留学生、大使館関係者、新聞社、開発関係者と いったところ。大橋さんの今回の在印目的の紹介があり、それを基に色々な意 見交換。

その会の後、アンバサダーを発進させよう としていたら(午後8時半頃)、携帯電話にDEAのMr Grewalから急に電話が掛か ってきた。何でも、日本文化に関する本を読んでいたら、「サムライは常に外 敵に対して備えを怠らず、いつどこから誰に襲われても戦うことが出来る」と いう記述が出てきたが、それは本当か、との質問。あまりに唐突なので、どう したのか、と思ったが、「私を見よ。」と答えると、先方、「そういうことか 、分かった」との由。よく分からん禅問答になってしまったが、それからひと しきり世間話をする。どうやら彼も日本担当から離れてしまって、寂しいよう だ。トレッキングのスライド上映会には必ず招く約束をする。


11月2日(月)

とある仕事が僕の手を離れて、後は内部処理を残すだけになった。休暇を 挟んで過去3ヶ月近くを費やした仕事でもあり、「肩の荷が下りる」とは正に このこと。

夕刻、T君宅にて夕食会。出張中のKさん、Tさんに加えて、T 夫人がボランティアをしていたシャ プラニールの役員をなさっているOさん(恵泉女学園大学: サバティカ ルでインド滞在中)も加わり、インド、バングラデシュ系の結構「濃ゆい」会 となった。


11月1日(日)

昨日は12時過ぎには寝たのに、今日起きたら何と午後3時!「寝疲れて」 起きたようなものだ。20日間も歩き続けた疲れがやはり残っているのだろうか 。しかし、よく眠れすぎるのも困ったものだ。

昼飯(?)を食べてから、床屋に行く。件の不精髭については、床屋に行くときに一緒に剃ってもらおう、と思 っていたのだが、床屋に入るなり、「その髭いいですねぇ」と誉められ、髪の 毛が済んでからも、「是非その髭は残すべきだと思う」といわれ、なんとなく こっちもその気になって、結局剃らずに帰ってきてしまった。

夕刻、フィルムスキャナで遊ぼうとするが、またSCSI接続が出来ない。一 体どうなっておるのか!?