最近の日記 - 98年10月


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10月31日(土)

コンピューター、SCSIカード、スキャナと格闘を続ける。Windows95の再インストールなど、考え付く限りのことを(ただ闇雲に)やる。すると、午前3時40分になって、とうとうコンピューターがスキャナを認識した!但し、そこに至るまでの手順をしっかり記録しておかなかったために、今後ともスキャナが安定して使えるかどうかは分からない。取敢えず、試験的にスキャンしてみる。まぁまぁの結果である。何はともあれ、きちんと繋がってうれしい。嬉しさのあまり、結局朝5時半までスキャニング三昧。

昼過ぎに自動車修理工場に行き、メーターを修理してもらう。

修理工場、というと車検とかも出来てしまうような、きちんとしたところを想像するが、何のことはない、路上に車を止めて、アンチャン達が車の下に潜り込んで仕事をするだけのこと。


結局、前輪からメーターの裏まで伸びているワイヤーが千切れてしまっていることがわかり、ワイヤーの交換となった。


あっという間にパネルが外され(ネジで止まっているので、僕にでも外せるのだけれど)、ベニヤ板を地べたに敷いて車の下に潜ったおニイチャンとの連携プレーで新しいワイヤーが取り付けられた。新しいワイヤーが入っていた袋はその場で路上に捨てられてしまったが、その中に入っていたタグをすかさず拾い上げてみた。


93.75ルピーとあるので、修理代込みで120ルピー位とられるかなぁと思っていたら、何と80ルピーでよいという。不思議なものだ。


10月30日(金)

スキャナとの格闘は今日も続く。帰宅して晩飯の直後から戦闘再開。今日もWindows95の再インストールから。一体どのファイルが悪いのか、よく分からない。何はともあれ、この7万円の投資が全く使えない、という状況だけは避けたい。ガチャガチャ色々やりつつ、日付が変わってしまう。


10月29日(木)

休暇中、色々メールを頂いており、返事を書かなければならないと思っているだが、中々書けずにいる。また、この日記についてもネパールから帰ってからサボっている(28日まではまとめて書いたのです)。何とかしなければ、と思うのだが、どうもやる気が出てこない。

それもこれもというもの、フィルムスキャナが未だにちゃんとインストール出来ていないことが原因なのだ。毎日のように、コンピューターに向かっては、「メール書かなければ」と思いつつ、スキャナのインストールに取り組んでいるのだ。そのために、もう恐らく10回位はWindows95の再インストールやったし、出来そうなことは全てやっていて、且つSCSIをコンピューターに接続すると、スキャナにもその信号は行っているようなのだが、コンピューターは無情にも全くスキャナを認識してくれない。

SCSI接続の問題と対策についてgooInfoseekで検索してみる(最近gooはノロイ。Infoseekの方がパフォーマンスが良い)が、余り情報がない。どうやらSCSIの世界は、Adaptecという会社の製品が「ブランド」らしく、スキャナなどもAdaptecのカードに対しては動作保証している。この際、Laoxのおニイチャンが選んでくれたカード(8,000円弱)は見捨てて、Adaptecに乗り換えるか、と思うが、Adaptecの製品がインドで手に入るかどうか分からない。取敢えず事務所出入りのコンピューター屋に探してもらう。

しかし、何でSCSIなんて使うのか?何でもいいから誰か何とかしてくれ!


10月28日(水)

さて、今日は当然といえば当然なのだが、二日酔状態である。それだけであればよかったのだが、どうやら風邪も引いたらしく、熱っぽい。大事を取って(?)午前中休ませてもらう。午後から出勤するが、どうも今一つ調子が出ない。

夕刻拙宅に、出張者、T夫人、階下に住んでいるM君を招いて、夕食会兼トレッキングのスライド上映会を行う。スライドを説明しつつ、早くももう一回行きたくなっている自分に気が付く。


10月27日(火)

Le Meridienホテルという5スターホテルで「日本食フェアー」が開催されている。個人的には余り興味がないのだが、行っておかないと、当地日本人社会の話題に着いていけそうにないので、折りから出張中のTKさん、Kさん、TNさんに加え、事務所からMさん、T君と3人で行ってみる。

因みに、お値段は、以下の通り。これを高いと見るか、安いと見るか?(Re1=約3円)

>《御膳料理》
> ○刺身御膳     Rs.1,100
> ○天麩羅御膳    Rs.725
> ○寿司御膳     Rs.900
> ○さんま御膳    Rs.725
>
>《秋の味覚》 
> ○秋の四季懐石   Rs.2,100
>
>《一品料理》
> ○寿司盛り合わせ  Rs.850
> ○ちらし寿司    Rs.850
> ○ひつまぶし    Rs.850
> ○うな重      Rs.850
> ○うなぎ長焼    Rs.850
> ○松茸釜飯     Rs.625
> ○刺身盛り合わせ  Rs.1,050
> ○天麩羅盛り合わせ Rs.675
> ○さんま塩焼    Rs.375
> ○いか塩辛     Rs.300
> ○塩鮭       Rs.375
> ○冷奴       Rs.175
> ○マグロ山かけ   Rs.375
> ○松茸土瓶蒸し   Rs.525
> ○じゃこおろし   Rs.175
> ○鰻ざく      Rs.300
> ○たこす      Rs.300
> ○もずく      Rs.225
> ○野菜サラダ    Rs.425
>
>《めん類》
> ○うどん      Rs.275
> ○天麩羅うどん   Rs.425
> ○ざるうどん    Rs.275
> ○そば       Rs.275
> ○天麩羅そば    Rs.425
> ○ざるそば     Rs.275
>
>《日本酒》
> ○歳時記 (120ml) Rs.225
>      (720ml) Rs.1,250
> ○菊正宗 (120ml) Rs.275
>      (1.8 L ) Rs.4,000
> ○徳川家康(120ml) Rs.1,100
>      (720ml) Rs.6,250
> ○菊正宗 (300ml) Rs.800
> ○梅酒  ( 30ml) Rs.200
>      (720ml) Rs.4,250
> ○サツマイモ焼酎
>      ( 30ml) Rs.200
>      (720ml) Rs.4,250
>
>《デザート》
> ○柿        Rs.250
> ○梨        Rs.250
> ○抹茶アイス    Rs.250

さて、我々は、呑まない武貞君を除いた5人で日本酒の300mlボトルを10本も開け、すっかり出来上がってしまったのだった。だから何を食べたのかよく覚えていない。

日本食に合わせて、カラオケも設置されており、どうしてもカラオケをやりたいという某次席に付き合い、そこでもウィスキー(若干の理性が残っていて、高くなるといけないと思って、国産のRoyal Challengeにした)をロックで立て続けに3杯くらい(「くらい」ってぇのは、要するによく覚えていないのです)呑んで、純粋な酔っ払いになって帰ったのであった。まぁ、たまには良いかもしれない。


10月26日(月)

さて、僕はトレッキングに旅立ってから、今日の今日まで髭を剃っていない。完全な不精髭である。デリーに帰って、あまりに評判が悪ければ剃ってしまおう、そうでなければ、まぁいいか、と思い放っておいたのだ。20日に出勤したときにも、余りネガティブな反応がなく、首席からも、「まぁ、取敢えず伸ばしてみたら」みたいなことを言われたので、心丈夫に不精髭を伸ばしてある(時々鋏を入れたりはするけれど)。

ところが、今日、ローカルスタッフがお弁当を食べているときに、僕の髭を巡って議論があったらしく、Mr Singhと女性スタッフは「あまり似合ってないので、剃るべし」派、Vineetは「結構似合っているので、残すべし」派だったらしい。Gaurさんからは、20日に「まぁ、髭なんてものはそのうち飽きるもんですよ」という、余り前向きではないコメントを頂いていた。

さて、どうしたものか?


10月25日(日)

起きたら12時を回っていた。兎に角最近際限なく眠れる。

ぐずぐずしていたら、日が傾いてしまったが、昨日の彷徨は一体どの辺だったのか、確かめてみたくなり、よせばよいのにまたアンバサダーに乗って同じ方角を目指して旅立つ。僕のバカなところは、「過去の失敗に学ばない」というところであって、今日も地図を持って出るのを忘れた。その結果は言うまでもない。またさまよってしまった。昨日来た道がデリーを大回りしているOuter Ring Roadの北東部だということは分かっていたので、それをグングンと回っていれば、デリーの南西方角にある空港の周辺に辿り着くだろう、と思ってOuter Ring Roadを辿っていく。Ringと言うくらいだから、切れ目ないルートなのだろうと思って、地図なんていらないや、と高を括っていたら、ところがどっこい、ここはインド。Outer Ring Roadは突然丁字路にぶち当たり、そこには何も標識がないのだった。「話が違う!」と思ったが、「俺の方向感覚に間違いはない」とそこを右折する。さて、そこから先のことはよく覚えていない。妙に混雑した商店街を通り、その先妙に寂しい一角を通ったり、色々あったが、気が付いたときには、5月のとある晩に通った、という幽かな記憶のある通り(Punjab Baghの中にある)に出てきた。「あぁ、ここ知ってる」と思ったが、そこからどう行ったらデリーの中心地に戻れるのか、全く覚えていない自分にあきれる。

というような、アホなことを繰り返した挙げ句、何だかよく分からない内に知っているところに偶然出くわした時には心からホッとした。走りはじめてから4時間近く経っていた。

そもそも、今晩は久しぶりに自炊しようと思っていたのだが、このアホなドライブのお陰ですっかり疲れてしまい、料理する気にならなかったので、Ambassador Hotelの中にあるDasprakashという南インド料理レストランに行って夕食を採る。150ルピーのターリーは、いつ行っても、質・量とも満足のいくものだ。

さて、夕食を終えて、家に帰ろうと思ったら、家の手前の角に何と、アショクが立っている。咄嗟に、「これは何か面倒なことだ」と直感し、気付かない振りをして、角を曲がり、家には帰らずにもう一回ドライブに出る。風の便りに、観光タクシーのドライバーをやっていると聞いていたが、一体何の用があって僕に会いに来たのか?僕はもうドライバーは要らないし、人様に彼を推薦することも出来ない。兎に角、面倒は避けたいと思ったのだ。

結局、この、「アショクからの逃避行」のために再開したドライブは、何と空港までの往復となってしまった。その挙げ句、何故か、スピードメーターが全く動かなくなってしまった。今回はこれまでと違い、メーターをぶっ叩いても、何をしてもだめだ。

結局アショクのお陰でスピードメーターまで壊れてしまったようなものだ。全くもって人騒がせな奴だ。


10月24日(土)

さて、エベレストに行く前に日本で調達してきたオモチャにはもう一つ、写真のネガフィルムやスライドから直接画像を読み込む、「フィルムスキャナー」というのがある。これはCanonのキャノスキャン2700Fという代物で、パソコンとの間はSCSI(スカジーって発音するらしい)接続である。このSCSI接続なるもの、僕のようなノートパソコンの場合、所謂PCカードを介してスキャナとパソコンを接続するのだが、パソコンとSCSI PCカードの相性、SCSI PCカードとスキャナの相性がそれぞれあって、これがすべて合わないとうまくいかないらしい。スキャナCanonのキャノスキャン2700F秋葉原のラオックスパソコン館で購入したのだが、担当のオニイサンが額に汗して「カード相性表」みたいなものを比較検討して、スキャナとSCSIカードを選んでくれたのだった。僕は一所懸命選んでくれた彼のチョイスを信じて買ってきたのだ。

さて、今日、トレッキングで取ってきたスライドが上がってきた。今回のトレッキングでは、写真に力を入れようと思って、日本を発つ時に成田空港で、「プロはやっぱりネガよりはスライド!」と密かに思い、スライドフィルムを買ってきたのだ。待望のスライドが上がってきたので、フィルムスキャナをインストールする。まずはSCSIカードを接続し、スキャナを接続するが、コンピューターがうまく認識してくれない。カードのマニュアルをチェックしても、「Windows95なら殆ど何にも設定なしでOK」ってな感じでしか書いていない。

と、どうしたものか、と困ってしまい、コントロールパネルでPCカードアダプタごと削除して、再度認識させてみたり、色々やったのだが、SCSIカードは認識するものの、スキャナは認識してくれない。ウーン困った、7万円も出して買ってきたスキャナ(+SCSIカード)なのに、認識しないってぇのはないじゃねぇか、と怒り狂ってみるが、怒ったところで何ともならない。

とそうこうしているうちに、久しぶりに停電になった。もう夜10時を超えていたし、最近頓に眠いので、寝てしまおうかと思ったが、やはり10時というのは早すぎるのか、眠れない。真っ暗闇の中、することとてないので、またもや、アンバサダーに乗ってデリーの夜の街のドライブへと出かけてしまった。そして、今回は免許は持っていたものの、またしても地図をもって出るのを忘れ、夜のデリーの郊外に出てしまい、彷徨の挙げ句、ボロボロになって帰宅したのは午前1時近くであった。


10月23日(金)

今日は、インドの中堅企業を支援するためにOECFが出資しているSARAファンドという案件の会議のためにボンベイに日帰り出張。相変わらず、ファンドマネージャーの責任者であるMr Gandhiは早口である。会議では彼に輪をかけて早口の人もいて閉口したが、こっちも言うべきことはしっかり言わなければならない。2時間強の会議だったが、結構つかれた。


10月22日(木)

午後、DEAのMr Grewalから電話があり、異動になったという。異動といっても、DEA内部で、日本担当から、国連機関担当になったとの由。彼は日本を担当して、6年余り。時として、日本側と頭の固いIASオフィサーとの間に入って執り成してくれたり、我々にとって非常に頼りになる存在だったので残念である。

「アンタもこれで腐れ縁の日本人と別れられてセイセイしてるかも知れないけれど、国連の連中ってぇのは、ベチャクチャベチャクチャと議論することばかり好きで、実際何にもやってくれない、実にBoringな連中だよ、ご愁傷様」といってからかってやると、「みんなそう言うんだよねぇ。相手にしなきゃいけない頭数は多いんだけれど。」と元気のない様子で一寸心配になる。幸い彼は担当が変わるだけで、部屋も変わらず、すぐに連絡がつくらしいので、トレッキングのスライドショーを我が家でやる際には声をかけると約束する。


10月21日(水)

昨日は帰宅後、晩飯を食ってすぐに寝てしまった。疲れていない積もりでいても、やはり20日間歩き続けた疲れが身体に溜まっているのだろうか、非常によく眠れた。

さて、今日から、日本から買ってきたオモチャをパソコンに装備していくこととする。其の一はPaperPort Strobeというシートスキャナである。LPT接続で、ソフトのインストールも簡単。カラー画像については、解像度300×600dpiで、試してみると、結構すごい。また、OCR(文字の読み取り)機能も結構利口で、これで3万円ちょっと、というのはお買得だと思った。試しにスキャンしてみた、本屋でもらった奇麗な栞の映像(元は300dpi)を参考までにご紹介。


10月20日(火)

T夫人のやけどは思ったよりもひどい状況らしく、T君は昨日帰宅後、奥さんを救急病院に連れていったそうだ。キチンと処置してくれたらしいが、心配である。Mr Vからも心配して電話があった。

今日から一ヶ月ぶりに仕事再開だ。実をいうと、当初の予定では、19日は営業日で、20日がDiwali休業となっていたはずなのだが、「月の満ち欠け」の都合で、19日がDiwaliになり、20日は営業日となってしまった。「19日にインドに帰って、20日は夕方までゆっくり寝る」という計画が丸つぶれになり、帰った翌日から働く羽目にはまってしまった。溜りに溜まった書類を読んでいくだけでもホネだが、1ヶ月も休みを貰った手前、文句は言うまい。


10月19日(月)

エベレストBCへのトレッキングから帰国。カトマンズからデリーまで1時間半。あまりにも呆気ない帰還だった。

家についたのは午後4時前。荷物を解いて、一息ついていると、コックのMassiが、「17日に帰って来るって言ってたのに、帰って来ないからどうしたのかと思って様子を見に来た」、と言って現れた。

その後、T夫妻、出張中のTKさんと共に、アンバサダーを駆ってヤムナ川の対岸のNOIDAにあるMr Vの家に行く。今晩はDiwaliである。V一家にとっては、9月17日に生まれたばかり赤ちゃんが加わったDiwaliとなった。赤ちゃんは待望の男の子だが、まだ名はない。

ヒンドゥー教徒の家では赤ちゃんが生まれてから20〜40日は家の外にも出ず、名前も付けない。その後やっと坊さんが呼ばれ、儀式が行われて、名前が付けられる。坊さんが星占いなどで名前の頭文字を指定し、その中でよい名前を、例えばVという音を指定されたら、その中から、Vineetとか、Vijayとか行った風に、選ぶのだ。名前を選んで、みんなに発表するときには、naming partyなるものが行われ、赤ちゃんのお披露目となる。

と、いうわけで、V家の男の子にはまだ名がない。「名付けまで、日本語で何か良い愛称はないか?」とMr Vから聞かれるが、中々良い知恵が浮かばない。

さて、待望の花火である。T夫妻が買っておいてくれたものにV家の調達分を加えて、結構な量になった。もう、GoonjiもCheriも花火を怖がる歳ではない。考えてみれば、これは僕らにとって3回目のDiwaliである。多分僕にとっては最後のDiwaliになるだろう。彼女たちも大きくなったのは当たり前といえば当たり前だ。

GoonjiやCheriはニュルニュルと黒い燃え滓を出す「ヘビ花火」に興じつつ、時折、ロケット花火を打ち上げてくれ、と僕らにせがむ。景気が悪いせいか、今年は街中の花火が盛り上がっていない感じがするが、毎年爆竹や打ち上げ花火を派手にやっている隣家は今年も相変わらずで、なんとなく安心する。良識的な(?)武貞家は爆竹の類を余り買わなかったので、おとなしい花火だった。が、こともあろうに、T夫人の手花火が何と手の中で暴発し、T夫人は火傷した手を氷で冷やすこととなった。

V家で夕飯をごちそうになり、アンバサダーでTKさん、T君、火傷を氷で冷やしているT夫人を載せて、アンバサダーで帰宅の途に着く。去年、一昨年のDiwaliの夜は気温が低く、花火の煙と寒さがあいまって、デリー中が濃霧状態になり、車を運転するのも危ない状態だったが、今年は暖かいDiwaliとなって、霧もなく、12時半過ぎに無事帰宅することができた。

さて、これが僕にとって最後のDiwaliになってしまうのだろうか?